なぜ3歳からのワクチンなのか
この予防接種シリーズは、妊婦と子供の予防接種をテーマにしています。今回は3歳になってから受けるワクチン、日本脳炎がテーマです。
一般的には3歳が標準的な接種時期とされています。ただし、日本脳炎は生後6ヶ月以降であれば接種が可能です。
地域によっては早めに受けさせた方がよいかもしれない、とあきさんは話します。その理由は、後半のイノシシと蚊の話につながっていきます。
99%は無症状、でも発症すると怖い病気
日本脳炎は、日本脳炎ウイルスによって引き起こされる急性の中枢神経系、つまり脳に異常をきたす感染症です。アジア圏を代表する、蚊が媒介する感染症でもあります。
ウイルスを持った蚊に刺されて感染しますが、実際に発症するのは100人から1000人に1人程度です。99%以上は無症状のまま治る不顕性感染感染していても症状が現れないまま経過する状態。本人が気づかないうちに免疫を獲得することもありますという形になります。
なぜ多くの人は発症しないのか。その鍵は脳を守るバリアにあります。
ウイルスが体内に入っても、脳の血管にはBBB(血液脳関門)脳の血管が持つ強固なバリア機構。血管を作る細胞どうしが固く結合し、有害な物質やウイルスが脳へ入り込むのを防ぎますという強固なバリアがあり、ウイルスは脳細胞まで到達できません。
この結合はタイトジャンクションと呼ばれ、非常に強固です。しかし乳幼児の場合、このタイトジャンクションが緩く、ウイルスが入り込みやすくなります。
大人でも過労やストレスでバリアが緩みます。疲れているときに感染すると、脳までウイルスが届いてしまうことがあります。
高齢になると血管壁が緩むこと、また複数の蚊に刺されてウイルス量が一気に増えることも、感染を後押しします。ウイルスが白血球に感染すると、BBBを自由に行き来できる白血球にまぎれて脳へ運ばれ、防衛ラインを突破してしまいます。
いったん脳内に入ると、39〜40度に達する突発的な高熱、激しい頭痛、嘔吐に続いて、意識障害や痙攣、筋肉の硬直が現れます。
発症時の致死率は20〜30%と高く、一命をとりとめても生存者の30〜50%に運動麻痺や認知機能の低下、てんかん発作などの後遺症が一生残ります。
めったにかからないんですが、かかってしまうとなかなか大変ということで、できればワクチンを受けといた方がいいよという病気になります
豚とイノシシが関わる感染の仕組み
日本脳炎は人から人へは感染しない病気です。では、どうやって広がるのでしょうか。
媒介するのは小型アカイエカという、日本に広く生息する蚊です。この蚊が、まず豚の血を吸います。
日本脳炎ウイルスは豚の体内で増えます。感染した豚の血を吸った蚊が人間を刺すことで、ウイルスが人に運ばれます。
マラリアが人から人へ蚊で運ばれるのに対し、日本脳炎は豚から人へうつる病気だ、とあきさんは説明します。
豚(宿主)
ウイルスが体内で増える
小型アカイエカ
豚の血を吸いウイルスを保有する
人間
ウイルスを持つ蚊に刺されて感染する
ここで、なぜ地域によって早めの接種が勧められるのかがつながります。豚は野生のイノシシを家畜化したものです。
近年イノシシが増え、地域によっては人との距離が非常に近くなっています。イノシシをよく見かける地域では、そのイノシシの血を吸った蚊が人を刺すことが十分に考えられます。
そうした地域に住む家庭は、お子さんに早めに日本脳炎ワクチンを打たせることを検討してもよいのではないか、と話されています。
一方で、日本で3歳が標準とされる理由もあります。行政側の考えとして、生後2ヶ月から1歳にかけては他のワクチンが多く、日本脳炎は後回しでもよいという判断があるようです。
また、乳幼児期は屋内での生活が基本で蚊に刺されにくく、3歳以降になると屋外で遊ぶ機会が増える、という行動範囲の考え方もあります。
これ全部で四回打つんですね
とみーさんが日本小児科学会の資料を確認したところ、日本脳炎ワクチンは計4回接種する形になっています。1回目と2回目の間隔、3回目は初回から6ヶ月以上空けるなどの決まりがあります。
この接種間隔を加味すると、他の定期接種が集中する時期を避けた方がスケジュールを組みやすい、という事情もありそうだと話されました。
