Mt.Gox事件と「価値記録」から始まった日本の規制
今回のエピソードは、暗号資産の日本史がテーマです。前回の世界史編に続き、コインチェック創業者の大塚雄介さんが国内の黎明期を語ります。
大塚さんによると、日本で暗号資産が事業として始まったのは2013年から2014年ごろです。その前史として避けて通れないのが、日本にあったMt.Goxという会社の存在でした。
Mt.Goxの破綻を受け、日本はこの問題を国として受け止め、ビットコインをどう扱うべきかを整理し始めます。当時はまだ暗号資産や仮想通貨という言葉すらありませんでした。
当時はまだ暗号資産とか仮想通貨という言葉はなかったので、当時は価値記録という言葉を使ってたんですよ。
大塚さんは、価値記録という言葉が使われた背景に、金融の枠組みに入れると金融規制がかかってしまう事情があったと説明します。あえて馴染みのない新語で「価値記録の中間報告」がまとめられました。
その議論を通じて、政府は技術としては悪くない、Mt.Goxの破綻は個社の問題だと整理します。今後は金融規制の中でやっていくべきだという方向が、国会でも話されるようになりました。
鳴かず飛ばずだった最初の2年間
規制の議論が進み、法律的にも事業ができる状態になってきた一方で、世の中の空気は正反対でした。Mt.Goxの記憶が強く残っていたからです。
世の中は(Mt.Goxがあったから)、これは怪しい事業だ、こんなビットコインなんて怪しいものをやるべきじゃないっていう風潮がものすごく強い状態になった。
コインチェックは、そうした会社の中でも一番最後に参入した形でした。すでにビットコインを売買する事業を手がける会社が何社かあったといいます。
そのため、2014年に始めた当初はユーザーもあまりつかず、鳴かず飛ばずの2年間が続きました。世界で爆発的に伸びているような状況ではなかったと大塚さんは振り返ります。
最初は僕と和田で、本当に社員雇うのも結構後になってからで、5、6人とかだったっていうのが結構2年ぐらいは続いたんですよね。
この時期のオフィスは、隣におばあちゃんが住んでいるマンションの一室のような、小さな場所だったといいます。2014年から2016年ごろの話です。
「コインチェック」の名前の由来は決済だった
意外なことに、コインチェックは当初、今のような取引所として始まったわけではありませんでした。大塚さんは、暗号資産を支払いに使える技術ではないかと最初は考えていたと明かします。
店舗のクレジットカード決済のように、ビットコイン決済を導入してもらう。そうした決済サービスとして伸ばそうとしていたのです。社名にも、その発想が反映されていました。
(暗号資産で支払いを)チェックするっていうことで、コインチェックっていう。なんとなくで決めてやってるんですね。
大塚さん自身も営業に回り、ビットコイン決済を導入してもらおうと動きました。ナシのつぶてになることも当然あったといいます。
導入されたケースもありました。ただ、一店舗ずつ回るのは効率が悪いため、すでに導入済みのサービスと連携する形をとったと語ります。
一番あったのはリクルートさんの(サービス)と連携したり(したことです)。自分たち1個1個行ってらんないから、だったらすでに入ってるところで連携しようっていう。
しかし、ユーザーのニーズは決済よりも、売買して儲けたいという方に高まっていきます。仮説通りにはいかず、コインチェックは徐々に取引所側へとシフトしていきました。
ストーリー投稿サイトから始まった凄腕メンバー
和田さんとの創業の経緯も、暗号資産とは無関係な場所から始まっています。二人はもともと、ストーリーズという全く違う事業を手がけていました。
ストーリーズは、自分の物語を書いて投稿するサイトでした。大塚さんは、今のnoteをもっとストーリーに特化させたようなものだと説明します。
その創業メンバーが、後に振り返ると凄まじい顔ぶれでした。初代社長は、現在コーラルキャピタルのGPを務めるジェームズさんです。
もう一人のエンジェルは、ゲーム「パルワールド」を作った溝部拓郎さんでした。そこに和田さんと大塚さんを加えた4人体制だったといいます。
凄まじいメンツでやってたんですね。
ジェームズさんはVCを、溝部さんはゲーム制作をやりたいと会社を離れます。仲が良かったため揉めることもなく、それぞれの意思を尊重して送り出したと大塚さんは語ります。
ストーリーズもスタートアップとしては大きく伸びず、別の事業をやろうとなります。そこで選んだのが暗号資産でした。2014年ごろのことです。
周りの反対をスルーして飛び込んだ理由
2008年にサトシ・ナカモトがビットコインを生み出してから、およそ6年後。大塚さんは前職を辞めてこの事業に飛び込みました。周囲の反応は芳しくなかったといいます。
