アイドルの曲がプロとしての初アレンジ?
亀田誠治さんのプロとしてのキャリアは、アイドルグループの楽曲から始まりました。作曲を頼まれてデモテープを作ったところ、アレンジも任されることになったといいます。
作曲のデモテープ作ったらアレンジもいいからアレンジもしてみない?みたいな感じで。
亀田さんが初めて手がけたのは、アイドルグループココの「夏の友達」という楽曲です。当時のポニーキャニオンには、おニャン子クラブの流れもあって余裕があり、新しい人をどんどん使おうというおおらかな空気があったと亀田さんは振り返ります。
音楽業界全体がバブルの余韻もあって、もうバブルははじけてるんですよ。はじけてるんですけど、なんかやっぱりこう、心にみんな余裕があって。
数年前には「若すぎて使えない」と見られていた亀田さんでしたが、この曲がオリコン初登場3位を記録します。そこから「亀田誠治って誰?」と、いろいろなところから声がかかるようになりました。
ガールポップの仕事は成り行きだった
デビュー後の亀田さんは、アイドルものに加えて、相馬宏子さんや谷村有美さんといったアーティストの仕事も手がけていました。特にガールポップの仕事が多かったといいます。
川邊さんが「ガールポップが得意だったのか」と尋ねると、亀田さんは成り行きだったと答えています。
たまたまの御縁で、目の前にある球というか、仕事を一生懸命打ってたら、そういうものが多かったっていう。
亀田さんがプロになったのは25歳のときです。10代でバンドデビューして頭角を現す人が多いなか、亀田さんは自身を「かなり遅咲き」と見ていて、自分の歩みを「亀の歩み」と表現しています。
父の手紙に書かれていた「ギターに転向しなさい」
25歳の亀田さんには、もう1つの転機がありました。アレンジの仕事と同じ時期に、崎谷健次郎さんのツアーでサポートのベーシストに誘われ、演奏家としてもプロになったのです。
崎谷さんは当時「もう一度夜を止めて」が大ヒットしていて、そのライブは東京・中野サンプラザで行われました。亀田さんは晴れ舞台を見てもらおうと両親を招きます。
亀田さんの父は、以前「政治と経済を動かす人間になってみろ」と語っていた人物です。ライブの後、亀田さんが家に帰ると、その言葉を言われたテーブルの上に父からの手紙が置かれていました。
何年か前に親父が政治と経済を動かす人間になってみろって言ったテーブルの上に、「誠治へパパより」って手紙が書いてあって。
「誠治の弾いているベースという楽器は何をやっているのかがよくわからない。明日からギターに転向しなさい。パパより」。
認めてもらえたと思って封を開けた亀田さんは、拍子抜けしたそうです。ただ川邊さんは、父の関心が少なくとも音楽の範疇に入っているという変化を指摘し、恥ずかしさまぎれの面もあったのではないかと受け止めています。亀田さん自身も、この手紙で認めてもらえたと振り返っています。
政治と経済を動かす人間になってみろ
ベースはよくわからないから、ギターに転向しなさい
演奏家とアレンジャー、どちらを選んだのか
川邊さんは、実演家と作曲家のどちらの仕事が増えていったのかを尋ねます。亀田さんの答えは「イーブン」で、両方とも大事にしてきたといいます。
アレンジやプロデュースに絞っていく人は、演奏をミュージシャンに任せて専念することが多いそうです。それに対して亀田さんは、楽器を弾く自分が土台にあると話します。
とにかく楽器を弾いている自分がまずあって、そこがミュージシャンであった上での編曲家、アレンジャー、プロデューサーなので。
そのため亀田さんは、自分がアレンジする曲では必ずベースを弾くようにしてきたと語っています。
「すごい新人がいる」椎名林檎との出会い
32歳ごろ、亀田さんのもとに東芝EMIから「すごい新人がいる」と電話がかかってきます。文語調の歌詞、洋楽か歌謡曲かを超越したメロディー、卓越した歌唱力を持ち、本人は天下を取ると言っている新人でした。
その新人が椎名林檎さんです。レコード会社は、オリジナリティがありすぎて、どう作りどう世に出せばいいのか誰もわからない状態だったといいます。
亀ちゃんだったら人柄いいし、付き合ってくれるかもと思って電話しましたみたいなのがメーカーから来て、人柄かいみたいな。
初対面の椎名さんは、マライア・キャリーが好きと言ったかと思えば、一番好きなのはザ・ピーナッツと美空ひばりかもしれないと話し、亀田さんの部屋にあった『サウンド・オブ・ミュージック』の曲を目の前で歌ってみせたそうです。
ジャンルや、もうなんか何の縛りもないの。好きな音楽、いいと思った音楽を、自分は好きなものは好きと言う。やりたいことをやりたいと。
「洋楽を目指せ」の時代への違和感
当時の音楽業界には、洋楽を良しとし、邦楽を一段低く見る雰囲気が強かったと亀田さんは語ります。レコード会社の打ち合わせでは、洋楽のCDが10枚ほど並べられ、そのイントロを参考にするよう求められることもあったそうです。
