坂口志文の少年時代と名前の由来
今回から、いよいよ免疫学者・坂口志文の登場です。まだ現役で研究を続けている先生でもあり、あきは少し緊張しながら生い立ちを紹介していきます。
坂口先生は1951年、滋賀県の長浜市で生まれました。琵琶湖の北東側、彦根市の近くにあたる場所です。男の子3人兄弟の真ん中、次男として育ちました。
「志文」という名前には、学問の道に進んでほしいという願いが込められています。「文に志す」という意味で、お父様がつけたそうです。
お父様は当時としてはインテリで、京都帝国大学文学部哲学科の出身でした。西洋哲学に造詣が深く、名前は聖書からの引用でもあると言われています。志文はユダヤ人に多い名前で、先生は海外の学会で由来を尋ねられることが多いそうです。
お兄様の名前は「イサク」で、これもキリスト教に由来する海外で多い名前です。お兄様も高校の先生を務め、今は引退しているそうです。
お母様の家系は江戸時代から続く医師の家系で、結婚前は高校の教員でした。お父様と同じ職業だったことから、教員同士で出会ったのかもしれません。
美術と読書に親しんだ子供時代
家にはたくさんの本があり、両親が子供たちに本を買い与えてくれたので、読書は自然に身についたそうです。
お父様自身は学者になりたかったものの、戦後の混乱の中で京都学派が戦争に加担したと見なされ、GHQから睨まれて学問の道に進めませんでした。そのため高校の先生になったといいます。
中学時代の坂口先生は美術に打ち込みました。絵を描いたり粘土で塑像を作ったりして、地域の展覧会で表彰されたこともあるそうです。
一時は美術の道で生きていけたらと思ったこともあったといいます。免疫学者のイメージからすると、少し意外な一面かもしれません。
高校は、お父様が校長を務めていた滋賀県立長浜北高等学校に、お父様の誘いで進学しました。1969年3月に卒業します。
大学紛争と精神科医への志
卒業した1969年当時は、大学紛争が激しい時代でした。現役時代には東京大学の入試が中止となり、賢い受験生が京都大学に殺到したそうです。
坂口先生も現役で京都大学を受験しますが、不合格でした。一年浪人した後、1970年に京都大学医学部医学科に合格します。
当初、坂口先生が目指したのは精神科医でした。高校時代の愛読書は、精神科医フランクルの『夜と霧』や、哲学者で医師のヤスパースが書いた『精神病理学』でした。
心の実在や哲学的なテーマに興味があったといいます。あきは、高校時代にこうした難しい本を読んでいたことに驚いています。
お母様の家系が医師であり、お父様も「これからの時代は理系だ」と語っていたそうです。哲学ができそうな理系の医者として、精神科を目指したという流れは、とみーも「理にかなっている」と感じたようです。
精神科への幻滅と免疫学との出会い
ところが、この時期の京都大学も大学紛争の真っただ中でした。特に精神科は、その中心地だったといいます。
当時の精神科では、患者の人権のあり方が問題となっていました。閉鎖病棟やベッドへの拘束といった扱いをめぐり、学生や医師を巻き込んだ激しい抗争が続いていたそうです。
こうした環境で患者に向き合うのは荷が重いと感じ、坂口先生は目標を見失い、悶々とした学生時代を過ごすことになります。
そんな時に出会ったのが免疫学でした。免疫学の授業を受け、衝撃を受けたそうです。文芸春秋のインタビューで、そのときの思いをこう語っています。
免疫は非常に面白い仕組みです。自己と他者とをどう区別しているのか大きな問題だし、自分を守ってくれることも攻撃することもあるという二律背反な二つの顔を同時に持っている。
そこには単なる異物を攻撃しろというスイッチのオンオフではなく、もう少し複雑だけれども、もっと美しいメカニズムがあるのではないか。それをどうにか知りたいと惹かれました。
若き坂口青年は、免疫学を「哲学的だ」と感じ、強く惹かれたといいます。哲学に向かっていた関心が、そのまま免疫という仕組みへと重なった瞬間でした。
研究の道へ。自己免疫疾患というターゲット
大学を卒業して医師免許を取得すると、坂口先生はすぐに臨床には進みませんでした。まず研究の道に進み、ダメだったら臨床に戻ればいいと考えたそうです。
そのまま京都大学大学院に進み、免疫を研究しようと決めます。
人の体は、細菌やウイルス、寄生虫などの外敵に日々さらされています。インフルエンザのような病気は、最初はしんどくても、多くはいつか治っていきます。
一方、自己免疫疾患は、免疫が自分の体を攻撃してしまう病気です。医学の力で暴走を止められなければ、病気は進行し続け、命にかかわることもあります。
1型糖尿病、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、多発性硬化症など、さまざまな病気を引き起こします。人口の約5パーセントが自己免疫疾患を抱えているとされ、深刻な問題です。
坂口先生は、ここは医学が介入できる分野であり、研究テーマとして据えるにふさわしいと考えました。免疫の自己と非自己のバランスが、なぜ崩れて自分を攻撃してしまうのか。その問いを解明したいと考えたそうです。
病理学教室と、運命を変えたサイエンスの論文
大学院で最初に入ったのは病理学教室でした。病理学は、病気の本質と成り立ちを研究する医学の基礎分野です。
病理医は、生検で採取した組織を顕微鏡で観察し、がんかどうか、良性か悪性かを判断します。あきは漫画『フラジャイル』を、その仕事を知る入り口として紹介しています。
