卒業後の「謎の5年間」に何をしていたのか?
モーニング娘。を卒業した鞘師里保さんは、その後長く表舞台から離れ、ダンスや語学の留学をしていました。川邊健太郎さんは、若い女性アーティストがこれほど長く休むのは珍しく、一般の人からは「何をしているか見えない、謎めいた期間」だったと切り出します。
川邊さんは宇多田ヒカル ── 日本のシンガーソングライター。2010年に「人間活動」に専念するとしてアーティスト活動を休止し、話題になりましたさんの「人間活動」を引き合いに出しつつ、当時ではなく今振り返ってどういう時間だったのかを尋ねました。
鞘師さんによると、グループ時代は全力で楽しんで仕事をしていた一方で、組織にとって何がいいか、期待にどう応えるかと、意識が外に向く割合が大きくなりすぎていたといいます。
自分のことが理解できなくなったりとか、そういう感覚も一方であって。休んでた4年、5年の間は、そのわかんないっていうところを埋めていく作業をしたと思います。
鞘師さんは、予定に追われる日々から急にすべてが自由になったとき、時間があること自体に戸惑ったと振り返ります。卒業後に少し休もうと考えたときも、動いていないと誰かに怒られるのではという恐怖心があったそうです。
なんか誰かに見られてるみたいな意識が強すぎて、果たして自分はどう思ってる、どうしたいとかがわからない。
休止期間の鞘師さんは、1日の自由時間があれば「何をすべきか」ではなく「何がしたくて、どう行動するのか」を1つずつ手繰り寄せていったといいます。
組織や周囲の期待に意識が向き、動いていないと怒られる気がして、自分がどうしたいかわからない
自由時間に何がしたいかを自分で選び、行動を通じて自分の中身が詰まっていく
天才子役の落とし穴を避けた「遅れてきた大人になる過程」
川邊さんは、この「取り戻す作業」を最初から意図していたのかと質問しました。鞘師さんの答えは、後から振り返ってそうだったとわかった面が強い、というものです。
鞘師さんはもともと自由な精神の持ち主で、自分で選びたい気持ちが強かったといいます。それでもグループ時代は、会社やマネージャーに守られ、帰宅の連絡までする関係の中で「それをしちゃいけない」と考えるようになっていたそうです。
なんか本当の自分の遺伝子レベルの性格を思い出すみたいな感じで、最初は何したらいいかわかんないけど、行動してみて振り返ってみたら、そういう作業になってたなと思いますね。
この話を聞いた川邊さんは、天才子役がそのまま大人になり、社会性が育たないまま後で苦労する例を挙げ、鞘師さんは少し遅れて「普通の大人になる過程」を踏んだのではないかと整理しました。
高校、大学を経て就職し、だんだん自立していく
先に働き、休止期間で後から「普通の若い女性」としての感覚を身につけた
川邊さんは、人生の時期は違っても「同じソフトウェアがインストールされた」と表現し、鞘師さんも「休んでよかった」と応じます。
鞘師さんは、あのまま続けていたら後で空虚な気持ちになっていたかもしれず、時間を作れたことでそうじゃないという当たり前を学べたと語っています。
後輩アイドルに伝えたいのは「今を生きて、俯瞰する」こと
川邊さんは、鞘師さんが「アイドルに憧れるアイドル」であることから、この回は現役アイドルも聴くはずだと考え、後輩へのアドバイスを尋ねました。
鞘師さんは、自分がこうした思考の順序をたどれたのは、その瞬間ごとを一生懸命に生き、考えて過ごしていたからだと話します。忙しいと日々をなんとなく過ごしてしまうのも仕方ないとしたうえで、次のように続けました。
なんかその時の自分が何を感じて活動してたり、その行動、言動を選んでいるのかっていうのを、自分が俯瞰になって観察していくと、自分の生態も理解、認識ができるし、
川邊さんはこれをメタ認知 ── 自分の考えや行動を、もう一人の自分が外から見るように客観的に捉えること。心理学や教育の分野で使われる概念ですと言い換えました。鞘師さんは、自分のように若いうちに辞めて社会に出たほうがいいという話ではない、と念を押しています。
メタ認知の方法について、鞘師さんは手っ取り早いのは「書くこと」だといいます。そのうえで、ときどきズバッと言ってくれる他人の意見も参考になるそうです。
それ(自分なりのベース)がないと、人に言われた時に違ったっていうことさえも気づけない、ただ拒否してしまうっていうこともあると思うので。
ビザが取れなかったことが、復帰の分かれ道に
休止期間の後半、鞘師さんは1年ほど日本にいて、実家で何も考えずに過ごす時期もあったといいます。申し訳ない気持ちもあったものの、グループ時代に家族と過ごす時間が減っていたため、両親は実家にいること自体を喜んでくれたそうです。
川邊さんは、普通の人として過ごす選択肢もあったのに、なぜエンターテインメント業界に戻ったのかを尋ねました。
好きで可能性があるなら、やっぱ好きなことで生きていきたいなっていうのはあったし、しなかったら多分後悔するだろうなっていうのは、その5年の中でも感じ取ってたことで。
ただ、鞘師さんはエンタメ界に関われれば演者でなくてもいいと考えていた時期もありました。アメリカでビザを取る準備をしていたものの、情勢の変化で取得できる見込みが下がり、日本にいる期間が予想より長くなったといいます。
そのその期間で(芸能界に)戻ることを考えたので、あのタイミングがタイミングであれば、今の私はないかもしれない。
川邊さんは、これを「巡り合わせ」だとまとめました。
2019年のひなフェスで、なぜもう一度ステージへ?
