50歳のニューヨーク旅で何を見たのか?
亀田誠治さんはバンド活動を約8年続けたあと、解散後もプロデュースを続けながら、2019年から日比谷公園で「日比谷音楽祭」を開いています。川邊健太郎さんは、その動機をまず尋ねました。
亀田さんによると、きっかけは約10年前、50歳のときの旅です。原点回帰をしたいという気持ちから、自身が生まれたニューヨークへ1か月ほど滞在し、生まれた病院を探したり、ミュージカルや野球を観たりしたといいます。
セントラルパーク沿いのホテルに泊まり、公園を散歩していたある日、風に乗って気持ちのいい音楽が聞こえてきました。音のほうへ向かう園路には、おいしいウナギの匂いに吸い寄せられるような行列ができていたそうです。
尋ねると、ニューヨークでは5月から10月まで「サマーステージ」というフリーコンサートが開かれていて、並べば誰でも聴けると教えられました。
列に並んでいたのは、老夫婦、スーツ姿のビジネスマン、ジョギング中の若者、ベビーカーを押す夫婦、サンドイッチとワインを手に本を読むおじさんなど、さまざまな人たちでした。夕方からのコンサートのために午後から並ぶ、その時間の使い方に亀田さんは心を動かされます。
日本の音楽業界に感じていた違和感
当時の日本の音楽業界は、ダウンロードなど聴き方やメディアが変わり始め、CDに特典映像を付けるなど、付加価値で音楽を楽しむ方向へ一気にシフトしていたと亀田さんは振り返ります。
コンサートでも、グッズを買うためにアンコールを聴かず売り場へ走る人がいたといいます。最後の1曲にいちばん思いを込めているのに、という寂しさがあったようです。
亀田さんは、自身もその業界のフロントラインにいながら違和感を抱えていました。だからこそ、生活に音楽が溶け込み、富裕層やスポンサーの寄付で無料公演が成り立つニューヨークの姿に、日本との落差を感じて感動したと話しています。
セントラルパークでは、かつてサイモン&ガーファンクルが公園の再整備のために大観衆を集めたコンサートを開き、エルトン・ジョンやキャロル・キングもフリーコンサートを行ってきました。亀田さんは、そこが自由の象徴であり、感動体験を誰もが共有する場所だと感じ、同じ場所を日本に作りたいと考えたそうです。
東京都からのオファーと、噛み合わなかった構想
日本に帰った亀田さんのもとに、偶然オファーが届きます。日比谷公園が2023年に120周年、日比谷野音 ── 日比谷公園内にある野外音楽堂の通称。1923年開設で、多くのロックコンサートの舞台となってきましたが同じく100周年を迎えるため、2018年から5年間の記念事業として、公園全体を使った音楽フェスをプロデュースしてほしいという東京都からの依頼でした。
亀田さんは以前から、Eテレの自身の番組やインタビューで、野音を武道館と並ぶ音楽の聖地だと語っていました。劇場や映画館が集まり、かつて日劇があり、西洋の文化やエンターテインメントが始まった日比谷の街を称えていた発言を、関係者が聞いていたのだといいます。
亀田さんは、セントラルパークで見た景色を神様が見ていて授けてくれた機会だと受け止め、引き受けました。ところが、発注側との間には根本的なボタンの掛け違いがあったと振り返ります。
東京都側が想定していたのは、チケットを売って有名アーティストを集める大きなフェスでした。川邊さんが「タオルも売りましょうみたいな」と合いの手を入れると、亀田さんは「違うんです」と応じています。
亀田さんが目指したのは、感動体験の入り口となる場所をつくり、人々の文化へのリテラシーを育てる、いわば心の水やりでした。人が自分を認め、相手を認める寛容さを育てるのが音楽やアートだという考えを、当時は口頭で説明していたそうです。
東京都の想定と亀田さんの構想の違いは、次のように整理できます。
チケットを売る大型フェス。便利な場所に有名アーティストを呼び、東京のレガシーにする
誰でも無料で入れるフリーコンサート。感動体験の入り口として「心の水やり」になる場所をつくる
「日本のセントラルパーク」である日比谷で年に1日、行政主導でフリーコンサートをやりませんかという提案に、先方はきょとんとした反応だったといいます。
根比べの末の開催断念
そこから亀田さんと先方は、大坂冬の陣・夏の陣のような根比べになりました。先方は、資金が集まらなければ亀田さんも一部有料などのハイブリッド案に寄るだろうと考えていたようです。
しかし亀田さんは、ニューヨークでできることが日本でできないはずがないと考えていました。ロンドンでもトラファルガー広場 ── ロンドン中心部にある広場。ネルソン記念柱で知られ、集会やイベントの会場として使われてきましたで「ウエストエンドライブ」が開かれ、ミュージカルスターが1日中歌い、2万〜3万人が無料で観ていると話します。
