大発見の少し前、フランスは政変の嵐だった
前回、若きパスツールは酒石酸を研究し、光学異性体という化学史に残る発見をしました。
同じ化学式で結晶の構造も同じなのに性質が違う。その謎を顕微鏡で観察すると、結晶が鏡に映したように左右逆になっていたのです。
今回は、その発見から少しだけ時を戻し、当時のフランスで吹き荒れた政治の大嵐から話が始まります。
1789年の市民革命、いわゆるフランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンにかけられ、自由・平等・博愛の精神が世を席巻しました。
しかし王を倒して終わりではありませんでした。その後60年のパリは、王を倒せば皇帝が生まれ、皇帝が倒れればまた王が返り咲くという、まさにジェットコースター状態だったといいます。
王政と革命が繰り返された60年
フランス革命後、周辺の王国は自分たちも倒されるのを恐れて攻め込んできます。
これに対抗して現れたのが、戦争の天才ナポレオン・ボナパルトでした。
彼が率いたのは貴族ではなく市民から成る軍隊で、フランスを守るという高揚感にあふれていました。ナポレオンは周辺の王国を次々に倒し、ローマ帝国以来のヨーロッパ統一を成し遂げます。
しかし1815年、ワーテルローの戦いで敗北し、栄光は終わります。
その後、ヨーロッパの王族たちが集まり、フランス市民抜きでフランスを再び王国に戻すことを決めます。処刑されたルイ16世の弟ルイ18世が戻り、ブルボン王朝が復活しました。
ルイ18世は市民にも貴族にも気を遣う人物で、うまく政治を取り持って死ぬまで王でいられました。
一方、次に即位した弟シャルル10世は頑固で、絶対的な権力を取り戻そうと暴走します。新聞の検閲を強行し、議会を勝手に解散させました。
七月革命、そして二月革命へ
自由を知ってしまったパリの市民は怒り狂い、1830年7月に七月革命が起こります。
家具や馬車を積み上げて道を塞ぐバリケード戦法で、騎馬兵などが攻め込めないようにしました。
三日間の市街戦でパリは制圧され、シャルル10世は着の身着のままイギリスへ亡命します。
ただ、政治が市民に戻ると、銀行家や工場のオーナーといった裕福なブルジョアジーは怯えます。かつて共和制の下で派閥が乱立し、ギロチンの嵐になった記憶があったからです。
そこで、王族でありながら市民に理解のあるルイ・フィリップが「市民の王」として即位します。これが七月王政です。
しかし蓋を開ければ、彼が味方したのはブルジョアジーのごく一部でした。当時は納税額で選挙権が決まり、選挙権を持つのは全人口の1パーセント未満。労働者や学生は蚊帳の外でした。
さらに1840年代後半、ヨーロッパ全域を大飢饉と不況が襲い、パンの価格が跳ね上がって失業者が街にあふれます。
政府は集会を厳しく取り締まったため、人々は「宴会なら文句はないだろう」と食事会の体で政治への不満を語り合いました。これが改革宴会です。
1848年2月22日、政府はその宴会すら禁止しにかかります。市民は「宴会まで奪う気か」と激怒しました。
翌23日に軍隊との衝突で流血騒ぎが起こると、パリ中にバリケードが築かれます。怯えたルイ・フィリップは変装してイギリスへ亡命しました。
わずか三日間の暴動で王政はまた崩壊します。これが二月革命です。この革命で王政は終わりを告げ、20歳以上のすべての男性に選挙権が与えられる男性普通選挙が導入されました。
革命の熱狂に全財産を投じた25歳
この熱狂のただ中に、25歳のルイ・パスツールがいました。
父がナポレオン軍の英雄だった影響もあってか、彼も市民の一人として熱いものを抱えていたようです。
パスツールは、新政府が寄付金を集めるために置いた寄付金箱に、安月給から必死に貯めた全財産150フランを全額投げ入れます。
当時の大学の若手研究員の給料は100から150フランほど。150フランは月給の1から1.5か月分にあたり、現代の感覚では30から40万円ほどを寄付した形になります。
さらに「自ら銃を取って街を守る」と国民義勇軍に志願し、元軍人の父へ激烈な手紙を書きました。
自由万歳、祖国万歳、私の心は新しい共和国への熱情で満たされています
しかし父からの返事は、期待とは違うものでした。
政治に関わらずに研究に専念しなさい
父を深く尊敬していたパスツールは、たしなめられて我に返り、実験室へ戻ります。そしてその後、前回紹介した酒石酸の光学異性体を発見し、科学界のスターへと上り詰めていきました。
大発見のご褒美は、まさかの地方教師
科学史に残る大発見をしたパスツールは、良いポジションに就けると思っていました。
ところがフランス政府から命じられたのは、地方の高等学校の物理教師になれという辞令でした。
研究設備もない高校の教育現場に、パスツールは絶望します。師匠であるビオやデュマといった大物学者に働きかけてもらい、なんとか研究環境のあるストラスブール大学への着任を取り付けました。
ただし与えられた肩書きは「補佐教授」や「代理教授」といった、正式でない立場でした。
実家からの仕送りを受けつつ切り詰めた生活を送り、実験機材や試薬も独自に調達していたといいます。生活費を削って研究費に回す、極貧の研究生活でした。
財産ゼロを告白した求婚状と、支えた妻マリー