鞘師さんは、それまで所属していた会社を辞めることは決めていました。ちょうどその年がハロー!プロジェクトの周年にあたり、同期の譜久村聖さんから一緒に出てほしいと声をかけられたそうです。
何年も外に出ていなかった鞘師さんにとって、出演には勇気が必要でした。それでも現状を打破するきっかけになると感じたこと、そしてモーニング娘。にもう少し貢献すべきだったという思いがあったことが決め手になったといいます。
私が力になれるんだったら、少しでも盛り上がる話題になるんだったらチャレンジしてみようみたいな感じで。
川邊さんは、2019年のひなフェス ── ハロー!プロジェクトが毎年春に開催してきた合同ライブイベント。所属グループやOGが共演する場にもなっていますを「伝説」と呼びます。YouTubeのコメントには、「鞘師」という地鳴りのような歓声で、現地では歌が聞こえなかったという声もあったそうです。
今までの活動してきた5年間で感じてきた、やっぱライブ最高だよねみたいな感覚もバチーンと思い出して。
私この空間好きだなって。
一度リセットした後で新人のような気持ちもあったという鞘師さんにとって、このステージはその後の活動再開の原点になりました。
コロナ禍の孤独から始まったインスタが、今の活動の入り口
ひなフェスの後、鞘師さんの存在を再び認識する人が増え、パフォーマンスの機会も出てきました。ところがコロナ禍で動けなくなり、鞘師さん自身も強い孤独を感じたといいます。
そのとき鞘師さんが始めたのがインスタグラムでした。日常を発信し、みんなが家にいる時期にインスタライブで話すといった内容で、どこにも所属していない時期だったそうです。
世に出てる充実感っていうよりは、孤独を埋めるし、私と同じような感覚の人っていっぱいいるだろうなって思いました。
ファンの反応について、鞘師さんは嬉しさより先に、たくさんの人が自分を覚えていてくれたことへの驚きが大きかったと語ります。
川邊さんは「コンテンツは隠していたほうが見たくなる」という持論を、皇室や、たまにしか動かないパンダを例に説明しました。鞘師さんは、年月を考えると「隠すには隠しすぎだった」と笑いつつ、覚えていてもらえたことをありがたいと話します。
ひなフェス出演
2019年、モーニング娘。と共演し、ライブの楽しさを思い出す
コロナ禍
活動の機会が止まり、孤独を感じる
インスタ開始
日常の発信やインスタライブでファンとつながる
今の会社から声がかかる
インスタを見ていた会社の人から「やろうよ」と誘われる
ダンサーではなく、なぜ歌手として戻ったのか
今の会社から声がかかったとき、鞘師さんは「やるんだったら歌は歌いたい」と伝えたといいます。
じゃないと、なんか芸能界に戻ってくる意味が私はなかったというか。全てそこが根っこなので、パフォーマンスできることが。
ダンスのイメージが強い鞘師さんですが、ダンサーになろうと考えたのはアメリカ時代のことだったそうです。芸能界となると空気感が違い、川邊さんが指摘したマーケットの大きさも一因だと認めています。
ダンスは根源にあるんですけど、やっぱこう、メッセージを伝えるっていうことの素晴らしさみたいなものは、やっぱグループ時代で実感し続けていたので。
会食の席ではタコご飯が出され、話は少し脱線します。鞘師さんの好きな炊き込みご飯はきのこご飯で、おやつはチョコレート、マカロン、カヌレ、大福などの和菓子。「甘いものを食べるぞ」と気合いを入れて食べるそうです。
メジャーではなくインディーズから始めた理由
歌手活動の再開にあたり、作詞は提案を受けて始めたものだと鞘師さんは話します。歌のクオリティやエンタメとしての完成度は上げやすく、数を打ちやすい時代だからこそ、個性は「何を伝えたいか」にあると考えたそうです。
