住所システムに引きずり込まれたエンジニアの記録
今回紹介するのは、河合太郎さんの『ヤバい日本の住所』です。幻冬舎新書から出ている一冊です。
内藤さんは、本書の結論を自分なりに一言でまとめるとこうなると話しています。日本の住所は、デジタル化やコンピューターによる自動処理ととことん相性が悪い、カオスに満ちた仕組みであると。
傍から見れば、住所はただの記号で、今のテクノロジーなら簡単に整理できそうに思えます。内藤さん自身も最初はそう思っていたそうです。
ところが実際には、日本のIT業界や郵便流通の裏側で、住所の処理は何十年もカオスのまま取り残されてきたと語られます。
その厄介さの正体は、人間が紡いできた土地の歴史や愛着と、コンピューターが求める効率性のあいだで続いてきた摩擦の歴史だと説明されています。
著者の河合さんの経歴もユニークです。大学を出て最初に入ったのが地図の会社で、その会社がYahooに買収され、ネットの地図サービスの世界へ進みました。
そんな頃、AppleがiPhone用の地図を出しました。しかし存在しない駅名が出てくるような代物で、河合さんたちは溜息を吐いたそうです。
ほら見ろ、素人が片手間でどうにかできる仕事じゃないんだよ、というわけです。
河合さんはそれをSNSやネット記事でぶちまけ、その発言がAppleに見つかってしまいます。結果、引き抜かれてカリフォルニアへ飛ぶことになりました。
つまり著者は、土地というリアル空間とシステムというデジタル空間の境目に、30年立ち続けてきた人物だと紹介されています。
日本の住所は二つの仕組みが混ざる「キメラ」
では、日本の住所はどこがやばいのか。根っこにあるのは、全く違う二つのシステムからなるキメラ構造だと説明されます。
一つ目が地番です。明治時代に不動産登記のために土地へ割り振った番号で、それを便利だからと住所にも流用したものです。
二つ目が住居表示です。1962年に、住所をわかりやすくするために作られた、建物を基準にした仕組みです。
合理的なのはどう見ても住居表示のほうだと内藤さんは言います。ならば全国で切り替えればよかったのですが、国は地方の自主性を理由に、導入を自治体任せにしてしまいました。
法律の書きっぷりも、やってもいいしやらなくてもいい、というくらいの気弱な押し方だったそうです。
結果、同じ町の中で二つのシステムがモザイク状に存在する状況が生まれました。しかも私たちはそれをハイフンで略して書くため、どちらの制度なのか一気にわからなくなります。
浦安市の舞浜がその典型です。舞浜小学校の住所は舞浜2-1-1で、これは住居表示の「二丁目一番一号」です。
一方、ディズニーアンバサダーホテルは舞浜2-11で、こちらは住居表示をしていない地域の地番です。町名のない舞浜という町の「二番地十一」を指します。
どちらも舞浜2で始まり、どちらもハイフンで繋がっています。しかし片方は住居表示、もう片方は地番で、制度からして別物です。場所も首都高を挟んで反対側にあります。
書いた人にはわかっても、システムには違う制度の住所だと簡単には見分けがつきません。ここに二つの罠が潜んでいると整理されます。
現実の複雑さがデータの枠組みに収まりきらない
人間の書き方にコンピューターの仕組みがついてこられない
「有楽町0番地」を名乗る店たち
地域の事情を汲むのは聞こえがいいものです。でも汲みすぎると何が起きるのか、という問いに話は進みます。
そもそも住所は自分では決められないはずのものです。名古屋の人が東京とは名乗れませんし、誕生日にちなんで番地を変えてもらうこともできません。
ところが東京駅から南に二ブロックの銀座インズという商業施設では、同じ建物の中で店ごとに違う住所を名乗っているそうです。
中央区銀座西一丁目、中央区銀座一丁目、そして千代田区有楽町0番地。銀座に西一丁目という地名は正式には存在せず、有楽町0番地に至っては区からして違います。
この場所はもともと川を埋め立て、高速道路の高架下にしたところです。川が区の境界域だったのに、工事の際に千代田区と中央区の境界を決めないまま進めてしまいました。
そのため今でも地番がなく、住所も存在しません。それでも商売には住所が要るので、それぞれが好きに名乗ることになったそうです。
選び方も興味深いものです。店を運営する人は銀座を名乗り、税理士や弁護士は千代田区の有楽町を名乗ることが多かったといいます。銀座のネームバリューか、千代田区の格かという選択です。
しかも住民税も、自分が名乗ったほうの区に払うという不思議な仕組みになっているそうです。
こうした例は本書にこれでもかと登場します。大阪市中央区の久太郎町四丁目には、町区符号に「渡辺」というものがあります。全国の渡辺さんのルーツとされる場所です。
周辺と統合されて別名になりそうだったとき、神社の宮司さんが働きかけて残したものだと語られます。番号が入るはずの位置に名字が入っているわけです。
さらに大阪のあるマンションでは、一階の電気店が枚方市、真上の二階の歯医者さんが寝屋川市と、同じ建物でも市が違うケースがあるそうです。
システムが「住所とはこういうもの」と決めた枠に、現実が収まりきらない。これがデータ化の罠だとまとめられます。
全部「りゅうがさき」なのに別の文字列
では完璧なマスターデータを作れば済むのか。それでもまだラスボスが残っていると内藤さんは言います。人間が正しく入力してくれるとは限らないからです。
茨城県に龍ケ崎市があります。正式表記は旧字体の「龍」ですが、常用漢字の「竜」で書いても法令上まったく問題なく、「ケ」も大小どちらでもよいそうです。
