ミラータクシーとは何だったのか?
今回のライダー名鑑は、ジャック・ミラー選手の回です。今週末のオーストラリアGPはフィリップアイランドでの開催が最後で、ミラー選手にとっても最後の母国グランプリになります。
フィリップアイランドのターン4は、ミラー選手の名前がついた「ミラーコーナー」です。コ・ホストは、ミラー選手をおさらいしてからレースを見ようと呼びかけています。
話の入口は、日本グランプリで話題になった「ミラータクシー」です。ヤマハのアレックス・リンス選手のマシンが止まり、コース脇で立ち往生していました。
リンス選手はコース走行中のライダーに向かって、ヒッチハイクのように手を挙げます。そこに現れたミラー選手が、リンス選手を後ろに乗せました。
当然、MotoGPマシンにタンデムシートなんかありませんし、タンデムステップもありません。にも関わらず、ミラーはリンスを後ろに座らせました。
ミラー選手はコーナーで膝を出して膝すりを試みます。それが無理だとわかると、茂木のダウンヒルストレートで、後輪を浮かせて走るストッピーまでやってのけました。
この様子はグレシーニのアレックス・マルケス選手や公式の解説者にも受けていた、と二人は話しています。映像へのリンクは説明欄にあります。
Moto2を飛ばして最高峰へ。悔しい2位からの飛び級
ミラー選手は31歳のオーストラリア出身で、ゼッケンは43番。現在はプラマックYAMAHAに所属しています。今回は生い立ちを省き、Moto3の3年目から話が始まります。
2014年のMoto3で、ミラー選手は6勝、ポールポジション8回、表彰台10回という圧倒的な強さを見せました。ところが最終戦バレンシアで優勝しても、アレックス・マルケス選手が3位に入り、2ポイント差でタイトルを逃します。
その翌年の2015年、ミラー選手はMoto2を経ずに、いきなりMotoGPクラスへ上がります。しかもホンダに選ばれての昇格で、コ・ホストも目を疑ったといいます。
ただ、現実は厳しいものでした。2015年はランキング19位、獲得ポイントは17。シルバーストンでは、チームメイトのカル・クラッチロー選手と接触し、後で謝ったそうです。
クラッチロー選手は後に「Moto2を経由することが最高峰への最良の道とは限らない」と語っています。ホストは、ミラー選手の飛び級をかばってくれた発言だと受け止めています。
Moto3チャンピオンとなり、順当にMoto2へ昇格
ランキング2位で、Moto2を飛ばしてMotoGPへ飛び級
なぜ雨のアッセンで世界に名を知られたのか?
MotoGP2年目の2016年、オランダGPアッセンで、ミラー選手の名前は一気に世界に知れ渡ります。大雨のレースで、ミラー選手は18番手スタートでした。
途中で赤旗が出て約30分中断し、その後12周のレースとして再スタートとなります。再スタートのグリッドは、中断前の順位でした。
ミラー選手は8番手から再スタートし、マルク・マルケス選手を抜いてトップに立ちます。同じホンダでも、マルケス選手はファクトリー、ミラー選手はサテライトという関係でした。
結果は、マルケス選手に約2秒差をつけての優勝です。優勝オッズは750倍とされ、MotoGP史上指折りの番狂わせと言われました。ロッシやドヴィツィオーゾも転倒した波乱のレースでした。
この優勝は記録づくめでした。サテライトチームの優勝は、2006年のトニー・エリアス以来10年ぶりです。また、MotoGPで新しい優勝者が出たのは、2013年のマルク・マルケス選手以来でした。
コ・ホストによると、当時は勝てる選手が決まっていました。2013年のマルケス選手の優勝から、ミラー選手の優勝までは、ロッシ、ロレンソ、ペドロサ、ストーナーが引退した後のマルケス選手を含め、限られた選手しか勝っていません。ミラー選手はその歴史を書き換えました。
オーストラリア人としては、ケーシー・ストーナー以来の優勝でもありました。表彰台では、ブーツでシャンパンを飲む「シューイー」も披露しています。
ミラー選手によると、これはホンダへの当てつけだったそうです。前の年にパーティーでシューイーをやり、ホンダから罰金を取られたため、表彰台でやってやろうと考えたといいます。
その後はF1などにも真似する選手が現れ、MotoGPではロッシもやっていました。なお、ホストは個人的にシューイーがあまり好きではないと話しています。
スリックで勝負した2018年アルゼンチンGPとは?