うちの近所はイノシシその辺で見るし、蚊も多いしね。田んぼもあるし、水たまりが多いからね
明治の謎の脳炎から病原体分離まで
日本脳炎という病気がどう見つかってきたのか、その歴史も語られました。存在が分かったのは明治の中頃です。
夏になると高熱と意識障害を伴い、高い致死率を示す原因不明の急性脳炎が、西日本を中心に定期的に流行していました。江戸時代以前は行政のデータがなく、記録を取り始めて初めて流行が把握されたと考えられます。
当時は冬に流行するエコノモ脳炎もあったため、流行性脳炎や夏の脳炎などと呼ばれていました。
1924年には香川県や岡山県を中心に患者が急増し、6000人の患者に対し死亡者3500人、致死率60%以上という重篤な事態が発生しました。
これを受け、東京帝国大学の伝染病研究所や各大学の医学部に研究班が結成されます。当初は細菌や原虫による感染が疑われました。
しかし患者の脳組織からは細菌も原虫も検出できず、顕微鏡では見えないろ過性の病原体、つまりウイルスではないかと考えられます。
1934年から35年にかけて、三田村徳四郎さん、林道友先生、笠原四郎さんらの研究グループが、脳炎で死亡した患者の脳組織をすりつぶし、猿やマウスの脳内に接種する実験を重ねました。
1935年、マウスで脳炎を起こすことに成功し、その脳をすりつぶして次のマウスへ打つことを繰り返し、世界で初めてウイルスの安定した分離と維持に成功しました。
このとき分離されたウイルスは、最初に亡くなった患者の名前をとって「中山株」と名付けられ、WHOの世界的な基準株として使われています。
その後、三田村先生たちのグループは流行地で蚊を採取し、水田に多い小型アカイエカからウイルスを分離することに成功します。
ウイルスを持つ蚊にマウスを吸血させて脳炎を発症させる実験にも成功し、小型アカイエカが主たる媒介生物であることを証明しました。1950〜60年代には家畜の豚が宿主であることも判明します。
マウスの脳から培養細胞へ ワクチン製造法の転換
感染経路の解明に伴い、ワクチン開発が進みます。1954年、中山株を感染させたマウスの脳組織からウイルスを抽出し、ホルマリンで不活性化する不活化ワクチンが実用化されました。
これは1965年から予防接種法に基づく定期接種に組み込まれます。
ここに一つ驚きの事実があります。この製造法は1954年から2005年に至るまで、約50年間ずっとマウスの脳を使い続けていました。
マウスの脳からウイルスを取ってくるという製法は、想像すると怖いイメージがあるかもしれません。ウイルスの分離には脳の不純物が混ざり込むため、丁寧な精製が必要でした。
病気にかかるよりはましだとして使われ、大きな事故もなかったため製法は変わりませんでした。しかし2005年、このワクチンを接種した子どもに中枢神経の疾患が見られる事例が起きます。
ワクチン内の残存成分が原因ではないかと疑われました。因果関係ははっきりしていませんが、これをきっかけに製造法を変えようという動きが生まれます。
新たに使われるようになったのがベロ細胞アフリカミドリザルの腎臓に由来する培養細胞。ウイルスを増やす目的で広く使われ、実験室で安定して培養・維持できるのが特徴ですです。日本脳炎ウイルスがここで定着し、勢いよく増えることが分かりました。
これにより動物由来の産物を含まない、安全性の高いワクチンを安定して作れるようになりました。
なんか今この話を聞くだけだと、ネズミがサルになっただけじゃんみたいな気持ちに、理系脳じゃない私はなっちゃったんだけど
この疑問に対し、あきさんは培養細胞の仕組みを説明します。まずシャーレにベロ細胞を蒔き、その上に栄養となる培地を入れます。
細胞がある程度増えたら培地にウイルスを入れます。ウイルスはベロ細胞に取り付いて増え、細胞を壊して培地の外へ出てきます。
この培地を回収して精製します。培地には細胞が生きるための栄養成分しかないため、脳をすりつぶしてウイルスを取るよりもはるかに不純物が少なくなります。
腎臓の細胞すらその中には入ってなくて、培地、栄養成分だけの液体からウイルスを取り出すことができる
