日米中の三角関係は、なぜ日本にとって「罠」なのか
対談の終盤、川邊健太郎さんは船橋洋一さんに、アメリカ・中国・日本の3国関係が現在どうなっていて、今後どうなっていくのかを尋ねました。川邊さんはこの3国関係を「ものすごい重要」だと位置づけています。
船橋さんはまず戦前に目を向けます。日米開戦の原因にはさまざまな理論があるとしながらも、中国をめぐる日米の利害対立を調整できなかったことが最大の要因だと考えています。
だけどやっぱり中国を巡る日米のこの利害対立、これがやっぱり調整できなかったというのが最大の要因だと思いますね。
船橋さんによれば、戦後はこの問題がひとまず脇に置かれてきました。しかし米中が対決を深め、デカップリング ── 経済や技術の結びつきを意図的に切り離すこと。米中間では半導体やサプライチェーンの分離を指して使われることが多い言葉ですに進むと、再び大きなリスクとして浮上する可能性があるといいます。
船橋さんは、米中の「グランドバーゲン」、つまり大きな取引による手打ちは難しいと見ています。デカップリングの方向は、年単位で続くのではないかという見立てです。
そうなると、アメリカは日中間に緊張を作らせようとするかもしれません。一方の中国は、日本との関係を改善したい要因を持ちつつも、究極的には日米同盟を壊したいという離間策のほうへ強く傾くのではないか、と船橋さんは話しています。
船橋さんは、日本にとって考えられる2つのシナリオを比べたうえで、対決のほうがより恐ろしいと語ります。
米中がカルテル化し、日本がはじかれる。台湾や第一列島線も含め、西太平洋が中国の勢力圏になりかねない
日本が板挟み以上の状態に追い込まれる。船橋さんは、こちらのほうがもっと恐ろしいと見ている
やっぱり米中が融合されて、カルテル化されて、日本がはじかれるという、そのリスクもあるけれども、やっぱり対決の方がもっと恐ろしい。
船橋さんはこの状況を「日米中の罠」と呼んでいます。三角関係はどれも難しいものですが、日米中関係は特に難しいといいます。理由は、日本にとってアメリカは同盟国であり、中国と等距離を取るという選択肢がないからです。
船橋さんによれば、アメリカがどこまで信頼できるのかわからない以上、日本は自国をもっと自分で守る必要があるかもしれません。けれど、それが前に出すぎると日米関係と抑止力が弱まり、中国がそこに付け込んでくる。船橋さんは、そうして揺さぶられると「もっと惨めな日本になる」危険性を指摘します。
船橋さんは、日本は中国から見て第一列島線 ── 中国が軍事戦略上の防衛ラインとして想定するとされる線で、九州から沖縄、台湾、フィリピンにかけての島々を結ぶもの上の「バリケード」にあたる、という地政学的な位置に日本を置いています。
単なる中立的なその戦略アセット資産じゃないんですよ。どっち行っても倍返しになっちゃう、これは。
トランプ現象の先に、日本は「最後の同盟国」になるのか
川邊さんは、アメリカ自身が大きく変わってきていると水を向けました。船橋さんはこの変化も長期的なものだと考えています。
トランプ個人が作ってるんじゃないんで。トランプはむしろそういう流れの中で出てきた一種の波、この表れですからね。
船橋さんの見方では、トランプ的な潮流はよほど注意して見ておく必要があるものです。ただ同時に、アメリカにとっても日本のような同盟国はもう望めない存在だといいます。
日本のような同盟国ってもうなかなかもう望めないし、同盟国これ以上増えないし、これから減っていくと思いますよ、選択的にね。
船橋さんは、日本がアメリカにとって「最後の同盟国の一つ」に残るかもしれないと語ります。中国への脅威感が長く続けば、アメリカは日本をどうしても残しておきたいと考えるかもしれないからです。
その延長として、船橋さんは、日本に核を持たせたほうがいいという議論がアメリカで出てくる可能性にも触れました。国防次官のコルビー氏が、すでに韓国の核保有を容認するような発言を始めているといいます。
中国への脅威感が長期化
米中の緊張が年単位で続く
同盟国が減っていく
アメリカは選択的に同盟国を絞り込む
日本を残したいという動機
日本が最後の同盟国の一つに残る可能性
核の議論が出る可能性
