北大を中退して、なぜ横浜の道場へ?
中井祐樹さんは、北海道大学の柔道部で七帝柔道の大会に優勝したあと、総合格闘技のシューティングに入門するために上京しました。当時は試験のようなものはなく、一般会員として入会して練習し、試合に出たいかどうかを決める仕組みだったといいます。
入門先に横浜を選んだ理由はシンプルでした。シューティングのジム一覧の一番上に横浜が載っていたため、中井さんは「ここが佐山聡先生のいる本部に違いない」と考え、はっきりした情報もないまま訪ねています。
きっとここ(横浜のジム)は佐山先生がいる本部に違いないと思って、その情報もはっきりしないのに来てみて。
中井さんは就職活動もせず、北大を中退しました。柔道部としては4年目を終えた区切りで、学問へのけじめとしても一度ピリオドを打ったほうがいいと考えたそうです。
このまま大学いてもやりたいこと他にあるのに。だからとりあえずやりたくなったらまた(大学に)入ればいいじゃんっていう。
北大では法学部の教官が一応引き止めに来ました。中井さんが「総合格闘技はこれからメジャースポーツになる」と説明しても、先生はまったく理解してくれなかったといいます。1992年、バーリ・トゥード・ジャパンの3年前のことです。
佐山聡の「ズブッと入ってくる」指導とは
横浜の道場に入った中井さんが最初に感じたのは、打撃の難しさでした。UWFを見て自分はうまいつもりでいたものの、技術をきちんと精査すると大変難しく、勉強するしかなかったと振り返ります。一方で、柔道経験のおかげで組み技は通用しました。
中井さんは、佐山聡さんには「プロとして見せるなら綺麗なストライキングができないとダメだ」という考えがあったように思う、と話しています。ただし、先生本人は否定するかもしれない、とも付け加えています。
道場には実際に佐山さんがいて、大学を辞めて来た中井さんに驚きながらも、かわいがってくれたそうです。
大学辞めちゃったの?とか言って。えーとか言って。バカじゃないの?みたいなこと言われたんですけど、まあ可愛がってくれました。
中井さんが語る佐山さんの教え方は、当時の自分では咀嚼しきれないほど深いものでした。蹴りの出し方を1時間ほど見てもらっても、「全然ダメ」と「最高」の違いが自分ではわからなかったといいます。
でも先生はこっちの方が良かった。でも今のはダメだ、今のは迷いがあるみたいなこと言ってくれて、そういうようなことを突き詰めていくのは、やっぱこう見事だったですね。
佐山さんが来ると、道場の空気は一変してミット打ちなどの立ち技練習になりました。人が集まれば自然とグラップリングを始めてしまうことを、佐山さんは見抜いていたと中井さんは考えています。
でも組み技は勝手にやれば強くなるって先生がその時言ってたんですよ。その言い方は暴論すぎると今は思うけど、でも言わんとしてることはわかる。
中井さんの解釈では、組み技は自分で研究すれば伸びる面があるのに対し、打撃は教わったことをやらないと身につかないということです。今もプロの合同練習はほぼグラップリングになっていると指摘し、佐山さんの言葉は全部言い当てていたと話しています。
人が集まれば自然に始まり、自分で突き詰めて研究すれば強くなる面がある
教わったことを意識してやらないと身につかない。だから佐山さんは立ち技を練習させた
デビューの年に現れたUFCとグレイシー
中井さんは1992年夏に入門し、その年末のアマチュア大会で優勝してプロデビューの権利を得ました。優勝はテイクダウンから極める寝技中心の勝ち方だったそうです。
1993年4月にプロデビューした中井さんは順調に勝ち星を重ね、やがてグレイシーの来襲とバーリ・トゥード時代の到来のなかで、グレイシーと戦う急先鋒になっていきます。
中井さんのデビューの年は、ちょうどUFCが始まった年でした。佐山さんはそれ以前から、ブラジルで戦っていたグレイシーのことを道場で話していたといいます。
グレイシーすごいよとか。すごいよ、あいつらすごいよ。打撃は下手くそだけど。でも寝技は半端ないですよ。
当時の中井さんには何の話かわからなかったものの、UFCにグレイシーが登場したとき「これのことか」と腑に落ちたそうです。
中井さん自身も、薄々そう感じていました。当時のシューティングは寝技が膠着すると「待て」がかかってスタンドに戻される、講道館ルールの柔道のような競技だったからです。
だけど本当は待てがなかったらな、全員(寝技で)乗せるのになって思ってたのは事実です。
ホイス・グレイシーが道着を着て戦ったことについては、相手に掴まれても逆に自分のフィールドになるという自信の表れだと受け止めたそうです。グレイシーの主張が自分の考えと同じだと感じた中井さんは、「だったらタイマン張ろうよ」と燃えていました。
グレイシーの原点と七帝柔道はつながっている?
