推しをゲストに迎えた会食のはじまり
番組冒頭、川邊健太郎さんは鞘師里保さんを迎え、「川邊の会食」の収録が始まります。二人は土曜朝のラジオ番組の縁もあり、時折顔を合わせている間柄だと語られています。
お久しぶりってどの程度のことを言うのかっていうのありますけど。
鞘師さんは現在、メジャーデビューを果たし、ツアーも始まっているタイミングだと話します。ただ、一番忙しかったのは制作の時期で、今はとりあえず一息ついた感覚もあるようです。
一番は制作してる時が一番忙しかったので、そういう意味ではとりあえず一息っていう感じであるかもしれないです。
飲み物は鞘師さんがビール、川邊さんがハイボールを選び、乾杯からインタビューが始まります。
好きな料理は、ニューヨークで出会ったモロッコ料理
好きな食べ物を聞かれた鞘師さんは、嫌いなものがないため選ぶのが難しいと前置きしつつ、ここ数年はモロッコ料理が好きだと答えます。
嫌いな食べ物がないんですよ。美味しいものは何でも好きっていうスタンスなんですけど。
鞘師さんが挙げたのは、タジン鍋を使ったモロッコ料理でした。汁物というより、野菜を蒸すような無水鍋に近い調理で、クスクスを使ったエスニックな一皿だと説明します。
このモロッコ料理と出会ったのは、芸能界を休業していた時期に留学していたニューヨークでした。本場のエスニック料理が揃う環境で初めて口にし、ハマったと振り返ります。
一方で、日本には店舗が少ないため、実際に食べる機会は多くないと言います。ニューヨークに行く機会があると、必ずまたその店に通うのだそうです。
鞘師さんは自分でも料理を作りますが、作るのはモロッコ料理ではないと話します。共通しているのは、素材の味を引き立てる味付けを意識している点だと語りました。
なんか共通してるのは、野菜とかお肉の素材の味をすごいちゃんと食べられるような感じというか。
推しを紹介したい――川邊が明かす収録の狙い
乾杯のあと、川邊さんは番組を通しで聴くリスナーに向けて、この回の狙いを打ち明けます。
今日の鞘師里保さんは私の推しですから。私の推しを皆さんにも知っていただきたいと。
鞘師さんに現在の職業をどう呼んでいるか尋ねると、「歌手」が先に来て、次に「俳優」だと答えます。自己紹介も「歌手、俳優の鞘師里保です」と名乗っているそうです。
あえて言うとしたら歌手が先に来て、俳優っていう感じだと思います。
川邊さんは、ここに至るまでの道のりを生い立ちからゆっくり聞きたいと切り出し、インタビューの本題へと入っていきます。
田んぼと森に囲まれた、広島での12年間
鞘師さんの出身は広島県東広島市。広島市の隣にあり、日本酒で有名な町だと紹介されます。田んぼや森に囲まれた環境で育ったと語ります。
全然今東京ですけど、田んぼとか森とかそういうものに囲まれて育ちました。
この環境で過ごしたのは12歳まで、つまり東京に来るまでずっとだったと明かされます。
ここで川邊さんは、以前から抱いている鞘師さんへの見方を語ります。司馬遼太郎のエッセイ「人間というもの」の一節を引きながら、才能や技能というわずかな突起物に引きずられて思わぬ世間歩きをさせられる人ではないか、という印象です。
もちろん自分の意思あったでしょうけど、周りによってこう押し上げられてきたみたいな雰囲気も感じて。
自分から強く進んだというより、周囲によって押し上げられてきた雰囲気もあるのではないか、と川邊さんは問いかけ、その真偽を確かめるように話を進めていきます。
ゴーガールで目覚めた、5歳のダンス
ダンスを好きになったきっかけは、幼稚園のお遊戯会でした。人生で初めて演目としてダンスを踊った経験が楽しく、そこで目覚めたと語ります。
そのお遊戯会の課題曲が、モーニング娘。の「ゴーガール」だったと明かされます。鞘師さんは年中のときにこの曲と出会い、ダンスに目覚めました。
当時、広島でテレビCMを見て知ったのが、アクターズスクールの広告でした。踊る人たちがレッスンをしている様子を見て、鞘師さんは「ここに行く」と両親に打診します。
「ここに行く」と親に伝えたのは、年中の終わり頃。川邊さんはこれを、鞘師さんの人生で最初の主体的なアクションだと受け止めます。
もう言いました。これしますって言って、親に。
平日は普通の子、土日はレッスン漬け
アクターズスクールには、幼稚園の年長から小学6年生までの7年間通い続けました。ダンスと歌を習い続けた期間になります。
当時の生活は、平日は放課後に友達と遊び、土日はすべてダンスと歌のレッスンで埋まっていたと振り返ります。家族での外出も、わざわざ時間を作っていくような形だったそうです。
土日は全部もうダンスと歌のレッスンで潰れてて。
当初はダンスだけのつもりで入ったものの、スクールにはキッズクラス、Aクラス、Bクラスといった段階があり、Aクラスからは歌のレッスンも入ってきます。鞘師さんが入ったキッズクラスはダンスのみでしたが、その後の流れで歌も習うようになりました。
