物語の出きはじめの祖という位置づけ
『竹取物語』のすごさは、主人公であるかぐや姫が地球の人間ではないという設定にあります。いわば地球外生命体を主役に据えることで、当時の社会の常識をどんどん相対化していったところに、この作品の面白さがあるのです。
そしてこの作品は「物語の出きはじめの祖」と呼ばれています。そう述べたのは『源氏物語』の作者である紫式部平安時代中期の女性作家。長編物語『源氏物語』の作者として知られ、宮廷に仕えた。です。つまり、物語というジャンルが成立した一番最初の祖先が『竹取物語』だと言われているわけです。
日本の物語の一作目が「地球外生命体が地球にやってくる話」だというのは、設定としてかなり攻めています。誇るべき、面白い事実だと言えるでしょう。
日常の中に挟まる異物という仕組み
ここで「竹取物語より古い神話のほうがはちゃめちゃな設定では」という反論が浮かぶかもしれません。しかし、これは区別して理解したほうがよいと国語教師は言います。
『竹取物語』は、かぐや姫の周辺以外については基本的に普通の貴族社会を描いているのです。日常的な様子の中に、かぐや姫という異物が挟まることで、非日常的な物語が動いていく仕組みになっています。
冒頭を思い出してみましょう。竹取りを仕事にするおじいさんが、いつものように山へ行き、ふと見回すと竹が光っている。日常生活の中に異物が挟まるところから物語がスタートするのです。
いつもみたいに教室に入って、ふと前を見たら掃除道具入れがめっちゃ光ってる、みたいな状況なわけです。
これはジャンルとして神話とは異なります。フィクションとしての物語を日本文学の世界でスタートさせた一作目がこれだった、という点にこそ意味があるのです。
結婚観・男女観を相対化するかぐや姫
おじいさんとおばあさんに引き取られたかぐや姫は、三ヶ月で成人するという急速な成長を遂げます。しかも都合のよいことに、ちょうどいい年齢で成長が止まり、美しい女性として世に知られていくのです。
あまりに美しいと評判になったため、大量の男たちが求婚に訪れます。しかしかぐや姫はこれをすべて断ります。困り果てたおじいさんは、半分泣き落としのように語りかけます。
この人間の世界では、男は女と結婚し、女は男と結婚することになっている。そうやって家は栄えていくんですよ。
当時からすれば、おじいさんの言うことは当たり前でした。しかしかぐや姫は「なぜ結婚しなければいけないのか、全然理解できません」と、地球外生命体として平然とその常識を突き崩していきます。ここが非常に面白いところです。
なお「金持ちと結婚すればおじいさんおばあさんが助かるのでは」という批判は当たりません。かぐや姫が来た直後から、家の周りには黄金の詰まった竹が山のように生え、暮らしは十分に豊かになっているからです。物語は、純粋にかぐや姫が結婚をどう思うかという一点に焦点を絞っているのです。
五人の貴公子と最強の男・帝
それでも諦めない五人の貴公子がいました。石作の皇子、車持の皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足です。名前を聞いただけではピンと来ないかもしれませんが、これは相当すごい男たちです。
| 求婚者 | 身分・地位 |
|---|---|
| 石作の皇子・車持の皇子 | 皇子=皇族の息子 |
| 阿倍御主人 | 右大臣(政治家ナンバーツー) |
| 大伴御行 | 大納言 |
| 石上麻呂足 | 中納言 |
これほどのビッグネームを、かぐや姫は片っ端から断り続けます。あまりにしつこいので、彼女は無理難題を出します。たとえば伝説上の島蓬莱中国の伝説に登場する、東方の海上にあるとされる仙人の住む島。不老不死の地とされた。の特産物を取ってこいといった要求です。しかしこの物語は基本的に普通の世の中を描くので、蓬莱は存在せず、男たちはちゃんと失敗します。大恥をかいたり、怪我をしたり、命を落としたりして退場していくのです。
五人が去ったところで、最後の一人が登場します。当時の日本における人類最強の男、時の帝です。
帝が敬語を使った瞬間の意味
かぐや姫の噂は帝の耳にも届きます。使者を送っても断られ、帝の命令にも「后にしようとしても恐れ多いともありがたいとも思いません」ときっぱり断言します。物分りのよい帝は、これは気性の強い人だと納得し、こっそり自ら会いに行くことにしました。
無理やり腕を掴んで連れ帰ろうとすると、かぐや姫は嫌がるあまり、突然ふっと光になって消えてしまいます。読者も「そんなことができたのか」と仰天する場面ですが、ここがこの作品の非常に大事なシーンです。