ホンダ系のチームで3年間を過ごしたミラー選手は、2018年にドゥカティのサテライトチーム、プラマックへ移ります。その年のアルゼンチンGPが、ミラー選手を語るうえで外せない一日だとホストは言います。
土曜の予選では、路面が乾いていく方に賭けてスリックタイヤで出走し、MotoGPで初のポールポジションを獲得しました。路面がまだ濡れている中での選択は、かなり思い切った判断だったとコ・ホストは話します。
決勝前には雨が降り、ほとんどの選手がレインタイヤでグリッドに並びました。ミラー選手だけがスリックでした。
路面は乾いていき、他の選手はスタート直前にピットへ戻ってタイヤを交換します。通常ならピットレーンからのスタートですが、全員がそうなるのは危険だとして仕切り直しになりました。
結局、ミラー選手の後ろに少し間を空けて、他の選手が並ぶ形になります。この一件を受けて規則が見直されたとも言われています。
レースはミラー選手がトップを走りましたが、結果は表彰台を逃しました。優勝はクラッチロー選手です。ミラー選手は、ミスが2つあって表彰台を逃したと悔やんでいます。
ホストはファンとして、本来なら全員ピットレーンスタートだったはずなので、スタートでもっと差をつけてほしかったと話します。コ・ホストは、そこを言わないのもミラーらしいと応じました。
予選
路面が乾く方に賭けてスリックを選び、初ポール
決勝前
雨でほとんどの選手がレインタイヤ。ミラー選手だけスリック
スタート前
他の選手がピットでタイヤ交換し、ミラー選手の後ろに並ぶ形で仕切り直し
結果
ミラー選手がトップを走るも表彰台を逃し、クラッチロー選手が優勝
ホールショットデバイスとドゥカティファクトリー昇格
2018年は、技術面でもミラー選手が注目された年でした。当時のドゥカティは、今につながる技術トレンドを多く生み出していました。
コ・ホストによると、この時のホールショットデバイス ── スタート時にフロントフォークを縮めた状態で固定し、車体を低く保って加速を助ける仕組みですは、実戦で最初に使ったのがミラー選手でした。2019年には、リアの車高を調整するデバイスが決勝で初めて使われたとされています。
ただ、グリッドでそのボタンを探している間に、間違えてエンジンを止めてしまったこともありました。最高峰でのエンストに、ホストは「ちょっと恥ずかしい」と笑います。
その後、ミラー選手はプラマックで表彰台を重ね、2021年からのドゥカティファクトリー昇格が発表されます。そしてヘレスで、MotoGPクラス初のドライでの優勝を果たしました。
2週間後のル・マンは雨が降ったり止んだりの天候でした。ミラー選手はコースアウトし、ピットレーンの速度違反でロングラップペナルティも受けましたが、それでも優勝しています。
MotoGP公式がミラー選手をウエットのスペシャリストとして紹介したこともあります。コ・ホストは、ミックスコンディションに本当に強いと評しました。
ファクトリー2年目の日本GPでは、5番手スタートからホルヘ・マルティン選手を抜いてトップに立ち、そのまま優勝します。コロナの影響でMotoGPが日本に3年ぶりに戻ってきた年で、2位と3秒以上の差をつける圧勝でした。
KTMからプラマックヤマハへ、救ったのは誰?