結局、資金が集まらず、2018年の第1回開催は断念しました。それでも亀田さんはコンセプトを曲げなかったそうです。
スーツを着て営業した音楽プロデューサー
亀田さんは「もう1年ください」と頼み、自ら企画書を作って企業を回りました。就職活動の経験もなく、ネクタイを締めると七五三のようになってしまうと笑いながらも、スーツを3着新調したといいます。
運がよかったのは、青春を共にした同世代の仲間たちが執行役員などの立場にいたり、学生時代の先輩が企業オーナーだったりしたことです。ボトムアップだけでなく「セミトップダウン」のような形で、話を聞いてもらえたそうです。
代理店の決まり文句ではなく、文化という水やりが大事だという亀田さん自身の言葉で説明したことで、企業の社会貢献になると賛同する会社が増えていきました。当時はCSR ── 企業の社会的責任のこと。利益追求だけでなく、社会や環境への貢献を企業活動に組み込む考え方ですという言葉が生まれたばかりで、SDGsもまだふわっとしていた頃だったといいます。
少額からでも協賛し、自社の社員をブースに立たせたいという企業も現れました。各社が文化祭のように趣向を凝らしたブースを出し、2019年の第1回は1億円ちょっとの協賛金を集めて開催にこぎつけます。
無料でも全員にギャラを払う理由
亀田さんは、1億円ちょっとでは潤沢とは言えないとしつつ、出演者やスタッフ全員にギャラを支払うことにこだわりました。ノーギャラで頑張ってもらうと歪みが生まれ、2回目、3回目と続かないからだといいます。
舞台照明や音響、テントの設営ひとつに至るまで、亀田さんがこれまで培ってきたトッププロの仲間のノウハウをつぎ込み、「安かろう悪かろう」ではないフリーイベントを目指したそうです。
川邊さんは、アメリカでこうした形が成り立つのは出演料分が税の控除対象になる仕組みがあるからではないかと指摘し、行政ができる支援として出演料の控除を挙げました。亀田さんは税制を根本から変えるのは難しいとしつつ、実例を積み重ねれば変わっていくと考え、そこに情熱を燃やしていると語っています。
コロナ禍を越え、17万5000人が集まる2日間
日比谷音楽祭は2019年に始まった直後、コロナ禍に直面します。開催の歩みは次のとおりです。
2021年は、ストリーミングのバックアップをU-NEXTと組んで準備していました。規制上は野音だけ定員の60%まで観客を入れられたものの、日比谷音楽祭には小音楽堂や公園内の複数のステージ、日比谷のミッドタウンのステージもあります。亀田さんは野音だけ有観客にするのは問題だと考え、すべてをオンラインで届けることにしたそうです。
2025年の開催は5月31日と6月1日で、全部無料です。野音以外は事前登録なしで入れますが、トップアーティストが集う野音のコンサートだけは無料チケットの抽選制になっています。
無料チケットを公平に届ける工夫
亀田さんは、無料の抽選チケットがオークションサイトに出品されることを懸念しました。川邊さんが長く経営に携わったヤフーのヤフオクを例に挙げ、「ヤフーさんを責めてるわけじゃないんですよ」と断りつつ、心ない扱いを防ぎたかったと語ります。
そこで、ぴあ、ローチケ、イープラスの3つのプレイガイドで最先端の認証システムを導入しました。さらに、無料イベントで起こりがちな当日の歩留まり ── ここでは、当選者が来場せず席が空いてしまうことを指していますを防ぐため、3時間前までにアプリでチェックインしなかった分を繰り上げ当選にする仕組みをつくり、毎回ぎっしりの客席になっているそうです。
来場者数について、亀田さんは次のように説明しています。
楽器体験と、病院から届いた手紙
日比谷音楽祭では、ライブに加えて飲食や楽器の無料体験もできます。ドラムやギターだけでなく、全国の楽器関係の団体が集まり、アコーディオンやオカリナも先生の手ほどきで体験でき、オカリナに絵を描くワークショップもあるそうです。
外に出られない施設の子どもたちに向けて映像を届けたり、来場できる施設の子どもたちの席を毎年確保して招いたりもしています。亀田さんのもとには、「365日の紙飛行機」に元気をもらい、病気を治してアイドルを目指したいという手紙も届いたといいます。
こうした声から亀田さんは、日比谷音楽祭の役割はいい音楽を無料で届けるだけでなく、社会によい風を吹かせることにあるのではないかと語っています。川邊さんも、初めてライブを観る人に夢を与えている面があると応じました。
MONGOL800の「小さな恋のうた」やSaucy Dogの「シンデレラボーイ」、秦基博さんの「ひまわりの約束」といった国民的ヒット曲では、立教大学の学生たちが手話を交えて踊る「手話歌」とトップスターが同じステージに立つ演出も行われています。
クラウドファンディングは財源になるのか?
