1兆円という数字から始まるADHDの話
蛇は「1兆円。何の数字だと思いますか?」と唐突に鼠へ問いかけます。
あることによる経済損失です。
金融でも災害でもないと言われ、鼠は困惑します。答えは、ADHDによる経済損失として、あるシンクタンクが2021年に出した数字でした。
この出題形式は、蛇いわく人気ポッドキャスト「ゆる言語学ラジオ」のクイズを真似たものだと明かされます。
独り歩きするADHDという言葉
蛇は、ADHDという言葉が社会の中で独り歩きしていると感じていると話します。
鼠は、2001年生まれの自分が子どもだった2010年頃までは、ADHDというと煙たがられる空気があったと振り返ります。
蛇は、ADHDが「できないこと」だけでなく「得意なこともあるのでは」という視点で語られるようになった一方で、そう自称する人への嫌悪感を持つ人もいると指摘します。
ADHDだから天才とか、ADHDだから頭が悪いとか、そういうことじゃないと思うんですよ。
だけど、結構どっちかの文脈で捉えちゃうなって思って。
蛇は、ADHDはもっと複雑なものであり、脳にはほかにもいろんな性質があるという話をしたいと語ります。
鼠は、自分もADHDの傾向を指摘されたことがあり自覚もあると打ち明けます。ただ、ネットで見かけるのはネタ画像ばかりで、印象がそこに引きずられていたと言います。
一方で、高校時代のクラスや周囲に発達障害の人がいた経験から、偏見をなくしたい気持ちはあると鼠は話します。
診断されたのは蛇自身だった
なぜ調べたのかという流れで、蛇は自分が最近ADHDと診断されたと明かします。
診断されました。病院に行ったら診断されたんですよ。割と最近なんですけど。
蛇には自覚症状がありました。小学校頃まで鏡文字を書いたり、漢字の書き取りがまったくできなかったと言います。
蛇は、昔は混同されていたADHDと学習障害(LD)が今は分けられており、自分はLDでもありADHDでもあると考えていると説明します。
蛇は、ADHDに伴って語られることが多いものとしてLDとASDを挙げます。
鼠は「空気が読めない」自覚があると笑いつつ、病名として扱われることの難しさにも触れます。
鼠が「研究ではどうか」と尋ねると、蛇は学校の勉強と研究は別物だと答えます。学習障害があっても研究者になれないわけではなく、向き不向きも人それぞれだと語ります。
前提としての「ニューロダイバーシティ」
蛇は、この話の前提として「ニューロダイバーシティ」という考え方を置きたいと言います。調べ始めて初めて知った言葉だそうです。
鼠は響きから「神経の多様性」ではないかと予想し、蛇はその通りだと答えます。
蛇は、社会はセクシュアリティや肌の色の多様性を認めていく一方で、脳の多様性には不寛容だと指摘します。
たとえば「時間を守りましょう」というルールは、身体機能が健康なら誰でも守れるという前提で作られており、守れない人は能力が低い、悪い人と見なされてしまうと言います。
そのルールの構造っていうのが、必ずしも全ての人にとってベストなルールかどうかっていうのはわからない。
鼠は、脳の特性に対して社会の許容範囲が狭く、それが文化的・規範的なものだという理解を返します。
蛇は、他の多様性が認められていく中でも、脳のことは「人格の問題では」と言われてしまうため主張しにくいと語ります。
鼠が「これは科学的に証明されたものか、規範として認めていくべきものか」と問うと、蛇は科学というより思想的な問題だと答えます。
そのうえで蛇は、科学的にわかっていることもあり、科学的な誤解からADHDが差別されてきた面もあると付け加えます。
MBDと嗜眠性脳炎という誤解の歴史
蛇は、ADHDは大人になってから診断されるケースが最近増えていると話します。社会に出ると責任や守るべき決まりが一気に増え、学校では問題なかった人が適応に困るためだと言います。
さらに難しいのは、ADHD的な特性を昔から自分で抑え込んできた人が、大人になって診断されるケースだと蛇は説明します。
本来の自分を否定して周囲に合わせて演じ、その適応が失敗する。そこに過剰適応と自己肯定感の低さが重なり、うつ病などの二次障害につながることがあると言います。
鼠は、父が昭和的な人で「ADHD」「多動」を叱る言葉として使っていたと振り返ります。両親はあえて検査を受けさせず、結果的に今は大きな苦労なく暮らせていると話します。
