インターネットの前と後で変わったもの
聞き手の川邊さんは1974年生まれ。大学3年のころにインターネットが登場し、インターネット以前の日本と以降の世界の両方を見てきた世代だと振り返ります。
その視点から見ると、メディアやコンテンツの世界は大きく変わったと感じるといいます。かつては「プロがプロたる世界」だったものが、今はアマチュアの偶然のホームランが量産される時代になったと指摘します。
アマチュアの時代がやってきちゃったなっていうのが前との違いかなというふうに痛感してるとこですね。そのアマチュアをエンパワーメントする仕事を、僕たちはずっとやってきたのかな。
糸井さんの「ほぼ日」がスタートしたのも1998年。川邊さんが起業した年と重なり、インターネット体験の始まりは同じ時期でした。
当時は「今からだと遅い」「まだ早い」と言う人が大半だったといいます。そんな中で「ちょうどいい」と言ったのが、任天堂の岩田さんでした。
ちょうどいいと思いますよって言ったのが任天堂の岩田さんでした。これ今しかないですねって。
リンク・フラット・シェアと「道具であること」
糸井さんは2000年以降に『インターネット的』という本をまとめ、その特徴を3つの言葉で捉えたといいます。
これまでのビジネスをやってきた人には、この3つが「嫌だ」と感じられる。一方で、そちらの方が楽しいと思う人たちがこれから出てくる、と考えていたそうです。
ただし糸井さんが強調するのは、どちらにしても最後にやるのは人間だ、という点です。
間にインターネットを挟むにしても、触媒がインターネットになるにしても、やるのは人間だから。道具であることっていうのは忘れてはいけない。
大工が玄能の使い方を知っているのは大事でも、その道具そのものに深入りしすぎても仕方がない、と糸井さんは例えます。専門的なことは専門の人が出てくるからです。
「わかること」より「わからないこと」
糸井さんは、この考え方が学生時代の問題意識の続きだと語ります。正しいことをしているはずなのに、人がどんどんスポイルされていく――そんな違和感からつながっているといいます。
人がダメになったり、不幸になったり、あるいは人が持ってるあったかい、いい加減さがなくなったり、生まれてよかったなって思う部分をなくすようなことはダメなんだ。
そんな糸井さんが近年こだわっているのが「わからないこと」です。5年手帳の一昨年のページには、こう書いてあったといいます。
これからはもうわかることは全部ダメだ。わかんないことで魅力のあることしか面白くないから、わかることを考えるのはもうやめよう。
ここで川邊さんは、経営者としての実感を語ります。データを扱う仕事では「因果はわからないが、相関はわかる」ものだけを発見し続けてきた、というのです。
資本主義のレールに乗っているため、因果がわからなくても相関で儲かるなら相関だけやればいい、という発想になりがちだと話します。
大量のいろんな相関をわかったけど、わかんない因果を大量に抱えてしまってるんで、だからわかんないことが増えてるなっていう、そういう感覚なんですよね。
これに対し糸井さんは、相関がわかるほど「先回り」ができるようになり、それは人より力を持つ競争に入っていくことでもある、と応じます。近代以降の歴史はずっと大衆操作的に進んできた、と。
道に「大石」を置くという発想
糸井さんは、あえて邪魔な要素を置くことの面白さを語ります。回り道や乗り越えを生むことで、かえって引力が面白くなる、という考え方です。
その原点として、吉本隆明さんの言葉を挙げます。晩年、コミュニケーションが何でも通じることばかり言われる風潮に対して語った言葉だといいます。
今みんなコミュニケーションって言いやがって、何でも通じるっていうことばっかり言ってるけど、自分としては、そのコミュニケーションの道があるならば、そこに大石を置いてやりたいような気がする。
でも今になったら、あ、俺、大石置きたがってるなっていう、そのことをすごく思うんですよ。