え、パクれってことですか?みたいな。もう本当にそういう打ち合わせがもうまことしやかにされてて。
洋楽に似ていると喜ばれる空気に、亀田さんは違和感を抱いていました。そんなときに椎名林檎さんと出会えたことが大きかったといいます。
とんがりを重ねてワンアンドオンリーへ
手に余ると思われていた椎名林檎さんをどう打ち出すのか。亀田さんの考えはシンプルで、生まれている才能をそのまま外に出すことでした。ただし尖りすぎているので、出し方だけに気をつけ、それをサウンドで補ったといいます。
亀田さんのやり方は、尖りを丸めるのではなく、サウンドも尖らせて唯一無二にするというものです。
メロディと歌詞だけがとんがってるんじゃなくて、サウンドもとんがることによって、いろんなベクトルのものが混じり合うので、ある意味個性になって唯一無二になる。
才能をそのまま出す
歌詞とメロディーの尖りを削らない
サウンドも尖らせる
出し方を気をつけつつ、音でも個性を出す
ベクトルが混じり合う
複数の尖りが重なって個性になる
ワンアンドオンリー
唯一無二になった瞬間に跳ねる
椎名さんは「幸福論」でデビューし、「歌舞伎町の女王」を経て「ここでキスして。」でミリオンヒットになります。亀田さんは1stアルバム『無罪モラトリアム』と2ndアルバム『勝訴ストリップ』を全面的にアレンジ・プロデュースしました。
驚くべきことに、18歳の椎名さんが亀田さんの家に来た時点で、2枚のアルバムに収録された曲のほとんどはすでに出来上がっていたそうです。ピアノの弾き語りやギター1本、福岡の地元のバンドでの演奏音源などの形でした。
なぜ同時期に女性シンガーが一斉に現れたのか
川邊さんは、椎名林檎さん、宇多田ヒカルさん、浜崎あゆみさんが同じ時期に次々と登場したJ-POPの全盛期について、なぜそんなことが起きたのかを尋ねます。
何年かに一回こういうビッグバンってあるんですよ。で、これは多分音楽だけじゃないと思います。
亀田さんによると、ビッグバンはゼロから生まれるのではなく、高密度な何かがぶつかり合う中で起きるものです。音楽ではUAさんやCHARAさんが道筋を作り、そこに椎名さんやaikoさん、浜崎さんが続いたと見ています。
さらに亀田さんは、唯一無二であっても「この肌触り、ちょっと前からあるな」という既視感が人の心を捉えると語ります。渋谷系が広げた音楽関係人口、CDの大量販売、Mr.ChildrenやGLAY、LUNA SEAなどのバンドブームという土壌の上で、女性シンガーたちが狼煙を上げたという見立てです。
土壌
渋谷系、CDの普及、バンドブームで音楽関係人口が拡大
道筋
UAさんやCHARAさんが獣道を開く
ビッグバン
椎名さん、aikoさん、浜崎さんらが同時期に登場
平井堅とスピッツはなぜ亀田誠治に声をかけたのか
椎名林檎さんのアルバムのヒットで、亀田さんの仕事は「めちゃくちゃ」増えました。面白いのは、そのオファーが椎名さんの歌の力をきっかけに届いたことです。
平井堅さんは椎名さんの歌を聴き、その歌を作品として閉じ込めている亀田誠治という人と仕事をしたいと考えたそうです。そこから「古道家」や「瞳をとじて」といったヒット曲のオファーが来ました。
同じころ、亀田さんはアイドルグループのチェキッ娘の仕事もしていて、アルバムを2枚ほど作っていました。スピッツの草野マサムネさんは、テレビのクレジットで「編曲 亀田誠治」を見て、椎名林檎さんを手がける亀田さんと同じ人だと気づいたといいます。
だからリンゴさんやってただけじゃダメだったんですよ。チェキッ娘もやってたら。
草野さんは、その振れ幅を持つ人とスピッツが掛け合わされば、新しい扉が開けるのではないかと考えました。こうして始まったスピッツとの仕事は「さわって・変わって」から、アルバム『三日月ロック』を経て20年以上続いています。
最近では、名探偵コナンの主題歌「美しい鰭」が何億回も再生され、若いファンも増えてストリーミング時代のヒット曲も生まれたと亀田さんは話しています。
トップアーティストは「モンスター」
川邊さんは、亀田さんの手がける音楽のメジャー感に、小中学生時代にアメリカのヒットチャートを聴き続けた資産が生きているのではと尋ねます。亀田さんはそれを認めつつ、トップアーティストはモンスターだと語ります。
そこに主体性のないアドバイスであったり、プロデュースをすると必ず見抜きます。
亀田さんは、あるアーティストでうまくいったことを別のアーティストに混ぜると「崩壊する」と話します。そのため、質問されない限り、アーティストの前で別のアーティストの話はしないそうです。
君の手足、耳と目になって一緒に作るから一緒に頑張ろうっていう、やっぱりそういう覚悟というか、気持ちで作るような。
「頷きの亀」はなぜアーティストを動かせるのか
亀田さんは、自分から提供することはほとんどなく、アーティストから引き出したものを形にしていると語ります。打ち合わせではアーティストの不満も希望もひたすら聞くことから、「頷きの亀」という異名があるそうです。