ストラスブール大学に着任してわずか二週間後、パスツールは運命の出会いをします。
大学総長ロラン氏の自宅を挨拶で訪れた際、娘のマリー・ロランに一目惚れしてしまったのです。社長令嬢に一目惚れした新入社員のようなものでした。
相手は大学トップの令嬢、自分はいつクビになるか分からない安月給の代理教授。それでもパスツールは、出会って一か月後に学長へ求婚状を送りつけます。
私には財産というものが一切ありません。健康状態も並です
わかっているのは、私の将来の全運命がマリーさんに気に入っていただけたかどうか、それだけにかかっているということ
私にあるのは誠実な心と科学への情熱、そしてマリーさんを幸せにするために全力を尽くすという決意だけです
自分の貧しさと弱い立場を包み隠さず書き、誠実さと情熱だけで娘をくださいと送ったのです。
なかなか返事は来ませんでしたが、学長も最後には折れ、パスツールはマリーと結婚できました。あきさんは、学長もパスツールの業績や将来性を見抜いていたのではないかと話します。
結婚しても給料や立場が変わったわけではなく、生活は質素なままでした。しかしマリーは夫の貧しさを責めず、最大の理解者になります。
助手を雇う金がないため、マリー自身が実験ノートを取り、論文の口述筆記も行いました。夫が薬品を買えるよう、食費や生活費も徹底的に切り詰めたといいます。
いいとこのお嬢さんなのに。一目惚れでこんな献身的な妻
見抜けるパスツールの見る目すごいね
一目惚れされたから、別にマリーの方からってわけではないのに、こんだけ支えようって思ってくれたのはすごいよね
結婚から数年で3人の子どもが生まれ、ただでさえ苦しかった家計はますます苦しくなっていきました。
命がけの実験で、分子の右手を左手に
これほど愛されながらも、パスツールは実験中毒でした。熱中すると家に帰るのも忘れてしまうほどです。
彼が次に狙いを定めたのは、当時の科学界が「解けるわけがない」とさじを投げた難問でした。天然の酒石酸から、人工的にラセミ酸を作り出せないか。分子の右手を左手に変えられないか、という問題です。
この難問には、パリの薬学会から1500フランの賞金がかかっていました。パスツールの月給が100から150フランほどなので、年収に匹敵する額です。
なぜ薬学会が賞金をかけたのか。当時、酒石酸は布染料を定着させる薬剤や、医薬品、写真技術に欠かせないものでした。
天然の酒石酸は水に溶けやすく、湿気を吸ってベタベタになりやすいという工業的な弱点があります。
一方、左右が程よく混ざったラセミ酸は水に溶けにくく、サラサラの美しい結晶になりやすい性質を持っていました。
結晶になりやすければ不純物を取り除いて純度を高められ、長期保存にも便利です。だからラセミ酸を量産できれば酒石酸の弱点を克服できると期待されました。
しかし自然界ではワインの樽の底に酒石酸ばかりが出てきて、ラセミ酸はほとんど取れません。そこにパスツールが飛び込みます。
熱してみたり強力な酸をかけてみたり、酒石酸単体でいろいろ試しても埒が明きませんでした。そこで別の物質を混ぜて加熱する方法を考えます。
目をつけたのが、マラリアの特効薬キニーネを抽出する際に出てくるシンコニンという物質でした。これを酒石酸と混ぜ、熱をかけてみようと考えたのです。
当時は完全密閉できる耐熱容器がなく、170度を作り出すにはこの危険な方法しかありませんでした。
ガラスが熱に耐えきれず破裂すれば、高温の油が飛び散る危険と隣り合わせです。それでもこれしかやりようがなかったといいます。
熱と圧力をかけ、シンコニンの力を使って酒石酸を右手から左手に変える。これを何度か試みた末、実験は見事に成功し、パスツールは1500フランの賞金を獲得しました。
ただし、この方法はかなり手間がかかり、シンコニンも高価でした。高温高圧を作ること自体が簡単でない時代だったため、費用がかかりすぎて実際に世の中で使われることはなかったといいます。
それでも「分子の右手を左手に変えられる」という事実そのものが世に広まり、科学史に残るステップアップとなりました。
実験に成功したパスツールは恩師ビオに手紙で報告します。ビオはこれを科学アカデミーで発表し、パスツールはフランス最高栄誉のレジオン・ドヌール勲章を授与されました。
この勲章は、かつてナポレオン軍の英雄だった父も受けていたものでした。兵士と科学者という立場の違いはあれ、尊敬する父と同じ勲章を得たことは、パスツールにとって誇らしいことだったようです。
まとめ
革命の熱狂に全財産を投じた25歳のパスツールは、父の一言で研究へ戻り、財産ゼロを正直に告白した求婚状で妻マリーを得ました。支えられながら、彼は命がけの実験で分子の右手を左手に変える偉業を成し遂げます。
- 大発見の3か月前、二月革命の熱狂の中でパスツールは全財産150フランを寄付し、義勇軍に志願した
- 大発見の辞令は地方教師で、師匠に泣きついてストラスブール大学の不安定な補佐教授の座を得た
- 「私には財産が一切ありません」と貧しさを告白した求婚状が、学長とマリーの心を動かした
- 助手を雇えず、妻マリーが実験ノートや口述筆記を担い、生活費を切り詰めて研究を支えた
- 170度・爆発覚悟の実験で酒石酸をラセミ酸に変え、1500フランの賞金と父と同じ勲章を勝ち取った
