FTXにカストディを預けていたAlpacaが直面した「引き出し」の攻防
後編の冒頭で話題になったのは、証券APIを提供してきたAlpacaが、いつクリプト系の取引所や企業とつながるようになったのかという点です。原田さんは、そうした流れを事前に読めていたわけではないと振り返ります。
やっぱりここも読めてたかっていうと全然読めてないですから。
Alpacaがビットコインやイーサリアムを取引できる機能をローンチしたのは2021年ごろでした。証券だけを扱っていた同じAPIに、クリプトを足そうという発想からのスタートだったといいます。
ビットコインとかイーサリアムをトレードできるっていうのを、やっぱり同じAPI(で)できるよっていうのを、それまで証券しかやってなかったのをクリプト足そうよつって足した。
スモールスタートのため、すべてを自前でやらず取り次ぎのブローカーを探した結果、見つかったのがFTX USでした。ちょうどFTX側もホワイトラベルの提供を検討しており、注文の取り次ぎとカストディを任せる仕組みになっていたと説明します。
結果として、Alpacaは破綻したFTXにカストディを預けていたことになります。大塚さんは、その後の顛末を知る立場から思わず声を上げます。
この後の未来を知ってる自分たちは。やばいね。
そう、今だったらやめとけって。
FTXのグローバルが突然破綻した一方で、FTX USには数日の猶予があったといいます。原田さんたちがサイトを確認すると、引き出し停止の予告バナーが表示されていました。
(FTX USのサイトに)綺麗にバナーが出てて、2日後の何時に引き出せなくなります。
預けていたのは自分たちの資産ではなく顧客資産です。原田さんたちは、上限額の制約の中で手動での引き出しを繰り返しました。
やばいと思って。みんなで一生懸命引き出しを始めるんですよ。手動で。
当時の預け入れ額はトータルで数百万から1000万ドルに届かないほど。事業規模からすれば大きな金額で、失えば自力でカバーできない水準でした。全シャットダウンの直前に、ギリギリで全額の引き出しを終えたといいます。
クリプトの冬でも撤退しなかった理由と、そこで得た「両方持つ」強み
Alpacaがクリプトを本格的に始めたのは2022年で、その直後にクリプトウィンターに突入します。証券事業もある中で、ボードからは事業の継続を疑問視する声が上がっていたと明かします。
もう散々そのボードからもお前らいつまでそれやんの?みたいな。
それでも撤退しなかった理由として、原田さんはミッションを挙げます。グローバルな金融プラットフォームを作るには、ブロックチェーンが必要だと感じていたためです。
事業を継続したことで、基本的なスタックは整い、ステーブルコインも扱えるようになっていました。そこへ、伝統金融側ではないクリプトネイティブな顧客が次々と訪れるようになったといいます。
(顧客が)ステーブルコインでテスラの株買います。ステーブルコインで払いたいですみたいな。
証券のプラットフォームは他にもありますが、それらは完全に伝統金融側でした。ステーブルコインで株を買い、決済まで通せるブローカーは他になく、証券とクリプトの両方を持つAlpacaだからこそ対応できたと説明します。
うちは両方持ってるんでできますよって。
もっとも、撤退を考えなかったわけではありません。人員のレイオフも進む中で、限られたランウェイをクリプトに割くことへの疑問は当然あったと認めます。
(人も)レイオフしてるのに。コストどうやって、ランウェイがこんぐらいしかないのに、何やってんのこれでみたいな。
最終的に事業を続けられたのは、ファウンダーの直感を尊重するボードの存在が大きかったといいます。異論は率直に述べつつも、決めるのは経営陣だという姿勢だったと語ります。
お前なんでそんなことまだやってんのか言うんだけど、まあ最終的には別にお前ら決めようでしょっていう。
ボードに流されないためのマネジメント術
話題はボードのマネジメントに移ります。Alpacaのボードは、投資家4人と創業者2人の計6人。原田さんは、これをマネージするだけで解説本が売られているほど難しいテーマだといいます。
ボードをマネージするだけの(ことが書いてある)本は売ってますからね。
西山さんが具体的なコツを尋ねると、原田さんはまず「ボードに流されないこと」を挙げました。会社経営の経験がなかった当初は、賢そうな人たちの助言に流されそうになったと振り返ります。
