IOC委員とは何をする役職なのか
太田さんはいま、IOC(国際オリンピック委員会)の委員を務めています。委員は世界で100人ほどで、太田さんはアスリート側から入った立場だと話します。
委員には各国の有力者が名を連ねています。イギリスのアン王女やモナコのアルベール2世公、アジア最大の富豪リライアンス・グループのムケシュ・アンバニ氏の夫人などが例に挙げられました。
一方で、収入面はイメージと違うようです。会議やオリンピック期間の日当は出るものの、まとまった給料が入る世界ではないと言います。
役付きの会長職とか、完全に時間を取られる人はペイド(有給)になるんですけど、そうじゃない委員の人はある種本当に名誉職的な感じです。
では、なぜその立場を得たのか。太田さんはこれを「やりたくてなった」と明言します。最大の理由は、どこへ行ってもIOC委員だと言えば会ってもらえることだそうです。
名刺のパンチとしてはものすごく、一番目に効くと言ってもいいぐらいなので、そういう風に思ってるって感じです。
オリンピック本番では、競技観戦よりも世界中から集まるキーパーソンとのネットワーキングが重要だと語ります。パリ大会ではスポンサーのLVMHからアルノー氏らの来場も想定し、スポーツを通した外交官のような役割を使命と捉えていると話します。
収入源は別にあります。企業からの受託が中心で、所属アスリートの活用相談、ブランドアンバサダー、営業代行などです。エンジンオイルのカストロールと組んで販売活動をする例も挙げられました。
要は自分が使えるものを使い倒して、ビジネスというかキャッシュに変えられるものがどこなんだみたいな感じでやってるっていうのが、今現在って感じです。
「太田雄貴個人商店」からチームへ
ここから話は、太田さん自身の悩み相談のようなトーンに移ります。前編で語られた「事業がない」という状況は、今もあまり変わっていないと率直に認めます。
ただ、変化もあります。チームのスタッフが充実してきたことです。太田さんはこれを『ONE PIECE』にたとえます。
今までは『ONE PIECE』で言うと本当に1人乗りのボートだったのが、今は3人乗りのボートみたいになって。
ウソップ並みまで来ましたね。
一緒にやるメンバーには、他社の創業メンバーだった人もいて、学ぶことが多いと言います。事業そのものより先に、一緒にやりたいと思える人と出会えたことの大きさに気づいた、と語ります。
子どもの「好き」を見つける新事業
いま仕込んでいる事業の話へ移ります。きっかけは、子どもにスポーツをやらせたいと思ったときの「うちの子は何に向いているのか」という親の疑問です。
太田さんの会社は、2〜3か月のプログラムで10種類のスポーツを体験させる仕組みを準備しています。オリンピック級のアスリートも参加し、その子が何に向いているかを定量的にも定性的にも見るといいます。
ポイントは、子ども自身の「楽しい」という感覚と、指導者の一言の両方です。楽しくなかったと言う子にも「君は向いているよ」と伝えることで、始めるきっかけになると考えられています。
そういう出会いの場所で、君の好きを見つけるお手伝いをしたいっていうのを今準備していて、この秋にMVPして、春にヒューリックさんと一緒にやるんですけども、そういうことを今始めていく。
この事業は、後述するWeb3プロジェクトでアスリートと出会った副産物でもあると、後半で明かされます。
ブブカの助言と、実業で成功したいという情熱
太田さんの周囲には『ONE PIECE』の「七武海」のような大物経営者が多くいます。彼らと肩を並べたいと思う一方で、自分は小舟からガリオン船を眺めているような感覚だと言います。
この思いを強くしたきっかけが、棒高跳びの伝説的選手セルゲイ・ブブカさんとの会話でした。昨年10月にインドのムンバイで飲む機会があったといいます。
太田さんが「やり直せるなら何をしたいか」と尋ねると、ブブカさんは「ビジネスだ」と答えたそうです。IOC会長選を狙える位置に来ても、選挙活動などすべてに資金がかかる。もっとビジネスをやりきっていれば、好きなことに集中できたのに、と語ったといいます。
だから雄貴、お前はもっとビジネスに集中するんだ、ってブブカに言われたんですよ。
ブブカのアドバイス刺さるなぁ。
ただ太田さんは、ブブカさんに言われたからというより、ずっと自分で感じていたことだと話します。会長職を終えてIOC委員となり、成長が止まっている感覚があったのです。
他人は騙せても自分は騙せないわけですよ。だからやっぱ成長止まってんなっていう感覚がすごくある中で、やっぱり頑張りたいなって思うようになって。
その後、投資先のコテンラジオ関連で深井龍之介さん、そしてラクスルやキャディの創業者である羽田さんに相談したことから、事業が大きく前へ進み始めたと語ります。バックオフィスの構築も一緒に進めているそうです。
起業アイデアは「自分のフィルター」で見つける
話題は、強烈な原体験がなくても起業したい人へのアドバイスに移ります。聞き手の佐俣さんは、情熱のドライバーは人それぞれでいいと答えます。
ただひたすら金持ちになりたいって人もいて、これ超いいと思うんですよ。20代で10億持ってスタートしたいんで起業したいですみたいな、めちゃめちゃいいと思う。
佐俣さんは、大規模なアーティストが「世界を救いたい」と言うようになるのも、はじめは「モテたい」から始まっているはずだと例えます。動機は邪でもいいから、まず手を動かすことが大事だといいます。
みんなで熱い気持ちを話し合うのをずっとやってると、飲み会で盛り上がるみたいになっちゃうので、じゃあとりあえずこれのパクリからやってみようか、みたいなのでいいと思う。
