有頂天のパスツールが挑んだオカルトすれすれの実験
ラセミ酸の研究で光学異性体の構造を人工的に変えることに成功したパスツールは、勲章をもらって有頂天になります。
妻マリーもルイの父に宛てて、彼の実験ぶりをこう誇らしげに書き送りました。
ルイはニュートンやガリレオ並みの実験をしているところですよ、と誇らしげに語っています。夫婦して結構有頂天になったということですね。
そんな彼が次に取り組んだのは、少しオカルトチックなテーマでした。なぜ自然界の生き物は片側だけの分子しか作らないのか、という疑問です。
パスツールは、地球の磁気や太陽が東から西へ動くこと、地球の自転といった宇宙全体の偏った力のせいではないか、と仮説を立てます。
そして、その力を人工的に左右ひっくり返せば、植物は逆側の有機物を作るのではないか、と考えました。
そこでパスツールは、部屋の中で太陽を追跡する鏡を作り、光が西から東へ動くような虚像の部屋を用意します。
さらに最先端の電磁石を買い込み、強力な磁場の中で薬品を結晶化させたり、植物を連続で回転させて育てる装置まで作りました。
自然界と逆向きの環境を作り出すことで、何とか分子の利き手を変えようとしたのです。
これを見た恩師のビオは非常に困惑し、そんなオカルトのようなことはやめて科学の世界に戻ってきてほしい、と語りかけたそうです。
結局、成果はまったく出ず、パスツールはビオの助言を聞き入れることになりました。
今の時代から見ると滑稽ですけども、パスツールは本当に真剣にやってたんだろうなという感じですね。
とみーは、この迷走にもある種の必然を感じたと話します。
今までの常識通りのことをやってても、新しい発見は生まれないみたいな感覚がありそうな気がしますね。
31歳で学部長、そして発酵の謎との出会い
ラセミ酸の研究でヨーロッパ中に名を轟かせた実績が買われ、1854年、パスツールはフランス北部の工業都市リールに新設された理学部の初代学部長に抜擢されます。31歳という異例の若さでした。
ついこの間までは派遣社員みたいな感じだったのに。
リールは石炭や鉄鋼、そしてビート(サトウ大根)を使った酒の醸造で栄える工業都市でした。
赴任したパスツールは、科学は象牙の塔に引きこもってはいけない、地元の産業を助ける実学でなければならないと宣言し、学生を連れて工場見学や実地研修を始めます。
そんな彼のもとに、1856年の夏、地元の実業家が相談に訪れます。サトウ大根からアルコールを作る醸造業者のビゴさんで、息子がパスツールの教え子という縁でした。
発酵タンクの調子がおかしく、アルコールができずに酸っぱくて嫌な臭いのする液体になってしまう。このままでは工場が潰れる、というSOSでした。
当時のアルコール醸造は勘と経験が頼りで、酒が腐っても「この樽は調子が悪い」という程度の認識しかなく、原因は誰にもわかりませんでした。
顕微鏡が暴いた「お酒が酸っぱくなる」正体
地域産業を助けると宣言していたパスツールは、原因を追究するためビゴさんの工場へ向かいます。そこで彼らしく、工場に顕微鏡を持ち込みました。
正常にアルコールができているタンクと、酸っぱく腐ってしまうタンクから、それぞれ発酵液を取り出して見比べます。すると、両者の中身がまったく違うことがわかりました。
丸くぷっくりした酵母がたくさんあり、出芽で分裂しながら増えている
丸い酵母は見当たらず、細長い棒状の小さな粒がうようよいる
この細長い棒状のものが、現在よく知られる乳酸菌でした。
正常なタンクでは酵母が糖分を消化してアルコールを作りますが、腐ったタンクではどこからか入り込んだ乳酸菌が繁殖し、乳酸を出して酵母を殺してしまっていたのです。
原因を突き止めたパスツールは、ビゴさんに具体的な解決策を伝えます。
毎日タンクの液体を顕微鏡で覗き、丸い酵母の中に細長い棒状のものが見えたら、すぐに温度を管理し、場合によっては液を捨てて樽を消毒する、という方法です。
これまでは腐りきってから初めて諦めるしかなかったところ、顕微鏡による早期発見と早期対策で、破産寸前だったビゴさんの工場は損害を回避できるようになりました。
すごい。
この手法は他の工場にも広まり、パスツールは地域の人々から深く感謝されます。
化学者から微生物学の父へ