すごいやっぱり賢そうな人たちが賢そうなことを言ってくるんで、そうなのかなって思っちゃうじゃないですか。
ただし助言を無視するわけではありません。フィードバックは真摯に受け止めつつも、最後はミッションに立ち返る姿勢を強調します。
それはもちろんこう真摯に受け止め、フィードバックを取り入れつつも、(撤退しなかった)クリプトじゃないですけど、だってこれがミッションだから。
関係性を築くことも大切だといいますが、原田さんはドバイ在住で、米国のボードと飲み会を重ねられる環境ではありません。それでもメッセージのやり取りや別件での協力を通じて関係を保っていると話します。
大塚さんは、教科書的なボードマネジメントの原則として、大きな話ほど先に共有し、サプライズを減らすことの重要性を補足しました。
クリプトとノークリプトの境界が消えていく戦略
原田さんは、いまやクリプトと従来のブローカレージの間に境界線はないと語ります。Alpacaの去年から今年の戦略は、その名も「クリプト、ノークリプトストラテジー」だと明かします。
これまでは意味合いが違うため別々の人間が担当していたクリプトとブローカレージを、コンセプトごと一つにまとめ、オペレーションも統合したといいます。
象徴的なのが、株をステーブルコインで買うケースです。規模の大きい決済ではOTCデスクを通しますが、そこで生じるフィーが株の売上なのかクリプトの売上なのか、もはや切り分けにくくなっていると説明します。
そのフィーは一体株の売上なの?それともクリプトの売上なの?
この融合は世の中全体の流れでもあると原田さんは見ています。WebXのようなイベントでも、伝統金融とクリプトの双方が互いの領域を学ぼうとしていると指摘します。
伝統金融の人たちがトークンやらなきゃって言ってるし、クリプトの人たちは伝統金融のことを理解しなきゃって言ってる。
紙から電子、そしてオンチェーンへ。数十年に一度のアップグレード
トークン化とは何かという問いに対し、原田さんは「金融市場の何十年かに一度のアップグレードのタイミング」だと表現します。証券の歴史をたどりながら、その位置づけを説明しました。
原田さんによると、証券は1970年代まで紙で管理されていました。市場の取引も、資産の保管も、物理的な紙が前提だった時代です。
その名残は今も残っています。米国のクリアリングハウスでは、デジタル化された口座を今でも「DTCボックス」と呼ぶそうです。原田さんが業界歴の長い人に由来を尋ねると、昔そこに実物の株券を保管する箱があったからだと教えられたといいます。
なんでこれDTCボックスなの?ってその業界長いおじさんに聞いたら、昔はここに箱があって。
その紙の時代から、IBMなどのコンピューターの発展でデータベース化され、電子化が進みました。そして2020年代に入り、個別の会社に属していたデータを、今度はオンチェーンへ移していく段階に来ている、というのが原田さんの見立てです。
大塚さんも、この見立てに強く共感します。事業を営むタイミングは自分では選べないからこそ、いま自分たちがどの局面にいるのかを客観的に見るべきだと語ります。
大塚さんは、AIに話題が集まる今、トークンのライセンスに取り組む人はほとんどいないと指摘し、数十年に一度のタイミングだからこそ大きなチャンスだと述べました。
原田さんは、電気自動車や自動運転の普及を10年20年早めたテスラを引き合いに、Alpacaもそうした存在でありたいと語ります。大塚さんも、コインチェックがなければ日本のクリプト普及は遅れていたはずだと重ね、クリプト取引所として12年やってきた先に、トークン化という本丸が待っていると応じました。
なぜトークン化するのか。「困っていない日本」への視点の転換
日本と海外のギャップについて西山さんが尋ねると、原田さんは、そもそも「日本と海外」という括り自体に違和感があると答えます。日本が特別に遅れているとは思わないという見方です。
むしろ日本では、伝統金融の人たちと話すとトークン化の必要性に疑問符が浮かぶ人が多いといいます。フラクショナル取引や24時間取引といったメリットを挙げても、日本人が日本人にサービスを提供する場面では、それほど困っていないからです。
そもそも課題を感じてない。
原田さんは、これは米国も同じだと指摘します。米国株はすでにフラクショナル取引も24時間取引も可能で、決済も速く、国内では特に困っていないというのです。