太田さんは、大物ばかり見ていた結果、1人乗りから5人乗り、10人乗りへ育てるプロセスを見ないまま、気分だけ100人乗りにいた、と自省します。
ラスボスに会いすぎたっていう。日常生活にラスボスがいすぎるっていう、それはありますよね。
そこで佐俣さんが勧めるのが、身近な小さな商売の研究です。例として、会社のメンバーと訪れた「うなぎの成瀬」を挙げます。
うなぎの成瀬は、いま日本で最も多くフランチャイズを出している店で、1年で約100店舗増えているといいます。うなぎはチェーン化が難しい業態ですが、1匹分を2600円で提供して急拡大しています。
うなぎを蒸すまでで終わらしといて、最後に強めの天火で焼いてるんですよね。それでふっくら仕上がるように見える。内装も、居抜きに適当に貼り付けただけの超適当内装だったりとか。
佐俣さんは、伸びている商売を分解し、「この産業でこれができるか」と横展開を考えるのが好きだと語ります。うなぎでできるなら天ぷらはどうか、という発想です。
これを受けて太田さんが挙げたのが「フィルター」という考え方です。フェンシング協会長時代は、ライブでもミュージアムでも「フェンシングならどう転用できるか」と考えられていたと言います。
協会長を辞めた後に、自分にちょっとポコっと穴空いてんなと思ってんのは、フィルターがなくなったんですよ。
ああ、掛け算の1個目がないんだ。
フィルターがないと、物事を咀嚼せず「儲かってるな」程度でしか見られなくなると太田さんは言います。ひとつのフィルターを持つことの大切さを実感しているそうです。
フィルターを持つ
自分の軸となる領域を一つ決める
他分野を観る
ライブや店舗など異業種を体験する
転用を考える
自分のフィルターならどう活かせるかを問う
事業のネタにする
咀嚼した発想を商売の種へつなげる
太田さんはいま、地方や地域にある磨けば輝きそうな産業を、一緒に売ることに関心があると話します。佐俣さんは、群馬のだるまをPRする学生や、ストリートカルチャーと混ざるけん玉の例を挙げ、一周回って日本のカルチャーがクールに見える面白さを語りました。
Web3の失敗から生まれた、子ども向け事業
太田さんは2年ほど前、Web3の領域に深く入り込んで事業に取り組んでいました。アスリートとファンを同じNFTでつなぐ「Sports3」というプロジェクトです。
見た目には良い仕組みでしたが、陸上の末續慎吾さんと組んで進めた結果、コミュニティをつくる難しさを痛烈に感じたといいます。
ただ、この過程で多くのアスリートと出会えたことが副産物になりました。すでに競技をしている人向けではマーケットが小さいため、習い事を始める手前の子どもを対象にしたほうが価値を出せると考え、いまの子ども向け事業につながったのです。
なるほど、めちゃめちゃいいですね。ビジネスそういうのですよね。
一番初期段階の、習い事を始める手前を僕らが全部見ますよっていう方が価値が出せるんじゃないか。お子さんに本当の体験を作ってあげるっていうのを今やってる。
子どもの「好き」を見つける難しさは、太田さん自身が親になって見えた視点だと言います。突発的な出会いで人生が好転するなら、短期間でやる気スイッチを押してあげられる場に価値がある、という考えです。
アスリートは、なぜ現役後にエネルギーの矛先を失うのか
話は、経営者やアスリートが一度上がった後の「再起」に及びます。太田さんによれば、40歳より手前の経営者はセルフブーストが勝手にかかり、逆に足抜けできないといいます。
この界隈で一番長く足抜けできた記録は多分(メルカリの)進太郎さんの1年が限界だって言われてて、これ以上俺たちは足抜けできない。帰ってきたくなってしまう。
前回のゲストであるドクターストーンの原作者・稲垣さんの例も挙がりました。週刊連載を「地獄だ」と語り、二度としないと決めて7年間何もしなかったといいます。それほど週刊連載は過酷な活動だと語られています。
一方でアスリートは、現役との断絶がはっきりしていると佐俣さんは言います。太田さんは、その光の強さこそが難しさだと指摘します。
今まで誰も知らない子が、突然この国民全員が知っている瞬間になるんですよね。M-1優勝するようなイメージです。
その後、知名度はどんなタレントでも目減りしていきます。自分の価値を知名度と相関づけて考えると、価値がないと思ってしまう瞬間も出てくると言います。
太田さんは、メダルを取った瞬間は誰も聞く耳を持たないだろうとしつつ、少し時間が経った後にこうした話を伝えたいと語ります。聞き手の佐俣さんは、それを一巡した人だから言える話だと受け止めました。
最後に太田さんは、IOCなどで築いたネットワークをフルに活用してビジネスをやりたい、と改めて語りました。佐俣さんは「超期待しています」と締めくくっています。
まとめ
IOC委員という希少な立場を「名刺のパンチ」として活かしながら、太田雄貴さんは実業家としての一歩を踏み出そうとしています。大物ばかりを見て焦った時期を経て、身近な商売の研究や自分のフィルターを通した発想、そして子どもの「好き」を見つける事業に情熱を注いでいます。
- IOC委員は名誉職の側面が強く、収入は企業からの受託などで別に作っている
- ブブカの「ビジネスに集中しろ」という助言が、実業で成功したい思いを後押しした
- 起業の動機は邪でもよく、まず手を動かして小さな商売を分解・横展開することが有効
- 自分の軸となる「フィルター」を持つと、他分野の観察が事業のネタに変わる
- 子ども向け事業は、失敗したWeb3プロジェクトでのアスリートとの出会いから生まれた
