市役所職員でありコミュニティ代表。阿部勇士さんの自己紹介
今回のゲストは、札幌市役所まちづくり政策局で働く阿部勇士さんです。番組運営母体であるSoGoodと、その前身のU35札幌に創立の頃から関わってきた存在だと紹介されました。
阿部さんは市役所職員として「歩きたくなる街づくり」を推進する都市政策を担当しています。
さらに市役所の外でも二つの肩書きを持っています。北海道の組織人が集うコミュニティ「ONE HOKKAIDO」の共同代表と、市役所内の職員コミュニティ「SAPPORO PAY FORWARD」の代表です。
SAPPORO PAY FORWARDは、二万三千人いる市職員のうち、現在は八百人が参加しているといいます。
窓口で淡々と働く公務員というイメージとは違う存在として、その人生を深掘りしていきます。
自堕落な大学生活を変えた「よさこい」との出会い
最初のターニングポイントは大学時代でした。二年生の前期までは、講義に行かなかったり、行っても一番後ろでiPhoneをいじっていたりする生活だったといいます。
当時iPhoneがやっと手に入ったぐらいの時で、楽しすぎて「やべえな」みたいな感じでずっといじってました。バイトも行ったり行かなかったり、そんな生活を送っていたんです。
転機は、室蘭にある社会人混合のよさこいサークルに入ったことでした。中学生から六十代までが所属するチームです。
そこで尊敬する先輩からリーダー的な役割を任されたことで、意識が大きく変わったと話します。
人に見られることや、信頼されないと人と何かをやることができないっていうことに気づいてから、ふっと意識が変わって。突然大学の一番前で講義を受けるようになったりとか、私生活もすごくしっかりするようになりました。
前期と後期の間の夏に、ガッと変わったといいます。リーダーを任せた先輩には「一番いいと思った」としか言われなかったそうです。
リーダーとして学んだ「1対1の信頼関係」の大切さ
よさこいのリーダーとして、阿部さんは練習メニューの作成から、百人単位のパレードの配列や演出、振り付けの定義付けまでを担っていました。
ただ、大きな苦労もあったといいます。参加する理由が人によってまったく違ったからです。
健康のために参加しているおばあちゃんとか、お姉ちゃんがやっていたから参加している中学生の女の子とか、大学のノリでウェイウェイしたくて入ってくる人とか、本当に様々なんです。
百人のチームをまとめて本大会で勝ちに行くには、「いいからついて来い」では誰もついてこないと気づきます。リーダー本を読みあさりながら、たどり着いた答えがありました。
その人がチームに所属する理由を認め、共通の目的を作り、みんなが納得できる形で前に進む。そして、そのためには自分自身が信頼されている必要があると学んだといいます。
信頼を積み上げる方法について問われると、阿部さんは私生活を変えることと、相手の立場に立とうとすることを挙げました。
最後列でiPhoneいじってるやつに「前に出てちゃんとやろうよ」って言われたくないだろうなとか。人の信頼関係って、結局はいかに相手の立場に立とうとするかだと思うんですよね。
結果は形になりました。入った時は六十人で受賞歴もなかったチームが、卒業時には百二十人に増え、ファイナルコンテストにも出場するようになったといいます。
さらに阿部さんが大切にしているのは、自分が卒業した後もチームが強くなり続けたことです。三大会連続で準大賞を獲得したと話します。
自分がいなくなった後もチームが強くなり続けるっていう経験は、ものすごく心に残っていて。今の活動の考え方にもすごく残っている、意味のある経験でした。
街のグランドデザインを描きたい。市役所を目指したきっかけ
市役所職員を目指した最初のきっかけは、意外なものでした。当時付き合っていた彼女が、九時五時で帰ってきて安定してほしいと言っていたことだといいます。
ただ、進路の本質はそこではありませんでした。阿部さんは土木技術職で、街づくりや都市計画、交通計画に関わりたかったのです。
土木系の進路は建設コンサルタント、ゼネコン、行政などに分かれます。その中で、街の方向性を決めているのは行政だと知ったことが決め手になりました。
行政が街づくりの方向性を決めて、発注をして決めているっていうのを知った時に、街のグランドデザインを描きたいと思ったら市役所なんだって思って入りました。
期待と現実。直面した「減点主義」のリアル
期待に胸を膨らませて入庁した阿部さんですが、最初の職場は区役所の中にすらない、山の方の土木センターでした。