この発見は科学史に残る大発見でした。当時の科学界では、発酵や腐敗はただの化学的・機械的な分解現象だと固く信じられていたからです。
糖やアルコールの化学構造式はすでにわかっており、分子が小さくなるのは勝手に分解していくだけだと考えられていました。
しかしパスツールは、ビゴさんの工場で観察した様子から確信します。発酵は単なる化学反応ではなく、目に見えない微生物が栄養を食べて排泄する、生きるための仕組みなのだと。
1857年、彼はこの発見を「乳酸発酵に関する論文」として発表します。分子の立体構造を追ってきた化学者が、微生物が私たちの生活や産業に直接影響していることを解き明かした瞬間でした。
リールでの成功を引っ提げ、1857年、34歳のパスツールは母校パリのエコールノルマル(高等師範学校)の要職に指名されます。
ところが学校側は、彼に研究用の実験室を一つも用意していませんでした。
それでも諦めず、パスツールは建物の片隅にあった夏は猛暑・冬は極寒の屋根裏部屋を見つけ、自分のポケットマネーで改装して実験室を作り上げます。
大御所リービッヒとの論争、そして娘の死
1858年、パスツールは歴史的名著となる「アルコール発酵に関する論文」を発表し、当時の科学界に宣戦布告します。
当時の主流は、有機化学の父と呼ばれるドイツの大物リービッヒが唱えた化学反応説でした。
リービッヒは、発酵は死んだタンパク質が分解する際の化学的な振動が糖に伝わり、糖の分子が物理的に壊れていくだけだと主張しました。顕微鏡で見える酵母は死んだ物質のカスにすぎない、と切り捨てたのです。
これに対しパスツールは、目に見えない小さな生き物が発酵を主導していると反論します。しかし大御所たちからは、今更生き物の神秘に頼るのは時代遅れのオカルトへの逆戻りだと鼻で笑われました。
それでもパスツールは怯まず、精密な実験データを積み上げていきます。
同じ頃、ルーアン博物館の館長プーシェが、煮沸して菌を殺したスープからも微生物が勝手に湧くとする自然発生説の本を発表します。パスツールはこれを叩き潰そうと挑戦状を投げつけました。
そんな戦闘モードのさなか、彼の人生を悲劇が襲います。9歳の長女ジャンヌがチフスにかかり、亡くなってしまうのです。
仕事中毒と言われるほど実験に入り浸っていた彼は深く落ち込みますが、この悲しみが「いつか人類を病気から救う」という執念となり、その後の原動力になっていきました。
嫌気性細菌の発見と、北里柴三郎への伏線
データを積み上げる中で、1861年、パスツールは酪酸発酵を調べていました。バターが腐ったような嫌な匂いのする発酵です。
顕微鏡下で酪酸菌を観察していると、空気に触れている液体の端と、触れていない部分とで菌の動きが違うことに気づきます。
そこで液体の端から空気を送り込んでみると、空気に触れた瞬間に菌が一斉に動きを止めてしまいました。
当時、地球上のすべての生き物は酸素がなければ生きられないと思われていました。しかしパスツールは、酸素があると活動を止め、空気のない場所でしか生きられない菌が存在することを発見します。
この発見は、後の研究に受け継がれていきます。あきは、以前紹介した北里柴三郎の回とのつながりを語ります。
破傷風菌ってもしかしたら嫌気性菌なのかも、ということで、北里は空気を追い出したシャーレを作って純粋培養に成功します。その元々の発見をしていたのがパスツールなんですね。
もしこの時パスツールが嫌気性菌を見つけていなければ、北里はその事実になかなかたどり着かなかったかもしれません。研究がつながっていく面白さがここにあります。
白鳥の首フラスコと、無理ゲーのような論争
嫌気性菌の発見の一方で、プーシェとの自然発生説をめぐる論争は続いていました。
パスツールは肉汁を煮沸して密閉容器に入れ、いつまでも腐らないことを証明します。しかしプーシェはこう反論しました。
密閉して腐らなかったのは、生命を誕生させる新鮮な空気を遮断したからだ。空気をたっぷり与えれば生命はまた勝手に湧いてくるはずだ、と。
では蓋を開けっぱなしにすると、今度は空気中の菌が入ってスープが腐ります。すると「ほら、命が湧いてきただろう」と言われてしまう。
つまりパスツールは、空気は自由に通すが空気中の菌は通さない、という条件を作り出さねばならない立場に追い込まれました。ここでとみーが思わず口を挟みます。