地図ばかり見ている人には、地図を見ている人の後ろ姿が見えていない。もっと俯瞰すれば、必死に解いている問題の外側に、別の世界が広がっているはずだと糸井さんは言います。
その例として、川邊さんの漁の話が出てきます。相手が生き物である漁は、追いかければ相関も因果も関係ない世界に入る。それでいて相関や因果を頼りにその場所へたどり着く、その行き来こそ面白い、と語り合いました。
なぜ社長から会長になったのか
糸井さんは前年の1月に社長から会長になりました。楽になると思っていたのに、むしろ頭の中が忙しくなったといいます。
会長になった方が、ある種、総合芸術になった気がして、忙しくなっちゃった、頭の中が。
川邊さんは、ほぼ日の歩みを振り返ります。手帳やカレンダーで物販が伸び、会社を上場させ、社長から会長になった。この一連の会社経営について、糸井さんはこう答えます。
糸井さんは組織を、自動車の発明に例えます。自分が走るより車輪をつけてエンジンで動かした方が早い。組織も同じで、自分のできないことに車輪やエンジン、道案内がつくものだと。
自分は運転席にいなくてもいいっていうところまで作るのが、組織論だと思うんですよね。
社長業をずっと続けていると、自分の行ける場所にしか行けない。だから違う視線を入れ、自分は得意なクリエイティブの領域に移ろうと考えたといいます。
ところが実際に会長になって「ここだ」とずれてみると、そちらの方が領域は広かった。結果、より忙しくなった、という展開でした。
具体的な業務が増えたわけではないのに、思想が増えますよね。
川邊さんも、LINEとヤフーが合併して領域が広がりすぎ、より大変になったと重ねます。さらにAIが加わり、複雑さが増しているのが現実だと語りました。
上場は「良かった」──職人論の先にあるチーム論
上場は会社がパブリックになり、自分のものではなくなる行為でもあります。しかし糸井さんは「良かった」と言い切ります。
作家やイラストレーター、音楽家が一人立ちして売れっ子になるのは、ある種のゴールとされてきた。けれど、と糸井さんは続けます。
その人がその人としてピークに立つ限りは、命の寿命とイコールなんで、版権とか残っても、それは面白いことでも何でもない。
糸井さんが見たかったのは、職人論の先にあるチーム論でした。自分がいるからできない、あるいは自分にはできないことを誰かがやる。そうした仕組みです。
個人としての栄達や、先生と呼ばれて迷惑がられていく姿を散々見てきたからこそ、それは絶対に嫌だったといいます。
自分が自分であるってことを譲り渡すんじゃなくて、乗り換えていくっていうか、生き物として生まれ変わっていくみたいな、それをやりたい。
チームは、上場しないと現代社会では認められにくい面もある、と糸井さんは言います。動物として餌を確保できなければ続けられないからです。だからこそ「あそこに入って良かった」と言われる場所に立ってからできることがある、と話しました。
すべてがアートで、仕事場は「公園」になれるか
川邊さんは、学生時代に強い権力へ抱いた嫌な気持ちと、商業的なクリエイティブでの大成功を、今どう統合して考えているのかと問いかけます。
本当は全部がアートだと思うんですよ。やって面白いことをやってるっていうのが、人がみんな、生まれたからにはやりたいことだと思うんですよ。
その延長で糸井さんが語るのが「公園」という考え方です。孫が2〜3歳から今に至るまで「何がしたい」の中に、いつも公園があったといいます。
公園に行って、公園にいることっていうので、遊びはそこから生まれるんですよね。公園って言った時のあのすごいパワーを僕らが作れるかどうか。
仕事場がその公園のようなものになれば、どんなことでもやりたくなる。昔の会社員が「飲みに行こうか」と言うときの嬉しそうな声も、公園だと糸井さんは表現します。
ここで糸井さんは、孫の映像の話を持ち出します。ソリ遊びで汗をかき、最後に坂を上ったところで、7歳の孫が初めて「もうダメだ」と言ったといいます。
子供って、もうダメだのメモリがついてないんで、なってから言うんですよね。とうとう止められるまでもなく、もうダメだって言ったのを見て、この日は覚えておこう。
