自信が揺らぎ始めた48歳の決断
番組は経営者であり漁師でもある川邊健太郎さんが、ゲストと会食しながら人生を聞くインタビュー形式です。今回は前回に引き続き吉見裕子さんが登場します。
いまはどんなライフスタイルなのか。かつてのようにブランディングの契約を結ぶ仕事はもう続けていないと吉見さんは話します。
やめようと思ったきっかけは、若い人が自分を使ってくれることへの不安でした。それを感じ始めたのが早かったと振り返ります。
若い人が私を使ってくれることに不安を感じ始めたのが、もう結構早くて、50歳ぐらいの時にこれ続けられないなと思った。
48歳ごろ、ずっと見えていたものがだんだん見えなくなる感覚があったといいます。このままではいかない、どうするかと考え始めました。
「成功しているように見えるアパート」を買う
生まれてからずっと味わったことのない、自信のない気分。それでも自信がなくなっていくだろうと予感したとき、自分を大きく見せるものが必要だと考えたそうです。
3年間ニューヨークに行くという選択肢も浮かびましたが、年を取りすぎていると感じ、海外は難しいと判断します。
そこで出した答えが、アパートを買うことでした。表参道の南青山第一マンションの一室を、生まれて初めて購入します。
今のアパートを、成功してるように見えるアパートを買う。
内装も整え、ここから吉見さんは「成功しているように見えるゲーム」に入っていきます。それを素直に言葉にするところに、川邊さんは面白さを感じたようです。
それを素直に言うのが面白いですね。成功してるようなゲームに50歳から突入するんですね。
契約を知らなかった時代と、書く仕事からの撤退
50歳を境に、書く仕事やインタビューは全部やめたといいます。ただし契約は少し残っていました。
そもそも80年代までは契約というものをほとんど知らなかったそうです。お金の稼ぎ方がわからなかったと振り返ります。
お金ってどうやって稼げばいいのかなと思った時に、レコード会社の偉い方が「吉見さんね、契約してくださいと言いなさい。言ったらしてくれますよ」と。
言われた通りに契約を申し出たら、全部決まったといいます。坂本さんや京極さんの仕事はタダで、陽水さんとの契約が最初だったと語られています。
そういうことなのかみたいな。その、分かんなかったの。お金の稼ぎ方。
「若い人へのバリアを作らない」トレーニング
自分にできることで年を取っていくとはどういうことか。作家は無理だと考え、のんびり探すことにしたといいます。お金になってもならなくても、気になる若い人にはどんどんアプローチしていきました。
結婚もせず子供もいない中で、どう生きていくか。年を取ると、だんだん人が会ってくれなくなると吉見さんは言います。
その転機は50歳より前にありました。37歳ごろ、このままでは年上の人としかつながれず、いずれ相手がいなくなると感じたのです。
でもこれどっかでひっくり返さないと無理だなと思って。
そこで37、8歳のときに19歳の男性と付き合ったといいます。荒療治のようなその経験を通して、若い人に対してバリアを作らない生き方をトレーニングする方向へ入っていきました。
こういう目に遭うのかっていうね。
「会いたい人をプレゼントする」会食ごっこ
50歳以降、吉見さんは相変わらず目立つ人を探し、若い人を捕まえて年上の人に紹介することを続けています。お金になる時もならない時もあるといいます。
それはもう20年以上続けている活動です。若い目立つ子を見つけ、年上の人脈へつなぐことに価値があると同時に、本人も面白さを感じているようです。
若い人と二人だけで会うっていうのも難しいわけですよ。話し合う人が会いたいってセッティングすると、ここで話してることを聞けるし、勉強になる、っていうような繰り返しです。
たとえばヘラルボニーの松田さんとソニーミュージックの大谷さんを引き合わせるなど、漫画編集者とミュージシャンといった異なる分野の人を混ぜていくのが特徴です。
これを吉見さんは「会食ごっこ」と呼びます。お茶はキャンセルされやすいけれど、ランチや夜のご飯なら会ってもらえるという実感があるからです。
お茶ってキャンセルしやすいじゃない。だけどやっぱり誰も会ってくれない、話してくれないのはつまんないじゃない。
人と出会うと、必ず「誰か会いたい人いますか」と聞くのが基本です。若くて力のある人は上に登りたいと考えているので、偉い人につないだり、ライバルとぶつけたりします。
だから会いたい人をプレゼントするっていうのが心情でベーシックなあれなんで。
旬は必ず終わる──後輩たちへの言葉