つまり龍ケ崎、龍ヶ崎、竜ヶ崎、竜ケ崎、これらがすべて正しいことになります。
ここで効いてくるのが県と市町村の温度差です。市は旧字体の龍を使うと決めている一方、茨城県には公文書に常用漢字を使う決まりがあります。
そのため私立の小学校は旧字体に大きい「ケ」、県立高校は常用漢字に小さい「ヶ」。消防署は市町村管轄で旧字体、警察署は県警管轄で常用漢字だがなぜか「ケ」は大きい、といった具合です。
地元の銀行の支店に至っては旧字体でケがないパターンもあり、銀行自身も理由はよくわからないそうです。
耳で聞けばすべて「りゅうがさき」です。人間には同じものでも、コンピューターには全部別の文字列に見えます。これがシステム化の罠だと説明されます。
昔は「やばくなかった」住所
これでよく日本が回ってきたな、と思うかもしれません。でも昔はやばくなかったと内藤さんは指摘します。
郵便制度が始まった1871年、日本中の郵便物は年間57万件でした。これくらいなら紙の台帳と人間の記憶で足りたそうです。
古い地名だな、表記の揺らぎだな、といった判断を、人間が温かみを持って吸収できていたのです。
今はAmazonのセールだけでも、たとえば二日間で一億八千万点、一秒に千点が動きます。もはや人の手が介在する余地はありません。
住所システムが崩壊したわけではありません。ただ、間をつなげる「土地をよく知る人」がいなくなり、そこに融通の利かないコンピューターが居座ったのです。
つまりリアル空間とデジタル空間がうまく噛み合わず、摩擦だけが生じている状態だと整理されます。
ならリアルの側を整理して合わせればいい、とも思えます。しかしそれも簡単ではありません。どんなに変わった住所でも、そこで暮らす人には当たり前の日常だからです。
住所というのは、驚くほどに自分事なんです。
住所はその人がそこで生きているという名乗りでもあります。だから宮司さんは渡辺を残し、銀座の店は名乗る街を自分で選んだのだと語られます。
仕組みを全国一律に揃えることは、その人たちに名前を捨てさせることになる。ここがこの問題を最もややこしくしている理由だと述べられます。
すべてを捨ててやり直したサウジと、日本の選ぶ道
では、すべてを捨てて一から作り直せるのか。それを本当にやってしまった国がサウジアラビアです。
サウジにはもともとはっきりした住所表記がなく、届けようにも道路名や住居番号が定まっていませんでした。最後は配達先に電話するか、WhatsAppで場所を聞くしかなかったそうです。
そこでサウジ郵便が主導し、2013年にNational Addressを始めます。国内全ての建物に番号を振り、登録を法的義務にしたため一気に普及しました。今はそれを八文字に圧縮したショートアドレスも動いています。
著者はこれを正直なところ羨ましいと述べています。ただし、サウジにできたのは壊すほどの仕組みがまだなかったからだと補足されます。
もし日本で同じことをやれば、消えるのは番号だけではありません。宮司さんが守った渡辺や、有楽町0番地一階の店が手放さなかった枚方市までもが、ただの八文字の記号に上書きされてしまいます。
そこで日本では別の取り組みが始まっています。アドレス・ベース・レジストリです。バラバラに見える住所を、裏側で同じ場所につなぎ直すことを目指しています。
たとえば東京のお茶の水は、ひらがなの「お茶の水」、漢字の「御茶ノ水」、カタカナ交じりの表記など、声に出せば同じでも文字では別物に見えます。それらを書き方は違うまま同じ場所として扱う基盤づくりが動き始めています。
さらに著者はAIにも期待を寄せています。本書の終盤で、こんな実験が紹介されます。
千葉県の香取市役所の住所は「佐原ロ2127番地」で、この「ロ」はカタカナですが、漢字の「口」にしか見えず地元の人以外はまず読めません。
著者はわざとカタカナのロを漢字の口に変えてAIに入力しました。するとAIは地図情報と照らし合わせ、正しくはカタカナのロだろうと答えたそうです。
AIは読み方を当てただけでなく、地図という別の情報から、入力した人がどこを指したかったのかを推測しました。書かれた文字ではなく、住所が指す場所を読んだのです。
これは、かつて地元をよく知る人が頭の中でやっていたことです。表記が揺れても意味から場所をたどる、その判断をシステムが担えるかもしれないと語られます。
デジタル化はずっと、人間がコンピューターに合わせることと同義でした。表記を揃え、フォーマットを統一し、半角で入力する。でも住所だけはどうしても揃わなかったのです。
揃えられないなら、機械の側が読めるようにするしかない。人がシステムに合わせるんじゃなくて、システムが人に合わせる。
60年以上続く未解決問題に、やっと解決への道筋が見えてきた、と内藤さんは締めくくります。
まとめ
『ヤバい日本の住所』は、地番と住居表示が混ざったキメラ構造と、そこに刻まれた人々の愛着が、日本の住所をデジタル化の難題にしてきたことを描く一冊です。読み終えると、見慣れた自分の住所も土地と人の時間が重なったものに見えてくる、と紹介されています。
- 日本の住所は、土地基準の地番と建物基準の住居表示が混在するキメラ構造になっている
- 銀座インズや久太郎町「渡辺」のように、住所には人々の選択や愛着が刻まれている
- 龍ケ崎市の表記揺れのように、人間には同じでも機械には別物に見えるのが難しさの核心
- すべてを作り直したサウジと違い、日本は捨てるものが多く一律整理が難しい
- 表記を揃えず場所でつなぐ取り組みやAIにより、システムが人に合わせる方向へ動き始めている