糸井さんは、大人が趣味に没頭するときの感覚も同じだと言います。暗くなって釣りができなくなる直前まで「まだできる」と続けてしまう、あの感覚こそ一番好きなものだと。
資本主義の拡大解釈と、次に挑む「漫画部」
川邊さんが「全体がアートで、それを加速させる装置が資本主義」と整理すると、糸井さんは慎重に言葉を選びます。資本主義という名前かどうかはわからない、と。
集まるのも悪くないし、一人でいるのも自由。どちらか一方ではなく、両方を持っていないとダメだといいます。
その上で糸井さんは、資本という言葉の解釈を広げていく可能性を語ります。環境も、不自由も、損して生まれたことも、すべて資本の中に入っているのではないか、と。
その意味では、資本っていう言葉の拡大解釈を無限にやっていくと、資本主義のままが一番いいのかもしれないですね。
子供の不便や不自由を取り入れることは、大人や消費者、ボランティア組織、不自由を抱える人への配慮にもつながる。それは不自由のない人にとっても良い社会になる、と糸井さんは言います。
みんなが大喜びでしたよっていうのは、大儲けでしたよって。儲けとか売り上げとか資本とかっていう、ちょっと敵視された言葉の中に、実はいっぱい落ちてる気はしてるんですけどね。
インタビューの終盤、川邊さんは恒例の質問をいくつか投げかけます。まず「自分の代表作は」という問いに、糸井さんは「人が決めることだ」と答えます。
本当に僕がやったことなんて、どっかに消えてるんですよ。残るっていうふうにはあんまり思えない。本当に大したことないんですよ、僕は。心から大したことない。
「今まで会った人で、すごいと思う人の共通項は」という問いには、少し考えてから一言で答えました。
その例として挙げたのが、スノーボードの平野歩夢選手です。骨折を抱えながら「1%でも可能性があれば出たい」と語った、あの言葉です。
AIに聞いたら、痛さを我慢すれば8割5分の結果が出ると思いますみたいに答えを出したんじゃないですかね。でも彼はそれを1%って言った。弱さを含めた強さですよね。
最後に「今後の抱負」を問われた糸井さんは、いつも中途半端なことをやるのが人生だと前置きしつつ、いま始めたばかりの「漫画部」について語ります。
事業部として立ち上げた漫画部は、人事募集からのスタート。募集説明会は国立博物館の大講堂で行い、ポスターは横尾忠則さんが手がけるといいます。
糸井さんは、漫画を描く人も読む人も日本にこれほど多いのは特別だと指摘します。これが事業にならないはずがない、というのです。
面白い思考って、原型は漫画なんじゃないかな。ニュートンのリンゴの話も、ニュートン本当にリンゴ見てたはずがないので。一コマ漫画なんですね。
デザイナーやライター、エンジニアがいるように、漫画もあらゆる企業に入ってくるのではないか。その第一号の会社になろうと考えているといいます。糸井さんはこの構想を「夢というか、仕事として今やりかけていること」と表現しました。
まとめ
インターネットの前後を生きた糸井さんは、道具に深入りするより「人が幸せになること」を軸に置き続けてきました。そして今、組織づくりを最もクリエイティブな仕事と捉え、仕事場が「公園」のように誰もが何かをやりたくなる場になれるかを問い続けています。
- インターネットの本質はリンク・フラット・シェアだが、最後にやるのは人間であり、道具であることを忘れてはいけない。
- わかること・相関を突き詰めるほど「わからない因果」も増える。糸井さんはあえて道に「大石」を置き、わからない面白さの側へ向かおうとしている。
- 組織づくりは最もクリエイティブな仕事であり、自分が運転席にいなくてもいい仕組みをつくることが組織論だと語る。
- 版権が残っても意味はなく、職人論の先にある「チーム論」を実現するために上場は良かったと振り返る。
- 資本という言葉を無限に拡大解釈すれば、不便や不自由もその中に入る。次の挑戦は事業部としての「漫画部」の立ち上げ。