そのうえで原田さんは、トークン化の価値は「外」にあると強調します。今までアクセスがなかった人や、クリプトネイティブに生きる人たちにこそ刺さっているのが実態だといいます。
日本株に今までアクセスがない人がもっとアクセスできるようになるよっていう方が絶対(に価値がある)。
大塚さんは、時価総額が上がっている日本の銀行株を例に挙げ、それを米国の人が買えるようになれば、日本にリスクマネーが入り、日本経済にとってもよいはずだと同意します。
ステーブルコインが刺さる「外」のリアルとJPYCの可能性
原田さんは、ステーブルコインの本当のユースケースも同じく「外」にあると語り、自身が訪れたナイジェリアの例を挙げます。現地通貨ナイラが使いづらく、人々はドルに替えて保有したがっていたといいます。
以前は道端のFXマーチャントを通じてドル紙幣に替えていましたが、紙幣のままでは使い勝手が悪い。そこにバイナンスのP2P取引が登場し、ナイラを入れればUSDTが返ってくる仕組みが広がったと説明します。
(USDTになると)ガーナに送ろうとかできるように(送金が)やりやすくなる。
原田さんは、これはアメリカドルでありながらアメリカの外の話だと指摘します。自身も米国内でステーブルコインで決済したことはなく、キラーアプリはこうした「外」に生まれるだろうと見ています。
実際僕もだってアメリカ国内でステーブルコインで決済したことないですからね。
この文脈で大塚さんはJPYCの可能性に触れます。原田さんも、日本円のステーブルコインのユースケースは、日本に出入りするお金の流れの中で活用できるかどうかに求めるべきだと応じました。
日本株はもともと日本円で決済されるため、その決済にJPY系のステーブルコインを使う流れになりやすいと原田さんは述べます。大塚さんも、発想を外に向け、少しやりにくい端の部分から可能性を広げていく姿勢が重要だとまとめました。
アメリカのコンテキストしか見えない優秀な人と、ドバイの誤解
大塚さんが「発想を外に向ける」ことの難しさに触れると、原田さんは、アメリカで証券ビジネスをしてきた人ほど、アメリカのコンテキストでしか物事を見ない傾向があると語ります。
アメリカのウォールストリートでずっと30年やってきましたみたいな人は、なかなか発想を転換するのが難しい。
その例として原田さんが挙げたのは、チームのオンサイト開催地を検討したときのエピソードです。Alpacaはチームが世界中に散っているため、集まる場所を地球上のどこからでも選ぶといいます。
ロビンフッド出身でハーバードも出た優秀なプロダクトマネージャーの女性に、開催地候補のドバイについて意見を求めたところ、返ってきたのは食事への不安でした。
いいと思うけど、(ドバイの)ご飯って大丈夫?とか言って。
原田さんの推測では、彼女の頭の中でドバイはアラブの国であり、豚肉もなく酒も飲めない場所というイメージだったのではないかといいます。だからこそ、あえてドバイで開催して実際を見せた方がいいと考えたと語ります。
このエピソードを受けて大塚さんは、日本人が抱きがちな劣等感に話をつなげます。日本は遅れている、テックで負けているという感覚が強すぎるのではないかという問題提起です。
大塚さんは、法律の状況もそれほど変わらずオントレンドで進んでいるのに、日本は常に遅れているという感覚に縛られすぎていると指摘します。原田さんも、その見方に同意しました。
オープンソースの原体験。PostgreSQLに機能を実装した若造時代
西山さんが、原田さんがもともとやっていたというオープンソース活動について尋ねます。原田さんは、日本で最初に就いた仕事にさかのぼって語り始めました。
新宿のベンチャーにエンジニアとしてジョインし、旅行系の検索エンジンを作る中で、PostgreSQLというデータベースを使い込んでいたといいます。当時はバージョン8.0ほどの頃でした。
オープンソースなので中身が見られます。最適化のためにコードを読み始めた原田さんは、コミュニティのフラットさに触れ、少しずつメーリングリストで発言するようになったと振り返ります。
僕みたいな、世界の果てにいる若造がなんか発言しても別に何か怒られない感じだった。
そんな中、SQLの標準仕様にはあるのにPostgreSQLにまだ実装されていない機能が話題になります。オラクルにはあった「ウィンドウ関数」でした。誰か実装しないかという呼びかけに、原田さんが手を挙げて作ってしまったといいます。
(ウィンドウ関数を)ちょっとやってみますってやったらできちゃった。
