専攻を自由に選べるハーバードの学び
最初の話題は、ハーバードでどんな学生生活を送ったかです。廣津留さんにとって、まず驚いたのは寮生活そのものでした。
入寮前には細かいアンケートに答えるといいます。勉強中に音楽を聴くか、朝は何時に起きるか、シャワーは夜かといった項目まで書き、気の合う相手をマッチングして同じ寮に振り分ける仕組みです。
1年生はランダムに入れられて。でもそれもすごいのが、ちゃんとアンケートを書くんですよ、入る前に。家で勉強中音楽聴きますかとか。
最初は中国系のアメリカ人、フランス系のアメリカ人との3人部屋。バスタオルを勝手に使われたり、きれいに畳んでいた靴下を履かれたりと、共同生活ならではの出来事もあったと振り返ります。
学業面では、専攻を2年生の後半で決めればよいため、それまでは幅広く科目を取れました。経済、音楽、数学などを試したそうです。
自由なんですね。
2年生でいったん応用数学を選びますが、仲のいい友達がなぜか応用数学に集まっていたことが理由だったといいます。数学が得意で音楽も得意という学生が多くいたためです。
ただ、数学は上には上がいる世界で、音楽と結びつけようとしても難しく、途中で社会学へ変更します。最終的には音楽とグローバルヘルスを学んで卒業しました。
必要な要件を満たせば専攻は自由という柔軟さが、とても良かったと話します。
“変人ばっかり”の環境が生んだリスペクト
世界中から才能が集まる環境で、周りのレベルはどうだったのか。川邊さんの問いに、廣津留さんは意外な言葉を返します。
でも変人ばっかりですよ。いい意味でめちゃくちゃオタクの皆さんなので。
ここで印象的なのは、競争ではなく尊敬が土台にある空気です。誰もが努力して来た過程を互いに理解しているため、分野が違っても自然にリスペクトが生まれるといいます。
一人に良いことがあれば、みんなが心から喜ぶ。そんな安心感のある環境だったと語ります。
何か一人にすごいいいことがあったら、みんなすっごい喜んでくれる。いかにそこに行きたいか、来るまで大変だったかが、みんな違うフィールドだけどわかってるっていう安心感がすごく良かったです。
大学3年生でチェリストのヨーヨー・マとの共演が決まったときも、本人以上に周りが喜んでくれたそうです。嫉妬の少ないその環境を、今も恋しいと振り返ります。
音楽をやめずに済んだ理由
音楽活動は大学のオーケストラやアンサンブルの部活で続けていました。ただし、最初の2年ほどは音楽どころではなかったといいます。
論文を読むにも書くにも人の何倍も時間がかかり、バイオリンにはあまり手を出せなかったそうです。
入って2年ぐらいはもう音楽どころじゃなくて、とにかく論文を読むとか書くとかが、もう人の何倍も遅いので。
音楽のレベルも当然高く、履歴に強みとして音楽を書いてきた学生ばかり。フェンシングのジュニアオリンピックで優勝したような経歴の学生も珍しくなかったといいます。
一方で、そうした環境が進路の視野を広げました。先輩がジュリアードに進む姿を見て、コンサルティング以外の道が新鮮に映ったと話します。
みんなコンサル行くんじゃないんだみたいな。アート行く人もいるし、自分のパッションのあることにどんどん行く周りの先輩を見てたから、多分私は今バイオリンをやってると思う。
ヨーヨー・マとの共演が変えたもの
学内では「バイオリンを弾いてもらうならすみれちゃん」という空気が生まれ、あるとき大学に来たゲストの前で演奏する機会がありました。
その演奏を客席で聴いていた人物から、クラシック以外にも演奏するかと尋ねられます。ジャズやゲーム音楽もやると答えると、数日後にメールが届きました。
次の次の日ぐらいにメール来て、「懸命にヨーヨー・マと演奏しませんか?」って書いてあって。
差出人はヨーヨー・マが主催するアンサンブルのディレクターでした。演奏できそうな学生を探しに来ていたのです。あまりに突然で、最初は迷惑メールだと思ったといいます。
振り込め詐欺ですよね。
この出来事から、廣津留さんは恩師の教えを思い出します。どこで誰が見ているかわからないから、小さな本番でも全力で演奏しろ、という言葉です。
実際に会ったヨーヨー・マの印象を、廣津留さんは「おもろいおっちゃん」と表現します。
リハーサル中はメンバーに好きに弾かせ、指示で従わせるのではなく支えるようなスタイル。休憩中には日本語でギャグを言い、皆が楽しめる環境を整えるリーダーだったといいます。
印象はおもろいおっちゃん。すごいムードメーカーなんですけど、リハーサル中はみんな好きに弾いてみたいな。すごいサーバントな感じで。