川邊さんが話を向けたのは、ブラジルでグレイシー一族と戦った木村政彦 ── 戦前から戦後にかけて活躍した柔道家。1951年にブラジルでエリオ・グレイシーと対戦し、腕がらみで勝利したことで知られますさんです。中井さんによると、木村さんは高専柔道 ── 旧制高校や専門学校で行われた寝技中心の柔道。七帝柔道はその流れを受け継ぐ旧帝大の柔道ですに私学として初めて参入した拓大予科のエースで、高専柔道の優勝者でした。
中井さんは、グレイシーのエッセンスの原点には高専柔道もあるだろうと話します。いろいろな流派があるものの、グレイシーは高専柔道の人たちとも戦ったり研究したりしているはずだ、という見立てです。
そのため中井さんは、七帝柔道をやってきた自分たちとグレイシーは同じだと考えていました。ただ、佐山さんの前で「柔道をやっていました」と言えるはずもなく、黙って練習を続けていたといいます。
グレイシーと戦う前のある時、中井さんが自分の柔道について話す機会がありました。すると雑誌記者が飛びつき、「日本にもシューティングに高専柔道出身者がいた」と救世主のように扱われ、中井さんはバーリ・トゥードの最前線に押し出されていきます。
あんまり先生の前で俺寝技やってたんだけど、言えるわけないじゃないですか。
エンセン井上との練習で知った柔術の違い
中井さんがブラジリアン柔術の研究に入るきっかけは、エンセン井上さんのシューティング加入でした。エンセンさんはハワイでヒクソン・グレイシーの兄であるヘウソン・グレイシーに習い、家に住んでいたこともあるほどで、グレイシー的には青帯でした。
エンセンさんと練習してみると、柔道とは攻め方がまったく違いました。最後の極めまでやれば中井さんが勝つものの、途中でマウントを何度も取られてしまったといいます。
柔術は元は柔道なんだけど、やっぱりバリトゥードのことを考えた体系が出てきてるんで、そこはまるっきり違った。
柔道ルールの中での強さ。最後の極めでは中井さんが勝てた
バーリ・トゥードを前提にした体系。途中でマウントを何度も取られた
「4年間何をやってきたのか」と思うほどの衝撃でしたが、中井さんは「柔術はすごいかもしれない」と練習を重ねました。その経験が、のちのバーリ・トゥード・ジャパンに間に合ったと振り返っています。
第1回バーリ・トゥード・ジャパンの敗北から何を学んだか
1994年の第1回バーリ・トゥード・ジャパンには、中井さんは出場できませんでした。会議で先輩の川口さんと草薙さんの2人に決まっていたからです。
中井さんは、雑誌で出場者をハガキ募集していたのを見て、自らハガキで応募していました。すると社長に呼び出されたそうです。
なんか気持ちはよくわかった。ハガキ見たよと。直接言えばいいのに、ハガキ見たよ。
出場した先輩2人は病院送りになりました。それを見た中井さんは、グラウンドに打撃が入ればそれまでのシューティングの技術は通じないと痛感したそうです。
でも逃げるか、やめるか、やるか、どっちかなんですよ。やめる?って言われたら、いやいややりますっていう感じで。
それまでの日本の総合格闘技では、寝た状態での打撃はないものとされていました。寝て殴ることには残酷すぎる、技術がなくなるという反対が多かったものの、実際にはそれ用の技術体系があり、日本側が知らなかっただけだと中井さんは語ります。
寝技になったら寝技をするもの。寝た状態の打撃はなく、膠着すればブレイク
寝て殴るバーリ・トゥードが現れ、それを前提にした技術体系の研究が必要に
川邊さんは、これをビジネスにたとえます。前提を変えたら全然違うマーケットがあったという話と同じだ、という指摘に、中井さんも同意しました。
離反した人や歩みを止めた人もいたなかで、中井さんたちは柔術を取り入れてバーリ・トゥードの技術を研究しました。中井さんは、それがシューティングと日本のMMAが変わるきっかけだったと考えています。そして1995年には「もう中井しかいない」という空気になっていたそうです。
まとめ
中井祐樹さんは北大を中退してシューティングに飛び込み、佐山聡さんの深い指導を受けながら、UFCとグレイシーの登場で寝技の価値を確信しました。エンセン井上さんとの練習と第1回バーリ・トゥード・ジャパンの敗北を研究の糧にし、1995年の舞台へ向かっていきます。
- 中井さんは北大柔道部で区切りをつけ、1992年に横浜のシューティングジムへ入門した
- 佐山聡さんは、組み技は自分で研究すれば伸びるが、打撃は教わらないと身につかないと見抜いていた
- グレイシーの登場は、寝技に長けた者が総合で勝つことを示し、七帝柔道出身の中井さんを最前線に押し出した
- エンセン井上さんとの練習で、バーリ・トゥードを前提にした柔術と柔道の違いを知った
- 第1回バーリ・トゥード・ジャパンでの先輩の敗北が、日本のMMAが変わるきっかけになった




