騎手を目指した少年が、なぜ東大にたどり着いたのか
朝倉さんのキャリアは、競馬の騎手を目指すところから始まります。実家が阪神競馬場の近くにあり、当時の子どもがイチロー選手に憧れるようなノリで、武豊騎手に憧れていたと話します。
中学を卒業すると同時に、オーストラリアの騎手養成学校へ入学します。日本の高校には進学していません。
中学の頃に、近所に阪神競馬場という競馬場が実家の近所にありまして、そこで育ったものですから、競馬の騎手を見るとヒーローに見える。武豊騎手に憧れたという、そんな育ちをしていまして。
しかし騎手には厳しい体重制限があります。卒業時に47〜48キロ程度に抑える必要がありますが、15〜16歳で身長が伸び、体重が増えてしまいました。
本当に減量してたら体脂肪率5%弱とかなっちゃって。ちょっとこれ無理だと思って。
騎手を諦めた朝倉さんは、北海道の牧場で競走馬の調教の仕事に就きます。ところが今度は、バイク事故で左足の大腿骨を粉砕骨折してしまいます。
肉体労働も難しくなり、関西の実家へ戻ります。そこから3年通えば大学受験資格が得られる専門学校に入り、受験勉強をして東京大学に合格しました。
同じ環境で育った同級生たち。東大入学時に受けた「洗礼」
波乱の経緯を経て入学した東大ですが、朝倉さんはそこで意外な光景に驚いたと振り返ります。入学すれば全員が初対面で、そこから横一線で始まると思っていたのです。
大学入学したらみんな初めましてだと思ってたんですよ。リセットでここからよーいドンだって思ってたら、大学入ったらみんな友達だらけじゃないですか。
開成や灘、ラ・サールといった名門校の出身者が多く、地方であっても同じ進学校の同級生同士でつながっている。そんな光景に「ハイソサエティの洗礼」を受けたと語ります。
聞き手の玉置さんも東大出身で、この感覚に強く共感します。玉置さんの場合、父が「東大でなければ大学には行かせない」という方針で、それは事実上「行かせない」という意味に近かったと明かします。
もう古い家なんで、男尊女卑が激しいんですよ。女性は学問をするべきではないっていう。「東大に行くんだったら行かせてやるよ」っていうのはイコールダメなんですね。
和歌山で高校を出て、銀行に腰掛けで就職し、結婚する。そんな決まったレールから出たい一心で、火事場の馬鹿力で猛勉強したと話します。異なる背景を持つ二人が、変わった経路で東大に至った点で意気投合します。
起業は「独立したい」から。ライブドア時代に芽生えた憧れ
大学在学中、朝倉さんはまず学生アルバイトとして、東大卒の人が立ち上げた会社に参加します。その会社は後に上場したと話します。
その後、大学4年生のはじめに、仲間たちと自らの会社を立ち上げます。もっとも、明確に起業と決めていたわけではありませんでした。
背景には、年齢的に同年代が就活を始めるタイミングだったことへの焦りがあったと語ります。大組織で働くサラリーマンは自分に向いていないという自己認識もありました。
弁護士など独立できる職業も検討しますが、法律の授業が好きになれませんでした。議員秘書のカバン持ちも経験し、これは自分がやってはいけない仕事だと感じたそうです。
そんな中で目にしたのが、ライブドアによる近鉄バファローズ買収の動きや「ヒルズ族」という言葉が生まれた時代の空気でした。
今のスタートアップやってる人たちだと、自分たちのプロダクトで世界を変えるぞみたいな崇高な志を持ってらっしゃる方々ってたくさんいて、いやすげえなって思うんですけど、そんなこと全然考えてなくて、独立したいと。
Web2.0前夜、モバイルに賭けた学生起業の中身
立ち上げた会社は、当時としてはかなり早い挑戦をしていました。最初に手がけたのは、ソーシャルグラフを活用したマーケティングエンジンでした。
仲間は全員エンジニアで、朝倉さん自身はエンジニアではありませんでした。Web2.0の時代らしく、ソーシャル、クラウド、ユビキタスといった概念に強く惹かれていたメンバーだったと話します。
中でもモバイルへの思い入れが強く、パソコンよりモバイルの時代が来ると信じていたそうです。まだスマートフォンがないガラケーの時代の話です。
パソコンよりも絶対モバイルの時代が来る。その点でいうと、彼は非常に先見の明があったと思うんですけど。
当時のガラケーは、キャリアや端末ごとにプログラムが異なるという課題がありました。そこで、同じソースコードで同じアプリケーションをあらゆる端末で開発できる言語そのものを作っていたと語ります。
その技術でテレビ番組表アプリの受託開発なども手がけていました。方向性としては先を行っていたものの、実現の場がガラケーだった点で早すぎたのかもしれません。
自由を求めるほど頼ることになる。ミクシィ入りで気づいた逆説