日本に核を持たせたほうがいいという声が出るかもしれない
川邊さんが、兵器が1つ増える話として考えればそれほど奇妙ではないのでは、と応じると、船橋さんは「それが核になるってだけの話」と返しています。そのうえで、そうしたことも含めて考えなければならないのがこれからの時代だとまとめました。
政治家と国民に求められる「リアリズム」と「参画」
川邊さんは、罠が多い国際環境で、しかも逃れられない土地にいる日本の政治家や国民がどうあってほしいかを、船橋さんに尋ねました。
船橋さんの答えは、世界を自分の思いや課題だけで見るのではなく、世界の動きを突き放して冷静に見ることでした。そのうえで、日本の国益をその中でどう表現し、実現するかを考える必要があるといいます。
新しいバランスオブパワーにしてもね、国際秩序にしても大きく揺らいでるし、崩れてるんだから、じゃあどうやってそれを再建するかとか(考えて)、建設者として中に入ってないと最初から。
川邊さんは、この考えを「リアリズムでまず捉えて、その上でプレーヤーたれ」と言い換えました。船橋さんもこれに同意し、まずしっかりと見据え、そのうえで参画していくことだと応じています。
川邊さんは、船橋さん自身のさまざまな活動もこの「参画」であり、その根源には愛国心がある、と確認しました。船橋さんは、日本の政治にもっと国民や市民が参画し、発言していかなければならないと続けます。
やっぱりもっと国民が、市民が懸命に参画していかないと、発言していかないと、選挙で投票するだけじゃもう間に合わないということでもありますよね。
船橋さんは、パブリックに出ていくことはSNSの時代にいっそうリスクになっているとも指摘します。川邊さんは、自身もライドシェアの取り組みだけで3回デモをされたと明かし、それでも「誰かがしないと」という船橋さんの言葉にうなずいていました。
記者人生の総括と、書けなかった中曽根康弘
対談の最後に、川邊さんは2時間半にわたって話を聞いてきたことを振り返り、船橋さんにこれまでの人生の総括と今後の抱負を尋ねました。船橋さんは「振り返ってこうだったなと言うと、もう過去形になっちゃう」と笑いながら答え始めます。
やっぱり記者って来てよかったと思いますね。
船橋さんが記者でよかったと感じる理由は、歴史的な大転換期の現場に居合わせ、それを記録できたことです。すべてを書けたわけではなく、たとえば石油危機は書きたかったものの、その力がなかったといいます。
それでも石油危機の取材からは、経済安全保障論を理論として取り出すことができました。大きな事件のいくつかは自分なりに記録できたとして、船橋さんは「これは幸せだった」と語っています。
船橋さんがもう1つ挙げたのは、誰に巡り合うかの大きさです。天下国家の記者を志した以上、最後は政治リーダーとの出会いが大きかったといいます。具体的には、中曽根康弘、小渕恵三、安倍晋三の3人の名前を挙げました。
船橋さんは、イギリスの政治記者の友人から聞いた話も紹介しています。イギリスの政治記者の夢は、生涯で1人、誰か政治家の伝記を書くことだそうです。ただ、首相が日本以上にくるくる変わる今では「誰も書きたいのがいなくなって、みんな失業だ」と言っていたといいます。
船橋さん自身は、石油危機のころに中曽根康弘さんをリーダーだと感じ、伝記を書こうと考えていました。しかし結局、書けなかったと振り返ります。
書けなかった。それだけの力がなかったっていうこともあるんだけども、人脈もね、一つはやっぱりナベツネさんの存在ですね。
船橋さんが挙げた理由は2つです。1つは、中曽根さんのそばにはナベツネ ── 読売新聞グループの主筆などを務めた渡邉恒雄氏の通称。政界との太いパイプで知られ、中曽根康弘氏とも深い関係にありましたさんがいて、それほど深く中曽根さんに入り込める記者は他にいなかったこと。もう1つは、中曽根さんが自分のことを全部自分で書かないと気が済まない人だったことです。
中曽根さんって全部自分のことを自分で書かないと気が済まないですよ。
船橋さんは、中曽根さんが自ら築いた「殻」を打ち破って書かなければ意味がなく、それほどのものが自分にできるとは思えなかったといいます。戦後最大の危機だった石油危機のときの中曽根さんだけでも書きたかった、と残念そうに語りました。