氷山の上や、ワクチン会場での演奏など、音楽を通じてメッセージを伝える活動を続けるヨーヨー・マの姿勢に、廣津留さんは大きな衝撃を受けます。
高校まではコンクールで順位を取ることが弾く動機でした。しかし共演を通じて、音楽が別のものに見えたといいます。
高校まではコンクールで順位を取ることが演奏の動機だった
共演を機に、メッセージを伝えるために音楽をやる姿勢へ変わった
コンサルか音楽か──進路をめぐる決断
話題はアメリカの学生の進路に移ります。就職を意識し始める時期は日本より早いといいます。
夏休みが3か月あるため、そこで何をインターンするかが就職に直結する、というのが通説だそうです。4回分の夏休みをどこで過ごすかが、ほぼ就活のようになっています。
もう考え始めるんですね。
廣津留さん自身はインターンをほとんどせず、母と一緒に地元の大分でサマースクールを作り、毎年帰って運営していました。ハーバード生を選抜し、子ども向けに英語やプログラミングを教える取り組みです。
そんな中でヨーヨー・マと出会い、周囲がコンサルティングの面接に向かう時期に、音楽の道を意識するようになります。
ただし、ビザの事情もあり、突然プロとして活動するのは難しいと考えます。そこで大学院として音楽を学ぶ選択肢が浮かびました。
これまでの人生でずっと学業と音楽を両立してきたからこそ、音楽だけを考えられる時間に幸せを感じたと話します。
ジュリアードのオーディションと合格通知
大学院はジュリアードを目指します。ここで頑張るべきは、成績やエッセイよりも「練習」でした。
今度は練習ですね。ただただ練習です。おそらくジュリアードの先生たち、そこ(成績)見てない。
大学4年生の夏休み明けから数か月、寮の練習室にこもる日々が続きます。食堂で「すみれちゃんは地下の練習室だと思うよ」と言われるほどでした。
オーディションの特徴は、長い課題曲を用意しても、実際には出だしや数小節だけを求められる点です。どこを指定されても弾けるように準備する必要があったといいます。
現地審査では、有名な先生方が机を並べて座り、CDで聴いていた演奏家が目の前にいる緊張感がありました。
ただし、最初に弾く曲だけは自分で選べます。廣津留さんはチャイコフスキーの一番好きなメロディを選び、出だしを完璧にすることに集中しました。
とにかく最初を完璧にしようと思ってたんで。
合格通知の形もハーバードとは違いました。テキストメッセージのリンクをクリックすると、在校生たちが「Welcome to Juilliard」と歓迎する動画が流れたそうです。
そのときはニューヨーク旅行中で、家族と一緒ではなく、一人で喜んだといいます。
奨学金と“交渉する”文化
最後に、留学を考える人に向けた現実的な話題として、費用の話が出ます。廣津留さんはハーバードもジュリアードも奨学金で通いました。
ハーバードの奨学金はニードベースドで、成績ではなく収入に応じて必要額が算出されます。学費・寮費・食費に加え、アルバイト代分まで差し引いて細かく計算されるといいます。
具体的な金額については、廣津留さん自身が「調べてください」と断りつつ話しています。ここでは正確な数字は確認が必要です。
日本の方だったら、大体の人はフルじゃなくても奨学金8割ぐらいは絶対もらえるんじゃないかぐらいの基準で奨学金を出しているので。
コンサートのチケットや、オーケストラでの楽器メンテナンス代まで、申請すれば戻ってくる仕組みもあるといいます。弦を買ったレシートを出すと返金されたそうです。
廣津留さんは、母が入学時に学費を「値切った」というエピソードも紹介します。主張や交渉が推奨される文化があると感じたようです。
自分で申請すれば、何事もアピールすれば戻ってくるっていうシステム。
川邊さんも、上司が受験時に辞書持ち込みを差別だと主張して認めさせた例を挙げ、主張に対して応える文化があると重ねます。
まとめ
ハーバードの柔軟な学びと、努力の過程を互いに尊重する仲間たち。そしてヨーヨー・マとの共演が、順位を競う音楽から、メッセージを伝える音楽へと廣津留さんの姿勢を変えました。ジュリアードへの進学は、両立をやめて音楽だけに向き合う時間を選んだ決断でもありました。
- ハーバードは専攻を自由に選べ、廣津留さんは最終的に音楽とグローバルヘルスを学んだ
- 努力の過程を互いに理解し合う環境が、競争より尊敬を生んでいた
- ヨーヨー・マとの共演が、音楽を「メッセージを伝えるもの」へと捉え直すきっかけになった
- ジュリアード進学は、学業と音楽の両立をやめ、音楽だけに集中する選択だった
- ニードベースドの奨学金や交渉が推奨される文化が、進路の選択肢を支えていた