日比谷音楽祭はクラウドファンディングも行っています。始めた2018〜2019年頃は「それは何ですか」「クレジットカード番号は大丈夫ですか」と怪しまれたそうですが、コロナ禍を経て社会のデジタル化が進み、状況は変わったと亀田さんは見ています。
今ではクラウドファンディングは大事な財源で、前年は2900万円ちょっと、今年は3000万円を目指しているといいます。予算に占める割合は14〜16%ほどで、将来的には半分ほどまで高めたいそうです。
リターンには、Tシャツやオリジナルマグカップのようなフェスグッズのほか、亀田さんとのミート&グリート ── アーティストと直接会って話したり写真を撮ったりできるファン向けの特典のことです、亀田さん自らが案内するレコーディングスタジオツアーなど、日比谷音楽祭でしか体験できないものが用意されています。
今年試しているのは、結婚式や記念日に向けたビデオレターです。定型のお祝いではなく、二人のなれそめをヒアリングし、詩を紡ぐように言葉にした2分間の完全オーダーメイドの映像を届けるといいます。
亀田さんは、欧米ではエド・シーランが家のキッチンで歌うような特典も珍しくないと話します。一方で日本には、お金を動かすことへの抵抗感や、協力すると売名のように見られる空気があるとして、もっとフラットな空気をつくっていきたいと語っています。
音楽家を超えて、どんな場をつくりたいのか
今後の抱負を問われた亀田さんは、大きくすることより身の丈があるとしつつ、日比谷音楽祭を続けることで、生きやすい社会をつくる入り口や、まだ知らない音楽に出会うきっかけをつくりたいと話します。
亀田さんは、日本人の「武士は食わねど高楊枝」のようなところを、好きでもあり惜しくもあると表現しました。音楽業界やアーティスト一人で頑張るのではなく、いろいろな企業や立場の人が恩送りのようにお金を回していく仕組みをつくりたいといいます。
実際に、日比谷音楽祭に協賛する企業同士のコラボも始まっているそうです。亀田さんは、そうした常識を覆すような新しい循環を生み出したいと語っています。
デジタルが大好きだという亀田さんですが、リアルに触れ合い、波動や周波数を交換し合える空間をつくる、その代表になりたいとも話しました。川邊さんはこれを、音楽家から、心地よく創発的な空間を整えるプロデューサーへの変化だと受け止めています。
年齢で区切らないベーシストとして
後継者について亀田さんは、自分より優秀な人がきっと現れると信じていると語りました。以前の回での藤田さんとの後継者育成の話にも身につまされたといいます。
それでも、日比谷音楽祭の実行委員長である前に、根っこにあるのはベーシスト・亀田誠治だと亀田さんは言います。川邊さんが矢沢永吉さんの東京ドーム公演を挙げ、亀田さんがミック・ジャガーの名前を出すなど、二人は年齢で区切らない生き方について語り合いました。
亀田さんは、年を重ねるほど出会いがあって面白いと話し、人脈を広げながらいい社会、いい暮らしをつくっていきたいと締めくくりました。川邊さんも共感を示し、Xでつながっただけのオファーに即答してくれたことへの感謝を伝えています。
まとめ
日比谷音楽祭は、亀田誠治さんが50歳のときにニューヨークで見たフリーコンサートの光景から始まりました。発注側との考えの違いや開催断念、コロナ禍を経ても無料というコンセプトを曲げず、協賛とクラウドファンディングで支える仕組みを育ててきた過程が語られた回です。
- 原点はセントラルパークの「サマーステージ」で、生活に音楽が溶け込む光景に亀田さんは感動した
- 有料フェスを想定した東京都と構想が噛み合わず、2018年は開催を断念したが、翌年に自ら営業して約1億円の協賛を集めた
- 無料でも全員にギャラを払い、トッププロのノウハウを注ぐことで、続けられるイベントを目指している
- 認証付きの抽選や繰り上げ当選、楽器体験、施設の子どもへの招待など、公平に届ける工夫が重ねられている
- クラウドファンディングや企業同士のつながりを通じて、お金と人が循環する新しい仕組みづくりを目指している