もともと不純物が少ないので精製の工程も少なくて済み、以前より安全なワクチンが作れるようになった、というわけです。
マウスの脳でウイルスを増やし抽出。脳由来の不純物が混ざるため丁寧な精製が必要(1954〜2005年)
ベロ細胞を使い、栄養成分だけの培地からウイルスを回収。動物由来の産物がなく不純物が少ない
「動物から作るワクチン」への誤解
とみーさんは、ワクチン反対派の書籍などで「虫から作っている」「動物から作ったものを体に入れるなんて」といった言説を複数目にしたと話します。
最初のマウスの脳の話が、そうした反対派の主張に近い印象だったと振り返りました。
マウスの脳で作ってたんだっていうのは、僕も今回調べて驚いて、しかも2005年までそれだったんだなっていうのは
あきさんは、動物愛護の観点からも、定期接種の分量を作るためにどれだけのマウスが犠牲になっていたのかと考えると、製法を切り替えられたのは良かったと話します。
やっぱりそういう問題が起きないと変わらないんだなっていうのは、よくはないよね
問題が起きないと研究に資金を投じるモチベーションが起きにくい、難しいところだと二人は語り合いました。
なお、虫の培養細胞についても補足がありました。虫の細胞はタンパク質の製造効率がよく、動物細胞より単純で安い培地で育てられるため、薬づくりによく使われています。
日本では蚕に有用なタンパク質を作らせる研究もあります。蚕の飼育に長けた実績を生かし、薬の遺伝子を入れた蚕が吐く繭の糸に薬の成分を出させ、糸を粉砕して薬にするという発想です。
大切なのは、虫そのものや脳そのものを使う話と、そこから特定の細胞だけを培養して増やす話は、衛生面でもまったく違うという点です。
その虫そのものとか脳そのものみたいな話と、そこから培養細胞で特定の細胞だけを増やしてみたいなのは、衛生的にもメンタル的にも結構違うよねっていうところが今わかってよかった
集団免疫が効かないからこそ個人の接種を
こうしたワクチン政策や研究のおかげで、日本脳炎は今ではほとんど発生しない病気になりました。現在の年間発症者数は10名前後に抑えられています。
蚊に刺されない対策や網戸の普及も、感染を減らす助けになっています。
ただし、日本脳炎は集団免疫で守れる病気ではありません。人から人へ感染しないため、周りが免疫を持っていても自分を守ることにはならないのです。
ウイルスは野生のイノシシの中にも存在します。猟師が減り、イノシシと人間の距離が近づいているため、再び人間の間で流行することは起こり得ると、あきさんは調べてみて感じたと話します。
集団免疫が機能しないっていうのは、人から人に感染するものではないからっていうことですね
人から人へ感染する病気なら、周りが免疫を持てば多少は安心できます。しかし日本脳炎は、ウイルスを持つ蚊に刺されれば感染してしまいます。
野生のイノシシ全員にワクチンを打ってもらうことはできません。だからこそ、個人の免疫がとても重要になります。
自然が豊かなことはよいことですが、自然が運んでくる病気もあります。それに対する対策はしてあげましょう、と回はまとめられました。
次回は予防接種シリーズの最後として、HPV(ヒトパピローマウイルス)、いわゆる子宮頸がんワクチンを取り上げる予定です。噂やデマ、世論の影響が激しく、科学的な知識に当たることの大切さを感じるワクチンだと話されています。
まとめ
日本脳炎は蚊が媒介し、豚やイノシシを介して人にうつる病気です。99%以上は無症状ですが、発症すると致死率が高く重い後遺症も残ります。人から人へは感染せず集団免疫が効かないため、個人のワクチン接種が重要になります。
- 日本脳炎は感染しても99%以上は無症状だが、発症すると致死率20〜30%、生存者の30〜50%に後遺症が残る
- ウイルスは豚やイノシシの中で増え、小型アカイエカが人に運ぶ。人から人へは感染しない
- 集団免疫が効かないため、個人が免疫を持っているかどうかが感染を防ぐ鍵になる
- ワクチンは2005年までマウスの脳で製造されていたが、その後ベロ細胞を使う不純物の少ない製法に転換された
- 一般的には3歳が標準だが、生後6ヶ月から接種可能。イノシシをよく見かける地域では早めの接種も検討したい