坂口先生はこの教室で、一年間ほど人体解剖や動物実験に明け暮れました。しかし病理学は経験がものを言う古典的な分野で、数十体の解剖では入り口に立った程度でした。
これではいつまでも自己免疫疾患に取り掛かれないと焦っていたとき、一本の論文に出会います。科学論文雑誌『サイエンス』に載っていた論文でした。
1969年、愛知がんセンターの西塚泰昭先生と坂倉輝代先生が行った実験の論文です。生後2日から4日のメスのマウスの胸腺を摘出すると、成長後に卵巣の萎縮などの性別特異的な異常が起きたという内容でした。オスのマウスでは起こりませんでした。
これは自己免疫疾患ではないかと考えられました。坂口先生はいても立ってもいられなくなり、大学院を1年半で中退し、愛知がんセンターの西塚先生の研究室の門を叩いて研究生になったそうです。
胸腺とは何か。ジャック・ミラーの発見
そもそも胸腺とは何なのでしょうか。1960年ごろまで、胸腺は役割のない器官だと考えられていました。
胸腺は赤ちゃんから小学校ぐらいまで発達し、その後はどんどん小さくなって、成人の頃には退化してしまう臓器です。あきは「50歳の自分にはもう影も形もないのでは」と話しています。
この胸腺の役割を一部解明したのが、オーストラリア人でロンドンで研究していたジャック・ミラーです。1961年に論文を発表しました。
ミラーは、生まれたばかりのマウスから胸腺を取り出して飼育しました。すると、生後2〜4か月は正常に育つものの、その後は感染症にかかりやすくなり、下痢を起こして衰弱し、免疫不全で死んでしまいました。
胸腺は免疫機能に必要不可欠な臓器ではないかと考え、ミラーはこのマウスを解剖します。すると、リンパ節や脾臓、末梢血中でリンパ球が減っていました。
さらに、胸腺を摘出したマウスに羊の赤血球を注射しても抗体が作られませんでした。異物として認識されていなかったのです。別のマウスの皮膚を移植しても拒絶反応が起こらず、そのまま定着しました。
これらのことから、胸腺を取り除くと、異物を排除する免疫反応が大きく失われることがわかりました。
リンパ球の追跡と「T細胞」の命名
では、なぜそうなるのでしょうか。ミラーはリンパ球に目印をつけて、体内を移動する様子を調べました。
今なら蛍光タンパク質でリンパ球を光らせて追跡できますが、当時はできませんでした。そこで、リンパ球のDNAに放射性同位元素を使って目印をつけました。
この目印を使ってリンパ球を追いかけると、骨髄で生まれたリンパ球の一部が胸腺に移動し、それからさらに全身へ広がることがわかりました。
ミラーは、胸腺が免疫細胞を成熟させる器官だと発見します。1961年に成果を報告し、胸腺で育つリンパ球を「胸腺依存性リンパ球」、つまり今でいうT細胞と名付けました。
T細胞。
胸腺は英語でサイマスといい、そのTを取ってT細胞と名付けられました。
当時、血液は染色して顕微鏡で観察されていました。リンパ球は、核が細胞のほとんどを占めるという「見た目」で分類されていました。核の形に応じて好中球や単球、核のない赤血球なども区別されていました。
しかし染色しただけでは、リンパ球の中のT細胞やB細胞は見分けられません。見た目は同じでも、役割の違う細胞がいる。ミラーは、そのうち胸腺で育つ細胞をT細胞と名付けたのです。それ以前は、すべて「リンパ球」という大きな括りでした。
解像度が高くなったんですね。
ミラーは、それまで謎だった胸腺が、免疫システムの中心的な臓器であることを初めて科学的に証明しました。
胸腺の摘出
生まれたばかりのマウスから胸腺を取り除いて飼育する
免疫不全の観察
成長後に感染症や下痢で衰弱し、抗体も作られず拒絶反応も起きない
リンパ球の追跡
放射性同位元素で目印をつけ、骨髄から胸腺を経て全身へ移動することを発見
T細胞の命名
胸腺で成熟する細胞をT細胞と名付け、胸腺を免疫の中心臓器と証明
役割のない器官などない、という気づき
番組の後半で、とみーは「意味がないとされる部位を取り除く実験」について思い出したことを語ります。
とみーは、前頭葉の一部を切ると素直で従順になるという手術の話を挙げます。その部位が実は人格に重要な役割を担っていたことが後からわかった、という記憶です。
今わかっていないとしても無意味ではないんだろうなってしみじみ思いました。
あきは、それがロボトミーという手術で、精神病で暴れる人をおとなしくさせるために行われたものだと補足します。この手術を開発した医師はノーベル賞を受賞しましたが、今では物議を醸しているといいます。
一方であきは、役割のわからないものを取り除いて何が起こるか観察するのは、生物学でよく使われる実験手法だと説明します。
胸腺の研究も、まさにその手法によって「よくわからない器官」が免疫にとって重要な役割を持つと明らかになった例だ、とまとめられました。
まとめ
哲学に惹かれた青年が、精神科への幻滅を経て免疫という「複雑で美しい仕組み」に出会い、自己免疫疾患の解明を志すまでをたどりました。あわせて、免疫の中心臓器である胸腺がどのように発見されたのかも紹介されました。
- 坂口志文は滋賀県長浜市に生まれ、「文に志す」という願いを込めて名づけられた。
- 精神科医を志すも大学紛争に幻滅し、免疫学を「哲学的だ」と感じて研究の道へ進んだ。
- 自己免疫疾患は人口の約5パーセントが抱える深刻な病気で、坂口先生の研究ターゲットとなった。
- ジャック・ミラーは胸腺の摘出実験を通じてT細胞を発見し、胸腺を免疫の中心臓器と証明した。
- 役割不明の器官を取り除いて観察する手法は生物学で広く使われ、胸腺の重要性を明らかにした。