作ったパッチは本体に取り込まれました。これがオープンソースへの貢献の最初だったと語ります。仕事をしながら隙間時間で取り組んでいたそうで、当時から働くこと自体が好きだったといいます。
当時から僕は働くの好きだったんで、午前2時は最低やってましたね、会社で。
Web2.0のAPIカルチャーと、世界とつながる感覚
話は原田さんの世代を象徴するWeb2.0の時代へと広がります。2006、7年ごろ、大塚さんが名前を挙げた梅田望夫さんの著作を読んで育った世代だと原田さんは語ります。
当時、はてなやサイボウズの人たちが、公開されたAPIを組み合わせる「マッシュアップ」を日常的に楽しんでいたといいます。二人はそのカルチャーを「インターネット老人会」「懐メロ」と呼び合いながら振り返ります。
原田さんは、もともとAPIはWindowsのAPIのように単体の技術を指す言葉だったと説明します。それがインターネットの登場で、GoogleマップやAmazonの商品リストのAPIが無料で叩けるようになった衝撃を語ります。
フリーで使えるの?なんかちょっとなんかREST叩いたらなんかXML叩いて出てくるの?みたいな。
FlickrのAPIから写真共有の新機能を作ったり、ニコニコ動画がYouTubeの動画にコメント機能を重ねる形で始まったりと、皆が何かを作る空気があったといいます。原田さん自身も変わったものを作り、大阪のローカル局に取り上げられてサーバーが落ちた経験があると笑います。
原田さんが特に印象的だったと語るのが、実装したウィンドウ関数がリリースされたときの反応です。自分のことなど知らない、インドネシアあたりの学生がTwitterで便利さを称賛していたといいます。
この「開発するコミュニティはそういうものだ」という感覚が、原田さんの根っこにあります。そしてこれは、ウォールストリートでのキャリアが長い共同創業者にとっては、むしろ憧れの対象なのだといいます。
(共同創業者のキャリアは)ただのパイの取り合いのビジネス。
証券のキャリアの対極にある、何者でもないものが生まれるインターネットの世界。共同創業者はそこにセクシーさを感じ、原田さん以上にそのカルチャーを大事にしたがっていると語られました。
インターネットは真面目になった。それでも新しい扉は開いている
大塚さんは、昔と比べて今のインターネットは「すごくちゃんとしてしまった」と感じています。APIがあれば面白がって作る、そんな遊び心が溢れていた時代を懐かしみます。
マッシュアップという言葉は、もともと音楽で異なる曲を混ぜ合わせる発想と同じだと大塚さんは説明します。AIの登場でそうした組み合わせはやりやすくなった一方、全体として真面目になったと振り返ります。
西山さんが世代のギャップから疎外感を口にすると、大塚さんは自身の感覚を語ります。かつては、インターネットの面白い時代はもう終わったと思っていたといいます。
明治維新の時に生まれなかったみたいな感じを持ったりとか、インターネットのもうちょっと前の世代が終わっちゃったと思ってた。
しかし実際には、その後もポッドキャストのような新しい時代が続いてきました。そしてAIという新しい扉も開かれていると、二人は前向きに話します。
むしろ新しい扉が開かれた感ありますよね。
20年後には、今のチャットGPTを懐かしむ日が来るだろうと二人は笑い合い、原田さんへのインタビューは締めくくられました。
まとめ
FTX破綻の危機を手動の引き出しで乗り越え、クリプトの冬にも撤退しなかったAlpaca。その根底には、金融のトークン化を数十年に一度のアップグレードと捉え、伝統金融とクリプトの融合の真ん中に立とうとするミッションがありました。そして、その発想の原点にはオープンソースやWeb2.0のカルチャーがあることが語られました。
- AlpacaはFTX USにカストディを預けており、破綻直前に手動でギリギリ全額を引き出した
- クリプトの冬にも撤退せず、証券とクリプトの両方を持つ強みを得て、境界のない「クリプト、ノークリプトストラテジー」へ進んだ
- トークン化は、紙から電子、そしてオンチェーンへという金融市場の数十年に一度のアップグレードと位置づけられる
- トークン化やステーブルコインの価値は、国内より「外」、これまでアクセスがなかった人へのボーダレスな金融アクセスにある
- 日本が特別に遅れているわけではなく、発想を外に向けられるかどうかが分かれ目になる