この会社がミクシィに買収され、朝倉さんはミクシィに入社します。買収後にはロックアップ期間があり、それが明けたらまた起業しようと考えていたと明かします。
当初は大きな責任を負う立場ではなく、ミクシィ内のリソースを使いながら新しいプロダクトを作れればよいという自由な入り方でした。そのため働き方に大きな変化はなかったと話します。
朝倉さんにとって重要な概念が「インディペンデントであること」です。競馬の騎手は実力本位の世界で、才覚があれば世界中どこでも活躍でき、ダメなら自分の責任として終えられる。その潔さに惹かれていたと言います。
ところが実際には、独立してやろうとするほど、逆に人に頼ることになる逆説に直面します。マッキンゼーを経て仲間のスタートアップに戻ると、これまでの看板やアセットが一切生かせなくなりました。
いろんな人に頭下げて、「助けてください、教えてください」っていうことをしていかなきゃどうしようもなくって。
一方で、スタートアップの世界には温かさがあったと振り返ります。利害関係がなくても、先輩起業家たちが可愛がり、いろいろと教えてくれたそうです。
肩を寄せ合う「ゲットー」から、調子に乗った「祭り」へ
玉置さんも、自分たちがマイノリティだという意識から、後輩には優しくなると共感します。誰も教えてくれないだろうから助けねば、という感覚です。
朝倉さんは、外から見ればベンチャーコミュニティは馴れ合っていて気持ち悪く見えるかもしれないと認めつつ、それを社会的な弱者が肩を寄せ合う「ゲットー」のようだと表現します。
社会的な弱者がなんか肩を寄せ合いながら互いに助け合う、ちょっとゲットー的な側面あるじゃないですか。これは僕、すごい良い微風だし。
しかし2010年代後半以降、スタートアップが社会的な認知を得てトレンドになると、コミュニティ感は残りつつも「調子に乗ってる感」が出てきたと二人は語ります。
ちょっと祭り感ありましたね。
玉置さんは、この祭りの頃からスタートアップ界隈と距離を取るようになったと明かします。大きなイベントであるIVSには一度も行っていないそうです。
祭りの空気は、本来なら入ってこないような人まで呼び込んでしまう危うさもあると玉置さんは指摘します。起業家のメンタル問題を例に、かつては起業しようとする時点でその難しさが選別になっていたと話します。
今優しくって、なんか入り口広くなっちゃってるので来ちゃうんですよね。
朝倉さんは自分の口からは言いにくいとしつつ、その指摘はよく分かると応じます。すでに調整局面が来ており、市場が正常化していく方向だと二人は見ています。
ミクシィのV字回復。「会員必須」にしなかった決断
話題は、玉置さんがリアルタイムで見ていたというミクシィ時代の経営判断に移ります。玉置さんが天才的だと評価するのは、新しいことを始める際に、ミクシィの会員であることを必須にしなかった点です。
当時、多くの企業はアカウント連携でIDを集めるため、新サービスでも会員登録を必須にしていました。玉置さんはそれを絶対にやってはいけないと見ていました。
新しいことをやる時に、ミクシィの会員であることをマストにしなかったじゃないですか。
朝倉さんは、これは中から上がってきた人には出にくい発想だと認めます。当時のミクシィでは、SNSが主力事業だったこともあり、新しいことを始めること自体がタブー視される空気があったと振り返ります。
例として、LINEのようなメッセージングツールの構想を挙げます。過去のミクシィ内のコミュニケーションと紐付けなければ出せないとなると実装に時間がかかり、結局出せなくなってしまうと語ります。
一方、そうした制約を一切気にせず作れば、物自体はできる。これはまさにイノベーションのジレンマだと話します。
朝倉さんは、競合や新興勢力が出てきたときの発想をこう語ります。
創業社長では壊せない聖域。外様だからできること
玉置さんは、朝倉さんのようなポジションの人が羨ましかったと語ります。創業社長がいる会社では、社長が作った既存事業を誰も否定しづらくなるからです。
玉置さん自身は創業経営者として、全盛期にはメイン事業を見ず、あえて壊す役割ばかりを担っていたと明かします。自分しか壊せる人がいなかったからです。
みんな創業社長が作った既存事業を否定しづらいんですよ。聖域になっちゃうんで。結局壊せるのが私しかいなかったんですね。
朝倉さんは、外様だからやりやすかった面もあると応じます。うまくいったサービスほど、その瞬間から滅亡が始まる。しかし運営する当事者にはそれが見えにくいと二人は語ります。
投資家の目線から見れば、既存事業を守れという理屈も、機会があるなら新規事業をやればという理屈も、どちらも成り立ちます。しかし現場に入れば、できないには百個ほどの理由があると朝倉さんは指摘します。