前職の人にこの暗号資産という事業やりますって言って。あんまり大手を振って応援される感じじゃなかった。
それでも二人は前に進みました。大塚さんは、周りのアドバイスはありがたく受け取りつつも、最終的には自分で決めるという姿勢を語ります。
取引所への転換と、金融思想を持たない二人
決済から取引所へ。ビットコインの価格が上がるにつれ、買いたい人・売りたい人が増え、コインチェックはその機能開発に注力していきます。
さらに、ビットコイン以外の通貨が次々に登場します。コインチェックが国内で先んじて新しい通貨を扱うと、それを求めるユーザーが集まってきました。
当時はパソコンしかなかったため、より多くの人が使えるようにとiOSとAndroidのアプリも出します。この使いやすさへのこだわりが、二人の出自と結びついていました。
いかに多くの人が使いやすいものを作るかっていうテクノロジー発想でやってるんで、あんまりそのビットコインを思想的にもすごい信じてるっていうほど信じ込んでるわけじゃない。
大塚さんも和田さんも金融の出身ではありません。反政府的な思想でビットコインを信じるのではなく、あくまで技術の凄さを理解した上で、みんなが使いやすいものを作る会社だったと語ります。
どっぷりビットコイン過激派みたいな感じじゃなかったんですね。
思想はね、全然なく、あくまでもビジネスの一環としてやってるとこはあります。
出川さんのCMと、日本が「フューチャー」だった熱狂
コインチェックは徐々に成長し、2016年から2017年ごろに転機を迎えます。世界的にビットコインやXRPの価格が急騰し、市場全体が過熱しました。
競争が激しくなり、コインチェックも広告を大量に出します。当時の日本は暗号資産市場が世界的にも突出しており、海外の人が「日本はフューチャーだ」と語るほどの熱狂でした。
本当に当時世界中の人が日本に来て、日本はフューチャーだみたいな。もうビットコインがもう街中に広告とか出てて、すごい未来みたいな感じ。
この時期の大塚さんは、3時に寝て7時に起きる生活を毎日続け、フラフラしていたと振り返ります。テレビCMもこのころ制作されました。
出川哲朗さんを起用したCMは、スタートアップにとって初めてのテレビCMでした。大塚さんは、制作費と出稿費の大きさに恐怖を感じたと明かします。
(CMは)作るのに1億ぐらいかかって、さらに出稿数何億かかる。初めてのそのスタートアップ(にとっては怖い)。
滑ったらどうしようという不安の中、素晴らしいクリエイターと出会えたことで、CMは大成功に終わったといいます。
1人で24時間365日回した和田さんの異能
プロダクトを作っていたのは、社長の和田さんでした。大塚さんは、事業を始めた当初の二人の働き方が、そもそも変わっていたと語ります。
大塚さんは当時まだ別の会社で働いていたため、二人は朝6時に集まって次の事業を話し合っていました。ある日、和田さんが暗号資産事業をやると決めます。
そこから和田さんは1ヶ月でサービスを作り上げます。その間、大塚さんは見たこともないプロダクトのプレスリリースを、和田さんに聞きながら書いたといいます。
いや、わからん。
さらに衝撃的なのが、サービス開始後の和田さんの働き方でした。開発、システムのメンテナンス、顧客対応、入金と出金の処理を、たった一人でこなしていたのです。
和田は24時間365日、開発とサポートと入金と出金と顧客対応をっていうのを1人でやるんですよ。24時間。
2、3ヶ月して振り返ると、取引高は1億を超えていました。一人では無理だという話になり、大塚さんも会社を辞めて合流します。
和田さんは「機械言語」、大塚さんは「コンパイラー」
大塚さんは、和田さんの異能をいくつか挙げます。まず、周りからどう見られるかを全く気にしない点です。暗号資産が詐欺だと言われても動じないといいます。
この事業における和田の特徴って、まず周りからどう見られるかっていうのは全く気にしない。
次に、他社のサービスを見てリバースエンジニアリングし、そのコードを実際に書き起こせる力です。仕組みを見抜いて再現できてしまうといいます。
さらに、法律の原文を読む力もありました。読みにくい法律について、和田さんは「ハイパーリンクみたいなもの」だと言い切ったといいます。
法律ってハイパーリンクみたいなもんなんで、そんな難しくないです。
一方で、和田さんは雰囲気やコンテキストといったファジーな会話は得意ではありません。文章に書いてある通りに理解し、話すときも文章のように話すといいます。
だからこそ、大塚さんの役割が生まれます。和田さんの言葉を、多くの人に分かりやすい形へ翻訳する役割です。