その一方で、大人になってから分かるのはしんどいだろうと鼠は共感します。
会議室とかでそれやって、めっちゃ周りに嫌な目で見られて。それをやめたくてもやっちゃうとかになったら、すごいストレスですよね。
蛇は、自分も診断された当初はしんどかったと打ち明けます。鼠は、診断で肩の荷が下りる人と、逆に重荷ができる人の二種類がいると指摘します。
いろいろ調べていく中で、いつかは考えなきゃいけないことで、それを今考えることができたっていうことはいいことだったのかなって思うようになりました。
蛇は、自分がADHDではと悩んでいる人に対し、それに向き合っている自分自身をまず肯定してほしいと語りかけます。
続けて蛇は、ADHDの見られ方の歴史を語ります。1940年代のアメリカでは、ADHDはMBD(微細脳機能障害)と呼ばれていたと言います。
その背景には、1917年頃に世界中で流行した嗜眠性脳炎があると蛇は説明します。この脳炎にかかると無気力になり、たくさん寝てしまうという症状が出ました。
鼠は「ADHDの話のはずが嗜眠性脳炎が気になる」と脱線を面白がりますが、蛇も詳しい資料が少なく分からないことが多いと苦笑します。
蛇は、ADHDの人は活発になる場合もあるが、むしろやるべきことに無気力になることもあり、その点が嗜眠性脳炎と似ていると当時の医師が考えたと解説します。
当時の医師は、脳の一部の機能が何らかの原因で損傷を受けて起こる障害だと考えました。しかし、ADHDにそうした外的な所見は見つからず、1960年代にはこの見方は誤りとされたと言います。
薬とサブグループ、定まりきらない定義
蛇は、ADHDの仕組みには今も不明な部分が多いものの、ノルアドレナリンが関わっていると考えられていると話します。
鼠が学習塾のCMをネタにしつつ、蛇は治療薬コンサータが選択的ノルアドレナリン再取り込み阻害剤だと説明します。時間が経つと神経に再取り込みされて働きが続かないため、その再取り込みを妨げる薬だと言います。
蛇は、1960年代頃にADHDの現代的な定義ができ、1980年代には注意欠陥優勢・多動優勢・その両方という3つのサブグループが追加されたと説明します。蛇自身は「不注意優勢型」と言われたそうです。
ただし、この分類は現在も合意が完全ではありません。権威のあるDSM-5と、WHOが出すICDでは扱いが異なると蛇は指摘します。
たとえば不注意だけの場合、DSMでは診断されうる一方、ICDではADHDとされないと蛇は言います。
今完成した理論があるわけじゃなくて、これからも変わり続けていくんだろうなと思います。
鼠は、近代医学の発達がようやく1920年代以降であったことに触れ、細菌のように原因が特定できる病気と違い、精神的な特性は何をもって病気とするかの合意が得にくいと話します。
さらに鼠は、哲学者フーコーを引きつつ、「普通」とは狂気でない状態として線引きされてきたと語ります。ADHDも極端だと狂気と見なされ、嫌悪感を持たれることが今もあると危惧します。
蛇は、冒頭で1兆円を出したのは「ADHDでみんなが迷惑している」と言いたいからではないと補足します。社会全体で考えるべき大きな問題だという意図です。
鼠も、ADHDの人がいることによる損失というより、当事者が被る損害の方が大きい面があると応じます。解雇や、外出・消費行動ができなくなることを例に挙げます。
二次障害とうつ・双極性障害との関係
蛇は次に、ADHDとほかの精神疾患の関係を取り上げます。ADHDは単体より、他の病気と複合して問題が起こることが多いためです。
代表的なのはうつ病だと蛇は言います。周囲とのずれや失敗の連続にさらされ続け、過大なストレスを感じてしまうためです。
蛇が指摘するのは、うつ病と診断されて薬を処方されること自体は前進だが、根本にADHDがあると気づかないと結果だけを直そうとしてしまう、という点です。
根元にあるのはADHDだっていうことに気づけるか気づけないかっていうのが、大きな違いになるケースもある。
鼠は、これを「問題解決能力は高いが問題発見能力が低い上司」にたとえます。無理な処理を押し付けておきながら、努力不足だと責めるパターンと同じだと言います。
