今のBCGは一生に一度だけ
このシリーズは妊婦と子供の予防接種をテーマにしています。今回はハンコ注射と言われるBCGがテーマです。
小学校の低学年の時に打った気がするんですけど。跡がずっと残ってる子が大人になっても残ってるなっていう記憶があります。
とみーさんは、専門学校でもう一度打っている人がいた記憶もあると話します。
あきさんは、かつての制度を説明します。小学校に入ったころに学校でツベルクリン反応の注射を打っていたそうです。
赤ちゃんの時にBCGを打っていても、免疫がついたかを後日ツベルクリン反応で確かめていました。打った跡が一定以上腫れていなければ、免疫がついていないとしてもう一度BCGを打つ仕組みでした。
ですが今は、一歳までに一回打って、それ以降はツベルクリン反応をしないことになっているそうです。
再接種をしても追加の効果がほとんどないということが分かったらしいんですね。なので現在は乳児期の一回のみで終わりということになっています。
つまり、記憶に残る年齢になってからハンコ注射を打つことは、今の子どもたちにはないということになります。
結核は過去の病気ではない
BCGが防ぐのは結核です。過去の病気というイメージを持つ人もいますが、今でも患者はいると話されています。
特に高齢者では、元々結核のキャリアだった人が、年を取って免疫が衰えたときにまた結核が出てくることがあるそうです。
世界では未だに結核は三大感染症のうちの一つで、エイズとマラリアと並んで非常に患者さんが多い病気です。
原因は結核菌という細菌です。過去には日本でも不治の病でした。
あきさんは、結核で亡くなった歴史上の人物を挙げます。高杉晋作は27歳、沖田総司も20代半ば、樋口一葉は24歳、正岡子規は34歳、石川啄木は26歳で亡くなっています。森鴎外も結核で亡くなっています。
海外でも、ショパンやカフカ、映画『風と共に去りぬ』のヒロインを演じたビビアン・リーが結核で亡くなっています。
治療できるようになったのは1943年です。抗生物質のストレプトマイシンが発見され、結核に使えると分かってからでした。
それまではサナトリウムに入り、きれいな空気を吸い、日光に当たり栄養をとるくらいしか手立てがありませんでした。
結核菌はなぜ厄介なのか
結核の原因がわかったのは1882年です。ロベルト・コッホが結核菌を発見しました。
結核菌は油でコーティングされたような性質があり、普通の方法では染色できませんでした。そのため顕微鏡で見つけられず、菌なのかどうかの論争が長く続いたそうです。
コッホは新しい染色方法を開発して結核菌を見えるようにしました。この発見で1905年にノーベル賞を受賞しています。
コッホの弟子である北里柴三郎は、日本で結核が広がらないよう、治療と感染症対策に取り組みました。治すのは難しくても広げるのは止めようと、国民や保健所への教育に力を入れたそうです。
結核菌の特徴は、非常に頑丈で分裂スピードが遅いことです。大腸菌のような一般的な菌は、条件が整えば20分に一回分裂します。
一晩で培養液いっぱいに増えるほどですが、結核菌は一日に一回か二回しか分裂しません。
そのため症状はゆっくり進み、10年も20年もかけて進行します。治療も半年以上かかります。薬が効いても、まだ眠っている菌がいるためです。
結核菌は酸素を必要とする好気性菌で、酸素の豊富な肺の上部に巣食います。ただし酸素がなくても死なず、休眠状態に入って条件が整うまで待つという厄介な菌です。
どのように感染し、発症するのか
結核は空気感染という方法をとります。これは飛沫感染よりも厄介です。
患者の咳やくしゃみで飛んだ飛沫が乾燥すると、結核菌の粒子になります。この粒子が空気中を漂い、同じ空間にいる人が吸い込むと肺に到達して感染します。
そのため家族に患者がいると家の中に菌を含んだ空気が漂い、家族もかかりやすくなります。かつて結核は遺伝だと言われたこともあったそうです。
発症までの流れも紹介されました。吸い込まれた菌が肺に定着すると、まずマクロファージという白血球が菌を食べて退治しようとします。
