三大協奏曲を一晩で弾ききる異例のコンサート
番組冒頭、川邊さんはゲストの廣津留すみれさんを「バイオリニスト」として紹介します。仕事の8割ほどが演奏だといいます。
2人が知り合ったのは前年の年末。ある会合で出会い、その後経歴を知った川邊さんが「ただ者ではない」と感じてポッドキャストへ出演をオファーしたと語られます。
ちょうどそのタイミングで、上野の東京文化会館でソロオーケストラコンサートが開かれ、川邊さんは会場へ足を運びました。
演目は「三大バイオリン協奏曲」。通常のコンサートとは大きく違う構成だったと廣津留さんは説明します。
クラシックをやってる人でも、何なんだこれはっていう企画だったんです。今回は私も人生初の挑戦っていうくらい、大曲を弾いたんです。
普通はオーケストラでコンサートをやる場合、序曲をオーケストラが弾いて、ソリストが出てきて30〜40分の曲を弾いて、休憩のあとはもうオーケストラなんです。それを全部にソリストが入って、40分、30分、40分の曲を全部弾くというコンサートでした。
前半はヴィヴァルディの「四季」。奏者は立って演奏し、真ん中にはチェンバロが置かれていました。
この前半では指揮者が別にいるわけではなく、廣津留さん自身が弾きながら指揮を兼ねる「弾き振り」だったといいます。
私が演奏しながら、ジェスチャーで楽器を上げたり下げたりしながら指揮をするみたいな、そういうスタイルです。
20分の休憩をはさんだ後半は、メンデルスゾーンとチャイコフスキーの協奏曲。こちらはオーケストラの人数も増え、指揮者がつきます。
前半で頭を使って、後半でマラソンのようにずっと弾いていて、という構成でした。
川邊さんは、音楽を生業とするピアノ奏者とヴァイオリン奏者2人を誘って会場に向かいました。開演前から2人は「これどうやってやるんでしょうね」と首をひねっていたといいます。
結局いまだにどうやってやってんだかがわからない。見たけど、いまだにどうやってるかがわからない。
驚くのは演奏者自身も同じでした。
「こんなことでもないと」──持ち込まれた挑戦
これほど過密な企画に、なぜ挑んだのか。川邊さんの問いに、廣津留さんは企画が持ち込まれたものだったと明かします。
こんなことでもないと、自分でこれをやるぞとはなかなか勇気が出ないんです。
練習量や準備期間の大変さに加え、本番の集中力が持つのかという不安もあったといいます。リハーサルと本番では環境がまるで違い、自分の中でシミュレーションしきれないからです。
それでも、成長の機会になると考えて引き受けました。企画を持ち込んだ側の信頼と、超満員の会場に集まった人たちの期待に応えるかたちの挑戦でした。
私、2026年は終わったようなものだと思っています。ビッグチャレンジが終わったので。
100分超を頭に入れる──1ヶ月の準備
どれくらい練習したのかという問いに、廣津留さんはクラシックならではの事情を語ります。2歳からヴァイオリンを続けてきたため、今回の曲もまったく新しく覚えるわけではありませんでした。
小さい頃から演奏してる曲ではあるので、突然このコンサートのために一から覚えているわけじゃないんです。
とはいえ、演奏はすべて暗譜。合計でおよそ100分から110分の曲を頭に入れる作業が必要でした。集中して練習にあてたのは1ヶ月ほどだといいます。
本番になって弾きながら、あれ、次の音なんだっけ、となるのが超怖いので、ビジュアル的に記憶しながら、自分のマッスルメモリーがそれについていくように詰めていく作業です。
特に前半のヴィヴァルディは弾き振りのため、自分のパートだけでなくオーケストラ全体を理解する必要があり、何倍もの勉強が求められたと語られます。
ただし、1ヶ月ずっと根を詰めていたわけではありません。集中は続かないからです。
無理なんですよ。集中できないので、ちょうどポケモン30周年で昔の復刻ゲームが出たから、日中ポケモンをやって、夕方練習して、疲れたらまたポケモン休憩して、夜また練習してみたいな。
リハーサルは本番の2日前に1回。後半の2曲は通しただけで、前半の指揮まわりだけ団員と細かく詰めたといいます。
私がこうやるのよと指示するというより、チームとして、アンサンブルとして音を作っていけたような感じがするので、それは皆さんに感謝ですね。
本番前のルーティンと集中のつくり方
