ユニクロ社長からロッテHDへ──玉塚元一氏が語る「1人リヴァンプ」という生き方
ハートに火をつけろ by ANRIに、前回に引き続きロッテホールディングス日本ロッテグループの持株会社。菓子事業を中核に、日韓合わせて約6兆円超のグループを形成。2021年より玉塚元一氏が代表取締役社長を務める。代表取締役社長の玉塚元一さんが登場。39歳でユニクロ社長に就任した経験から、盟友・澤田貴司氏とのリヴァンプ創業、そしてロッテグループの日韓シナジーという現在のミッションまで、キャリアの転機と経営哲学を語りました。その内容をまとめます。
39歳でユニクロ社長──700億から4000億への急成長と混乱
玉塚さんはファーストリテイリングユニクロを中核ブランドとするアパレル企業。柳井正氏が創業し、現在もグループを率いる。世界3位のSPA(製造小売業)。に7年間在籍し、後半3年間は社長を務めました。入社時に売上700億円だった同社は、フリースブームなどを追い風にわずか2〜3年で4000億円規模に急拡大。しかし、あまりにも速い成長はリアルビジネスの現場にほころびを生みました。
物流や生産の問題が噴出し、「ユニバレ「ユニクロバレ」の略。2000年代前半、ユニクロの服を着ていることが周囲にバレることを避ける風潮が広がり、ブランドイメージと売上に打撃を与えた現象。」のようなブランド問題も重なって売上が急降下。会社は大混乱に陥ります。そこで39歳の玉塚さんが社長として前線に立ち、3年かけて業績を回復させたのです。
その後、柳井正ファーストリテイリング創業者・現会長兼社長。ユニクロを世界的なアパレルブランドに成長させた。日本有数の資産家としても知られる。氏自らが世界展開を指揮する段階に移り、玉塚さんは次のステージへ。もともとユニクロに入った動機が「自分で商売をやる種を見つけるため」だったこともあり、次なる挑戦に向かいます。
盟友・澤田貴司氏との再会とリヴァンプ設立
玉塚さんの次の相棒は、AGC(旭硝子)世界最大級のガラスメーカー。三菱グループに属し、建築用・自動車用ガラスから電子部品素材まで幅広く展開。玉塚氏が最初に入社した企業。時代から20年以上の付き合いがある澤田貴司伊藤忠商事出身。ファーストリテイリング副社長を経て、キアコン(KIACON)を設立。その後リヴァンプを玉塚氏と共同創業。後にファミリーマート社長・会長も務めた。さんでした。澤田さんは伊藤忠商事の商社マンとして、三菱系のAGCに「ねじ入ってきた」ことがきっかけで知り合い、その後ユニクロでも一緒に働いた間柄です。
澤田さんは玉塚さんより3年早くユニクロを離れ、「キアコン(KIACON)澤田貴司氏が設立したプライベート・エクイティファンド。名前は「気合と根性」の頭文字に由来。約200億円の資金を米国投資家から調達していた。」という名のPEファンドを運営していました。名前の由来は「気合と根性」。約200億円を米国投資家から集めたファンドでしたが、澤田さん自身は「ファンドマネージャーの仕事には限界がある。自分はオペレーターだ」と感じていたといいます。
澤田さんに久しぶりに電話したら「おお、いいタイミングだ。こんなにいいタイミングはない」と言って
2人が合流して生まれたのがリヴァンプ(Revamp)2005年に玉塚元一氏と澤田貴司氏が共同創業した企業再生・事業成長支援会社。「刷新する」を意味する英語が社名の由来。現在は約300名体制の企業に成長。でした。コンセプトは「オペレーションを主軸にしたPE的な仕組み」。資金だけでなく、自ら現場に入って経営改革を実行できる軍団を作ろうという構想です。
しかし、創業当初は資金繰りに苦労しました。ファンドであれば運用資産に対するマネジメントフィー(管理報酬)が入りますが、リヴァンプにはその仕組みがありません。「人様の会社に入っていって元気にしますよ」という看板だけでは、安定した収益モデルが見えなかったのです。
ロッテリア再生がもたらした転機
リヴァンプが離陸するきっかけとなったのが、ロッテリアの再生案件でした。この案件につながったのは、ユニクロ時代の縁です。ファーストリテイリングが韓国進出する際のカウンターパートが、現在のロッテグループ会長である重光昭夫ロッテグループ現会長。創業者・重光武雄氏の次男。韓国名はシン・ドンビン。日韓両国にまたがるロッテグループ全体を統括する。氏だったのです。
