ゲストなしで振り返る5.5回とは
今回は第5.5回として、メインのトークテーマとは別に、パンチショーヘイさんが今気になる話題や、これまでのトークで得た気づきを整理するための回として設けられています。
毎週土曜配信のうち「.5回」が常態化してきたと本人も苦笑しつつ、この回の役割を説明しています。
今回は、前々回・前回に出演したゆいこさんとの対話で得た気づきから、言葉にすること、言語化することについて改めて考えたことを話す流れになっています。
Kポップへの見方が変わったきっかけ
振り返りの1つ目は、ゆいこさんが語ったKポップの話です。パンチショーヘイさん自身、当初はKポップに抵抗感があったと明かしています。
その理由は、コピーダンスを踊ることへの抵抗でした。ストリートダンスで重視されるオリジナリティが、コピーダンスには発揮されにくいのではないかという思いがあったといいます。
しかし、ゆいこさんがKポップの魅力を言葉にしてくれたことで、薄々感じていたものが明確になったと話します。
具体的には、コレオの多様性です。今までの日本のダンスシーンでは見なかった振り付けや音の取り方、作り込まれたフォーメーションが、新しい魅力として挙げられました。
ナンバーイベントの流行や、SNSでいかに綺麗に自分を見せるかといった要素が合わさり、Kポップというジャンル自体のレベルが上がってきたと分析しています。
現代のKポップの魅力ってこういうことがあるよねっていうところを認識してみると、また違った見え方でKポップが見えてきたりします。
そのうえで、言語化できていないダンススクールオーナーも多いのではと指摘します。なぜこれだけ流行っているのかを言葉にできれば、保護者や生徒に魅力を伝えられ、満足度やダンスに取り組むきっかけにつながると考えています。
知らなかった「テーマパークダンサー」という言葉
振り返りの2つ目は、テーマパークダンサーの話です。長いダンス歴を持つパンチショーヘイさんも、この世界は正直知らなかったと語ります。
理由の1つとして、出身地である名古屋には近くに大きなテーマパークがないという地理的な事情を挙げています。関西や関東のように大きなテーマパークが身近にあれば、そこを目指す憧れや情報が入ってきやすいのではと考えています。
ゆいこさんからテーマパークダンサーの仕事や内情を聞けたことは、大きな学びになったといいます。
ここには、ダンススクールオーナーとしての責任感があります。生徒がどんなダンサーになりたいかを導く役割があると感じているためです。
どういう魅力があって、どういう仕事があって、どういうしんどさがあって、どういうのが向いてるよっていうところまで、しっかり説明してあげたい。
しかしテーマパークダンサーについては知らなかったため、これまで説明できなかったと明かします。今回一緒に話したことで、生徒や保護者に具体的に説明でき、子どもたちの選択肢を増やすきっかけになれるのではと感じています。
そしてこれこそが「喋場cue」の使い方として良いと、自ら手応えを語っています。知らない世界や違う見方を発信しながら、自分自身も学び、リスナーの選択の糧にしていきたいという狙いです。
言葉を知らなければ夢は自覚できない
ここから話は、番組のテーマである「夢と言語化の関係」に移ります。原体験を振り返っても、言葉と夢の関係が自分に大きく影響していたと語ります。
第1話で、幼少期にブレイクダンスのテレビを見て衝撃を受けダンスを始めたと話していましたが、実はそれより前から、お遊戯や音楽に合わせて体を動かすことが得意で好きだったといいます。
ただ、その頃「夢は何か」と聞かれても「ダンサー」という答えは出てこなかったと振り返ります。そもそもダンサーという言葉を知らなかったのではないかと考えています。
ダンサーという語の意味はわかっても、それがどんな仕事でどうお金を稼ぐ職業かという認識は、小中学生の頃にはなかったと話します。ここに言語化の必要性や可能性があると指摘します。
言葉にできてなかったら夢って語れないですよね。ぼんやりとこんなのってあっても、それが言葉にできてないと、人に伝えることができない。
そこから、言葉にできないことは夢にならないという逆説も成り立つのではないかと述べます。言葉を知る前は、夢は存在していても自覚できないものになっている、というのが1つ目の考えです。
名前がついた瞬間に夢が始まる
2つ目の考えは、言葉を知ったときに夢が初めて輪郭を持つ、というものです。
第1話で語ったブレイキンの番組を見た体験が、まさにその瞬間だったといいます。ブレイクダンス、ブレイキン、ダンサーという言葉や存在を初めてしっかり見聞きしたのがここでした。
得意だったこと、好きだったことが、初めて言葉と結びついた瞬間だったと振り返ります。