ナベツネ、小渕恵三、安倍晋三との距離
川邊さんは脱線と断ったうえで、船橋さんから見たナベツネさんがどういう人だったかを尋ねました。船橋さんの答えは「幸いなことに深いご縁ないんですよ」という意外なものでした。
あまりにも磁力、引力すごすぎて、あのゾーンに入れないちゃう可能性があるんでね。
船橋さんは、もし深い縁があったら「ほとんど吸われちゃってた」かもしれないと話しています。何度か同席したことはあるものの、それ以上の関係ではなかったといいます。
話は小渕恵三さんに移ります。船橋さんは、小渕さんには「もうちょっと生きてやってほしかった」と語り、よりリベラルで深い関係を持っていたと振り返りました。
船橋さんによれば、21世紀日本の構想懇談会は、小渕さんが官房長官時代から密かに温めていたアイデアでした。もともとは司馬遼太郎さんを座長にするつもりでしたが、司馬さんが亡くなり、河合隼雄 ── 日本の臨床心理学者。ユング心理学を日本に紹介し、のちに文化庁長官も務めましたさんの名前が挙がったといいます。
船橋さんは宮本亞門さんと2人で京都まで河合さんを口説きに行ったそうです。朝日新聞の編集委員をしながら、懇談会づくりの裏方をほとんど担っていたといいます。
こんなのはもうはっきり言うと新聞記者の仕事じゃないですから。
小渕さんとは月1回の朝食会も続けていて、船橋さんにとって大きな勉強になり、アイデアも出したといいます。小渕さんのことは書こうと思ってメモもたくさん取っていました。
結局、船橋さんが書いたのは安倍晋三さんのことでした。ただし伝記ではなく、安倍政権を書いたものです。安倍さんは自分より若く、亡くなるとは思っていなかったので、生きている人の伝記は初めから難しかったと話しています。
代表作はどれか。愛着のある『青い海を求めて』
川邊さんは、たくさんの著書のなかから代表作をあえて1冊選ぶならどれかと尋ねました。船橋さんは「これ以上難しい質問なくてね」と前置きします。
出した本、みんな子供みたいなもんだから、どの子供が一番可愛いかっていうようなもんでね、もう答えられないんだよね。
船橋さんは、一番最近書いた本をどうしても挙げたくなると言いつつ、少し突き放して考えたうえで『青い海を求めて』を挙げました。朝日新聞に2004〜2005年ごろに書いたもので、60歳でいったん朝日を辞めるころの仕事です。
この本のテーマは、アジアの海の物語です。船橋さんは、日本は海洋国家であり、海に未来があると同時に、一番怖いのも海だと考えていました。大英帝国もそうだったといいます。連載は十数回に及び、東アジア海洋文明紀行と銘打ったそうです。
取材では、日本の東西南北の端にある礼文島、南鳥島、波照間島、与那国島の4つをすべて訪ねました。泊まって話を聞き、アジェンダなしでぶらっと行って書けることを探す、という取材だったといいます。
アジェンダなしですから、ぶらっと行ってみて、何か書けることないかなっていうので行くんですよね。最高の取材なんで。
船橋さんが覚えているのは、礼文島でちょうど20歳を迎えて成人式に出た双子の兄弟の話です。彼らはタラ漁に出て、朝4時に帰ってきたといいます。船橋さんは、こういうものを一番書きたかったし、一番やりたかったことだと語りました。
川邊さんが宮本常一 ── 日本各地を歩いて庶民の暮らしを記録した民俗学者。『忘れられた日本人』などの著作で知られます的だと言うと、船橋さんもそれを認めています。取材は日本にとどまらず、中国や韓国の済州島、さらにサハリンのオハでは犬ぞりに乗ってオホーツク海を越えたそうです。主筆になる前の、記者として最後の仕事だったこともあり、特別な作品だといいます。
最も影響を受けた人、デイヴィッド・ハルバースタム
川邊さんは、自分にとっては孫正義さんが最も強烈な存在だと例に挙げたうえで、船橋さんに最も影響を受けた人を1人挙げてほしいと頼みました。
この人をモデルに、なんかあの人を真似てっていうのは一個もないんだよね。一人もいないんだよね。
船橋さんは、影響を受けてお世話になった人はたくさんいるものの、手本にした人はいないと話します。それでも1人だけ挙げるなら、アメリカのジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバースタムさんだといいます。
