島根から岡山へ、六時間半のひとりドライブ
この日、西野さんは島根の出雲空港からレンタカーを走らせ、玄関プペルの配達に向かっていました。
行き先は住所も出ないような山奥。アスファルトもガードレールもない、崖沿いの道だったといいます。
もうね、住所もないところに山奥に行きましてですね、途中アスファルトもないっていうところに、これちょっと崖落ちるじゃんっていう。運転慣れてなかったらガードレールも何もない山奥に行ってさ。
ナビにも道が出ないほどの難所で、二軒とも住所が正しく表示されなかったそうです。
山陰は信号も少なく、二、三時間ノンストップで走れるほど。この日の走行時間は六時間半近くにのぼりました。
運転中は考え事の時間、そしてイベント上映の手応え
西野さんは車の運転が苦ではないと話します。五時間も六時間も平気で、むしろ考え事ができる時間だといいます。
車の運転は全然嫌いじゃなくて。もう平気で五時間六時間へっちゃらなんすよ。ちょうど考え事できるし。困ったのがすぐに連絡ができないっていうね。だから集中できるっていうのもあるのかな。
運転しながら、映画のイベント上映の可能性の大きさについても考えを巡らせます。
特にグッズが大きいと話します。イベントを重ねるごとにグッズの客単価が上がっているそうです。
理由として、グッズのレパートリーが増えたことで、グッズコーナーの滞在時間が延びた点を挙げます。
映画館では自作のグッズだけでコーナーを埋めるのは難しく、こうした展開はイベントの時にしかできないと語られています。
ジャングリアへの複雑な思い
話題はテーマパーク「ジャングリア」に移ります。西野さんはまだ一度も行けておらず、今年の社員旅行で訪れる予定だといいます。
一方で、YouTubeで「ガラガラだった」といった動画が流れてくることに、だんだん腹が立ってきたと本音を漏らします。
いや、それはさ、そういうこともあるじゃん、挑戦なんだから。それを行って「ガラガラでしたわ」みたいな。コメント欄で「ゲゲゲゲ」ってやってる感じ。なんかもう性格が悪い。
だからこそ、逆にジャングリアを応援したくなっていると話します。
気になっているのは来場者数の見せ方です。「百万人(スパ利用者を含む)」という発表に、むしろ違和感を覚えたといいます。
いや、それはもうやらない方がいいんだよ。ジャングリア利用して、帰りに割合スパを使うわけじゃないですか。そうすると二人ってカウントされるわけでしょ。そういう水増しみたいなことって、今どきはバレるから。
むしろ正直に「目標を大幅に下回った」とスタートし、そこからのV字回復を物語にした方が面白い、というのが西野さんの見立てです。
川口の美術館に感じるポテンシャル
比較として、西野さんは川口にある「音楽と森の美術館」の数字を挙げます。年間十六万人で、こちらは水増しをしていないといいます。
これはもうかさましもしてない。十六万人。それでも僕はここにすげえポテンシャルを感じているのは、まず年間休館日が百日あって十六万人なの。年のうちの三分の一近く休んでんだよ。
毎日稼働すれば二十万人ほどはいきそうだと見積もり、その意味を説明します。
年間二十万人が来続ける施設があれば、毎日オフラインの生の客を相手に「何が受けるか」をテストし続けられる。それが強みだといいます。
年間二十万人ずっと来続けてくれる施設があったら、僕らとしてはめっちゃ強いね。毎日オフラインの生のお客さんを相手に何が受けるんだっていうテストをやり続けられるわけですから。人の流れがあるところにコンテンツを置く、それがあるんだよな。
梶原雄太との出会いと、こじれた原点
話は本題ともいえる、相方・梶原雄太さんとの関係へ移ります。きっかけは、来年二月から三月に予定されているキングコングの全国ツアーでした。
来年の二月、三月あたりにキングコングで全国ツアーがあるんですよ。何のためにやるかっていうと、ほんとね、青春取り戻すってだけなんですよ。
西野さんは、コンビ結成からすぐに世に出たことで、信頼関係を築く前に走り出してしまったと振り返ります。
精神的にも未熟で、仕事がうまくいかず、仲が悪くなってしまったといいます。
当時の梶原さんは、テレビで結果が出せず、あまり前に出て喋らなかったそうです。西野さんはそれに「喋れや」と苛立っていました。
お前ボケの人なのになんであんまり決め込んでんの?喋ったと思ったら、その他大勢側のツッコミの方に回るし。とにかく梶原さんはスベるのが嫌だったんすよ。振られるのも嫌だから、もうMCと目を合わせないみたいな。
ただ、今になって西野さんは、それが酷な状況だったとも理解しています。
デビュー一、二年目で先輩に妬まれ、そのファンからも厳しい目で見られる中、ボケるには勇気がいる。梶原さんも大変だったのだろうと語ります。
