MPower Partnersを立ち上げるまで
キャシー松井さんは前職も含め、日本株ストラテジストの職を30年間務めてきました。2020年頃、卒業を考えていたと話します。
理由の一つは、アルツハイマー型認知症と診断された父の存在でした。松井さんは4人きょうだいで唯一海外に住んでおり、より柔軟な生活を目指していたと言います。
ただ、退職直前の2020年12月末、その3週間前に父が急に亡くなったそうです。
MPower Partnersは、村上由美子さん、関美和さんとの共同設立です。3人はキャリアは違うものの長年の友人でした。松井さんと村上さんはゴールドマン・サックスで16年、村上さんと関さんはハーバード・ビジネス・スクールの先輩後輩、そして関さんはもともと松井さんの日本株の顧客だったといいます。
さらに共通点として、3人とも起業家の娘だと語られています。
3人とも実は起業家の娘なんですね。村上由美子さんのお母さんが、なんと48歳でドラッグストアチェーンを島根県で起業したんです。関美和は旧姓が松尾で、チロルチョコの「松尾製菓」の家族なんですよ。だから私たちは親の背中をずっと見ているので、起業家がどんなに大変なのか分かるんです。
しかも3人は同じ年と月の生まれで、毎年お祝いディナーをしていたそうです。その席で「残りの人生どうしようか」という話になり、「金融×スタートアップ×何か」というアイデアが生まれました。
ただ、実績のない3人がいきなりファンドを作るのは難しい。そこで長年リサーチしてきたコーポレートガバナンスやダイバーシティを差別化のカラーにしようと考えたと言います。
大企業という確立された組織を行動変容につなげるのはどんなに難しいか、肌でずっと感じてきました。だったら、より早い段階、大人ではなくティーンエイジャーの段階のスタートアップにこういう要素を実装していけば、より加速できる成長につながるのではないか。その仮説で、日本初のESG重視型ファンドを作ったんです。
日本のポテンシャルとエコシステムの現在地
3人に共通していた問題意識は、外から日本を見たときの「もったいなさ」でした。
人材のタレントプールは質が高いし、最先端技術も基礎リサーチも素晴らしいシーズがいっぱいある。資本も豊富な国です。台所に材料が用意してあるのに、なぜ次世代のGAFAMのような企業が生まれないのか、不思議でしょうがなかったんですね。
調べていくと、グローバルマインドセットや考え方の多様性、グロースステージの資本などが足りていないと見えてきたそうです。ファンドでそのギャップを埋められればと考えたと言います。
設立から3〜4年経った実感として、松井さんは意外な手応えを語ります。ESGは早すぎると言われることもありましたが、来るファウンダーたちのマインドセットはむしろ前向きだったそうです。
ESGの「Why」の部分の理解度は意外と高かったんですよ。ただ分からないのは「How」のところ。どうやって改善できるかというところを、私たちが伴走してお手伝いしていくんです。
一方で、グローバルのトップティアVCが本格参入するには、まだ規模が足りないという課題も語られています。松井さんは、アンドリーセン・ホロウィッツのベン・ホロウィッツさんとのイベントでのやり取りを例に挙げました。
日本人が何度も聞くのは「いつ日本に投資しますか」ということでした。彼の答えはシンプルで、「明日からでも投資できますよ。ただ、彼らの投資規模に合う案件があれば、の話です」と。そこまで至っていないだけなんですね。
佐俣アンリさんも、まずはスケールの大きい起業家が増えることが解決策だと応じます。
200ミリオン預かって、それを5,000ミリオンにできますかっていうレベルの起業家がいっぱいいれば、必然的に世界中のVCが一生懸命来て、必要なら日本語もラーニングしてくるはずなんですよ。
比較対象として、松井さんはシリコンバレーではなくフランスや北欧を挙げます。かつては起業やベンチャー就職が恥ずかしいとされた時代があり、今は憧れのエコシステムになった。日本はちょうどその手前に入ったところだと話しています。
アンリさんは、アトミコのニコラスさんが「ヨーロッパというマーケットをどう作ってきたか」を語ったことが、日本にとって大きな学びになったと振り返ります。競争に勝つ方法より、市場そのものの作り方が参考になったという指摘です。
経済的分析から見えた女性起業家の可能性
話題は女性起業家の可能性に移ります。松井さんは、共同パートナーの関美和さんが書いたブログを紹介しつつ、「大きな機会は誰も見ていない隠れたところにある」という投資の考え方を持ち出しました。
まず提示されたのが、ベンチャーファンディングのうち女性起業家に配分される割合です。
ベンチャーファンディングを100としたら、何パーセントが女性起業家に配分されていると思いますか。わずか2%ですよ。海外もだいたい2%くらいで、どこも低いんです。
一般論として「女性起業家に投資しても儲からない」という通説があると言います。しかし、松井さんたちが実際のデータを分析すると、逆の結果が出たそうです。
2020〜23年にIPOした企業を比較すると、女性創業企業の時価総額は平均で男性の約1.5倍高かった
各シリーズ・各ステージで、女性創業企業のバリュエーションは一律に安かった
