秘書のような立ち位置から始まった起業への道
番組冒頭で、佐俣アンリさんがゲストとして岩崎由夏さんを紹介します。
岩崎さんはまず、自身の経歴をたどりながら自己紹介をしていきます。
私は大阪大学理学部を卒業して、2012年にDeNAに新卒で入社いたしました。2016年に、当時アンリさんが出資されていてDeNAに買収された子会社のペロリというところに出向しておりました。その後、採用担当として経験を積む中で、求職者にとってフェアじゃない転職市場に違和感を覚えたことをきっかけに起業を決意し、2017年に株式会社YOUTRUSTを設立して今に至ります。
佐俣さんは、初めて会った頃の岩崎さんの印象を振り返ります。当時は中川綾太郎さんから「秘書」という括りで紹介されたと話します。
「秘書」っていうポジションはなかったんですけど、綾太郎さんがあまりにも身の回りのことができなさすぎたんで、勝手にお節介をしてたんですよ。本来のポジションは経営企画だったんですけど、経営企画といっても一人しかいなくて。実質秘書でしたね。
「ウェイ系」ではない? ロジカルで怠惰な本質
佐俣さんは、YOUTRUSTの資金調達で見せる「ぶち上げ」のような、異常なテンションでモメンタムを作れる岩崎さんに触れます。そのうえで、何があってあのスタイルに至ったのかを尋ねます。
すると岩崎さんは、自分は元々そういうタイプではなかったと打ち明けます。
結構最初からそういう人なのかって思われがちなんですけど、私、元々全然そういうタイプの人間じゃないんですよね。DeNAはロジカルシンキングとか定量的な意思決定が強い会社だったので、感情に訴えかけるような「何か」って、社会人になってからは特に経験がなかったので、実は今初めてやってるかもしれないですね。
子供時代はどうだったのか。佐俣さんが尋ねると、岩崎さんは女子校時代の自分を、修学旅行のバスの最後列で「誰かカラオケ歌えよ」と言うタイプだったと表現します。
一方で、大学で入った理学部化学科の環境は、その気質と合わなかったといいます。周囲の9割9分が院進学する中で、岩崎さんは早く出たいと考えていました。
P&G志望からDeNAへ、そして「怠惰だからこそ追い込む」哲学
そもそも岩崎さんはP&Gに入る気満々だったと話します。地元の神戸で、目の前の徒歩1分ほどの場所に本社があり、社会人といえばP&Gの社員だと思って育ったといいます。
化粧品開発ができればP&Gに入れるのかと考え、理学部化学科を選びました。ただ、結論から言えばP&Gは英語面接で落ちてしまいます。
行くはずだったP&Gがなくなったとき、内定者の先輩に誘われ、京都でのDeNA・南場智子さんの講演に足を運びます。そこで岩崎さんの価値観が動きます。
南場さんが「うちの会社は120%頑張って勝つか負けるか、フィフティーフィフティーの仕事しか渡しません」って言い出して。私、当時「とにかく怠惰な人間である」という自覚があったんですね。怠惰な人間なくせに、怠惰に生活をしている自分のことが大嫌いなんで、何か熱中してたり無理をしてないと自分は楽しくないんだっていうところまでは自覚してたんで。
この「怠惰だからこそ限界まで追い込まないと楽しくない」という自覚は、今にもつながる哲学だと二人は語り合います。岩崎さんは、環境的に追い込むしかないと思い、出会った中で一番しんどそうな会社を選ぼうとしていたと話します。
当初はDeNAに落ちたら院に行き、もう一度P&Gを受けようくらいの気持ちだったといいます。ところが選考が進むうち、最後は「この会社しかない」というテンションで入社を決めました。
佐俣さんは、本質的に怠惰な人は起業家に向いていると話します。プレイヤーとしての自分が役立つ瞬間は早く終わり、経営は意思決定をどれだけシャープにし続けるかのゲームだと考えているためです。
よく起業したあと「超忙しい」とか「スタートアップえぐい忙しい、寝れない」みたいなイメージで言う人いるじゃないですか。私、起業した時「こんなに暇なの?」って思ったんですよね。逆に病みかけましたもん。「これでいいんかな? 進んでるんかな?」って。