初めて自分の得意だったこととか、好きだったことに点が、その言葉と点が結びついて、「僕はこれがやりたいんだ」って、ここで初めて夢が生まれる。
名前がついたことで初めて認識でき、夢が始まったといいます。ポッドキャストを選んだ理由も、ここにあると語ります。
言葉にしていかないと夢は始まらず、人に伝わらず、自分でも認識できない。この原体験があるからこそ、テキストや映像ではなく、言葉によりフォーカスできるポッドキャストを始めたと説明しています。
得意・好きがある
体を動かすことが得意で好きだったが、言葉になっていない状態
言葉と出会う
番組でダンサーやブレイキンという言葉を知る
点と点が結びつく
得意・好きが言葉と結びつく
夢が始まる
「これがやりたい」と認識でき、夢に名前がつく
風呂場で2時間、モヤモヤを言葉にした夜
次の転機は28歳頃です。ダンサーで食べていくのは苦しいが、何かダンスに関わって生きていきたいという漠然とした思いがありました。しかし、それはまだ言語化できていなかったといいます。
ある日、一人で2時間ほど風呂に入りながら、自分の将来のモヤモヤや、どうすれば夢が叶うのかを反芻していたと振り返ります。これはモヤモヤを言語化しようとする作業だったと考えています。
そして出てきたのが「ダンサーが集まるビルを持つ」という夢でした。
当時、ダンススクールをやりたいという明確な思いがあったわけではありません。ダンサーとして自分もその世界に浸っていたい思いも捨てきれず、複合的なモヤモヤを抱えていました。
自分自身もその空間に居続けたい、時にはダンスを踊り、ダンサーを見て育て、羽ばたいてほしい。そうした複合的な思いが、空間を持つという言葉で1つにまとまった瞬間だったといいます。
言葉にでき、しかもキャッチーでわかりやすい表現になったことで、人に説明できるようになったと語ります。
自分の中での認識もそうですし、「僕の夢ってこれだよ」っていうことが言える瞬間が、また出てきた。
さらに、夢を言語化すると自分は行動が早くなると気づいたといいます。中学2年でブレイキンをやりたいと思ったときに年賀状に書いたのと、構図は同じだと振り返ります。
28歳で夢が決まってからは、銀行員として社長たちとの雑談の中で、1年ほど「この夢ができました」と話し続けていたと明かします。
自分の中でなんか夢を言語化できた時に、無類の強さを発揮してるなというのは、これやりながらめちゃ感じてます。
そして言葉にした夢は、オスカードリームにグラフィホールが誕生する形で、まさかの1、2年後に叶ってしまったといいます。
3つ目の夢を、この番組で言葉にしていく
夢は言葉に出すべきだと、自己啓発本などでもよく言われます。パンチショーヘイさんはそれを原体験として持っているため、本当に推奨すると語ります。
言葉に、皆さんぜひ夢を具体的に言語化してあげてください、自分の夢を。それをぜひいろんな方に喋ってみてください。
そして今、この番組を通して3つ目の夢を叶えようとしているのだといいます。ただし、それはまだ言語化できていないと打ち明けます。
ダンス業界全体が幸せになり、ダンサーが食べていける世界。それは難しいけれど、大人たちが今努力している最中だと述べます。
今後もいろいろな人にこの場へ来てもらい、目線や考え方、言葉を共有しながら、自分も学び、リスナーとも学びを重ねていきたいという構想を語ります。それが大きな形になったとき、ダンス業界に新しいきっかけができるのではと考えています。
現在37歳で、5月に38歳になるパンチショーヘイさんは、振り返るとおよそ10年おきに大きな悩みや目標を見つけてきたと気づいたといいます。
今また新しい目標を見つけようとしているタイミングだと自認し、それをマイクとリスナーの話を通して言語化し、具体化して夢に落とし込んでいきたいと語ります。
だからこそ、リスナーからの気づきや知見を活発に共有できる場にしたいと呼びかけます。SpotifyのコメントやメールやDMなど、どんな形でもいいので考えを共有してほしいと話しています。
まとめ
この回は、ゲスト回の振り返りから始まり、パンチショーヘイさん自身の原体験をたどりながら、夢は言葉にして初めて始まるという考えにたどり着く内容でした。言語化が夢を自覚させ、人に伝え、行動を生むという流れが、自身の歩みとともに語られています。
- Kポップやテーマパークダンサーの魅力を言語化できれば、生徒や保護者に伝え、選択肢を広げられる
- 言葉にできないことは夢にならず、言葉を知らなければ夢は存在しても自覚できない
- 番組を見て「ダンサー」という言葉と出会ったことで、得意・好きが夢へと結びついた
- 28歳の風呂場で「ダンサーが集まるビルを持つ」と言語化し、1、2年後にグラフィホールとして実現した
- 今は3つ目の夢を、この番組でリスナーと共に言語化していこうとしている
