作家性と大衆性のバランス感には寿命がある──漫画家・魚豊が語る創作の賞味期限と『ONE PIECE』の歴史的特異性
ハートに火をつけろ by ANRI第36回は、前回に引き続き漫画家の魚豊東京都出身の漫画家。『ひゃくえむ。』で連載デビュー後、『チ。―地球の運動について―』で手塚治虫文化賞大賞を受賞。2025年には『ひゃくえむ。』が劇場アニメ化。さんをゲストに迎え、「普遍的な真理を描くとはどういうことか」から始まり、『ONE PIECE』が100年後・300年後にどう研究されるかという壮大な文学論、そして魚豊さん自身が「作家としての旬」をどう捉えているかまで語り尽くした回です。その内容をまとめます。
3000年耐えるセリフを目指す理由
パーソナリティの佐俣アンリANRI代表パートナー。シード期のスタートアップ投資を専門とするベンチャーキャピタリスト。さんは冒頭から「魚豊さんの作品には、異常な情熱や狂気を持った人物が必ず登場する。あれは何なのか?」とストレートに切り込みました。
魚豊さんの答えは明快です。作品に「強度」を持たせたい。強度とは、誰が見ても「これは真実だ」と思えるユニバーサルな真理のこと。「お金を持ってたら楽しいよね」はお金を持っている人にしか届かない。「空が青いだけで楽しいよね」でさえ、目が見えない方には届かないかもしれない。だからこそ、みんなを巻き込めるセリフにするためには、そのセリフの正当性──「ここまで行けば疑いようがないでしょう」という根拠づけが不可欠だと語ります。
3000年前のセリフが鮮度そのまんまで届く。社会状況は古びても、真理だけは今もそうだなって言えるものがある。作家だけは次元を超えると僕は勝手に思ってるんです
そうした真理に触れるのが作家の仕事だという魚豊さんは、「今あるものを自分で判断するのは難しい」としつつ、すでに歴史が証明済みの1000年前・200年前のテキストを読むことが好きだと明かしました。そこから「今の自分もやっぱりこれには同意する」と思えるものを拾い、作品に昇華しているのだそうです。
話題は自然と現代へ接続されます。前回の対談で魚豊さんが触れたラッダイト運動19世紀初頭のイギリスで織物工らが機械を破壊した労働者運動。「機械が雇用を奪う」という恐怖が原動力だった。について、佐俣さんは「AIデータセンターに対する打ちこわしは10年以内に1回来る」と断言。産業革命が雇用を減らす作用を持つ構造は、AIの時代にもそのまま当てはまるという認識で二人は一致しました。歴史的な運動の法則を現代に重ねて読み解く──これが魚豊さんの創作の源泉であり、佐俣さんが「インスピレーションをもらえる」と語る所以です。
『ONE PIECE』は人類史の特異点
佐俣さんが「どうしても話したい」と前のめりに切り出したのが、魚豊さんの『ONE PIECE』論です。以前の対談で3時間語り合った内容を「20人ぐらいに話している」ほど気に入っているとのこと。
魚豊さんの主張はこうです。一人の作家が、単一のタイトルを、何十年にもわたって週刊連載し、しかもそれが何百万部も売れ続けている──この現象は人類の文学史上に前例がない。
単一作家 × 単一タイトル
尾田栄一郎は『ONE PIECE』しか描いていない。ディケンズやバルザックのように複数作品を残した作家とは根本的に異なる
週刊連載を20年以上継続
人間のペースを超えた速度で物語を紡ぎ続け、しかも破綻していない
市場に評価され続けている
地下のマニアが作るアウトサイダー・アートではなく、各巻数百万部が売れ続ける商業作品
成立条件が二度と揃わない
ベビーブーム、バブル、スマホ以前の時代──これらが重なったからこそ可能だった一回性の現象
魚豊さんは、アウトサイダー・アート正規の美術教育を受けていない人々が独自に制作した芸術作品の総称。アール・ブリュットとも呼ばれる。として地下で長大な作品を作り続けるケースはありうるが、それが「市場にめちゃくちゃ評価されている」状態を維持しているのが異常だと指摘します。さらに興味深いのは、Netflixのリミテッドシリーズ全4〜8話程度で完結するドラマシリーズ。あらかじめ全体像を設計し、完成度を高めて制作する形式。のように全体を設計して完成度を高める方がよほど「合理的」であり、続けに続ける週刊連載はむしろアバンギャルド(前衛的)な芸術行為であるという視点です。しかもそれが前衛と認識されず、「一番ポップ」だと思われている。この反転こそがすごいのだと語りました。
