今は第4次AIブーム?知らない間に3回終わっていた歴史
この回のテーマは「AIの歴史を学ぼう。AIブームはなぜ2度も終焉したのか」です。しぶちょーさんによると、生成AIが流行している現在は「第4次AIブーム」と呼ばれています。
しぶちょーさんの説明では、少し前まで第3次AIブームが来ていて、このブームは終わらずに定着しそうだという雰囲気でした。そこにChatGPTをはじめとする生成AIがかぶさるように登場し、さらに突き抜けた状態が第4次とされています。
その知らん間に(第)1から3まで終わってた感じ。
第3次の前には、第1次と第2次のAIブームがありました。しぶちょーさんは、この回を「もう歴史のお話」だとしたうえで、ある格言を紹介します。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と。
この言葉は19世紀のドイツの政治家、ビスマルク ── オットー・フォン・ビスマルク。19世紀のプロイセン・ドイツ帝国の政治家で、ドイツ統一を主導した「鉄血宰相」として知られますの名言として紹介されました。AIブームが起きては終わった流れを学び、今の生成AIの時代がどうなるかを考えよう、というのがこの回の狙いです。
かねりんさんは「もう突き抜けちゃってる気はする」と返しますが、しぶちょーさんは抽象的に考えれば共通点があるはずだと話します。あわせて、AIの歴史はG検定 ── 日本ディープラーニング協会が実施する、AI・ディープラーニングの基礎知識を問う検定。ビジネスでAIを活用する人向けの資格ですの試験範囲でもあり、試験対策になるかもしれない回だと紹介されています。
「機械は思考できるのか」チューリングが投げた問い
AIという概念の始まりは1950年代にさかのぼります。しぶちょーさんによると、当時はネットもなく、コンピューターが出てきたばかりの時代でした。
そのころ、チューリング ── アラン・チューリング。イギリスの数学者で、計算の理論的モデル「チューリングマシン」を考案し、コンピューター科学の父の一人とされますは世界に対して「機械は思考できるのか」という哲学的な問いを投げかけました。
チューリングの問いが難しいのは、「思考とは何か」を考え始めると、どんどん哲学的な話になっていく点です。しぶちょーさんは、チューリングの偉いところは、そういう哲学的な悩みに陥らないように思考実験を用意したことだと話します。
思考とは何かを考えずに、こういう状態だったら機械(が)思考を持ったって言えるよねっていうテストを考案するのね。
これがチューリングテストです。かねりんさんは「定義を決める感じ?」と受け止め、しぶちょーさんもそうだと答えています。
人間を騙せたら知能と言えるのか?チューリングテストの仕組み
しぶちょーさんが説明したチューリングテストの設定は、壁で仕切られたAとBの部屋を使うものです。どちらかにコンピューター、どちらかに人間がいて、判定者はモニターとキーボードで文字のやりとりをします。
判定者がやりとりを通して、どちらが人間かを正しく見抜けなかった場合、その機械は思考している、知的であると見なせるのではないか。これがチューリングテストという思考実験です。
人間が騙されたらってこと?要は。
しぶちょーさんは、チューリングテストのポイントを、思考という難しい概念を概念として考えず、単純なアウトプットだけで定義したことだと整理します。それまでは「機械には魂がないから、計算はできても思考はできない」という哲学的な問いでした。
チューリングはもう中身どうあれ、人間がその人間だと思ってしまうんだったら、もうそれは思考してるだろうと。
かねりんさんは「人が基準になってんだ」「わかりやすい基準」と反応します。しぶちょーさんによると、「それは思考じゃない」という反論も多く受けましたが、1950年代にこの問いはさまざまに議論されていきました。
1956年のダートマス会議でAIという言葉が生まれる
チューリングの問いが一歩進んだのが、1956年に行われたダートマス会議 ── 1956年にアメリカのダートマス大学で開かれた研究会。人工知能研究の出発点とされ、AI史の教科書で必ず登場しますです。しぶちょーさんは、AIの分野で「めっちゃ出てくる」と話し、かねりんさんも資格試験の教科書の最初の10ページほどで読んだと応じます。
しぶちょーさんによると、ダートマス会議は会議という名前ですが、研究者が集まって2ヶ月ほどみんなで作ろうぜという合宿のようなワークショップでした。この場で初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉が誕生しました。