ミラー選手はホンダ、ドゥカティと渡り、その後KTMのファクトリーチームへ移ります。ただKTMでは活躍の場を失い、2年目はMotoGPのシートが見えなくなってしまいました。
そんなミラー選手に手を差し伸べたのが、プラマックでした。プラマックはドゥカティのサテライトからヤマハのサテライトへ移ることが決まっており、それに合わせてミラー選手のヤマハプラマックでの参戦が発表されます。
ミラー選手が後に明かした話では、ヤマハにはミラー選手の印象があまり良くなかったそうです。ミラー選手が皮肉っぽいことを言っていたためで、コ・ホストは悪気はないと思う、と話しています。
それをオーナーのカンピノーティさんが説得し、移籍が決まったようです。ミラー選手は、プラマックに救われたと言っています。
プラマックでの成績は振るいませんでしたが、ミラー選手は「完璧なバイクなんてない。バイクの強みを見つけてそこを伸ばす」と語っています。コ・ホストは、前向きな姿勢で開発に取り組む点をメーカーも認めている、と話します。
なぜWSBKのヤマハへ?タイヤが入れ替わる巡り合わせ
ミラー選手とプラマックヤマハは、年末での関係終了を発表しました。ただし次の場所は決まっていて、ワールドスーパーバイクのヤマハファクトリーチームと2年契約を結びます。
背景には技術的な理由があります。ワールドスーパーバイクはピレリからミシュランに変わり、MotoGPはミシュランからピレリへ変わります。タイヤメーカーが入れ替わる形です。
ミラー選手はMotoGPでミシュランを使い続けてきたライダーで、その経験と知識が非常に貴重だと言われています。ホストは、トプラック選手やニッコロ・ブレガ選手とは逆のパターンだと説明します。
MotoGP
ミシュランからピレリへ変更
ワールドスーパーバイク
ピレリからミシュランへ変更
ミラー選手
ミシュランを知り尽くした経験が、ヤマハで必要とされる
鈴鹿8耐で見せた、2年連続2位の手応えとは?
ミラー選手にとって、日本といえば鈴鹿8耐です。初めて出たのはホンダ系のチームで、高橋拓未選手、中上貴晶選手と組んでの参戦でした。
その後に戻ってきたのが去年です。ヤマハのファクトリーチームで中須賀選手、ロカテリ選手と組んで2位となり、ミラー選手にとって8耐初の表彰台になりました。
今年の8耐は例年より早い決勝日で、ミラー選手はMotoGPの合間を縫って強行出場しました。ホストはやめた方がいいと言ったそうです。
雨のレースの中で、ミラー選手はレース中の最速ラップを記録します。一時はホンダとの差を縮めましたが、残り少しの時間でセーフティーカーが入り、結果は2位でした。
優勝はまたしてもホンダHRCで、ヤマハは2年連続の2位です。コ・ホストは、とんでもない記録だと話しています。
来年ミラー選手がWSBKのヤマハにいるなら、鈴鹿8耐への出場もあり得ます。まだ確定ではありませんが、コ・ホストはヤマハが8耐のためにミラー選手の席を作ったのではと考えてしまうそうです。
ホストは、鈴鹿でミラー選手とザルコ選手の対決が見られるかもしれないと期待しています。残りのMotoGPは、バレンシアGPまでミラー選手の活躍を見届けようと呼びかけました。
まとめ
ジャック・ミラー選手は、飛び級、番狂わせの優勝、思い切ったタイヤ選択、そして移籍の紆余曲折と、ドラマに満ちたキャリアを歩んできました。MotoGPで走る姿を見られる時間は残りわずかなので、最後まで見届けたいところです。
- 2014年のMoto3で2ポイント差で2位となり、翌年Moto2を飛ばしてMotoGPへ飛び級した
- 2016年の雨のアッセンで、750倍のオッズとされた番狂わせの初優勝を果たした
- 2018年アルゼンチンGPではスリックで勝負し、初ポールと波乱のスタートを生んだ
- ドゥカティファクトリー時代にはドライでもミックスコンディションでも勝利を挙げた
- 来年はWSBKのヤマハで走り、鈴鹿8耐への出場にも期待がかかる