300年後の研究者は『ONE PIECE』をどう読むか
二人の議論はさらに加速します。100年後・300年後の研究者たちが、かつての『千夜一夜物語』「アラビアンナイト」として知られるアラビア語の説話集。数百の物語が入れ子構造で語られ、世界文学の古典のひとつ。を研究するように、『ONE PIECE』を文学史上の金字塔として分析するだろう──というのが魚豊さんの見立てです。
その際に研究対象となるのは、作品の内容だけではありません。週刊連載というシステム、ジャンプのアンケートシステム、Twitterの誕生、アニメ産業の隆盛といった社会的なインフラや時代背景が、作品のどの展開にどう影響したのか。戦後文学の系譜に手塚治虫日本の漫画・アニメーションの祖と称される漫画家。『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『火の鳥』など多数の代表作を持つ。から尾田栄一郎漫画『ONE PIECE』の作者。1997年から週刊少年ジャンプで連載を開始し、全世界累計発行部数は5億部を超える。への変遷を位置づけることさえ可能かもしれない、と。
300年後に東大文学部のキャンパスで「ONE PIECE学会」が開かれてることがありえる
学会はあるんじゃないですか。でも逆に300年後の高校生は何百巻もある『ONE PIECE』を多分読めないと思う。今の僕たちがかつての膨大な文学作品を読めないように
ワノ国編だけで連載4年半。あらすじすら書けない膨大さをダンテ『神曲』14世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの叙事詩。地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部で構成される西洋文学の最重要古典のひとつ。になぞらえつつ、魚豊さんは「300年後の人にはこの現象が理解できないだろう」と語ります。出版がさらに衰退し、スマホ以降の新しいメディアが支配する世界で、単一タイトルが何十年も何百万部も売れ続けたという事実は、もはや「謎の大衆運動」として映るはずだ、と。
作家性と大衆性のバランスには寿命がある
話題は魚豊さん自身のキャリアに移ります。漫画3作品を世に出し、アニメ化も進む28歳の現在地。「これから何がしたいのか?」という問いに対して、まず語られたのは「売れたい」という初期衝動がどう変化したかでした。
デビュー当初は「10万部売りたい」という明確な目標があり、『チ。―地球の運動について―』魚豊による漫画作品。15世紀の地動説をテーマに、異端とされた思想に命を賭ける人々を描く。手塚治虫文化賞大賞、マンガ大賞2021第2位など多数受賞。がそれを大きく超えたとき、「自分のキャパの低さに気づいた」と魚豊さんは振り返ります。「まだ1000万部いくぞ」という野心が湧く人もいるだろうけれど、自分はそのマラソンをしたいとは思わなかった、と。
「10万部売りたい」──明確な数値目標。売れることが創作の原動力だった
目標を超えたことで「あ、もうこれでめっちゃ満足なんだ」と自分のキャパを自覚。1億部を目指す欲望はゼロ
そのうえで魚豊さんが強調したのが、「作家性と大衆性のバランスが合っている美味しい期間」には寿命があるという認識です。漫画はユースカルチャーであり、28歳の今がむしろ「一番先頭に立てている」タイミング。ここからの期間は長くはなく、「30年も持たない」と断言しました。
では「旬」を過ぎた後にどうするのか。魚豊さんが次に見据えているのは、「集団で何かを作る」という未知の領域です。漫画は究極的に個人で作れるメディアであり、最小単位は作家と編集者の二人。それを何度か経験した今、まだ挑戦したことのない「集団での創作」に惹かれているといいます。具体的な内容はまだ伏せていましたが、漫画に関わることで「システム的な発明」ができれば理想だと語りました。
さらに来年には活字の本を出版する予定もあるとのこと。漫画という産業構造や歴史観を自分なりに書いた内容だそうで、「描いたものの中で一番好き」と興奮気味に語る姿が印象的でした。
組織のリーダーは苦手意識があるくらいがいい
「集団で何かを作る」という展望を語った魚豊さんは、部活にも入ったことがなく、先輩も後輩もいない環境で育ったことを打ち明けます。21歳まで「後輩」という存在がいなかった。バイトも会社もサークルもない。友達しかいなかった──。そんな自分が集団をリードするにあたって、起業家はどう組織を作っているのかを率直に聞きました。
