コンサル資料と霞が関資料、正反対の「わかりにくさ」
今回のテーマは、パワーポイントのスライドです。JIntaroさんは医師時代も、スタートアップで事業本部長を務めていた頃も、今も、資料を作る機会が多いと話します。
きっかけは、SNSで見かける資料への批判でした。大手コンサル企業のスライドが流れてくると、「なんだこのスライド、わかりにくい」といったコメントがつくことがあるそうです。
一方で、まったく逆のパターンもあります。国、たとえば厚生労働省などの、いわゆる霞が関スライドです。
ああいう国のいわゆる霞が関スライドみたいなやつって、めちゃめちゃ文字多かったりとかして、もうなんかそもそも見ようとも思わんみたいなところありますよね。
図がぐちゃぐちゃで「つまりどういうこと?」となるコンサル資料と、文字が多すぎて見る気が起きない霞が関資料。方向は逆ですが、どちらも「わかりにくい」と言われます。
わかりにくいのではなく、わかりにくく感じている
ここでJIntaroさんは、レイアウトやデザインの巧拙は今回いったん置いておく、と前置きします。
そのうえで、ある前提を示します。大手コンサルも国も、優秀な人が集まっているはずで、わざわざわかりにくくする必要はないはずだ、ということです。
だから別に多分わかりづらくないんですよ。わかりやすい資料なんですけど、見てる側がわかりにくく感じているっていう事実もあって。
つまり問いは、資料の出来不出来ではなく、「人間はどういう資料だと認知負荷が下がるのか」という点に移ります。
そこでJIntaroさんが手がかりにしたのが、マイヤーという研究者のレビュー論文でした。この人物が提唱しているのが、マルチメディア学習の認知理論だと紹介されます。
理論の土台となる三つの前提
この理論を理解するために、JIntaroさんはまず三つの前提を押さえます。
情報を扱う経路が、耳で聞く聴覚チャネルと目で見る視覚チャネルの二種類に分かれている
それぞれのチャネルが一度に処理できる情報量には限りがある
学習者が自分で情報を選び、整理し、統合して初めて意味のある学習が起こる
一つ目は二重チャネルです。人間は聴覚情報と視覚情報を、別々だけれど相互作用する二つの経路で処理している、という考え方です。
二つ目は容量制限です。それぞれのチャネルが一度に扱える情報量は限られている、という感覚的にも納得しやすい前提です。
三つ目は能動的処理です。聞く側にそもそも理解しようという気がなければ意味がない、という話だと説明されています。
そして人間の認知プロセスには段階があります。目や耳から入った情報のうち、必要なものだけが能動的に選択され、ワーキングメモリに取り込まれ、結合・統合されてアウトプットに変わっていくという流れです。
言葉と図を組み合わせる四つの原則
CTMLには、図・文字・音声の組み合わせ方に関する原則が十五個ほどあるそうです。JIntaroさんは、今回の話に関係する四つを取り上げます。
本題に関係ない余計な言葉や図、装飾は削ったほうが学習効率が上がる
言語情報だけより、図や絵を添えたほうが理解しやすい
図に添える言語は、文字テキストより音声ナレーションのほうが効率がよい
ナレーションと同じ内容を文字でも重ねて見せると、負荷が増えて学習を妨げる
一貫性原則は、余計な情報を削るという話です。人間の処理容量は決まっているので、無駄な情報を入れると処理に時間がかかる、と説明されます。
マルチメディア原則は、文字だけより図を添えたほうが理解しやすいというもので、これも感覚的にわかりやすい原則です。
問題はここからです。モダリティ原則は、図に添える言語を「文字」にするか「音声」にするかで効率が変わる、と言います。
スライドに書かれた文字テキストは、図と同じく視覚チャネルで処理されます。一方、話し手が口で解説するナレーションは聴覚チャネルを使います。
つまり図に文字を添えると、視覚チャネルばかりに負荷が集中し、聴覚チャネルは暇になります。文字をナレーションに変えれば、視覚と聴覚に負荷が分散され、どちらも効率よく処理できる、という理屈です。
最後の冗長性原則は、この続きです。ナレーションと同じ内容を、あえて文字でも重ねて表示すべきか、という問題です。