起業した瞬間は、自分で物を進めない限り何も発生しません。忙しいプレイヤーから起業家になった岩崎さんは、その「静けさ」に戸惑ったと話します。
話は経営を長く続けるための心身の保ち方にも及びます。佐俣さんは、経営とは脳と心をいかに健康に保つかのゲームだと語り、岩崎さんも最近はそれしか考えていないと応じます。
DeNA入社後の葛藤と「社会人とは」の学び
DeNAでは、岩崎さんはいきなり人事に配属されます。人事だった経験がYOUTRUSTにつながっていると二人は振り返ります。
ただ、その配属自体はあまり手触り感のある選択ではなかったといいます。ゲーム会社に入りながら、唯一イメージが持てたのが新卒採用だったため、第一希望に一つだけ書いて出したと話します。
どの職種も全く手触り感がわかなくって、唯一興味が持てたのが新卒採用だったんで、「新卒採用」一本、第一希望一つだけ書いて出したんですよ。そしたら、当時の人事部長に呼び出されて、「お前みたいなやつは営業に行け」って言われて。「嫌や!」って言って。
新卒採用に配属されたものの、最初は死ぬほど仕事ができなかったと岩崎さんは打ち明けます。1年目から2年目に上がる査定で、年収が下げられるという経験もしたそうです。
そんな岩崎さんを拾ってくれたのが、当時のマネージャーで、現在はEVeの中村さんだといいます。岩崎さんは彼を社会人経験上1人目の師匠だと話します。
もう彼にマジで少なくとも3ヶ月ぐらいは毎日泣かされてたんです。でもありがたいことに、言ってることはすごくまともだったのと、ちゃんと愛を持ったフィードバックをズバンってくれるんで、私も心が折れるみたいなことはなかったんですよ。
毎朝泣きながら「会社行きたくない」と言いつつも会社には行き、そこで「社会人とは」を身につけていったといいます。そこからは徐々に評価されるようになったと話します。
起業のきっかけは「煽り」? フリーランスを経ての決断
その後、岩崎さんはペロリに出向します。ここでもまた面倒くさいことを起こしてしまうと、笑いながら振り返ります。
セールスのポジションと聞いてワクワクして行ったところ、初日に「やっぱ採用やってくれ」と言われます。それを嫌がって暴れた結果、中村さんの提案で綾太郎さんのもとで経営企画を担うことになりました。
実際には経営企画にとどまらず、法務やコンプライアンス、火が上がったら飛び出す役割まで担う、COO業に近い立ち回りだったといいます。
そして、この流れの延長で起業に至ります。本社に戻るよう言われたものの、スタートアップの面白さを知ってしまい、転職しようと考えたのがきっかけでした。
初めての転職活動で、岩崎さんは「なんて面倒くさいんだ」と感じます。履歴書や職務経歴書を書き、猫を被って面接を受けることに気が進まなかったといいます。
どうせ知合いはいっぱいいるしと思って、社外の友人にだけ自分が転職を考えているよと伝える方法はないものかと思ってたんですよ。なぜならば面倒くさいルートを取っ払って、「誘われたい」と思ってたんですよね。
この「信頼できるつながりから声がかかってほしい」という感覚は、のちのYOUTRUSTの発想につながっていきます。現職に迷惑がかかるため、Facebookに書くわけにもいかず悩んでいたと話します。
そんなとき、綾太郎さんと久しぶりに食事をしながら転職市場の大変さをこぼしたところ、思わぬ言葉が返ってきます。
「いやもう転職市場って大変なんすよ」みたいなことをグニグニグニグニ言ってたら、「岩崎さん、そういう時に起業ってするんだよ」って言われて。「へっ!?」みたいな。
岩崎さんは、この煽りがなければ今も会社員をしていたと思うと話します。綾太郎さんは「賢いのに、なんで起業しないの? 絶対できるよ」と乗せるのが上手だったといいます。
そもそも岩崎さんの中に、起業という選択肢はほとんど存在していなかったと明かします。