実はチューリング本人はダートマス会議に参加していません。1954年に亡くなっていたためです。ただ、チューリングの問いに影響を受けた人や、チューリングと一緒に研究していた人が、この会議に参加していました。
かっけえな、その問い残して死ぬの。
かねりんさんは最近、何をしてから死ぬか、何を残したいかを考えるといいます。問いを残して亡くなった後、その問いをもとにAIが走り始めたというチューリングの話に、強く心を動かされた様子です。
その問いから始まった、哲学的な問いから始まった学問が、そこで一個形、AIっていう形になって、みんなそれを追求していこうっていう(のが始まりなの)。
かねりんさんが「自分も問いをまき散らせばいいのか」と冗談を言うと、しぶちょーさんは「AIで生成しながら」というのは打算的すぎると笑います。かねりんさんは、問いが意味を持つにはその人の生き方や文脈が大事だと話し、しぶちょーさんも、チューリングが思考実験まで作って追求したからこそ周りが影響を受けたと応じました。
第1次AIブームは「推論と探索」の力技
しぶちょーさんによると、人間だと思えるようなものを当時のコンピューターで作ってみようという流れが、第1次AIブームの始まりです。当時のコンピューターは、今のパソコンとは似て非なる計算機でした。
第1次AIブームは「推論と探索の時代」と呼ばれます。今の生成AIの印象とは違い、この時代のAIは極めてチープで、人間が作ったルールやアルゴリズムで問題を解く、シンプルな力技でした。
しぶちょーさんは、アルゴリズムを「これをした後にこれをする、という順番で物事を解いていくと、この問題が解けるという手順」と説明します。かねりんさんは「数学の公式みたいなもん」と受け止めました。
当時の発想は、賢い解き方をプログラムとしてたくさん記述していけば、人間の知性に近づき、AIが作れるだろうという単純なものでした。
それでも、第1次AIブームのAIは実際にいろいろなことができました。数学の定理の証明、ボードゲーム、迷路の脱出などです。手順が決まっている問題は自動で解けるようになり、AIは注目を浴びていきます。
世界初のチャットボットELIZAと「イライザ効果」
第1次AIブームで最も特徴的で、ブームに火をつけたきっかけがELIZA ── 1966年ごろに開発された、世界初とされるチャットボット。入力された単語に応じて定型文を返す、ルールベースの仕組みで動いていましたです。しぶちょーさんは「テストにも出ます」と強調します。
しぶちょーさんによると、ELIZAはチャットで人と会話ができるAIでしたが、中身はパターンマッチングの極みで、基本はオウム返しでした。実際には会話などしていなかったといいます。
ELIZAのルールの例として、しぶちょーさんは次のようなものを挙げます。文章に「母」や「父」があれば家族について尋ね、「私は〜だ」とあれば「いつからですか」と時間を聞き、該当する単語がなければ「なるほど、続けてください」と相槌を打つ、というものです。
会話に一見なってるようで全然なってないのね。理解してない。ただ来た言葉を返す。
ところが、ELIZAは予想に反して、相手を人だと思い込む人を大勢生みました。話を聞いてくれている、自分を理解してくれていると思い込む人が続出したのです。
秘書に使わせてたら、この仕組みは素晴らしいと。先生、ちょっとイライザに私(が)プライベートなことを相談したいので、ちょっと部屋を出て行ってくださいっていう人がいたほど。
かねりんさんは「今のチャッピーみたいなもんじゃん」と反応します。しぶちょーさんは、人間は相手が人間らしい振る舞いを少しでも見せると、勝手に心や知能を見出してしまうと説明し、この心理現象がELIZAの名前から「イライザ効果」と呼ばれるようになったと話しました。
しぶちょーさんによると、ELIZAは中身がまったくないのに、人を騙せたという意味でチューリングテストに成功してしまいました。見せかけの知性でも人は騙されることも証明してしまったといいます。
1958年からいた「AI驚き屋」
ELIZAの成功で、AIへの期待は一気に高まりました。ルールをもっと記述しまくれば、世の中のすべての問題に対応できるだろうという楽観主義で、世界はAIに熱狂していきます。
しぶちょーさんによると、第1次AIブームの研究者は楽観的な予想をどんどん発表しました。1960年には「20年後の1980年には、あらゆる機械が人間の代わりに仕事ができるようになる」と予想した学者がいたといいます。1970年代にも「3年から8年以内にAIが一般的な人間の知能を持つ」という声があったと紹介されました。
かねりんさんが「昔の人は頭悪かったんだ」と言うと、しぶちょーさんは「それだけ期待されてたってこと」だと返します。背景には政治的な事情もありました。
