なぜ柔術は「見て面白くない」のに広まったのか
川邊さんは中井祐樹さんに、ブラジリアン柔術を普及させるうえで一番苦労したことを尋ねました。中井さんの答えは、柔術が見た目に面白い競技ではない、という点でした。
結局世界選手権の決勝戦を、一般の人は、やってる人でさえ見たら寝ちゃうんですよ、途中で。そんな競技ありますか?他に。
中井さんによると、ブラジリアン柔術は競技そのものが「やっている人のため」に全振りしていて、観客のことを基本的に考えていないといいます。見栄えを優先するなら、オリンピック競技のように立ち技を増やす方向へ進むはずですが、柔術はそちらに一切行っていません。
絶対見栄え、映えるものにしてたら得なんですけど、そこに一切行ってないですよ。だから奇跡のスポーツだと思いますよ。
中井さん自身も、研究のために試合映像を見ていて寝てしまい、レポートを書けず先輩に怒られた経験があると笑います。川邊さんは「人がパズルゲームをやっているのを見ない」のと同じだとたとえました。
柔術は地味すぎて普及が難しい一方で、ハマると面白くなる、世にも珍しいものだと中井さんは語ります。わかってくれた人同士は「秘密結社かよ」という感覚で結びつくといいます。
総合格闘技も「なくなるかもしれなかった」
中井さんは、普及の難しさは総合格闘技(MMA)も同じだったと振り返ります。自身がバーリ・トゥード・ジャパンで負った目の怪我を1、2年伏せていたのも、公表すれば総合がなくなってしまうかもしれなかったからだといいます。
当時は「寝て殴るなんて」と反対する声のほうが多く、アメリカでもUFC ── アメリカの総合格闘技団体で、世界最高峰とされるMMAの舞台。1993年に始まり、現在は世界中で大会を開いていますはニューヨーク州から長く反対され、ボクシング側からの圧力もあったと中井さんは話します。
共存することに成功した今の執行部はファインプレーなんですよね。
中井さんは、今ではMMAも柔術もなくなることはないと見ています。だからこそ今、原点回帰して自分のやりたいことに取り組もうとしているといいます。
黎明期
反対の声が多く、怪我の公表すら競技存続を脅かしかねなかった
共存の成功
UFCなどが既存の立場と共存し、競技として定着した
現在
なくなる心配がなくなり、中井さんは原点回帰へ向かう
柔術の「タコツボ化」をどう打ち破るのか
川邊さんが今一番やりたいことを尋ねると、中井さんは「格闘技の真の技術の普及」と答えました。ブラジリアン柔術や総合格闘技は、今ではルールに則った競技をやるスポーツとして広まっています。
その一方で、柔術を続ける人が打撃など他の文化を受け入れられなくなっている、と中井さんは指摘します。
今逆にタコ壺化してるんですね。それをやっぱりちょっと打ち破りたいなと思ってます。
俺だって流派を超えるものをやってたんで、元から。だけど今みんな好きになってくれた挙句、みんな「自分の流派はさ」ってなってるんですよ。
中井さんは、もともと流派の壁をなくすために活動してきたはずなのに、好きになった人たちがそれぞれの流派にこもってしまっている現状を寂しいと語ります。川邊さんはこれを、シューティング ── 佐山聡さんが創始した総合格闘技の競技団体。現在の修斗の前身で、中井さんが選手として活躍した舞台です時代のオープントーナメントのような発想と重ねました。
中井さんは柔道と柔術を例に挙げます。似ているのに根本で相容れないところがある一方で、本当は互いに必要なもの、光り合うものがあるといいます。ジャンルを超えて交流できる人は5%ぐらいと少ないものの、その面白さは言い続けたいと話しました。
全部いろんなジャンルを集めてやるものが格闘技だと思ってるから。その点ではルールのことだけ追っかけるのは試合愛好者だけでしょ。9割は試合しない人なんだから。
中井さんは俺がやらなかったら誰がやるの?という思いで、全然知らない人に魅力を伝えるところから始め直したいと語ります。川邊さんの番組で話すのも、柔術を知らないリスナーに向けて話しているつもりだといいます。
125歳までスパーリングを続けるには?