ところが結核菌は、マクロファージの中で膜に包まれないよう抵抗します。包まれても、出てくる消化液を中和してしまいます。
この二段階の防御によって、退治するはずのマクロファージが、逆に結核菌を守るシェルターになってしまいます。菌は栄養たっぷりの中でぬくぬくと過ごすことになります。
その後、人間の免疫は結核菌の周りに肉芽腫という硬い組織を作って、菌のいるエリアを固めてしまいます。
肉芽腫は、生肉の肉に芽が出るの芽に腫瘍の腫ですね。
囲まれた菌は活動できず休眠状態に入ります。およそ9割の人はこのまま一生発症せずに終わるそうです。
自覚なく保菌してる人いるんだ。
体調不良や加齢で免疫が落ちると、菌が休眠から覚めて増殖を始め、肺の組織を壊し始めます。初期症状は咳や痰、微熱など風邪に似ており、進行すると肺に穴が開き、血痰が出ることもあります。
抗生物質は最後まで飲みきる
今は治療薬があります。ただし厄介なのは、すぐに耐性菌ができてしまうことです。
そのため何種類かの薬を組み合わせて飲みます。菌が減ったからと患者が勝手に薬をやめると、耐性菌ができて一気に盛り返してしまいます。
すべての薬に抵抗性を持つ多剤耐性結核になると手の打ちようがなくなります。これを防ぐため、今は医療従事者や保健所の職員の目の前で薬を飲むことが徹底されています。
途中でなんか治ってきたからやめたっていうのはマジでやめた方がいいです。
とみーさんは、これは結核に限らないと補足します。抗生物質を途中でやめると、より強い菌が残ってしまうことは他の病気でも起こりうるからです。
あきさんも、抗生物質の乱用で治らない感染症が増えていると話し、決められた用法用量を守る大切さを重ねて伝えています。
現在の日本では毎年一万人ほどの新規感染者が出ていますが、そのほとんどが高齢者です。世界では東南アジアやアフリカ、西太平洋地域で患者が多く、多剤耐性結核の増加が問題になっています。
BCG誕生と日本が守った菌株
BCGはフランスのパスツール研究所のアルベール・カルメットとカミーユ・ゲランによって開発されました。名前は「バシル・カルメット・ゲラン」の略で、バシルは菌という意味です。
BCGは弱毒株のワクチンです。開発は1908年から1921年まで、十三年もの歳月をかけて行われました。
人間には感染しない牛型結核菌を、牛の胆汁を加えた特殊な培地で231回も植え継ぎました。毒性が抜け、感染はするが病気を起こさず免疫をつけるという理想的なワクチン株を作り上げたのです。
結核菌は分裂が遅いため培養に時間がかかり、植え継ぎのたびに増えるのを待つ必要がありました。だからこそ十三年もかかったと話されています。
1921年、パリの病院で結核患者の母から生まれた新生児に初めて経口投与されました。患者から生まれた子は結核になりやすく、早く免疫をつけようとしたのです。
しかし1930年、ドイツのリューベックで接種した新生児251人のうち70人以上が結核で亡くなる大惨事が起きました。
大惨事どころじゃないよね。
調査の結果、ワクチンの菌が毒性を取り戻したのではなく、病院内で本物の結核菌が誤って混入したことが判明しました。この事故を機に、ワクチンの製造管理が世界中で厳しくなりました。
あきさんは、こうした過去の事故があるからワクチンが怖いと言われるのかもしれない、人類はこうした事故を繰り返しながら学んできたと話しています。
経口からハンコ注射へ、日本の工夫
当時のBCGは口から飲ませる経口投与でしたが、胃で消化されるため大量に飲ませていました。これが事故の一因でもあったと考えられます。
少量できちんと免疫をつけられないかと考えられ、皮内注射に切り替わりました。これがハンコ注射の元になります。
皮内注射は薄い皮膚の中に打つ方法です。ただし、この方法はケロイドが結構残ります。
実は日本や、日本から技術が渡った台湾・韓国はハンコ注射ですが、それ以外の世界では今も皮内注射が一般的です。外国の人で肩にケロイドのような痕がある場合、BCGの痕だと考えられます。
世界で一般的な方法。ケロイドが大きく残ることがある
日本で開発された方法。針を浅く広く刺し、痕が残りにくい