吉見さんは年を取ってはいるものの、社会的な年の取り方はわかっていないと言います。老人ホームには行きたくない、でもいつか暮らせなくなったとき、誰にどう迷惑をかけて生きていくのかを考えるそうです。
川邊さんは、これまでの最高齢ゲストが「いよいよこれからだ」と語ったことを紹介します。追い続けた事象がついに重なり合ってきたという言葉でした。
ただ吉見さんは、自分はそういう感じはしないと率直に応じます。周りが亡くなっていく中で、どう倒れ、どう最後を迎えるのかを思うと語りました。
30代、40代の後輩たちへ何を伝えたいか。その問いに、吉見さんは自身の人生の核心を短く答えます。
だからこそ、旬が過ぎた後をどう乗り越えるかが大事だと言います。吉見さん自身も、結婚せず子供も作らない生き方がどんなトラブルを起こすのかという、ゴールの見えないゲームを続けているという実感があるようです。
つまり結婚しない、子供も作らないという生き方が、どういうトラブルを自分に起こすのかっていうゲームだよね。
唯一の後悔は英語ができなかったことだといいます。言葉ができれば、出会った人たちともっと違うことができたと感じています。
言葉ができたら、あの時出会ったあの人たちともっともっと違うことができたと思うけど。
それでも、地球規模で動くのは難しいから、この国の中で人と関わっていくしかない、と穏やかに締めくくりました。
80年代の熱狂と、忘れられない人たち
番組恒例の質問へ。人生で一番やったと思える仕事は、と問われると、吉見さんは「80年代」と即答します。30代の熱狂した時期でした。
坂本さんを追いかけていったこと、書いた原稿を銀色夏生さんが見て「こんな風に生きてる人もいるんだ」と言ったこと。このために生まれてきたと思うほど、やってみたいことを見つけた瞬間が最高だったと語ります。
絶対やってみたいことっていうものを見つけた時はやっぱり最高だったですよね。ソリッドステートサバイバーのジャケットの時、隣にいたんですから。
無名の時に面白い人たちに会えたことが面白かった。それが80年代に凝縮されていたといいます。
これまで会った中で「とんでもない人」を尋ねられると、吉見さんはYOSHIKIさんと長戸大幸さんの名を挙げます。
YOSHIKIと長戸大幸さんですかね。とんでもない人です。
YOSHIKIさんについては、アメリカに行くと聞いた時点で「絶対に何かやるだろう」と思ったと言います。普通にグラミーを狙う方向ではなく、想像を超えるやり方でたどり着く人だという見立てです。
バーブルス君と友達になれば、マイケルに会えるでしょ。そういう方法があると思った、YOSHIKIには。
つんくさんとの縁も語られます。NHKのバンドオーディション番組で関西の審査員を務めていた吉見さんは、シャ乱Qを見て「AV版のチェッカーズだ」と直感したそうです。
そういう風に一言で言葉が浮かぶ時ってのは絶対すごいんですよ。
評論家の審査員たちが反対する中、吉見さんは強引にグランプリに推したといいます。それがシャ乱Qのスタートだったと語られています。
AIの時代へ──次の30年を担う人たちへ
最後は川邊さん自身の話に及びます。社員が2万数千人規模の会社をインターネットとともに30年かけて育ててきたことを、吉見さんは素直にすごいと評します。
川邊さんは、これからAIの時代になると5年や10年でこの規模を超えてくると見ています。AIをやる人たちはより速く大きな成果を出すだろうと話します。
今度AIの時代になると、5年とか10年でこれぐらいの規模に多分なって超えてきますから。AIをやる人たちはよりすごいと思いますよ。
川邊さん自身も6月で退社し、AI人材として一から修業し直すつもりだと明かします。旬が終わることを見据えて次へ向かう姿勢は、吉見さんの生き方とも重なります。
人口は確実に減っていく。私たちがピークだった、と吉見さんは静かに語り、対談は幕を閉じました。
まとめ
自信が揺らいだ50歳を境に、吉見さんは自分の見せ方を変え、若い人と年上の人をつなぐ活動へと方向転換しました。旬は必ず終わるという前提のもと、その先をどう面白く生きるかを問い続ける姿が印象的な回でした。
- 48歳で「このままいかない」と感じ、自分を大きく見せるために表参道のマンションを購入した
- 書く仕事をやめ、「会いたい人をプレゼントする」会食ごっこを20年以上続けている
- 37歳ごろから、若い人へのバリアを作らない生き方を意識してきた
- 「必ず旬はあるけど必ず終わる」ことを前提に、その後をどう乗り越えるかを大切にしている
- 80年代の無名時代に出会った人たちとの経験が、人生で最も熱狂した記憶として残っている




