変わらないものはない、常に挑戦と自己変革の姿勢 ── newmo・青柳直樹が語るキャリアと起業の原点
ハートに火をつけろ by ANRI第3回では、newmo株式会社2024年1月設立。ライドシェア事業に取り組むスタートアップ。代表取締役CEOは青柳直樹氏。代表取締役CEOの青柳直樹さんをゲストに迎え、投資銀行からスタートアップへの転身、グリー・メルカリでの経験、そしてライドシェアという新領域に挑む背景が語られました。「起業したい」ではなく「何をやりたいか」にたどり着くまでの20年超のキャリアを振り返るその内容をまとめます。
投資銀行からスタートアップへ ── SFC原体験と「違う土俵」の選択
青柳直樹さんは2002年に慶應義塾大学SFC慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(Shonan Fujisawa Campus)の略。総合政策学部・環境情報学部を擁し、1990年の開設当初からインターネットやテクノロジー教育に力を入れてきた。を卒業後、ドイツ証券ドイツ銀行グループの証券部門。投資銀行業務を手がけ、半導体企業や楽天など日本企業のM&Aアドバイザリーや資金調達に携わっていた。に入社しました。半導体メーカーや楽天などをクライアントとして担当するなかで、「テーブルの向こう側にいる人たち」──つまり自ら事業を動かす側への憧れが募り、2006年にグリー田中良和氏が2004年に設立したSNS・ゲームプラットフォーム企業。モバイルソーシャルゲームのブームを牽引し、2008年に東証マザーズ上場。へ飛び込みました。
SFCとの出会いが、青柳さんのキャリアの起点です。高校時代にテニス部で膝を壊し、進路を再考していた1996〜97年頃、ネットスケープ1990年代に主流だったウェブブラウザ「Netscape Navigator」のこと。インターネット黎明期を象徴するソフトウェア。でSFCの学生が作ったウェブページを見て「この大学生活がいい」と感じたそうです。入学後は村井純慶應義塾大学教授。「日本のインターネットの父」と呼ばれ、日本におけるインターネット基盤の構築を主導した人物。先生の授業でインターネットの基礎技術を学び、しかも一部の授業がオンラインで行われるという先進的な環境に触れました。
もう一つの原体験は、父親が勤めていたゼネコンの経営破綻です。バブル崩壊後に民事再生法経営難に陥った企業が裁判所の監督のもとで事業を再建するための法的手続き。2000年施行。の適用を受ける過程を身近で目撃し、「ずっと同じであるものはない」「新しい産業に行かなければ」という確信が芽生えました。さらに中学受験で第一志望に落ちた経験や、周囲に優秀な人材が多い環境から、「自分は他の人と違うポジションで勝負すべきだ」という意識が育まれたといいます。
開成や東大から外務省や日銀に行く友人はたくさんいるんですけど、そういう人たちの土俵ではないところでやろうと思って
絶好調の時にこそリスクを取る理由
青柳さんのキャリアには「なぜ今そこを辞めるのか」と周囲が驚くタイミングでの転身が繰り返されています。ドイツ証券を辞めたのはリーマンショック2008年9月、米大手投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻を引き金に起きた世界的な金融危機。投資銀行業界に壊滅的な打撃を与えた。が起きる前で、先輩たちからは「何考えてるんだ」と本気で止められたそうです。
何年かすると落ち着いてきちゃって、それに対して勝手に危機感を覚えて、新しいチャレンジを取り入れようとしてしまう性質が本能的にあるんだと思います
しかしその後リーマンショックが発生し、投資銀行業界は大きなダメージを受けました。一方で青柳さんはグリーで上場を経験し、かつて止めてくれた先輩たちから「お前よく頑張ったな」と声をかけられたといいます。「リスクを取って、タイムラグやギャップがあるけれど、後でそれを認めてもらえる」──その体験が、挑戦し続けるモチベーションの根幹になっているようです。
当時のキャリア選択について、青柳さんは「30代40代のすごいバンカーは肝臓を使って案件を取ってくる」と表現しつつ、自分がその土俵で長期的に戦えるかへの疑問があったと振り返ります。同時に、ライブドア堀江貴文氏が率いたIT企業。2000年代前半にプロ野球球団買収やニッポン放送株取得で世間を騒がせたが、2006年に証券取引法違反で摘発された。や楽天が大胆な挑戦をしている姿を目の当たりにし、「まだ自分が何者でもない時に何かを成している人たちに会いたい」という衝動があったそうです。
そして複数のCEOと会った結果、「今の楽天に入るよりは、これから楽天のように大きくなる会社に入ろう」と考え、グリーの田中良和グリー株式会社の創業者兼代表取締役会長。SNS「GREE」を立ち上げ、モバイルソーシャルゲーム市場を開拓した。さんとの「ケミストリー」を感じて飛び込む決断をしました。
ライドシェアへの執念 ── 一度しまったテーマに再び火がついた
実は青柳さんがライドシェアのテーマに初めて本格的に取り組んだのは、グリー退任後の2016〜2017年のことでした。アメリカ在住時に自分で車を運転する生活からUber2009年設立の米国発ライドシェア企業。スマートフォンアプリで一般ドライバーと乗客をマッチングするサービスを世界各地で展開している。に切り替えた原体験があり、帰国するたびに「日本にはない」と感じていたそうです。
当時は法人を設立し、資金調達の直前まで進んだものの、「ライドシェアのウィンドウは開いていなかった」と判断し、一度テーマをしまうことにしました。タクシーの二種免許を取得し、タクシー会社への訪問も重ねたものの、業界のルールの壁は厚く、「無理ゲーなんじゃないか」と感じたといいます。
