バラバラな知識を混ぜる番組と、今回の一冊
この番組は、医学、経済学、AI、ビジネス、哲学といったバラバラな領域の知識を混ぜ合わせ、そのつながりを探る場所として続けられています。
第8回で取り上げるのは、鈴木結生さんの『ゲーテは全てを言った』です。2024年の芥川賞を受賞した作品だと紹介されています。
JIntaroさんは、普段こうした物語系の本はあまり読まないと話します。読むとしてもSFが多く、フィリップ・K・ディックのような作家が好きだそうです。
ネタバレは避けたいとしつつ、この本をざっくり言えば「ゲーテの名言を探しに行く話」だと説明されています。
誰かとやらないタイプのポッドキャストで、しかも別に誰にも聞かれなくてもいいやと思ってると、自分の好きなことを喋れてとてもいいなと思っています。
一文に込められた「自分なりの全集を編む」という言葉
JIntaroさんが印象に残ったのは、作中の一節です。昔は本を探すのにも苦労したが、今はそうではない。ただ言葉が見つからないことは多々ある、という趣旨の文章だったと振り返ります。
そして、すべてのテキストが電子化されてもそれは変わらず、人がやることは結局「自分なりの全集を編む」ことでしかないのだろう、というセリフに面白さを感じたそうです。
この一節をきっかけに、人の言葉を引用するという行為そのものへと話が広がっていきます。
一次情報、出典、そして引用の難しさ
人の名言はよく引用されますが、引用は難しいとJIntaroさんは言います。出典はどこか、表現は正しいか、といった点を気にする人が多いからです。
よく「一次情報」と言われますが、引用された時点でもう一次情報ではない、という指摘もされます。
一次情報とか言って、引用されてる時点でもう一次情報じゃねえじゃんって感じなんですけど。
それでも、なるべく正確に伝えることや、受け取った側が元をたどれるよう出典元を書くことには意味がある。だから発信するときは丁寧にした方がいい、と話されています。
「月に行く」を英語のまま引用した理由
具体例として、自身がX(旧Twitter)でジョン・F・ケネディのアポロ計画の言葉「We choose to go to the moon」を引用リポストしたときの話が語られます。
フォロワーの多くは日本人なので「私たちは月に行くことを選択する」と日本語で書くこともできました。それでも原文を選んだのは、翻訳の過程で言語化できない何かが失われる気がしたからだといいます。
ただし、原文の一文だけを引用しても、正確な意味は捉えきれないとも感じています。本来は前後の文章や、それが語られた場面という背景ありきのセリフだからです。
一方で、全部を書けば切りがなく、丸ごと写すのも違う。伝えたいメッセージも分かりにくくなる。だから一文だけを選んだ、と説明されます。
さらに出典も書きませんでした。宇宙関連の話題の引用で、その界隈の人なら誰の言葉か分かるだろうし、有名な言葉の後に「byケネディ」と添えるのは無粋に感じたからだといいます。
正確に伝えたいという気持ちと、別にいいやって思うところの、なんか矛盾があって、心が二つある状態なんですけど。
バラバラな秩序が集まって生まれるカオス
こうした取捨選択は自分だけでなく、多くの人がそれぞれの価値観のもとで行っているとJIntaroさんは考えます。
その結果、同じフレーズでも複数の意味や解釈が生まれ、元の話者の趣旨と変わっていくこともある。言葉はどんどん混沌としていくといいます。
ただし、その言葉を引用する瞬間だけは、引用する人の中では秩序立ったものになっている、という点が面白いところです。
個々人の中ではその一つの言葉に対しての解釈っていうのは統一的で秩序立っているけど、その一つ一つの秩序が全部バラバラの方向なんで、全体で見るとめちゃめちゃカオスみたいな感じなのが、誰かの言葉の引用なのかなっていうふうに思ってます。
個々人の中では整っているのに、それが集まると全体としてはカオスになる。この構造が、言葉を引用するということの本質ではないかと語られます。
前後の文脈や背景が削られ、本来の意味の一部が抜け落ちる
引用する側の価値観や信条が反映され、新たな意味が加わる
つまり引用とは、元の意味の一部を削りながらも、引用する人の価値観という付加価値をのせる行為だと整理されます。
100を40だけ受け取り、60を自分で補う
この考え方は、本を読むときや誰かの言葉を聞くときにも当てはまるとされます。人は情報を丸ごと取り込むことはほとんどなく、都合のいい部分や感銘を受けた部分だけを頭に入れているからです。
その時点で情報量はもとの半分以下になってしまう。しかし、それを自分の価値観に反映させることで、まったく別の付加価値が生まれるといいます。
百のものを相手が発信してきて、まずはそれを四十ぐらいしか受け取らずに、六十ぶった切って捨てるんですけど、自分の中でその残りの六十は自己補完してオリジナルな六十を作るので、トータル百みたいな感じです。
受信
発信された100のうち、40だけを受け取る
切り捨て
残りの60は削られて失われる
自己補完
自分の価値観でオリジナルな60を作る
再構成
トータル100として、自分なりの意味を編み直す
この作業こそが、作中で言う「自分なりの全集を編む」ことなのではないか。それがこの本を読んだ感想だと締めくくられます。
ただし、これはあくまで一つの読み方だとも添えられています。読んでも「そういう意味じゃない」と感じる人もいるだろうから、読んだ人と語り合いたいと呼びかけられています。
入り口の本と、その先で味わう苦しみ
この本のもう一つの魅力は、ゲーテに興味を持たせてくれる点だとされます。いきなりゲーテを読む人は少ないので、こうしたきっかけの本は分厚い教科書や原著への良い橋渡しになるといいます。
一方で、この本がゲーテを魅力的に描くほど、期待値が上がりすぎるという問題もあると話します。JIntaroさんも勢いでゲーテの本を買ったものの、中身が難しくてまだ読めていないそうです。
似た経験として、カントやマックス・ウェーバーの本が挙げられます。面白そうだと思って読んだものの、難しくて理解できなかったといいます。
きっとちゃんと読めたら面白いはずなのに、読めなくて、理解できなくて悲しいっていう気持ちになる。
この経験から、国語をもっと勉強しておけばよかったという思いも語られます。森鴎外のような読みづらい文章も、きちんと学んでいればすんなり読めたのではないか、と悔やまれています。
そのうえで、これからの学校教育でAIの授業を増やして国語や数学を減らすという方針には疑問を呈しています。国語は減らさない方がいいし、AIの授業を増やして数学を減らすのは意味が分からない、と率直に話されています。
まとめ
『ゲーテは全てを言った』を入り口に、言葉を引用するという行為の矛盾と面白さが語られた回でした。引用は意味の一部を失わせる一方で、引用する人の価値観という付加価値をのせる。その積み重ねが、混沌と、それぞれの秩序を同時に生み出しています。
- 引用は一次情報の一部を削るが、引用する人の価値観という付加価値を加える行為でもある
- 同じ言葉でも個々人の中では秩序立ち、全体で見るとカオスになるのが引用の本質
- 人は情報を100受け取るのではなく、40だけ取り込んで残りを自分で補い、自分なりの全集を編んでいる
- 入り口の本は原著への良い橋渡しになるが、期待値が上がりすぎて原著で苦しむこともある
- 国語をはじめとする学びは、難しい本を楽しむための土台になるという実感が語られた