毎日苦情の電話を受け、市民の家に行って道路の側溝の詰まりを解消して帰る、そんな日々だったといいます。今思えば大事な仕事ですが、当時は戸惑いもあったそうです。
さらに、周囲のネガティブなマインドにも直面します。イケイケで新しいことをやりたい阿部さんに、先輩からかけられた言葉は厳しいものでした。
「アベちゃん落ち着け、市役所は減点主義だから目立たないようにするのがお前のためだぞ」って言われたり。「仕事を楽しくやりたいんです」って言ったら「仕事って楽しむもんじゃないから」って言われて。
今では間違っていると言い切れるものの、当時は衝撃を受け、市役所への夢が一度打ちひしがれたといいます。ここから課外活動が始まっていきました。
この現実は市役所に限らないと大島さんは指摘します。多くの人が新入社員の頃に似た経験をしているのではないか、という共感が語られました。
孤独を乗り越えるための一歩。若手勉強会の立ち上げ
現状を突破した最初のきっかけは、意外にも「寂しさ」でした。
本当に一番最初のきっかけは寂しかったからなんです。
新人は大抵どこかの区役所に配属され、同期と仲良くする中で、阿部さんだけが土木センターで、同期が一人もいませんでした。庁舎が違うため、頻繁には誘われなかったといいます。
そこで踏み出した一歩が、区の若手勉強会の立ち上げでした。他の区にはどんな仕事があるのか、本庁舎ではどう全体が回っているのかを学ぶ場です。区内の公共施設を訪ねることもありました。
目の前の仕事だけを見ているとつらくなるけれど、違う視点を持つことで自分の仕事の位置づけが見えたといいます。
今の目の前の仕事だけを見てると結構つらくて。でも違う視点を見ることで、意外とその中での自分の仕事はこれなんだなって思えて、なんとか生きていけたんです。
札幌市の職員数について、阿部さんは教職員を含めて二万三千人と説明しました。
離職率は民間企業に比べてかなり低く、五十パーセント以上は余裕で残っていると話します。定年までここでお世話になると決め込む人が多く、目立たない選択が最適解になりやすい環境だといいます。
若手勉強会の集客には苦労しました。最初のイベントで集まったのは、たった二人だったそうです。
一番最初は自分が勉強会やりますってなったら二人とかで。「あれ?あれ?あれ?」みたいな。びっくりでしたね、二人だけで。
新しいことを実行に移せた理由を問われると、阿部さんは他の区に前例があったことと、区長への「ダル絡み」を挙げました。忘年会で隣に座った区長に勉強したいと直訴し、その場で「じゃあやろうよ」となったといいます。
上の人の一言の大きさも実感したと話します。
上の方が「頑張ってやって」って言ってくれる一言ってすごく大事なんだなと思っていて。スーパー公務員的に成果を出されてた方に応援してもらって今がある、みたいのはあるかもしれないです。
活動を支える「仲間」の存在
区の勉強会は、やがて全市の若手職員勉強会へと広がりました。一回開けば百人以上が集まる規模になったといいます。
本庁舎に異動すると、今度は民間企業とのつながりが仕事上で必要になり、民間の人たちとのコミュニティ活動を始めます。この頃に番組にも関わる仲間と出会ったそうです。
コロナで一度活動が畳まれた後、U35やSAPPORO PAY FORWARDへとつながっていきました。新人の頃からずっと勉強会やコミュニティを続けてきた日々だといいます。
なぜ続けられたのか。阿部さんの答えは明確でした。
どんなコミュニティをやる時も僕がすごく大事にしてるのが、まずは一番中心となる一人と絶対的な信頼関係を結ぶこと。がっつり手を握った信頼関係のある仲間がいるから続けられた、みたいなところはあるかもしれないです。
この考え方は、よさこいで学んだ「1対1の信頼関係」とまっすぐつながっていると、大島さんも指摘しました。土木からコミュニティづくりという一見無関係な道のりも、その原点でつながっていたのです。
まとめ
大学時代のよさこいで学んだ「1対1の信頼関係」が、減点主義と言われる市役所の現実の中でも阿部さんを動かし続けてきました。孤独から始めた小さな勉強会が、やがて複数のコミュニティへと広がっていった原点が語られた回でした。
- リーダーとして百人をまとめる中で、一人一人との1対1の信頼関係を積み重ねるしかないと学んだ
- 期待して入った市役所で「減点主義」「目立つな」という現実に直面し、夢が一度打ちひしがれた
- 孤独を乗り越えるため、区の若手勉強会を立ち上げたことが課外活動の第一歩になった
- 新しいことを始めるには前例と、上の人の応援の一言が後押しになった
- 活動を続けられた最大の理由は、中心となる一人と絶対的な信頼関係を結んだ「仲間」の存在だった