組織ってその組織ならではの慣性というか、独特の磁場があって、それに引きずられ、意思決定が引きずられるところってあるじゃないですか。これをかいくぐるのはどれだけ難しいか。
VCがスタートアップによく問う「リクルートが同じことをやったらどうする?」という問いも、その時になってみないと分からないと二人は一致します。摩擦の少ない組織は脅威だが、必ず負けるわけではない、という捉え方です。
社長がやれと言っても動かない。だから組織をマネジしない
働いた経験がなかった頃、朝倉さんは社長がやれと言えば現場は動くものだと思っていたと語ります。しかし実際は違いました。
社長がやれって言ったら現場動くんだろうなって思ってたら、違うんだっていう驚きがありましたね。
玉置さんは、これを人の性だと捉えます。人は理屈ではなく感情やホルモンで動く面があり、嫌なものは嫌で、全力でやらない方向に力を注ぐ人も出てくる。それは万国共通だと話します。
この気づきから朝倉さんが至ったのは、組織をうまくマネジメントする能力を伸ばすより、組織をマネジメントしなくてよい環境を作るという発想でした。
端的に言えば、少人数でできればそれが一番よいという結論です。その意味で、文句を言わないAIエージェントの時代は天国だと朝倉さんは笑います。
ただし玉置さんは、AIには起こせない奇跡を人間はたまに起こしてくれると言い添えます。そのために人間と仕事をする面もある、というやり取りで締めくくられます。
経営と投資は地続き。VCという選択の理由
玉置さんは、朝倉さんがVCに進んだことを意外に感じたと切り出します。てっきりまた自分で起業するのだろうと思っていたからです。
朝倉さんは、会社経営と投資をゼロイチほど違うものだとは思っていないと答えます。両者はグラデーションでつながっているという感覚です。
会社経営にもステージがあり、ゼロから事業を立ち上げる段階もあれば、立ち上がった事業を伸ばす段階、複数の事業を差配する段階もある。大きな会社ほど、意思決定は投資家に近づいていくと語ります。
会社って大きくなればなるほど意思決定がどんどん投資家っぽくなっていくなという気がしていて。どういう事業だとかリソースを割いていくか。これってあんまり投資と変わらないなっていう気がするんですよね。
ベンチャーキャピタルは、投資の中でもかなり事業寄りの投資家だと朝倉さんは位置づけます。だから上場企業の経営とVCの経営は、実はそれほど変わらないと感じているそうです。
一方、ゼロイチで何かを立ち上げるのは、よほど思い入れのあるテーマがないと自分の性格的には難しいとも言います。ただし「馬だったらやったかもしれない」と冗談を交えつつ、将来の可能性は否定しません。
未来年表は当たらない。「計画より全力」というキャリア観
ここまでのキャリアに一貫性はあるかと問われ、朝倉さんは迷いなく「行き当たりばったりです」と認めます。それでも玉置さんは、その行き当たりばったりに意味を見出します。
行き当たりばったりでも、行き当たりまでは本当に全力で前進するじゃないですか。なんでその行き当たりばったりでもいいんだなと思ってるんですよね。
朝倉さんは、面白いものをぐるぐると探索し、「これだ」と思ったら突き進む。その結果が良くても悪くても新たな発見があり、また方向修正していくと語ります。
学生時代に書かされた「未来の自分の年表」も、まったく実現していないと振り返ります。20歳の時に想像できる30歳や40歳の姿でしかないからです。
自分が思ってもみなかったようなことをやってる未来の方が楽しくないかっていう気はしますけどね。
玉置さんも、未来年表を作ってもワクワクせず、嘘っぽく自分らしくないと感じると共感します。朝倉さんは、それは今の知識や感覚でしか未来を描けないからだと応じます。
一生懸命に取り組めば、その時には気づかなかった景色が見え、想像もしなかったことができるようになっている。価値観も変わっていくし、それは全然悪いことじゃないという結論で、二人の対話は着地します。
まとめ
騎手を目指した少年が、東大進学、学生起業、ミクシィ経営、VC設立へと歩んできた朝倉祐介さんのキャリアは、本人いわく「行き当たりばったり」でした。それでも、その時々に全力で取り組んだからこそ次の景色が見え、結果としてつながっていったことが対話から浮かび上がります。
- 騎手・牧場・事故という予定外の連続を経て、専門学校から東大に進学した
- 独立したい一心の学生起業だったが、独立を求めるほど人に頼ることになる逆説に気づいた
- ミクシィでは会員必須にしない判断など、外様だからこそ既存事業の聖域を壊せた
- 組織はマネジしにくいという気づきから、少人数で回せる環境づくりへと発想を変えた
- 未来年表は当たらない。計画に縛られるより、その時々に全力で取り組む姿勢を重視している