この瞬間、帝は「こいつは自分が帝だからといって自由にできる尋常な存在ではない」と心の底から察します。そして態度を改めるのです。それがよくわかるのが、帝のセリフでした。
さらば御共にはいて行かじ。元の御形となりたまひね。それを見てだに帰りなん
それでは一緒に連れて帰るのはやめます。元の姿に戻ってください。せめてもう一度あなたの姿を見てから帰ることにしましょう。
ここで注目すべきは「元の御形となりたまひね」の「たまふ」です。これは尊敬の補助動詞。つまり帝が、かぐや姫に対して敬語を使っているのです。人類最強の存在である帝が、かぐや姫を対等な存在のように扱うようになる──ここに、地球外生命体を主人公に据えた『竹取物語』の真骨頂があります。
態度を改めた帝を、かぐや姫も好ましく思ったようで、この後は手紙のやり取りで仲を深めていきます。しかしこの関係は極めて純粋なものです。かぐや姫は男女が恋愛するという常識も、身分秩序も信じていない人物だからです。帝が偉いからでも、男だからでもなく、ただ純粋に帝の人柄への好意で受け入れている──そのプラトニックな愛情を描くところが、この作品の凄さなのです。
スペースウォーズと「あはれ」の別れ
物語はクライマックスへ向かいます。八月十五夜、中秋の名月に、かぐや姫は月へ帰らねばなりません。それを知った帝は「そんなの許せない」と、二千人もの軍隊を動員し、かぐや姫の家の周りに配備します。屋根の上に弓矢を構えた武人を置き、月の民を迎え撃とうとするのです。
「おい、かかってこいや、月の民」というふうなスペースウォーズを開始しようとするんですよ。
地球側の軍隊と宇宙から来る軍隊が戦う──SF作品でよくある展開を、『竹取物語』の時代に成立させているのです。もっとも、いざ月の迎えが来ると軍隊はまったく役に立たず、かぐや姫は帰らざるを得なくなります。
かぐや姫は贈り物を残していきます。おじいさんおばあさんへの手紙、そして不死の霊薬です。その準備中、迎えの者が天の羽衣これを着ると人間としての心を失うとされる、月の世界の衣。着た瞬間に地上での記憶や情が消えてしまう。を着せかけようとしますが、かぐや姫はそれを止めます。羽衣を着れば人間としての心を失い、地上の人々と育んだ思い出が消えてしまうからです。
「ちょっと待ってくれ」と言って彼女がしたのは、もう一通の手紙を書くこと。相手はおじいさんおばあさんではなく、帝でした。迎えの者に急かされても「黙って待ってろ」と怒り、丁寧に手紙を残します。最後に添えられた和歌がこれです。
今はとて天の羽衣を着る折りぞ 君をあはれと思ひ出でける
今はもうこれまでと、記憶も心も消える天の羽衣を着る最後の瞬間に、あなた(帝)を思う気持ちがしみじみと深く湧いてくるのです。
ここで使われているのが「あはれ」という言葉です。よく「『枕草子』は をかし の文学、『源氏物語』は あはれ の文学」と言われますが、その「あはれ」がどんな心の動きなのか、この時のかぐや姫の気持ちだと思えばよいと国語教師は語ります。
単なるお別れなら思い出をよすがに心を慰められ、死別なら残された側も諦めがつきます。しかしかぐや姫は、一切の記憶を失って、決して再び交わることのない外の世界へ去っていくのです。だからこそ彼女は「あはれ」の一言に万感の思いを込めています。途中は笑ってしまう展開もありましたが、最後の最後はしみじみとした心の動きに物語が落ち着いていく──その美しさがこの作品の魅力です。
まとめ
『竹取物語』は、地球の外から来たかぐや姫を主役に選ぶことで、当時の貴族社会の結婚観・男女観、そして身分秩序といった常識を、次々と相対化して突き崩していく物語でした。その構造から生まれたのが、かぐや姫と帝のすさまじく純粋な恋愛です。そしてそれが最後に「あはれ」の一言で表現される──その美しさもまた、この作品の大きな魅力です。
これだけ奇抜な設定を詰め込みながら、全体の長さは決して多くなく、手軽に読めるのも『竹取物語』の魅力だと国語教師は言います。興味を持った人は、ぜひ一度自分でも通して読んでみてほしいものです。
- 『竹取物語』は紫式部が「物語の出きはじめの祖」と評した、日本の物語文学の原点である
- 普通の貴族社会の日常に、地球外生命体かぐや姫という異物が挟まる構造になっている
- かぐや姫は結婚観・男女観・身分秩序といった当時の常識を平然と相対化する
- 五人の貴公子を退けた末に登場する帝が、かぐや姫に敬語を使う場面が作品の真骨頂
- 二人の愛はプラトニックで純粋なものであり、別れの和歌に込められた「あはれ」に結実する
- 地球と月の軍勢が対峙する「スペースウォーズ」的展開を平安期に描いた先進性も見逃せない