重光会長は「タイミングがあったらロッテを手伝ってほしい」とかねてから声をかけていました。リヴァンプ設立の挨拶に行ったところ、苦境にあったハンバーガーチェーン「ロッテリア」の再生を依頼されます。玉塚さんが会長として入り、後にリヴァンプ社長となる湯浅智之現・株式会社リヴァンプ代表取締役社長。リヴァンプ創業初期から参画し、複数の企業再生案件に携わった。氏ら3〜4人のチームで大改革を実行。「絶品チーズバーガー」のようなヒット商品を生み出し、業績改善に成功しました。
ロッテリアの案件がなかったら、リヴァンプは離陸してなかったかもしれない
なお、玉塚さんがロッテHDに移った後、ロッテリアはゼンショーすき家、なか卯、はま寿司などを運営する外食最大手グループ。2022年にロッテリアを買収し、傘下に収めた。に売却されることになります。玉塚さんは「自分でなければできなかった判断だったかもしれない」と振り返りました。ロッテリアを立て直した経験と、その後の売却判断。どちらもロッテグループとの深い縁がなければ成り立たなかったエピソードです。
「1人リヴァンプ」──課題ある企業に向き合い続ける理由
リヴァンプ時代の玉塚さんは、じつに多様な事業に挑みました。クリスピー・クリーム・ドーナツ米国発のドーナツチェーン。リヴァンプが日本市場への導入を手がけた。日本上陸時は行列ができるほどの人気を集めた。やバーガーキング世界第2位のハンバーガーチェーン。リヴァンプが日本での事業展開に関わった。を日本に持ち込んだり、プレミアムウォーター宅配水事業大手。玉塚氏がリヴァンプ時代に「ウォーターダイレクト」として0→1で立ち上げた事業が前身。富士山に井戸を掘るところから始めた。の前身となるウォーターダイレクトを0→1(ゼロイチ)で立ち上げたり。スタートアップ支援から企業再生まで、膨大な経験を積みました。
その後のキャリアを玉塚さんは「1人リヴァンプ」と表現します。リヴァンプを離れた後も、ローソンコンビニエンスストア大手。玉塚氏は2010年に入社し、COOを経て2014年に代表取締役社長、2016年に代表取締役会長CEOを歴任。、デジタルハーツホールディングスゲームのデバッグ・品質保証を主力とするIT企業。玉塚氏は2017年に代表取締役社長CEOに就任し、事業変革を推進した。、そしてロッテホールディングスと、課題を抱える企業に「突入」しては改革に取り組むスタイルを貫いてきました。
佐俣さんが「日本にはプロ経営者が少ないが、モチベーションは何か」と問いかけると、玉塚さんは「プロ経営者」というラベルへの違和感を示しつつ、こう答えました。柳井正ファーストリテイリング創業者。一つの企業を生涯かけて育てる「創業者型経営者」の代表例。氏や山田進太郎メルカリ創業者・CEO。フリマアプリ「メルカリ」を立ち上げ、日本発のユニコーン企業に育てた。氏のように「1行を一生懸命かけて育てる」のも一つの道だが、自分の場合はいくつもの経営課題に向き合う中で経験値が蓄積され、より難易度の高い案件を任されるようになった──それが自然な流れだったと語ります。
ロッテ創業者の革新と日韓グループの成り立ち
玉塚さんはロッテグループの歴史について、あまり知られていない側面を紹介してくれました。ロッテと言えば「お菓子」のイメージが強いですが、ホールディングスの世界は大きく異なるといいます。
1948年、創業者の重光武雄ロッテグループ創業者。韓国・蔚山出身、日本に渡りチューインガム事業で創業。日韓にまたがる巨大グループを築き上げた。2020年没。氏が戦後間もない日本でチューインガム事業を始めたのがスタートです。当時はガムの会社が約300社もあったそうですが、最終的に残ったのは基本的にロッテだけ。創業者は「総合菓子メーカー」を目指し、1965年にチョコレート市場に参入します。
当時売上80億円ほどの会社が、約20億円近い設備投資を敢行するという大勝負でした。チョコレートは菓子の中でも設備産業であり、巨大なタンクや釜が必要だったからです。しかし創業者は革新的なマーケティングで突破します。
パッケージ革命
従来の黒・茶色から真っ赤なデザインに変更
品質への執念