忙しさでコンビの会話は減り、M1に挑む時期も二人でゆっくり話す余裕はなかったといいます。
それでも西野さんは、全国ツアーの打ち上げに梶原さんと一緒に行きたかったと明かします。
その当時から関係良くなかったけど、俺はずっと、ライブ終わった後とか、梶原さんと一緒に打ち上げ行きたかったんでね。でも当時の梶原さんは負い目もあって、そそくさと帰ってたんだよね。それもなんか寂しいなと思ってて。
二十六年目に取り戻したい「青春」
その後、梶原さんはカジサックとして頑張り、二人は幕張メッセや武道館を経験していきます。
しかし西野さんには、取りこぼした思いが残っていました。当時の全国ツアーは、今のような良い関係でやれていなかったからです。
仲良し同士で作ったネタを全国に持っていき、終わりに打ち上げで「あそこ滑ってたな」とキャッキャ言う。そんな時間に憧れていたといいます。
なんかそういうのをやらないんだったらコンビ組んでる意味ないじゃんと思って。せっかく二十六年も一緒にいてコンビ組んでやってるんだったら、そういう時間あった方がいいでしょと思って。
梶原さんの家で飲んでいる時に「やろうよ」と持ちかけ、全国ツアーが決まったそうです。
内容は内緒としつつ、派手さのないシンプルなライブになると話します。武道館のような規模ではなく、ちょうどいいサイズの劇場を想定しています。
そして西野さんは、梶原さんが漫才やコント、演技、歌をしているのを見るのが幸せだと繰り返します。
俺そこに惚れたんだよな、絶対。あ、俺じゃないんだなと思ったんですよね。俺はやっぱプレーヤーとしては三流なんだなと思うもん、梶原さんとか見ると。もうバネが違うみたいな。
十九歳で見つけた「おもろい奴」
最も印象的な場面として、西野さんはNSC時代の出会いを語ります。
高校時代は地元で一番だと思っていた西野さんは、全国から猛者が集まると期待してNSCの門を叩きました。ところが、そんなにいなかったといいます。
最初の月から月間MVPを取り続け、期待外れに退屈さを感じ、やめようかとまで思っていたそうです。
そんな時に見つけたのが梶原さんでした。
もうやめよっかなと思ってた時に梶原さん見つけて、「いたー」ってなって。「おもろい奴見つけた」って。珍しく母ちゃんに言ったもん、嬉しくて。「おもろい奴いたわ」みたいな。
ネタ自体は面白くなかったけれど、梶原さんがやると華があった、と西野さんは分析します。
梶原さんのネタとかってマジ全然面白くなかったけど、梶原さんがやると何か華があったんだよな。で、なんか見ちゃう。「スターになる人ってこういう人なんだな」っていうのはすごかった。
テレビが異常に下手だっただけで、YouTubeで「毎日キングコング」を始めた時、その華が戻ってきたと感じたそうです。
梶原さんがカジサックをやると聞いた時のことを、西野さんはイナズマ戦隊の応援歌になぞらえます。挑戦する相方を、そばで見ていたいという思いです。
サービスエリアを探すドライブの終わり
雑談の合間、西野さんはそばを求めてサービスエリアを探し続けます。最初に寄った本郷パーキングエリアは、五時半で営業を終えていました。
なんか寂れてるなと思ったら寂れてたわけではなくて、シンプルにこれ営業終了していた。五時半で営業終了か。しょうがねえな。
その後、七塚原サービスエリアにたどり着き、そこで夜食を済ませることにします。
最後に西野さんは、ドライブしながら喋る時間が気持ちを紛らわせてくれたと話し、配信を締めくくりました。
うまいことやっているように見えて、実はどぶ板
道中、西野さんは自分の仕事ぶりについても触れます。多くの人は、西野さんをうまくやっている人だとイメージしているだろうといいます。
しかし実際は、住所も出ない山奥に絵本を届けて回るような、地道な仕事だと語ります。
まとめ
島根から岡山へのひとりドライブという何気ない配信は、いつしか相方・梶原雄太さんとの原点を語る回になりました。若さゆえにこじれた関係と、それでも変わらなかった「この人はおもろい」という確信が、来年の全国ツアーへとつながっています。
- 山陰の山奥へ絵本を届ける「どぶ板」の仕事を、西野さんは自分の強みとして語っている
- ジャングリアの来場者数の見せ方には疑問を呈し、正直な数字からの物語を推している
- 来年二月からの全国ツアーは、派手さより「青春を取り戻す」ためのシンプルなお笑いを目指している
- NSC時代、退屈さでやめかけた西野さんが梶原さんに見出したのは、ネタではなく「華」だった
- テレビでは水が合わなかった梶原さんの魅力が、YouTubeで戻ってきたと西野さんは感じている