話を聞いてもらったアーティストは、次のステージに立てるといいます。そこで亀田さんは「さっきやってみたいと言っていたサウンドを思い切ってやってみない?」と一度まっさらにして話をするそうです。
川邊さんはこれを、ビジネスでいうコーチング ── 相手の話を聞き、問いかけや承認を通じて本人の考えや行動を引き出す人材育成の手法。答えを教えるより、本人が気づくことを重視しますだと受け止め、相手を承認することでやる気を引き出す技術だと表現しています。
亀田さんはさらに、才能と力がありすぎるリーダーの周りで、人が渦に巻き込まれて身動きが取れなくなることが、音楽の制作チームでもよく起きると指摘します。そのため業界のエチケットは守りつつ、極力シンプルに本人と直接対話して作っていくといいます。
アルバム制作とクライアントワークの前さばき
1枚のアルバムを作るのにかける時間はケースバイケースで、3年ほどかけてじっくり作る場合もあれば、2〜3か月に凝縮して作る場合もあるそうです。
亀田さんが特に気をつけるのが、映画の主題歌などのクライアントワークです。クライアントからの大量の注文をアーティストが全部受け止めると壊れてしまうため、亀田さんが前さばきをします。
前さばきして、で、僕の中でちゃんと消化しきれて、ちゃんとアーティストにプレゼンテーションできないとやっぱり崩壊するんです。
消化しきれていないと、アーティストから「ここ変えちゃっていいと思う?」と痛いところを突かれるそうです。亀田さんは経験を重ね、今は相手の要望を受け止めながらクオリティを落とさず、もっといいものを作れるところまで来ている感覚があると話しています。
プライベートでは会わないという距離感
アーティストとの会話は、歌詞やコンセプト、2小節ほどのギターフレーズといった細部から、次にやりたいライブに向けた曲作りといった大きな話まで幅広いそうです。
一方で亀田さんは、アーティストと普段プライベートで飲みに行ったり食事をしたりはしないと決めています。打ち上げはしても、日常的な食事や旅行はしないそうです。
分かりすぎちゃうとクリエイティビティがやっぱりちょっとね、鈍るんですよね、センスが。
亀田さんは、距離感があるからこそ長続きもできると語ります。実際にアーティストとの付き合いは長く続いています。川邊さんも、孫正義さんとは雑談をしたことがほぼないと話し、仕事の関係としての距離感に共感していました。
東京事変への加入と武道館の夢
椎名林檎さんの2枚のアルバムを作り終えた後、亀田さんは「やりきった」感覚で一度離れます。3年ほど経ったころ、椎名さんから電話がかかってきました。
師匠、師匠と呼ぶんですけど、バンドを組みたいね。ベースをバンドのメンバーとして弾いてくれないかっていう。
アレンジャー・プロデューサーとしての共同制作ではなく、1人のバンドメンバーとしての誘いでした。亀田さんはやりたいと思いつつ、収入が減るかもしれないと家族会議を開きます。
そしたらもう家族全員が絶対やった方がいいよ。だってリンゴさんとやってたパパかっこよかったよみたいな話。
こうして東京事変に加わった亀田さんは、比較的すぐに武道館のステージに立ちます。かつて抱いていた武道館の夢が、年月を経て叶った瞬間でした。
夢は時差をもってやってくる
武道館の夢を叶えた感想を聞かれた亀田さんは、夢にはタイムラグがあると語ります。
ただし夢だけを追っているときつくなるので、夢を持ちながら他のことをやることも大事だといいます。川邊さんは「道草しながらも、どこかで回収できる」と応じています。
亀田さんは、若いアーティストや社会人が「思っていたのと違う」とすぐに離れてしまうことを気にかけています。作品が売れなかったり、誤解から人が離れたりする経験は自身にもあったと認めたうえで、次のように若い人たちに伝えているそうです。
二年、三年、五年とかってどうってことではなくて、長い人生の中、どれだけこの自分の願っている、思っている果実を実らせ、それが人が食べても美味しいものになれば、こんなに幸せなことはないだろうよっていう。
亀田さんにとって、長い人生の中で果実を実らせることが、目先の数年の違和感より大切だというメッセージでした。
まとめ
亀田誠治さんは、遅咲きのプロデビューから、目の前の仕事を一つずつ打ち続けることでキャリアを広げてきました。その流儀の中心には、アーティストのやりたいことを聞いて引き出し、尖りを活かして唯一無二にする姿勢があります。
- 椎名林檎さんのプロデュースでは、才能を削らず、サウンドも尖らせることでワンアンドオンリーを目指した
- スピッツからのオファーは、椎名林檎さんとチェキッ娘の両方を手がける振れ幅がきっかけだった
- トップアーティストには、別のアーティストの話を持ち込まず、対話で本人のやりたいことを引き出す
- クライアントの要望は亀田さんが前さばきし、噛み砕いてからアーティストに提案する
- 夢には時差がある。数年の回り道で投げ出さず、道草しながら続けることが大切