つまり、入り口では割安で入れて、出口ではプレミアムで出られる。松井さんはこれを見逃せない裁定機会だと表現します。
さらに、2023年に女性が創業した会社は全体の25%を占めるのに、資金配分は2%にとどまるというギャップも指摘されました。存在比率と資金配分の差が、機会そのものだという見方です。
アンリさんは、このアプローチが人権問題としてではなく経済的機会として語られている点を評価しています。
様々な偏見やミスパーセプションが存在しているからこそ、すごく美味しいと思うんですね。アンリさんも女性起業家を応援していますが、単にダイバーシティのためではなく、本当に儲かりたいから投資していると思いますよ。
アンリさんも、この3〜4年で女性起業家を取り巻く空気が変わったと語ります。共働きが当たり前の文化に20代から30代前半が変わり、起業が合理的なキャリアとして選ばれるようになったといいます。
僕らが起業した頃、10年前にスタートアップで10億円調達している人に「育休」という概念は存在しなかった。日本中の事例を全部調べたけど、なかったんです。でも今は当たり前だし、資金調達前にそういう話をするのも当たり前になった。
一方で、松井さんは課題も指摘します。男性同士のネットワークは自然に強いのに対し、女性は横のつながりを作るのが弱いことが多く、そこに助けが必要だと語ります。
アンリさんは、女性起業家の悩みの多くが「情報が来ていない」ことに帰結すると話します。マイノリティとは、情報が回ってきにくい存在だという捉え方です。
情報がマイノリティな人たちの問題をどう解決するかという時に、物理的に近くにいるっていうのが一つの方法だと思っているんです。だから今収録しているオフィスにも、女性起業家こそ入れているんですよ。
癌の診断と人生観の変化
最後に、松井さん自身の野望と、実現したい世界について聞いています。松井さんは、人生で一番の転換期を語り始めました。
一番の転換期は、36歳で癌に診断された時なんです。前の年にアナリストにとって大事なランキングで1位を獲得し、同年にゴールドマン・サックス日本の初の女性パートナーに昇格しました。"On top of the world" という存在で、これが全てだと思っていたら、翌年に癌と診断され、「嘘でしょう」と言うしかなかった。
娘が生まれたばかりで、まだ0歳児だったといいます。仕事を8ヶ月休み、実家のカリフォルニアで治療にあたりました。それまでは走ってばかりの生活で、息をつく間もなかったと振り返ります。
たっぷり考える時間ができたことで、なぜ生かされたのか、何が一番大事なのかを問い直すきっかけになったと語られています。
復帰してから毎朝「あと1日くれて神様ありがとう」と思うようになりました。それまで自分と家族のためだけに頑張っていたのが、初めて他人や社会のことを考えるようになったんです。「65歳まで働いて、退職してから世の中にいいことをするぞ」というパターンから、「明日ないかもしれない」にガラッと変わりました。
その後、松井さんは非営利団体の活動や、バングラデシュのアジア女子大学、環境保護のチャリティなどに関わってきたと話します。自身も両親が大学に行っておらず、初めて大学進学した世代であり、教育が人生を変えることを実感していると言います。
以前は何でも引き受けていたものを、今は情熱を持てるところだけに集中投資するようになったそうです。そのほうがインパクトを感じられるからだといいます。
次世代のためにポテンシャルを解放する
松井さんは、若い頃は自分の未来しか考えないのが当然だとしつつ、恵まれた人生を次の世代へ引き継ぎたいと考えるようになったと語ります。
具体例として、宇宙飛行士の山崎直子さんの話が出ました。アメリカの女性宇宙飛行士が56名いるのに対し、日本は2人しかいないという差です。
日本の女の子が、将来アストロノートになれる、社長にもなれる、首相にもなれる、そういう世界を作りたい。ダイバーシティという言葉が必要ない世界を作りたいんです。
アンリさんも、娘が物心ついたときに「起業は女性がやるものじゃない」と言われたくないと共感します。何にでもなれると信じられる社会であってほしいと話しました。
娘が物心つく時に「私は何でもなれるのである」という気持ちでいて欲しいし、そういう社会だったら素敵だし、そうじゃなかったら子供たちの世代に申し訳ないなって感じます。
だから私たちの責任が重いよ。
まとめ
MPower Partnersの設立から女性起業家の経済的可能性、そして癌を経て変わった人生観まで、キャシー松井さんの熱が伝わる後編でした。データに基づく合理性と、次世代への思いが一本の線でつながっています。
- MPowerは、大企業では難しいESGの実装を、より早いスタートアップ段階で行うという仮説から生まれた
- 日本は人材・技術・資本が揃うのに活かしきれておらず、比較対象はシリコンバレーよりフランスや北欧が近い
- 女性創業企業は入口で割安、出口では時価総額が平均約1.5倍と高く、見逃せない投資機会だとデータが示す
- 女性起業家の課題の多くは「情報が回ってこない」ことに帰結し、物理的に近くにいることが一つの解決策になる
- 36歳での癌診断を機に、松井さんは自分のためから次世代のためへと視点を変え、ポテンシャルを解放する世界を目指している