同じ情報を二つのチャネルに入れると定着しやすそうにも思えます。しかしJIntaroさんは、認知負荷の観点では逆だと言います。
同じAっていう情報を視覚チャネルと聴覚チャネル両方に入れるっていうのはめちゃめちゃ非効率で、ただ負荷が2倍になってるっていう感じになるので、まあそれはむしろ学習を妨げるよねっていうのがこの冗長性原則っていうものらしいです。
理論で読み解く、二つの資料の正体
これらの原則を踏まえると、コンサル資料も霞が関資料も、「わかりにくさ」の理由が見えてきます。
まずコンサルの図だらけスライドです。あれは基本的にナレーションありきで作られている、とJIntaroさんは推測します。クライアントへの対面説明用であって、配布用資料ではないという点がポイントです。
絵やフローは聴覚チャネルに載せにくいので、視覚でしか伝えられない情報をスライドに集約します。そして残りの言語情報は、すべて話し手のナレーションで聴覚チャネルに流す。モダリティ原則に沿った、効率のよい設計だと考えられます。
スライドだけだと、要は作り手的の提供した情報量としては五十パーセントしかないんで、本来であればナレーションありきでそれが作られてるので、それは、その五十パーの情報量しかないスライドを見ても分かりにくいと思うのは、まあ当たり前っていうのがありますね。
そのスライドをSNSで単体で見て「わかりにくい」と評するのは、半分の情報だけを見ていることになります。もともとSNS向けに作られていないので、ギャップが生じるのは当然だ、というわけです。
霞が関スライドは逆のパターンです。PDF資料にする以上、音声で説明できないという制約があります。
そのため図も言語情報もすべて文字でスライドに入れざるを得ず、結果としてすべての情報が視覚チャネルに集中します。人間の視覚処理が過負荷になり、わかりにくくなる、という構図です。
対面説明が前提。言語情報は口頭に回し、スライドは視覚に特化。単体で見ると情報が足りず不親切に見える
一人歩きが前提。音声を使えず、図も文字も視覚に集約。情報を詰め込んだ結果、視覚が過負荷になる
結論と、AI時代への応用
JIntaroさんの結論はこうです。わかりやすい資料とは、情報が網羅された資料ではなく、受け手の認知チャネルがパンクしないよう設計された資料である、ということです。
コンサル資料は、クライアントの認知チャネルがパンクしないよう、あえて視覚の情報量を削っています。一方、国の資料はほぼ全国民に情報を届ける使命があるため、パンクしないように作ることが不可能で、むしろパンクする前提で設計されている、と整理します。
だからこそ、一枚のスライドで「見せる(プレゼン)」と「読ませる(配布)」の両方を満たすのは難しい。用途に合わせて視覚と聴覚に情報を振り分けるのがよい、というのが着地点です。
最後にJIntaroさんは、この考え方がAIにも応用できると話します。AIの進化により、今度は人間の認知負荷が思考や開発のボトルネックになる場面が増えるかもしれません。
人間の処理容量そのものを数十年で増やすのは無理です。だからこそ、認知チャネルを考慮して人間側の負荷を分散させる仕組みが必要になる、と展望して番組を締めくくります。
今まではそのAI側というか、機械の負荷を考えることがメインでしたけど、これからは人間の負荷をなるべく分散させて、理解できやすいようにするっていうのが必要なのかなっていうのは思っています。
まとめ
資料の「わかりやすさ」は、情報の網羅性ではなく、受け手の認知チャネルへの配慮で決まります。二重チャネルと容量制限という前提を押さえると、正反対に見えるコンサル資料と霞が関資料の設計思想の違いが見えてきます。
- CTMLは、人間が言葉と図を視覚・聴覚の二つのチャネルで処理するという理論
- 図に言語を添えるなら、文字より音声のほうが負荷を分散できる(モダリティ原則)
- 同じ内容を文字と音声で重ねると、負荷が二倍になり学習を妨げる(冗長性原則)
- コンサル資料は対面説明前提で視覚特化、霞が関資料は一人歩き前提ですべてを視覚に集約している
- 一枚で「見せる」と「読ませる」を両立するのは難しく、用途に応じた設計が必要