上を見たときの女性経営者が南場さんくらいしか見当たらず、「起業は男のするもの」という感覚が刷り込まれていたと振り返ります。当時結婚したばかりで、旦那さんに「早く起業しなよ」と言っていたが、結果的に逆になったと笑います。
岩崎さんは、自分が地方出身であることや、親族に「女子は資格を取らないとダメだ」と言う人がいたことにも触れます。そうした昭和的な価値観に、潜在的に刷り込まれていた感覚があると話します。
起業を決めてからは動きが早く、綾太郎さんからもう一つ重要な助言をもらいます。「フリーランスの期間はケツを切れ」というものです。
「半年以内でフリーランスを終わらせろ」って言われた。キャッシュインが増えると、フリーランスで稼げちゃうと、みんな起業をするっていうのを忘れて、そっちになっちゃうから。だいたいそこでまず半分が脱落すると。
期限が決まっていたからこそ、その日までに起業資金を貯めて会社を設立するところまで自然と定まったといいます。岩崎さんは綾太郎さんを2人目の師匠だと語ります。
30代・40代のロールモデルとして、楽しそうに生きる責任
起業して7年目という岩崎さんですが、その年数を言いたくないと打ち明けます。
7年って言いたくないんですよ。やっぱ7年でここまでしか来てないのかってやっぱ自分では思いますよね。それが悔しいから、いつもちょっとそれについてはサバ読んじゃうかもしれない。
なぜ悔しいのか。岩崎さんは、自分より強い人たちの背中を眺め続けているからだと分析します。そのため、自分の小ささや、まだ遠くに来られていないことを感じ続けるといいます。
その眺める対象の一つが、佐俣アンリさんと佐俣奈緒子さんの夫婦だと話します。少し年上で、家族としてのロールモデルになっている存在だといいます。
佐俣さんは、自身が今月40歳になることに触れ、40代の生き方について語ります。ここ数年で調子に乗ったときに奈緒子さんから厳しく諭された経験も明かします。
そのうえで、下の世代には「これでもなんとかなる」と見せ、上の世代には次の世代のルールを説明する。そんな役割を意識するようになったと話します。12年間続けてきた「メディアに出ない」という夫婦の方針をやめたのも、ロールモデル性を意識する番になったからだといいます。
二人は、パートナーと働き続けたい人、家族との関係を楽しみたい人は仲間だという感覚で共感します。自分たちが楽しそうにしていれば、下の世代も目指してよいと思えるはずだと語ります。
なんかやっぱしんどい顔してみんながやってると、次の世代の人たちが「あ、これしんどそうな人しかいない」みたいな。スタートアップっていう産業とかベンチャーキャピタルって産業が、なんか詰まんなそうな人しかいないなとか、日々辛そうだねっていうのはしたくないよね。
岩崎さんは、組織作りでも「陽か陰か」を強く意識していると話します。歴史上、人は「陽」のものに集まり「陰」のものを避けると考えているためです。
うちは人のキャリアのプラットフォームなんで、たくさんの人が集まってくれていることが価値なんですよね。人が集まるのはどっちかっていうと「陽」なんで、自分たちが陽じゃないといけないし、陽な人たちを集めないといけないし、みたいな。
まとめ
岩崎由夏さんの起業は、緻密な計画からではなく、勢いと周囲の言葉、そして「怠惰だからこそ追い込む」という自己理解の積み重ねから生まれたものでした。選択肢になかった起業にたどり着き、今は「陽」の組織作りと次世代へのロールモデルを意識しています。
- 岩崎さんは元々「ぶち上げ」型ではなく、ロジカルな環境で育った自認を持つ
- 「怠惰だからこそ限界まで追い込まないと楽しくない」という自己理解が起業にもつながっている
- 起業は自分の選択肢に入っておらず、綾太郎さんの「そういう時に起業するんだよ」という一言がきっかけだった
- 「フリーランスは半年で切る」という助言が、退路を断って会社設立へ向かう後押しになった
- 40代・先行世代として、楽しそうに生きる姿を見せること自体を責任と捉えている