期待を高めれば高まるほど、あの研究費が出るのよ。
しぶちょーさんの説明では、国や軍は軍事産業にもAIを使いたかったため、期待できる話をすれば助成金が出ました。研究者も話を盛り、メディアも熱狂して過大にアピールしていきました。
ここで俺は思うんだけど、ここで世界初のAI驚き屋さんができたと思うね。
しぶちょーさんによると、民衆は驚くような記事を読むために雑誌を買うので、メディアはとにかく「これはすごい、未来が変わる」と驚いてみせました。かねりんさんは「インプレッション稼ぎと一緒じゃん」と応じます。
しぶちょーさんは、1958年のニューヨーク・タイムズ ── アメリカを代表する日刊新聞。1851年創刊で、世界的に影響力のある報道機関の一つですに、AIがもうすぐ意識を持つだろうという、能力を誇張した表現が載っていたと紹介します。かねりんさんはこれを「ニューヨーク驚き屋さんタイムズ」と呼びました。
おもちゃの問題しか解けない。第1次ブームの終焉
熱狂の一方で、第1次AIブームは見るも無残に終わっていきます。しぶちょーさんは、AIという言葉すら言ってはいけないほどの雰囲気になったと話します。
原因は、ルールをどれだけ書いても、現実の問題は複雑すぎて解けないという、しぶちょーさんいわく「至極当たり前のこと」でした。迷路やゲームは解けても、経営の問題や社会問題はどう解かせればいいかわかりません。
しぶちょーさんは、枠の中に入った簡単な問題しか解けないことをトイプログラム ── 「おもちゃの問題」とも呼ばれる、条件が単純化された問題のこと。第1次AIブームのAIが現実の複雑な問題に対応できなかったことを表す言葉ですと表現します。「AIっておもちゃじゃん」という評価が露呈し、お金を出しても意味がないと気づかれてしまいました。
かねりんさんは「その時に落ち着き屋さんはいなかったのね」と問いかけます。しぶちょーさんは、冷静に無理だと言う人はいたと思うが、研究費を求める声に隠れ、止められなかったのだろうと推測します。落ち着いてくださいと言っても目立たない、という話にかねりんさんは「なかったことになるじゃん」と頭を抱えました。
驚きムーブの結果、実態が明らかになると研究費はピタッと止まりました。研究者はAIをやっていると恥ずかしくて言えない時代になったといいます。
かねりんさんは、この状況をWeb3やNFTの熱狂が冷めた後の雰囲気にたとえます。しぶちょーさんも、「まだそれの話してんの?」という空気と同じことが第1次AIブームで起きたと同意し、ハイプサイクル ── 調査会社ガートナーが提唱した、新技術への期待の変化を表す曲線。過度な期待のピークの後に「幻滅期」が来るとされますの幻滅期に入ったと説明しました。
しぶちょーさんによると、アメリカは軍事、特に暗号解読にAIを使いたいと考えていました。しかし、ELIZAのようなルールしか作れず解読もできなかったため、政府からの支援もバッサリ切られました。
言葉の難しさの例として、しぶちょーさんは「カネリンは首を長くして待ってたんだよ」という表現を挙げます。当時のAIは慣用句を理解できず、首が本当に伸びていると解釈してしまうような、1つの意味しか取れない仕組みでした。笑えない翻訳ミスが多く、機械翻訳も失敗しました。
さらに、脳の回路を模したパーセプトロン ── 1950年代に考案された、ニューラルネットワークの原型となるモデル。単純な構造では解けない問題があると指摘され、研究が一時停滞しましたも、単純な問題しか解けないとして未来がないと烙印を押されました。1970年ごろには、AIブームはすっかり消えていったといいます。
熱狂
ELIZAの成功と研究者・メディアの楽観的な発表
期待の過熱
研究費を得るために話が盛られる
現実の壁
おもちゃの問題しか解けず、暗号解読や機械翻訳も失敗
終焉
政府の支援が打ち切られ、AIを語ることが恥ずかしい雰囲気に
第2次ブームは「知識こそ力なり」
第1次ブームが終わって数年後、1970年代の少し後から第2次AIブームが来ます。研究者たちはAIに可能性を感じ続けており、なぜ失敗したのかを考えました。
しぶちょーさんによると、研究者たちが気づいたのは、考える力を与えても、AIの中に知識がなく空っぽだったから何もできなかったのではないか、ということでした。人間の思考力はIQではなく、どれだけものを知っているかという知識量がものを言う、という発想です。
Knowledge is powerっていうね、もう知識こそパワーみたいな、そういうスローガンで第2次AIブームというのが始まってくる。
人間のような考え方(アルゴリズム)をたくさん記述すれば知能になる
知識を入れれば知能になる。知識こそ力なり