選手としての今後を聞かれた中井さんは、自分はもう選手ではないとしたうえで、ずっと練習を続けたいと話します。人間の寿命の上限を125歳とすると、その歳まで練習するにはどうすればいいかを考えているといいます。
中井さんが今実践しているのは、時間無制限で、極めるまでやるスタイルのスパーリングです。厳しそうに聞こえますが、実際の運動強度は散歩や軽いジョギング程度だといいます。
(何)分以内で決めなきゃとかないんですよ。(時間内に)決めなきゃってなったら大変ですよ。もうポキッとなるかもしれないし、ピキッとなるかもしれないし。
「俺時間無制限で禁じ技ないんだけどいい?」はい、やると。
制限時間内に極めなければならず、無理をして怪我のリスクが高まる
極めるまで続けるが、強度は散歩や軽いジョギング程度で疲れにくい
中井さんは、ヒクソン ── ヒクソン・グレイシー。グレイシー柔術を代表する格闘家で、中井さんが1995年に対戦した相手ですも自伝で同じことを言っていると紹介します。本当の戦いには時間制限も判定も審判もない、という考え方です。
川邊さんが「スローライフやスローフードのようだ」と言うと、中井さんはそれに近いと応じました。たとえば時間がかかってもマウントから自力で逃げられたなら、試合では評価されなくても「それが本当の技術だ」と伝えたいといいます。
UFCチャンピオンを出したいという「生臭い話」
指導者としての目標を聞かれた中井さんは、「生臭い話をすると」と前置きし、UFCチャンピオンを出さないとダメだと断言しました。国籍は問わないといいます。
中井さんの練習仲間からは、グラップリングの世界王者も柔術の王者も出ていますが、UFC王者だけはまだいません。アジア人男子の王者も一人もいない状況です。
スポーツやってる以上、世界最強のやつ出さないとダメです。
中井さんが期待を寄せるのは、フライ級でランキング上位にいる平良達郎 ── 沖縄出身の総合格闘家。UFCフライ級で活躍し、同階級のタイトル争いに絡む日本人選手として注目されていますさんです。元パラエストラ沖縄の所属で、中井さんにとっては「ひ孫弟子」にあたり、今一番ベルトに近い存在だと語りました。
「日本は弱い」は本当か
川邊さんが、裾野を広げて才能ある人が入ってくることの大切さに触れると、中井さんは世界の現状を説明しました。総合も柔術もグラップリングも世界中に普及し、レベルが上がりすぎて、一国だけが強いという状況はほぼなくなっているといいます。
さらに中井さんは、MMAや柔術はオリンピックや世界選手権と違って国ごとの出場枠がないため、そもそも国別の強さを測れないと指摘します。
じゃあ世界何番目の国どこが言えます?って言ったら、言える人は一人もいないはずなんです。世界(の)国で比べてないんで。
中井さんはこの状況を「自由市場」にたとえます。国の勢いではなく技術だけで競える珍しい世界になっており、キルギスの選手が王者になるような面白さがあるといいます。
強い相手を「崇めない」理由
印象に残る強い相手を尋ねられた中井さんは、実際に試合で競った相手はすごかったと答えます。UFCでも活躍したエディ・アルバレスやギルバート・メレンデス(ギルバートメンデス)は、青木真也さんにも勝った選手で、すごいものを持っていたといいます。
ただし中井さんは、選手を「こいつは強い」と崇めることはしないと話します。日本の選手たちにはファン気質が抜けない人が多いと感じているからです。
世界チャンピオンが試合するって言って申し込んで試合するんだったら、日本にいる黒帯全員行けよとか思うし。思うんだけど行く人いないんですよ。つまりファンなんです。
誰々がすげえみたいなこと僕絶対書かないですよ。書かないし、思ってもいないし。だって勝てると思ってるんで。
中井さんにとって強い選手は、勝つためにどうすればいいかを考える対象だといいます。「ワクワク柔術ライフ」を楽しむのもいいけれど、勝ちたいという気持ちも出てこなければいけない、というのが中井さんの立場です。
柔道の寝技から総合・柔術が学ぶべきもの
川邊さんは、オリンピック柔道で女子の角田夏実さんら寝技の強い選手が出てきていることに触れました。中井さんは、柔道の選手たちが柔術やグラップリングの技をよく取り入れ、負けない自分を作ろうとしている姿を「あっぱれ」と評価します。
そういった努力はして当然だと思うんですよ。だから総合とか柔術のやつはもっとできるはずなんですよ。その割には狭いよねって話なんですよ。
中井さんは、伝統の柔道やレスリングに学ぶものはまだあると考えています。川邊さんはこれを、第1世代・第2世代の考え方を大きく変えて新しい地平を開いた今のAIになぞらえました。
話題はグラップリング大会QUINTET ── 桜庭和志さんが中心となって立ち上げたグラップリングの団体戦イベント。5対5の勝ち抜き戦形式で行われますにも及びます。中井さんはルールディレクターと解説を兼ね、桜庭和志さんと組んで「グラップリングで七帝戦(七弟)がやりたい」というコンセプトで運営に関わっているといいます。