しかしその「モヤモヤした挫折」は完全に消えたわけではありませんでした。メルカリでメルペイやメルコインに取り組みながらも、交通のテーマは心の奥に残り続けていました。そして2023年末にメルカリを退職し、2024年1月にnewmoを設立。約7年越しで再びライドシェアに挑むことになります。
青柳さんはキャリアの転機ごとに「一緒にやる人」を重視してきました。グリーでは田中良和さんとのケミストリー、メルカリでは小泉文明メルカリの共同創業者で取締役会長。投資銀行出身で、メルカリのIPOや経営基盤構築を主導した。氏や山田進太郎メルカリ創業者兼代表取締役CEO。フリマアプリ「メルカリ」を立ち上げ、日本発のユニコーン企業に育てた。氏との対話から「この仲間となら自分が貢献できる」というイメージが湧いたことが決め手でした。「究極、うどん屋やっても大丈夫」と思えるチームかどうか──それが青柳さんにとっての判断基準です。
自分の強みが活きて、自分の体験に基づくものがいい。お金が必要でそこにレバレッジがかけられる事業をやったらいいんじゃないかと思って突き進んでいきました
「戦神」からの脱却 ── マネジメントスタイルの自己変革
佐俣アンリさんは青柳さんを「戦神(いくさがみ)」と表現します。かつてのグリー時代は「地獄のように働き、驚くほどマイクロに詰め続ける」スタイルだったそうです。青柳さん本人も「否定できないですね。全て自分ですね」と笑いながら認めています。
転機は30代、サンフランシスコへの赴任でした。買収した会社のCEOだった優秀なインド人をアメリカ事業のナンバー2に据えたところ、「この人の方がめちゃくちゃ優秀」と実感。多国籍のメンバーと働くなかで、「肩肘張らずに人の能力を引き出す方がいい」と気づいたといいます。
さらに大きかったのは「360度評価」の経験です。グリーで50人からのフィードバックを匿名で受けたところ、スコア自体は高かったものの、個別コメントには「怖がられている」という声がありました。メルカリでもエグゼクティブのアセスメントとして同様のフィードバックを受け、その結果を周囲に開示して「これから半年、自分を変えてみます」と宣言するようにしたそうです。
マイクロマネジメント・自分で全てやる「戦神」スタイル。猛烈に働き、細部まで詰め続ける
多様な人材の能力を引き出し、フィードバックを受け入れて自分を変え続ける協調型リーダーシップ
ただし青柳さんは、この自己変革がCEO・ファウンダーになった今、さらに難しくなると自覚しています。以前は上司や経営陣がフィードバックをくれましたが、創業者にはそうした仕組みが自然には生まれません。「フィードバックをもらえる仕組みを作らないと、どこかで自分が限界になる」──そう語る姿には、過去の経験から学んだ謙虚さがにじんでいました。
多分10年前に一緒に働いた人と、最近去年働いた人では多分印象が違うのかなと
「起業したい」ではなく「何を成し遂げたいか」
青柳さんは意外にも「起業したい欲は薄れていった」と語っています。20代半ばまでは起業家に憧れ、「世の中を変えたい」という思いがありました。しかしグリーとメルカリでの経験を通じて、重要なのは「何をやるか」「誰とやるか」であり、役職やポジションにはこだわらなくなったそうです。
会社を売却した後に次の一手で悩む起業家、上場しても必ずしも幸せとは限らない経営者の姿も見てきました。そうした経験から、「上場したい」「起業したい」という手段ベースの動機ではなく、「何を成し遂げたいか」というテーマベースの思考に変わっていったといいます。
このライドシェアのテーマでなければ、僕はまだ起業してなかったと思います
起業家への憧れ・上場がゴール・ポジションへのこだわり
解決すべき課題が先にある・役職は手段・仲間との化学反応を重視
一方で、盛り上がっている市場にあえて飛び込んでいく「戦いが好き」という性質だけは変わらないと青柳さんは認めます。メルペイもメルコインもライドシェアも、誰も見ていない市場にスッと入るのではなく、注目が集まる場所に「イヤーッ」と飛び込んでいくスタイル。インターフェースやコミュニケーションは変わっても、「挑戦の核」は20年間一貫しているようです。
まとめ
青柳直樹さんのキャリアを貫くのは、「変わらないものはない」という確信と、安定に対する本能的な危機感です。投資銀行からグリー、グリーからメルカリ、そしてnewmoへ──いずれも「なぜ今辞めるのか」と言われるタイミングで次の挑戦を選んできました。
同時に、マネジメントスタイルは「戦神」から協調型へと大きく変わっています。フィードバックを受け入れ、自分を変え続けることの重要性を知っている。そしてCEO・ファウンダーになった今、その仕組みを自ら作ることが次の課題だと自覚しています。
「起業したい」ではなく「何をやりたいか」。その問いに対する答えが、7年越しのライドシェアでした。変わり続ける人だからこそ、変わらない「核」が際立つ──そんな起業家の姿が浮かび上がるエピソードでした。
- 青柳直樹さんはSFCでのインターネット原体験と、父親のゼネコン経営破綻を目撃した経験から「新しい産業に行く」という信念を持った
- 投資銀行・グリー・メルカリと、いずれも好調な時期にリスクを取って次の挑戦に飛び込んできた
- ライドシェアのテーマは2016年に一度断念したが、約7年の時を経て2024年にnewmoとして再挑戦
- かつての「戦神」マネジメントスタイルを、360度評価やフィードバックをきっかけに協調型に変革
- 「起業したい」という手段ではなく「何を成し遂げたいか」というテーマから事業を選ぶ姿勢が一貫している