同行した2人から預かった質問を、川邊さんが本人に投げかけます。まずは本番前のルーティンについて。
本番前のルーティンがあれば教えてください。
同行した演奏者 さんからの質問
決まったルーティンはほぼありません。決めると、それが無いこと自体が嫌になってしまうからです。腕を振ったり、足のストレッチをする程度で、素手で道具なしにできることだけ。またカフェインで手のコントロールが変わるのを避けるため、コーヒーではなく白湯を飲むこともあるといいます。
続いて、3曲もの協奏曲を弾ききる体力と集中力はどこから来るのかという質問へ。
体力については、4〜5年ほど続けている週1の筋トレを挙げます。体幹を鍛えると出てくる音が変わり、両足が根を張るように安定し、体への負担も減ってきたといいます。
集中力については、脳科学者との対談で得た考え方が印象に残っているといいます。
緊張していると思うとダメだから、興奮しているとどんどんポジティブな言葉に変えていく、と仰っていて、なるほどと思いました。
リラックスとエキサイテッドな状況が共存すると、いいものが出てくると聞いて、なるほどと。大舞台に出るぞと考えず、指揮者の方と楽しく話して、楽しみましょうと言って出ていくようにしています。
静かに一人で集中しようとすると、かえって頭の中の声が大きくなってしまう。だからあえて人と話しながら通常の状態で舞台に出たいと語られます。
川邊さんは、この番組の最初のゲストだった浅田真央さんの話を重ねます。
浅田真央さんは、ソチオリンピックで一人で集中しようとしたら、嫌なことがどんどん頭の中を駆け巡って失敗しちゃったと言っていたんです。だからあんまり自分だけで困らない方がいいのかもしれないですよね。
質問はやわらかいものにも及びます。好きなおやつは「梅ねり」という硬めのグミで、移動中によく食べるといいます。好きな食べ物は練り物。出身の大分では、さつま揚げを「天ぷら」と呼ぶ文化があり、幼い頃から祖母がよいものを送ってくれたのが原点になっているようです。
英語とヴァイオリン──記憶のない頃から
話題は生い立ちへ。廣津留さんは高校まで大分の公立小中高で育ちました。母親は英語教室を主宰しており、その教育は記憶のない頃から始まっていたといいます。
0歳の時から英語をやっていたと聞かされているんですけど、私は記憶がなくて。英語の勉強をやるよ、じゃなくて、家の階段に一段ずつ問題を置いたり、ミッションみたいにして遊びっぽくやらせてくれていました。
母親は言語がとても得意で、フランス語も話し、イタリアで同乗した中国人に中国語で話しかけるほどだったといいます。その能力を応用して独自の指導法「廣津留メソッド」を編み出し、本やセミナーも手がけているそうです。
ヴァイオリンは2歳から。両親が音楽好きで、家にはさまざまなジャンルのCDが並んでいました。ハイハイが早かったことから「運動神経がいけるのでは」と楽器を勧められたのがきっかけだといいます。
別に私がバイオリンをやりたいと言ったわけじゃないんです。もう2歳だから。いつの間にか持っていたみたいな感じで。
一人っ子だった廣津留さんにとって、ヴァイオリンは物心つく前から日常にありました。4〜5歳の頃には、チャイコフスキーの協奏曲を耳で聴き、有名なメロディーを耳コピして弾いていた記憶があるといいます。
さらに、家に来客があると「発表会ごっこ」のように演奏を披露していました。
人から拍手をもらうのがすごく嬉しくて。自分が弾いたら楽しんでくれるというのが、本番が好きになる理由だったのかなと。
巨匠しか知らなかった少女
大分にはヴァイオリンを弾く同世代がほとんどおらず、ジュニアオーケストラのような比較対象もありませんでした。そのため、自分の実力の位置がわからなかったといいます。
これくらい上手くならないと人前で弾いてはいけないと勝手に思い込んでいた廣津留さん。転機は小学3年生でした。
初めて九州のコンクールに出たら、意外とみんなパーフェクトじゃないことがわかって。あ、巨匠じゃないじゃんと思って。そこでやっとレベルに気がついたんです。
上を知らないまま巨匠を目標に練習してきたことを、廣津留さんは「幸せなことだったのかも」と振り返ります。
練習のモチベーションには、わかりやすい人参もありました。ゲームが禁止されていた家庭で、どうしても欲しかった「どうぶつの森」がその一つです。