佐俣さんの回答は、まず「殴らない」という冗談から始まりつつ、自身の体験を交えた実践的なものでした。
佐俣さん自身、独立前にカンファレンスのスタッフリーダーを務めた際、集合時間の5分前に全員をピシッと揃えてしまう「軍隊型」になってしまった経験があるそうです。そのフィードバックを受けて反省し、意識的に「ヘラヘラする」ことでバランスを取るようにしたとのこと。
組織のリーダーやるなら、マネジメントは苦手だと思ってるぐらいの方がいい。人の観察をやめないから
一方で、人間関係のメカニズム自体は3000年前からほぼ変わっていないとも佐俣さんは語ります。「尊敬のメカニズム」も「嫉妬のメカニズム」もシェイクスピア16〜17世紀のイギリスの劇作家・詩人。『ハムレット』『オセロー』『マクベス』など、人間の嫉妬・野望・愛を描いた戯曲で知られる。の頃──いや紀元前からほぼ擦りきっている。だから本を読んで学べばいいのではないか、と。これは魚豊さんが冒頭で語った「3000年前のセリフが鮮度そのまま届く」という真理の話と見事に呼応する瞬間でした。
推し活の時代と「悪食」の漫画愛
終盤は、現代の「推し活」の構造へと話が広がります。魚豊さんは、専門的な情報で人気を得ることがもはや難しい時代だからこそ、人々は「推し」──つまり自分自身の一回性の存在を信じてもらうしかなくなっている、と分析します。
ここで佐俣さんが明かしたのが、自身の特殊な趣味──「単品食漫画」のオタクだということ。ビールの漫画、チーズの漫画、ラーメンの漫画。「食」というカテゴリで新作が出れば買い続け、明らかに編集が描かせたであろう漫画のコミックスの後書きを読みながら「ふふふ」と悦に浸る。途中で作家がやりたくなさそうな気配を感じたり、監修の専門家が情報を出しすぎて物語が破綻しているのを味わったりする──という、かなり屈折した楽しみ方です。
魚豊さんはこれを「悪食」と名づけました。
漫画好きの人って話すとそういう「悪食」の人が多い。なんかウォッチしてる感じ。「お、やばいこと起き始めてる……」っていう興奮を覚えてる人が結構いる
佐俣さんは「日本にだけ歪みを愛する人が多いから漫画文化がこんなに豊かなのだ」と返します。Netflixに載っていたら見向きもしないような作品を、その「歪み」ごと愛する読者がいる。しかもそういう人たちは黙ってウォッチしている──言うとやめられてしまうから。この日本独特の受容の仕方が、世界に類を見ない漫画文化の厚みを支えているのかもしれません。
好きな作品・人物を応援する。ポジティブな感情が中心
破綻・迷走・編集の思惑まで含めてウォッチし、その歪みごと味わう。黙って見守るのがマナー
まとめ
普遍的な真理を描くための「正当性の根拠づけ」、『ONE PIECE』という前例なき文学的特異点への眼差し、作家としての旬を冷静に見つめるキャリア観、そして組織のマネジメントや推し活文化にまで広がった対話は、漫画という表現がいかに深い思考と接続しているかを示すものでした。
魚豊さんが来年出版予定だという活字の本には、今回語られた漫画産業の歴史観がより体系的にまとめられるはずです。また、『ひゃくえむ。』魚豊のデビュー作。100メートル走に人生を賭ける少年たちを描いたスポーツ漫画。2025年9月19日より劇場アニメが全国公開中。の劇場アニメは全国公開中、『チ。―地球の運動について―』のアニメもNetflixなどで視聴可能です。
- 魚豊さんが目指すのは「3000年前のセリフが鮮度そのまま届く」ような普遍的な真理。そのためにはセリフの「正当性の根拠づけ」が不可欠
- 『ONE PIECE』は単一作家・単一タイトル・週刊連載・数百万部の継続販売という条件が揃った人類史上の特異点。100年後・300年後に文学研究の対象になることは「確定」
- 作家性と大衆性のバランスが合う「美味しい期間」には寿命がある。28歳の今が一番油が乗っており、30年は持たないという認識
- 次の挑戦は「集団で何かを作る」こと。来年には漫画の歴史観をまとめた活字の本も出版予定
- 組織のリーダーはマネジメントに苦手意識があるくらいの方が、観察と勉強をやめないからいい
- 日本に「歪みを愛する人」が多いからこそ、世界に類を見ない漫画文化の豊かさが生まれている