リバースエンジニアリングと法律の読解に長け、ひたすら分かりやすいプロダクトを作る。文章的な理解が得意
和田さんの言葉を人間言語に翻訳し、本やポッドキャストで暗号資産を分かりやすく伝える
大人な金融マン二人ではないこのコンビが、普通の人がいかに使いやすくするかにこだわり続けました。これがプロダクトにも顧客対応にも通じる、会社のDNAになったと大塚さんは語ります。
マネックスとの統合。交わらない2つの文化のPMI
市場の拡大とともに、コインチェックは急成長します。ただ、人が成長する速度をマーケットのスピードが大きく上回り、普通ではない状況が起きていたといいます。
その後の事件を経て、コインチェックはマネックスと出会い、サービスを再開していきます。大塚さんは、事件そのものについては立場上詳しく語れないとしています。
マネックス傘下になる意味は二つあったと大塚さんは説明します。事業規模が大きくなり社会的にも認められる中で、会社が「大人にならなければいけない」というものです。
もう一つが、テクノロジー出身の若いカルチャーと、金融の会社との融合です。この統合は、俗にいうPMIそのものでした。
金融のレギュレーションを守り、メールと会議を中心に働く大人たち。かたや、Slack中心で会議は意味がないと考える人たち。交わりにくい二つの文化を、なんとかまとめる仕事でした。
出身が違う人たちが同じ家に住むみたいな話。
ただ大塚さんは、これは買収とは関係なく、会社の規模的にもそうならなければいけなかったことだと補足します。ベンチャーのままいたい人もいて、様々な人間ドラマがあったと語ります。
三重苦を乗り越えたニューヨーク上場
そして一昨年12月、コインチェックはニューヨークで上場を果たします。大塚さんは、これはファウンダーの力によるものだと語ります。
SPACという手法で、しかも暗号資産という難しさが重なり、大塚さんは「三重苦」と表現します。難易度の高いやり方をやりきったのは、リーダーシップの成果でした。
松本さんというファウンダーがやるんだと決めて、リーダーシップを発揮してやっていかないと、こんな大勝負はできないし、どっかでやっぱやめようよなるところをやりきった。
実務を担ったCFOチームの奮闘も大きかったといいます。できるかできないか分からない中を、最後は眠る間もない状態で前に進めていったと大塚さんは振り返ります。
一方で、上場は終わりではなく始まりだと大塚さんは強調します。特にニューヨークの市場は強い成長を求められるため、ほっとしたのは一日ほどだったといいます。
ほっとしたのは本当に1日ぐらいですね。次からもうまた新しい違うゲームの戦いが始まった。
自分事から「次の世代の勇気」へ。10年の到達点
10年ほどの道のりを振り返り、大塚さんは印象的な心境の変化を語ります。二人で始めた事業が急成長し、その後の事件で大きく落ち込んだときの思いです。
そこで諦めれば終わりでした。しかし、会社を立て直しそれ以上に成長して上場すれば、次の世代の勇気になるのではないかと考えたといいます。
大塚さんは、ソニーやGMOの熊谷さんのように、大変な状況を糧により大きくなっていく先人たちのストーリーを念頭に置いていました。同じようなストーリーを作らなければ、という思いです。
コインチェックを成功させてから、自分事だけではなくなってきた。大塚さんは、この事業を通じてそうした感覚を体験できたと語ります。
最後に大塚さんは、暗号資産もAIもまだまだ可能性があると話します。特に若い人がチャレンジすれば、圧倒的な成長率が見込めるのではないかと語りました。
暗号資産市場はまだ20年ほど。この先はステーブルコインやAIとの結びつきなど、大きな可能性があると大塚さんは見ています。自分に見えている近未来を、このポッドキャストで伝えていきたいと締めくくりました。
まとめ
コインチェックの黎明期は、Mt.Gox後の逆風の中で決済サービスとして始まり、ユーザーのニーズに合わせて取引所へ転換し、やがてニューヨーク上場に至る激動の道のりでした。使いやすさへのこだわりと、二人の創業者の異なる才能が、その原動力になっていました。
- 日本の規制は、Mt.Gox破綻を受けて「価値記録」という新語から議論が始まった
- コインチェックは当初、取引所ではなくビットコイン決済サービスとして始まった。社名もそこに由来する
- 和田さんはサービスを1ヶ月で作り、開発から顧客対応までを一人で24時間回していた
- 大塚さんは和田さんの言葉を「人間言語にコンパイルする」役割を担い、使いやすさが会社のDNAになった
- SPACと暗号資産という三重苦を乗り越えたニューヨーク上場は、次の世代の勇気になるという思いに支えられていた