第2次ブームを代表するのがエキスパートシステム ── 専門家の知識をルールとしてコンピューターに組み込み、専門的な判断を代行させる仕組み。1970〜80年代に医療診断などで盛んに研究されましたです。まず入れられたのは、医者のような専門家の知識でした。
しぶちょーさんによると、専門家のノウハウをルールとして入れたエキスパートシステムは、かなり高い精度で病気を判定できるようになりました。かねりんさんは思わず「医者いらないじゃん」と反応します。
ただし、今の生成AIのように自由に相談できるわけではありません。熱があるかをイエス・ノーで答え、何度か、どこが痛いか、血液の数値はいくつかと答えていくと病名が出る、しぶちょーさんいわく「病気版のアキネーター ── 質問に「はい」「いいえ」などで答えていくと、思い浮かべた人物やキャラクターを当てるWebゲーム」でした。
仕組みはIF文による分岐です。医者だけでなく、法律家や会計士など、さまざまなエキスパートの判断を記述できれば、第1次の轍を踏まずに人間のようなものが作れると期待されました。
手入力の限界とフレーム問題。再び冬の時代へ
医者と同じくらいの確率で病気を判定できるとして、第2次AIブームでも驚き屋さんが多く現れました。しかし、ここでも「至極当たり前のこと」が起こります。
しぶちょーさんが挙げた理由の1つ目は、暗黙知 ── 言葉にして説明するのが難しい、経験や感覚に基づく知識。職人の勘や、医師の触診の感覚などが例として挙げられますです。触診の感覚や職人の勘など、専門家の知識には言語化できないものが多く、ルールとして記述できませんでした。
2つ目は「管理の地獄」です。質問ごとに分岐すると膨大な数になり、実際の知識を入れると数千、数万のルールになります。ルール同士が矛盾することもあり、保守やメンテナンスのコストがかかりすぎました。
これAIでこうやっていっぱいシステム作るより、これお医者さんに直接聞いて判断してもらう方が早くて安いわっていう風になってしまう。
3つ目は、エキスパートシステムが専門的な知識にしか対応できないことです。しぶちょーさんは、AIの究極の目標は何でも答えられる汎用知能だと説明したうえで、ルールに書かれていないことは判断できないと話します。
これがフレーム問題 ── 限られた枠の中では機能するAIが、現実世界では考慮すべきことが無限にあるため、何が関係するかを判断できず動けなくなるという問題です。医者としてこの病気を判断する、という枠があれば機能しますが、オープンワールドに置かれると判断すべきものが多すぎて動けなくなってしまいます。
暗黙知
言葉にできない専門家の感覚をルール化できない
管理の地獄
数千、数万のルールが矛盾し、保守コストが膨らむ
フレーム問題
ルールに書かれていない専門外のことを判断できない
冬の時代
人間に聞いた方が早くて安いとなり、ブームが下火に
40年手入力を続ける「サイクプロジェクト」の執念
第2次AIブームは冬の時代に入りますが、しぶちょーさんは、この時代に生まれた「パワーの産物」があると紹介します。それがサイクプロジェクト ── 1984年に始まった、一般常識をコンピューターに手作業で入力し続けるAIプロジェクト。英語では「Cyc」と表記されますです。
エキスパートシステムは労力と時間がかかりすぎて断念されましたが、逆に労力と時間をかければいけるのではないかと考えた人がいました。百科事典やあらゆる一般常識をIFとthenで入力すれば、人間と同等の推論能力が持てるだろうという発想です。
いや、それ(挫折したの)は気合いが足りなかったからだと。
しぶちょーさんによると、サイクプロジェクトは1984年に始まり、今も続いています。かねりんさんはサグラダ・ファミリア ── スペイン・バルセロナにあるガウディ設計の教会。1882年の着工以来、建設が続いていることで知られますのようだとたとえ、生成AIの時代になっても戦い続ける様子を「生き残りの日本兵みたい」と表現しました。
しぶちょーさんは、サイクプロジェクトが今の生成AIと真逆のアプローチである点を面白いと話します。今の機械学習はルールを自分で取得しますが、サイクプロジェクトは人間が手で全部教え込んでいきます。
これって何かっていうと、もう絶対にハルシネーション起きないのよね。だって確実なことしか入れてないから、知識として。
機械学習でルールを自分で取得し、確率的に言葉が出てくる
人間が知識を手で入力し、設定したルールの中で答える。融通は利かないが嘘をつかない
サイクプロジェクトを始めたダグラス・レナートは、2023年8月に亡くなりました。しぶちょーさんによると、それまで手入力を続けていたことがAI界隈でニュースになったといいます。