競技の面白さと「生涯柔術」の葛藤
川邊さんが時間無制限のスローな要素をQUINTETにも入れるのかと尋ねると、中井さんは入れないと答えました。見て面白いものにならないからです。
中井がやってることを伝えようとしたら弱くしちゃうんですよ。だから競技で勝てなくしちゃうんですよ。そういうのとの戦いはあってます。
中井さん自身も年を重ねるほど競技からは離れていくため、その葛藤はずっと続いているといいます。それでも、老いたあとに周囲から驚かれる姿を思い描いています。
中井さん、なんで83なのに、なんで若者から勝つんですかって言われたいです。
川邊さんが「10分以内なら負けるけど、3時間なら勝つ」と言うと、中井さんはそれに応じ、高齢社会の日本では高齢者が生き残れる格闘技も追求しなければならないと語ります。
中井さんは、道場がいずれ「元気な老人ホーム」になると予想します。すでにおじさんばかりの道場もあり、若者に「俺を絞めてみろ」とおじさんが挑むようなジムもあっていい、と笑いました。
桜庭和志のグレイシー撃破は何を教えたか
川邊さんは、桜庭和志さんがグレイシー一族に勝っていった時代を中井さんがどう見ていたかを尋ねました。中井さんは、シューティングで積み上げてきたことより、なぜプロレス出身の桜庭さんが勝つのかと悔しかったと振り返ります。
その悔しさは、選手の育て方についての方法論を考えるきっかけになったといいます。
打撃・投げ・寝技をすべて揃える。ただし全部をやる中で強みが抜け落ち、グレイシーに単品の弱さを突かれた
レスリングなど単品が強い人が集まって影響し合う。トータルでは粗くても、抜きん出た選手が出る
中井さんは桜庭さんの強さを、レスラー出身でありながら柔らかく、いろんなものを吸収できる点に見ています。人を気にせずグラグラしない強さがあり、それが柔軟さにつながっていたといいます。
UWFは、UWFははっきり言って嘘でしたよ。格闘じゃなかったし。だけどやっぱりそういう人たちがやっぱり吸い寄せられてきて。
中井さんにとって、UWF ── 1984年に旗揚げされたプロレス団体。格闘技色の強いスタイルを打ち出し、のちの総合格闘技の人材を多く生みました出身の桜庭さんは最初「目の上のたんこぶ」だったといいます。それでも、普及という観点から見れば出身は関係ないと考えるようになりました。
インチキだって言ってるのは俺らが言ってるだけであって、やってる人たちがピュアな気持ちでやってれば全然関係ないわけで。
35年を振り返っても「まだ第1部」
最後に川邊さんは、これまでの人生を振り返ってどうかと尋ねました。中井さんの答えは「まだ途中」で、第1部が終わったぐらいの感覚だといいます。
中井さんは、周囲が今になって三角絞めを称賛し、総合格闘技が世界的なスポーツになったことを、かつて自分が言っていた通りだと語ります。2023年に最も稼いだスポーツ選手が、MMA選手のコナー・マクレガーだったことも例に挙げました。
大体言ってることになるんですよ。だから僕は夢を言い続ければと。
それでも普及はまだ限界ではないと中井さんは考えています。柔術の道場がない町や村はまだあり、もっといろんな人に楽しんでほしいから歩みを止めてはいけない、と話しました。
だって僕だって海沿いの村のただの子供ですよ。でもそれでもここまで学べるんだから、もっとできるでしょ、みんな。
中井さんは、抜かしてもらって構わないが「俺も行くから」という気持ちがずっとあり、それが今も動き続ける原動力になっていると語ります。
「首を絞め続けて35年」と「俺は楽しい」の価値
川邊さんは、1995年から30年間インターネットの可能性を信じて楽しくやってきた自身の歩みを重ねます。今またAIという大きなイノベーションが来ている中で、分野は違っても中井さんと全く同じ感覚だと語りました。
自分は首を絞め続けて35年なだけだから、何も役立たずなことをやってるなと思ってるんですよ。
謙遜する中井さんに対し、川邊さんは「俺は楽しい」こそが重要だと返します。その楽しさに感化される市場が以前からあり、それがここまで大きくなったのだと川邊さんは指摘しました。
でもその「俺は楽しいけど」が重要なんじゃないですか。
中井さんは「後付けと言われそうだけど」と笑いつつ、こうなると思っていたので良かったと締めくくりました。
まとめ
中井祐樹さんは、柔術や総合格闘技が競技として定着した今だからこそ原点に戻り、流派の壁を越えた格闘技の技術と、年齢を重ねても続けられる楽しみ方を伝えようとしています。35年を振り返っても「まだ第1部」と語る姿勢に、この回の中心があります。
- 柔術は見て面白くない「奇跡のスポーツ」で、普及にはやる人の面白さを伝える必要がある
- 競技化で進んだ流派ごとのタコツボ化を、中井さんは打ち破りたいと考えている
- 時間無制限・散歩程度の強度のスパーリングで、125歳まで続ける構想を掲げる
- UFC王者輩出を目標に掲げ、選手を崇めず「勝つ対象」として見る立場を貫く
- 夢を言い続けることと「俺は楽しい」という感覚が、35年続く原動力になっている