今聞いてるだけの私が言うのもあれなんですけど、すごいなんか相手偉そうですね。命は勝手に湧いてくるじゃないかとか言ってるけど、聞く耳を持たないというか。
なんかもう無理ゲー突きつけてるよなっていう。
あきは、当時の常識ではむしろ自然発生説のほうが正しいとされていたと説明します。
パスツールはどっちかっていうと逆にオカルトを言ってるっていう、今とは逆の考え方なんです。
無菌の空気など作れない当時、この土俵ではパスツールは自ずと負ける構図でした。そこで彼は、空気は行き来するが菌は入ってこない装置を考えつきます。それが白鳥の首フラスコです。
フラスコに肉汁を入れ、首の部分をバーナーで熱して細く伸ばし、横向きにS字へ曲げます。本当に白鳥の首のような形です。
煮沸する
フラスコ内の肉汁を煮沸し、中の菌を殺す
口は開けたまま
S字に曲がった口は開けっぱなしにし、空気は自由に通す
菌はカーブで止まる
上から落ちてくる菌はS字の曲がった部分で止まり、肉汁まで届かない
腐らない
空気は通っても菌が届かないため、肉汁は透明なまま腐らない
この状態で放置すると、肉汁は1日経っても1か月経っても腐らず、透明なままでいました。
ところがフラスコを傾けて、首のカーブに溜まった埃に肉汁を触れさせてから戻すと、一瞬で腐りました。
決着したはずの論争が15年蒸し返された顛末
教科書ではここで論争に終止符が打たれたと紹介されますが、実際にはこの後15年以上も反論と再反論が繰り返されました。
プーシェはピレネー山脈の標高2000メートルを超える高地に登り、綺麗な空気ならどうかとS字フラスコで実験します。すると、そこからバクテリアがうようよ発生したと主張しました。
ただしプーシェは、パスツールが使った肉汁ではなく、干し草から抽出した煮汁を使っていました。ここに落とし穴がありました。
あきは、藁から納豆を作る例で説明します。藁を熱湯で消毒しても、熱に強い納豆菌だけは死なずに残るのと同じ理屈です。
干し草には熱に強い菌やカビの胞子がたくさん付いており、煮沸しても死にません。生き残った菌が中身を腐らせていたのです。パスツールはなかなかこの状態を打ち破れませんでした。
1870年代に入ると、パスツールの敵が新たに現れます。イギリスの病理学者バスティアンが、煮沸した尿や化学溶液から微生物が次々発生すると主張し、徹底的に攻撃してきました。
窮地を救ったのは、他の研究者たちの発見でした。
干し草から菌が湧いたのは、こうした熱に強い菌がいたためだと証明されます。そして完全な殺菌が可能になったことで、ついに自然発生説は打ち消されました。
白鳥の首フラスコから数えて15年。長い論争の末に、常識がついに覆ったのです。
長い道のりですね。
この成果は、現代の医療現場で使われる高温高圧殺菌、オートクレーブなどへ応用され、しっかり受け継がれています。
最後に二人は、この長い戦いから受け取ったものを語り合います。
常識を疑うというか、先入観を持たないみたいなことと、あの、ライバルって大事なんだね。
いろんな論があって、それを潰すためにはどうすればいいんだと実験を組み立てるところから、人類は発展してきたんだなと。常識は疑えって、ほんとそうだなと思いますね。
まとめ
化学者だったパスツールは、オカルトすれすれの迷走を経て発酵の謎に出会い、顕微鏡を武器に微生物学の父へと進化しました。白鳥の首フラスコで自然発生説に挑みますが、決着には芽胞の発見や間欠殺菌法など後続の研究を待つ15年の長い道のりが必要でした。
- ラセミ酸研究で有頂天になったパスツールは、宇宙の力を逆転させて分子の利き手を変えようとする実験に迷走し、恩師ビオに諌められた
- リールで酒造業者ビゴのSOSに応え、顕微鏡で腐敗タンクの乳酸菌を突き止めたことが「発酵は生き物の仕業」という大発見につながった
- 大御所リービッヒの化学反応説と激しく論争し、その渦中で長女ジャンヌを感染症で失ったことが病気と闘う執念を生んだ
- 白鳥の首フラスコは「生命は生命からしか生まれない」ことを示したが、干し草の芽胞をめぐる反論で論争は15年続いた
- 芽胞の発見と間欠殺菌法によって自然発生説は完全に否定され、その原理は現代のオートクレーブへと受け継がれている