何でオンリーワンになれるかっていうと、やっぱ何を自分が伝えたいかっていうことだと、それが根源にあることだと私は思ったので、
メジャーレーベルから出発する案もありました。しかし自分で曲を作るのは初めてで、そのいろはがわかっていなかったため、インディーズから一歩一歩積み重ねることを選んだといいます。
鞘師さんはこの選択を「正解だった」と振り返ります。作り方がわかり、現在はavexからメジャーで活動していますが、最初からメジャーで始めた場合とは違い、チームとの共通認識としても「今までと地続き」の作品を作れているそうです。
作詞を始める
自分が普段考えていることを言葉で表現する
インディーズで出発
自主レーベルで曲作りのいろはを学ぶ
アルバム制作
曲やアルバムを作る基本のプロセスを身につける
avexでメジャーへ
これまでの活動と地続きの作品づくりにつながる
「演じる」から「自己開示」へ。アルバム制作での産みの苦しみ
川邊さんは、自主レーベルで1枚のアルバムを作る経験がどうだったかを尋ねました。鞘師さんは、モーニング娘。時代は当て書きの歌詞を演じる、俳優的な楽しさがあったと振り返ります。
今は自己開示みたいな意識がすごく強くて。私は外向的な人間では決してないので、自分の内側にあるものを外に発信していくっていうところまでのプロセスをすごい苦労したなとは思ってますね。
鞘師さんは、思い浮かんだことを表明する自信や覚悟があるのかとも闘ったといいます。その課題を1つずつ解決しながら、楽曲を作る基本の流れを学び、この業界に「所属している意識」がより強くなったそうです。
川邊さんは、少人数のスタッフと自分のレーベルでアルバムを出したことは自信になるはずだと語り、鞘師さんも周りの力添えを全力で自分の身にしてきたと応じました。
「ワルな歌」はノリと勢いから生まれた
川邊さんは、鞘師さんが「ワルな歌」も歌っていることに触れ、イメージを変える狙いがあったのかと尋ねます。鞘師さんの答えは、意図的な路線変更ではなく、ノリの大切さに気づいた結果だというものでした。
私は結構出力するまでに慎重にいろいろ考えたりとかするタイプなんですけど、ノリで面白いと思ったものをそのまま発射するっていうのも大事だなって思って。
鞘師さんは、時間をかけて考えていたら「ワル」と言われる曲は却下していたかもしれず、勢いに任せてスタートしたからこそ形になったと話します。
昔の鞘師さんにそれができたかと聞かれると、小学生の頃ならできたが、中高生の頃はできなかったといいます。
中高生の頃は、ちゃんと準備してできるようになってからでないと出せなかった
今は、面白いと思ったものを勢いのまま形にし、雑味も良さとして出せる
川邊さんはこれを「表現の幅」が広がったとまとめ、鞘師さんも「徐々にできてきてる」と答えました。会食は次回も続きます。
まとめ
鞘師里保さんの卒業後の5年間は、周囲の期待に向いていた意識を自分に戻し、自分で選ぶ感覚を取り戻す時間でした。ひなフェスでの復帰、コロナ禍のインスタ、インディーズでの曲作りを経て、鞘師さんは自分の言葉を届ける歌手として歩みを進めています。
- 休止期間は、後から振り返ると「本当の自分の遺伝子レベルの性格を思い出す」作業だった
- 後輩へのアドバイスは、今を一生懸命に生き、書くことなどで自分を俯瞰すること
- ビザが取れず日本にいた時期と、譜久村聖さんの誘いが、2019年ひなフェスでの復帰につながった
- 個性は「何を伝えたいか」にあると考え、インディーズから曲作りを学んで今のavexでの活動に至った
- 慎重な性格の鞘師さんが、ノリと勢いで形にする表現も大事だと気づいた