しぶちょーさんの説明では、以前は「オープンサイク」として無料公開されていましたが、現在は閉じられ、企業の製品として仕組みを使ったシステムが提供されています。しぶちょーさんが調べた範囲では、ハルシネーションが起きたらまずい仕組みに使われているらしいものの、本当かどうかはわからないとしています。
かねりんさんは、人類の英知を人が入力し続けるこの取り組みを「エモい」と話します。しぶちょーさんは、ビジネスのスピード感には合わなかったが、知識こそパワーだと信じてやり続けたプロジェクトが今もあるのは面白いと語りました。
一方で、企業は40年も待てません。すぐに収益化できないとお金を出すところがなくなり、第2次AIブームも下火になりました。第3次AIブームは機械学習の時代で、しぶちょーさんによると、ディープラーニングと計算リソースの向上により社会実装までつながり、今の世界があるといいます。
期待と現実のギャップ。落ち着かせ屋の役割
歴史を振り返ったうえで、しぶちょーさんは、第1次・第2次ブームのどちらにも期待と現実のギャップがあったと整理します。今の生成AIの時代も、驚きが現実を超えて次々に出てくれば、そのギャップでブームが落ちていく可能性があると話しました。
だから第1次AIブームも第2次AIブームも落ち着きAIがなかったから終焉したんじゃないかと。
しぶちょーさんは、大きな視点での話だとしながら、ブームが終わった大きな要因は過熱であり、風呂敷を広げすぎたことだと語ります。研究はコツコツ進めれば結果が出るものなのに、お金を求めて大きく見せすぎたため、支援の打ち切りや民衆の関心の低下を招いたといいます。
かねりんさんは、誰かが盛り始めると我も我もとやらないとお金ももらえない、という現実の難しさを指摘します。しぶちょーさんも、研究もお金がないと続けられないので、このバランス感が難しいと認めました。
どんどんどんどんこう、冷却水なくエンジンがガーって回ってって、ボンってブローするみたいな。
かねりんさんは「損な役回り」「刺されるよ」と言いつつ、その覚悟を面白がります。しぶちょーさんは、世界が進むのであればそれでいいと応じました。
100年後の教科書に残る「冷や水」としてのポッドキャスト
しぶちょーさんは、かねりんさんのポッドキャストづくりが「歴史に残るもの」を目指している点に話をつなげます。100年後にAIの歴史を見た人が、第4次AIブームがなぜ終わらなかったのかを調べ、このポッドキャストがあったからだと気づく、という構想です。
かねりんさんは、実は「おちつきAIラジオは100年後に残るものなのか」と自身のコンセプトとのずれを感じ、打ち切りも頭をよぎっていたと明かします。しかし、この回の話でその迷いがつながったといいます。
その時代の役割を果たすことによって、歴史に名が残るんだ、これ。
しぶちょーさんは、歴史を学んで「こんなことがあったんですね」で終わらせず、それを解釈して今何ができるかを考えるのが賢者の学び方だと、冒頭のビスマルクの言葉に立ち返ります。
2人は、どこが熱くなっているかをキャッチアップして冷やす必要があると話し、かねりんさんは自分たちを消防士にたとえます。しぶちょーさんは、嫌われても、サイクプロジェクトのように狂気の裏側にこそ本物があると語りました。
流行り廃りでこう流行って乗っかって廃って去ってくみたいな。まあそれはそれで時代の流れなんだけど、そこじゃないところにこそ本質あるよねっていう話よね。
最後にかねりんさんは、100年後にも似たような2人組がペアで話しているはずで、その人たちにバトンを渡す気持ちになったと話します。自分のやりたいビジョンと番組がつながった、しぶちょーさんと組んでよかったと喜び、しぶちょーさんは第3次ブームやディープラーニングの話も今後深掘りしていくと予告しました。
まとめ
AIブームは、過度な期待を背負って熱狂し、現実とのギャップが露呈して終わるという流れを2度繰り返してきました。しぶちょーさんとかねりんさんは、その歴史から、ブームを冷やす「落ち着かせ屋」こそが今の時代に必要な役割だと再確認しています。
- チューリングテストは「思考とは何か」を問わず、人間を騙せるかというアウトプットで知能を定義した
- ELIZAは単純なオウム返しでも人を騙し、1958年にはニューヨーク・タイムズがAIの能力を誇張していた
- 第1次ブームはおもちゃの問題しか解けず、第2次ブームは暗黙知・管理コスト・フレーム問題で冬の時代に入った
- 40年以上手入力を続けるサイクプロジェクトは、生成AIと真逆のアプローチで今も続いている
- 研究費のために風呂敷を広げすぎたことが終焉を招いたとし、2人は冷や水をかける役割に番組の意義を見出した