蛇は続けて、双極性障害(躁うつ病)との関係にも触れます。ADHDは強く集中できる時とまったく集中できない時の二極化があり、それが躁うつに近く見えるため、互いに誤診されることがあると説明します。
鼠は自分にも躁うつ傾向があると打ち明けます。何でもできると感じる時と、死にたくなるほど落ち込む時があり、その高低差自体がしんどいと語ります。
鼠は、躁状態では活動的になり、研究で大きな成果が出せそうだと思い込む一方、うつ状態では自分の文章を否定してしまうと話します。
蛇は、誤診のリスクを下げるには成育歴が大事だと言います。ADHDは持続的なパターンであるため、エピソード的な部分だけでなく、子どもの頃からどうだったかを信頼できる医師に相談することが重要だと語ります。
幻覚の経験と、まとめとしての向き合い方
蛇は、ADHDでも幻覚を見るケースがあるらしいと話し、自分も強いストレスを感じた時期に幻覚を見たことがあると打ち明けます。ただ、それがADHDによるものかは定かでないと言います。
鼠も、意図しない時に妄想が進みすぎて強いリアリティを持ち始め、耐えられなくなる感覚があると語ります。仮面をした人物が四つん這いで迫ってくるイメージが頭から離れなかった経験を挙げます。
そこから話はまとめへ移ります。蛇は、ADHDだからこれができない・能力が低いとも、ADHDだからみな天才だとも言いたくない、どちらでもないと繰り返します。
鼠は、自分の専門である哲学者フィヒテがADHDだったという説を紹介します。フィヒテは手紙に「活動的であればあるほど元気になる」と書いていたそうです。
鼠は、ADHDという概念がなかった時代に「活動できて最高」と書けていたことに、むしろ安心したと語ります。否定した方がよいあり方ではないと感じたためです。
蛇は、それぞれの状態があり、それぞれのあり方があると受けます。だからこそ多様性を受け入れることは、自分に対して寛容であることでもあると語ります。
蛇は、自分がこれからどんな状態になるか分からないからこそ、元気でない人や自分と違う性質の人に寛容であることが大切だと言います。
鼠は、母の方針で「診断してもらってもしたところで何も変わらない」と検査を受けなかった経験を語ります。かつては言葉を増やすことに否定的でしたが、今はいろんなあり方・状態を肯定したいと考えが変わったと話します。
蛇は、ADHDだから人生がダメになるわけではなく、問題は環境に適応できない状況でどうするかだと整理します。プレッシャーの強い職場などが例に挙がります。
適応の問題っていうのは、多分環境にすごく依存した問題で。
できるだけ焦らずに、自分にとって気持ちの良い環境っていうものを見つけていくっていうことがすごく大切なんだろうなって思う。
蛇自身も、そういう環境を模索している最中だと打ち明けます。
鼠は、自分が片麻痺性片頭痛で入院した経験を挙げ、薬を飲むかどうかを含め、病気とどう付き合うかを自分で考えることの大切さに触れます。
鼠は、社会がニューロダイバーシティの視点で当事者を見ていくことと、当事者自身が医師や薬、自分の症状とどう関係を作るかの両方が大事だと語ります。
自分の病気について、言うことをはばかられるような状態にはせずに、いろんな人に相談できるような社会を作っていった方が、多分ずっと過ごしやすい。
最後に鼠は「逃げは悪ではないし、向き合うことも悪ではない」とまとめ、蛇も同意して回を締めくくります。
まとめ
ADHDと診断された蛇が、その歴史や定義の揺れ、うつや双極性障害との関係を調べ、鼠とともに「神経の多様性」という視点から生きづらさとの向き合い方を語り合った回でした。
- ADHDによる経済損失として1兆円という試算があり、当事者だけでなく社会全体で考えるべき問題として提示された。
- ADHDはかつてMBDと呼ばれ嗜眠性脳炎と似た脳損傷と誤解されるなど、見られ方が時代とともに変わり、定義も今なお完成していない。
- うつ病や双極性障害と複合・誤診されやすく、根本にADHDがあると気づけるかどうかが対処の分かれ目になる。
- ADHDは天才でも能力が低いのでもなく、問題は環境への適応であり、焦らず気持ちの良い環境を探すことが大切とされた。
- 多様性を受け入れることは自分に寛容になること。病気を言い出しやすく相談できる社会が、当事者を過ごしやすくする。