スイスの最高峰チョコレート職人マックス・ブラック氏を招聘。「豆はガーナ産100%」にこだわり、国名の商標を取得
型破りなプロモーション
15秒CMを5秒に刻んで週300本投下。200人の販売チームでスーパーを攻略
チョコレート事業も軌道に乗り、総合菓子メーカーとして大きなキャッシュを生むようになったロッテは、1970年代に韓国への投資を開始します。創業者が韓国・蔚山(ウルサン)韓国南東部の広域市。現代自動車の本社工場があることでも知られる工業都市。ロッテ創業者・重光武雄氏の出身地。出身であり、「祖国に恩返しをしなければならない」という思いと、韓国政府からの依頼が重なりました。
韓国は南北戦争の影響で経済発展が日本より10〜15年遅れていたため、日本で培ったノウハウを活かす「タイムマシン経営先進市場で成功したビジネスモデルや技術を、発展途上の市場に持ち込んで展開する戦略。ソフトバンクの孫正義氏が提唱したことでも知られる概念。」が可能でした。菓子から始まり、ホテル(明洞のロッテホテル)、化学事業、流通小売(ロッテマート)と、多角的に事業を展開していったのです。
日韓シナジーの創出──6兆円グループの可能性
長い年月を経て、韓国ロッテは約6兆円規模のグループに成長しました。一方、日本は4000億円弱にとどまっています。元々の投資は日本のホールディングスが行っており、両者を合わせたのがトータルのロッテグループです。
約6兆円規模
ホテル・化学・流通・バイオ医薬品など多角展開
約4000億円弱
菓子事業が中核。元々の投資元であり、HDとして全体を統括
玉塚さんが語る現在の最大のミッションは、この日韓の「掛け算」です。創業者は日韓をあえて別々にオペレーションしていました。競争意識を持たせるための壁だったと考えられますが、第三者の視点で見ると非常にもったいない状態だったといいます。日本も韓国も同じ課題──国内市場の縮小と高齢化──を抱えているからです。
具体的なシナジーの可能性として、玉塚さんは3つの領域を挙げました。
まずホテル事業。韓国ロッテは世界に約40拠点のホテルを展開していますが、日本はわずか2拠点。インバウンドが4000万人、さらに6000万人に向かう日本市場でのポテンシャルは大きいはずです。
次にファインケミカル。基礎化学品は厳しい環境ですが、機能化学品ではアジアでナンバーワンのポジションにいるにもかかわらず、日本でのプレゼンスはゼロ。さらにバイオ医薬品の製造受託(CDMO)事業も、日本に多くの潜在顧客がいるとのことです。
ただし「言うは易し」と玉塚さんは付け加えます。韓国はスピード重視で意思決定が速い一方、日本は慎重。プロジェクトを進める中で「なんで日本はこんなに遅いんだ」という声も上がるそうです。重光会長とは「日本と韓国のいいところを足して2で割ればちょうどいい」という話をしており、そのモデルケースをロッテグループが体現していくことが、今の大きなテーマになっています。
まとめ
39歳でのユニクロ社長就任から、澤田貴司氏との「気合と根性」のリヴァンプ創業、ロッテリア再生を経たロッテグループとの縁、そして現在の日韓シナジー創出という壮大なミッション。玉塚さんのキャリアは、一つの企業を生涯かけて育てるのとは異なる「もう一つの経営者像」を示しています。
課題ある企業に飛び込み、1ミリでもいい会社にして次に進む。その繰り返しが経験値を積み上げ、より大きな挑戦を呼び寄せる。「1人リヴァンプ」という言葉には、そんな成長の循環が凝縮されていました。
- ユニクロ時代に39歳で社長に就任し、700億→4000億の急成長と混乱の両方を経験した
- 盟友・澤田貴司氏と「オペレーション主軸のPE」リヴァンプを創業。ロッテリア再生が離陸の契機に
- リヴァンプ以降は「1人リヴァンプ」として、ローソン→デジタルハーツ→ロッテHDと課題企業に向き合い続けている
- ロッテグループは日本(約4000億円)と韓国(約6兆円)の掛け算にシナジーの大きな可能性がある
- ホテル・ファインケミカル・バイオ医薬品CDMOなど、韓国の事業シーズを日本市場で展開する構想を推進中
- 日韓の経営スタイルの違い(韓国=スピード、日本=慎重さ)を「足して2で割る」モデルケースを目指している