ハンコ注射は、ケロイドを防ぐため日本で開発された方法です。ほんの少しだけ刺さる針で、一回に九本の針を二箇所に打ちます。刺す場所を広く薄くすることで、必要量を少しずつ入れて免疫を届けます。
世界でハンコ注射が一般化していないのは、専用の器具が必要でお金がかかるためです。数多く打つ発展途上国では、なかなか採用に至っていないそうです。
日本のBCGの歴史には、印象的なエピソードがあります。1924年、赤痢菌の発見で有名な志賀潔博士が、フランスのカルメット博士から直接菌株を譲り受けて持ち帰りました。
志賀潔は北里柴三郎の弟子で、世界的に有名な細菌学者でした。カルメットからも一目置かれ、「あなたなら持ち帰れるだろう」と菌株を託されたのです。
当時は飛行機がなく、志賀は菌の温度管理をしながら船でスエズ運河とインド洋を越えて運びました。途中で栄養が足りなくなるため、船の中で植え継ぎをしながら慎重に運んだそうです。
持ち帰った菌株は日本で大事に植え継がれました。太平洋戦争中の空襲では、研究者が菌株を防空壕に持って守ったと話されています。
その後、乾燥凍結技術で保存できるようになるまで、菌株は172回植え継がれました。この株は東京172と名付けられています。
それってどれぐらいすごい?
あきさんは、菌は遺伝子変異で少しずつ変わってしまうと説明します。当時はDNAを見られなかったので、顕微鏡での観察や動物実験で、毒性が強すぎず弱すぎない最適な株を毎回選んでいたのです。
東京172は、WHOから国際標準品に指定されるほど品質が安定しています。初代のカルメットとゲランが開発した株と性質がほとんど変わっていないと評価されているそうです。
そして1967年、九本の針がついたスタンプ式のハンコ注射が開発されました。
なぜ一歳までに打つのか
BCGの定期接種は、生後五ヶ月から八ヶ月になるまでに受けることになっています。遅くとも一歳に至るまでに打つよう定められています。
一歳までに打つ理由があります。大人の結核は肺に症状が出ることが多いのですが、免疫が未熟な乳幼児では一気に全身に広がり、命に関わるからです。
粟粒結核という状態では、菌が血液に乗って全身に広がり、肺や肝臓、脾臓に小さなブツブツができます。重い呼吸器不全や多臓器不全を起こし、死に至ることもあります。
結核性髄膜炎も知られています。菌が脳を包む髄膜に到達して炎症を起こすと、治っても麻痺や知的障害など重い後遺症が残ることがあります。
一度打てば効果は一生ではなく、十年から十五年ほど持続すると考えられています。大事な乳幼児期を守るために打つ、というのがBCGの目的です。
日本では若者の結核はあまり聞かず、年間一万人ほどの患者も多くが高齢者だとしたら、打つ必要はあるの?
日本は結核患者の多い東南アジアなどに近く、人の流入も多いため、集団として守っておくことは今でも重要だと話されています。また、高齢者と同居する赤ちゃんや、祖父母によく会う赤ちゃんは、ぜひ打っておいてほしいとのことです。
とみーさんは、里帰り出産では生後間もない時期を祖父母の家で過ごすことに触れます。日本の高齢化を考えると無視できない状況です。
近くにいる祖父母が隠れ結核で、症状が出始めているが風邪と思っている段階でうつしてしまう可能性もあります。だからこそ予防してあげてほしいと締めくくられました。
まとめ
ハンコ注射BCGは、かつて不治の病だった結核から乳幼児を守るためのワクチンです。日本の工夫と、志賀潔らが守り継いだ菌株の歴史が、今の一度きりの接種につながっています。
- 今のBCGは一歳までの一回のみで、記憶に残る年齢では打たず、ツベルクリン反応も行わない。
- 結核は空気感染する厄介な病気で、9割は発症しないが免疫が落ちると休眠していた菌が動き出す。
- 抗生物質は途中でやめると耐性菌ができるため、医師の指示があるまで飲みきることが重要。
- 日本のハンコ注射はケロイドを防ぐ工夫で、菌株「東京172」はWHOの国際標準品に指定されている。
- 乳幼児は結核が全身に広がると命に関わるため、大事な時期を守る目的でBCGを打つ。