ハルバースタムさんは『ザ・ベスト・アンド・ブライテスト』で、ベトナム戦争においてなぜエリート中のエリートが大きな間違いを犯し、国を誤ったのかを描いたノンフィクション作家です。船橋さんは、その仕事が調査報道だけでなく、当事者に語らせる手法でもあったと説明しています。
船橋さんはハーバード大学でニーマン・フェロー ── ハーバード大学のジャーナリスト向け研究プログラム。現役記者が1年間大学に在籍して学ぶことができますとして在籍していたとき、プログラムに来たハルバースタムさんと親しくなりました。ナンタケットの自宅に招かれたこともあったそうです。
その後、ハルバースタムさんは日本車がアメリカ車を駆逐していく過程を描いた『ザ・レコニング』の取材で、1982年か1983年ごろに来日します。このとき船橋さんは、今度は逆に取材を受ける側になりました。
船橋さんが驚いたのは、その取材の仕方です。ハルバースタムさんは質問を重ねながら「太平洋は広いよね」と自分で文章を作り、相手に相槌を求め、こちらが何か言うと「それもそうだよね」と取り込んでいったといいます。
この取材、取材対象、もう感情移入100パーセント。すごい。ああ、そうかと。
本になると、そのときの表現がそのまま出てきたそうです。船橋さんは、自分はもっとハードボイルドで突き放したスタイルだと言い、2人の違いをはっきり語っています。
取材対象に感情移入100パーセント。相槌を求めながら、相手と一緒に言葉を作っていく
もっとハードボイルドで、突き放した感じ。反射的にすぐ写し取るようなやり方を好む
それでも船橋さんは、ハルバースタムさんからすごく学んだといいます。人柄がよく、情に厚く、一度親しくなるととことん付き合う人だったそうです。学んだ核心は、ノンフィクションの描き方と、そのパワーでした。
いわゆる調査報道でこれだけやりました。プラスがあるんだよね。事実に加えて真実のところがね。
船橋さんによれば、ハルバースタムさんは語尾のところまでしっかり取り、ディテールを押さえていました。船橋さんは「これが結局教わったものが一番多かったな」と振り返っています。
振り返る余裕はない。トランプの3年半を見届ける抱負
本当の最後として、川邊さんは今後の抱負を尋ねました。船橋さんは、人生を振り返る作業もいつかはやらなければならないと思いつつ、世界がこれだけ激しく動くなかで、その余裕はないだろうと語ります。
自分で言うのもあれだけど、このために準備してきたんじゃないかと思えるという気持ちもあるんだよね、どっかにね。
船橋さんは、経済安全保障にしても地政学にしても、そうしたテーマばかりを早い段階から追ってきました。朝鮮半島、台湾、海洋、日米、日中と、ずっと取り組んできた領域が、今まさに様変わりしようとしています。
船橋さんは、トランプ政権の残り3年半は「惨憺たるもので終わる」と見ています。それを作品にできるかどうかはわからないものの、まずはしっかり見届けなければ何も始まらないといいます。
川邊さんが健康の大切さに触れると、船橋さんは「健康を整えて3年半見切って、何かを残す」と応じました。最後は、長時間の対談へのお礼を交わして会食が締めくくられています。
まとめ
今回の船橋洋一さんは、日米中関係を「罠」として冷静に分析する一方で、記者として現場に立ち会えた幸運や、書けなかった政治家への心残りを率直に語りました。ハルバースタムさんから学んだ事実に加えて真実を描くという姿勢は、これからの激動を見届けようとする船橋さんの抱負にもつながっています。
- 船橋さんは、日本にとって米中の融合よりも対決のほうが恐ろしく、どちらに転んでも「倍返し」になる地政学的な位置にあると見ている
- 政治家や国民には、世界をリアリズムで捉えたうえで、建設者として参画することが求められると語った
- 中曽根康弘さんの伝記は、ナベツネさんの存在と中曽根さん自身の「殻」のために書けなかったと振り返った
- 最も影響を受けたハルバースタムさんからは、調査報道の事実に加えて真実まで描くノンフィクションの力を学んだ
- 今後は、健康を整えてトランプ政権の3年半を見届け、何かを残したいと抱負を述べた