1日3時間練習したら1シール貼って100円になるというショップカードを母と作って。3時間を超えないと全部チャラになるので、学校から帰ってなんとか3時間確保するようにしていました。
当時の先生の方針にも、いまは感謝しているといいます。子どものうちに、将来弾くであろう大曲を一通り暗譜させておく、というものでした。
子供の頃に一回暗譜しておけば、20年弾かなくても戻ってくるんですよ。マッスルメモリーも覚えているし、すごくありがたかったなと。
英語も同じで、4歳で英検3級を取り、そこからは級という「わかりやすい目標」を段階的に追っていったといいます。文法は中学の教科書で初めて理論として知り、目から鱗だったと語られます。
公立校からハーバードへ
廣津留さんは、勉強とヴァイオリンを両立させることを自分の目標にしていました。その原動力は、負けず嫌いな性格にあるといいます。
気が済まない、ちゃんとやらないと気が済まないタイプで、100マス計算も1位じゃないと気が済まないんです。バイオリンの先生に宿題は適当でいいと言われても、自分が気が済まないのでちゃんとやりたくて。
中学からは、東京の先生に習うため大分から日帰りで通っていました。中学1年の頃には自分で飛行機を予約するようになり、担任に話すと驚かれたといいます。本人にとってはただのルーティンでした。
私立という選択肢は、地方では滑り止めのイメージがあり、県立の進学校がベストという共通理解のもとで、特に考えなかったそうです。公立で育ったことには、別の良さも感じています。
公立なので、いろんなバックグラウンドの人がいて。みんなでドッジボールをしていたからこそ、どういう人ともお話を楽しくできる。ナチュラルなダイバーシティがあったのは、環境としてすごく良かったです。
進路は、高校3年の12月に慶応SFCのAO入試を受け、ほぼ同時期にハーバードの合否も出ました。両方に合格しましたが、ハーバードは9月始まりのため、SFCには1学期だけ通わせてほしいと学部長にメールを送り、認められたといいます。
川邊さん自身もかつてSFC研究所に在籍していたことがわかり、話は思わぬ縁で盛り上がります。廣津留さんは、SFCからハーバードへの送り出しコンサートを開いてもらったといいます。
そもそもハーバードを志したきっかけは、高校2年のアメリカツアーでした。4都市で演奏し、最後はカーネギーホール。その帰りに近くの「世界一の学校」を見に行き、キャンパスツアーに参加します。
大分の身からすると、ハーバードの人って得体の知れない、手が何個あるの、みたいな感じじゃないですか。行ったら普通に淡々とTシャツで来ていて、人間じゃんと思って。そこから調べ始めて、行ける可能性があるんだとわかったんです。
音楽大学に進む選択肢はピンとこなかったといいます。小中高と両立してきたのに、大学で突然音楽だけにするのは違うと感じていたからです。
キャンパスツアーでは、現役生が両立の実例を見せてくれました。課外活動でシェイクスピアの演劇をやりつつ、自分の出番がない時は舞台袖で論文を読んでいる、といった学生の姿です。同じように両立する仲間がいるかもしれないと感じたことが、志望の決め手になりました。
受験は日本にいながら進められるものが多く、SATという共通試験を複数回受けて良い成績を提出できたといいます。総合科目に加えて選択科目もあり、当初挑んだ世界史では人名の英語表記につまずくなど、単語を覚え直す苦労があったと語られます。
まとめ
遊びのような英語教育と2歳からのヴァイオリンが自然に日常へ溶け込み、巨匠のCDだけを目標に育った少女が、公立校からハーバードへとたどり着くまでの原点が語られた回でした。
- 三大協奏曲を一晩で弾ききる異例のコンサートは持ち込み企画で、演奏者本人も「どうやったか分からない」ほどの挑戦だった。
- すべて暗譜する準備は約1ヶ月。子どもの頃に大曲を暗譜させた先生の方針が、長い時を経ても支えになっている。
- 緊張を「興奮」と言い換え、人と話しながら通常の状態で舞台に出ることが、廣津留さんなりの集中のつくり方。
- 大分にヴァイオリンの同世代がおらず、巨匠だけを基準に育ったことが、かえって高い水準を目指す土台になった。
- 勉強とヴァイオリンの両立を貫く姿勢と、キャンパスで見た両立する学生の姿が、ハーバード志望へとつながった。