つまり、システムをよく知らないまま入ったら歌のレッスンもあった、というのが実情でした。歌はダンスより苦手意識があり、次第にその楽しさが分かってきたと語ります。
「下ハモの女」と呼ばれた少女の得意分野
どちらも最初からできたのか問われると、鞘師さんはダンスの方が圧倒的に自信があったと答えます。歌については、全般が得意というより、先生からある評価を受けていたと明かします。
当時先生に言われてたのは、あんたは下ハモの女だってすごい言われてて。
下ハモとは、主旋律に対して下のコーラスを重ねること。鞘師さんはその下ハモが得意だと言われ、そのことが歌に対する自信の一つになっていたと振り返ります。
さらに、歌とダンスに共通して「リズム感がいいね」と褒められることが多く、それが今も自信につながっていると語ります。
このリズム感は、後にハロプロで重要な要素になっていくと川邊さんは指摘します。二人は「16ビート」というキーワードを挙げ、次の話題へとつながっていきます。
つんく♂とのマンツーマン、16ビート特訓
モーニング娘。に入ってから、鞘師さんはまず、自分が思っていたビートの倍以上の数があると感じたと言います。エイトビート主体だった感覚から、より細かいリズムへの対応が求められました。
特に記憶に残っているのが、中学1年のツアーでの経験です。歌うパートを多くもらった際、つんく♂さんにマンツーマンで16ビートを刻むトレーニングをしてもらいました。
ツアー本番前の最終リハーサル(ゲネプロ)で、つんく♂さんが歌のリズムが良くないと指摘し、特訓が行われました。その曲は、リズムを取るのが上手だと定評のある先輩・田中れいなさんと二人で歌うステージでした。
つんく♂さんがリズムがあまり良くないって言って特訓してくれたので、そこが多分かなりそのモーニング娘。の鞘師里保としてはすごく向上できた機会だったと思います。
以前は表拍・裏拍は分かっても、その間のリズムを波のようなグルーヴとして感じていただけでした。音符としてきちんと刻むのは、この特訓が初めてだったと振り返ります。
発表会もオーディション、切磋琢磨のスクール生活
小学校時代を改めて振り返ると、週末は歌とダンス、平日は広島の田舎の子供という二つの生活が並んでいました。デビュー前に子供らしい遊びができなかったのでは、という川邊さんの心配に対し、鞘師さんは割と普通に過ごせていたと答えます。
みんなで鬼ごっこしたりとか、なんか自転車乗って、誰が最初に補助輪取れるかみたいな感じだったんですけど。
何者でもなかった当時の鞘師さんには、デビューしてスターになりたいという気持ちがあり、それに向かってオーディションを受けていたと語ります。憧れたのは、ダンスを始めるきっかけになったモーニング娘。の姿でした。
その気持ちは理屈で考えたものではなく、男の子が野球選手になりたいと願うのに近い、素直な憧れだったと説明します。
理屈でいろいろ考えてるっていうよりは、これ好き、やりたいっていう。
アクターズスクールの周りはレベルが高く、特に歌が上手な子が多かったと言います。後にブレイクするPerfumeも同じ環境の出身であり、鞘師さんは自分をよりダンスの人だと感じていたと振り返ります。
発表会は半年に一度、地元の大きなホールで開かれました。それに向けてクラスごとに練習するほか、ユニット曲やソロ曲はオーディションを勝ち抜いた者だけが演目に出られる仕組みだったと説明します。
クラス内でも歌割りをもらうためのオーディションがあり、みんなが力を入れていました。鞘師さんはメインパートを歌いたくても下ハモのままの時もあったと言いますが、それでも結果は出していた方だと振り返ります。
4年ぶりのオーディション、九期の合宿審査へ
発表会やオーディションを重ねた小学5、6年生の頃、モーニング娘。のオーディションがやってきます。鞘師さんにとっては約4年ぶりのオーディションで、いわゆる九期オーディションでした。
モーニング娘。のオーディションもうないんじゃないかと思ってたんですけど。
選考は書類審査から始まり、会場でパフォーマンスを見てもらう一次・二次・三次審査と続きました。そのあとに、有名な合宿審査が控えていました。
合宿では、初めて聞く曲と振り付けをその場で覚え、歌って披露します。同じ曲を最終審査でつんく♂さんの前で披露する流れだったと説明します。
鞘師さんが覚えているのは、その理不尽さと厳しさでした。到着から24時間も経たないうちに歌のレッスンがあり、渡された曲が歌えずに先生から怒られたと振り返ります。
最終審査でつんく♂さんの前で披露したのは、ダンスがミニモニ。の「CRAZY ABOUT YOU」、歌が℃-uteの「会いたいロンリークリスマス」でした。緊張のあまり「声があまり出ませんでした」とつんく♂さんに伝えた発言も残っていると言います。
緊張しちゃってとか言ってましたけど、やっぱここまで来たら勝ち取りたいみたいな気持ちも同時にあった。
同期への「ぬるいな」と、大人に負けない結束
同期には、今度卒業する生田さんら、今も活動を続けるメンバーがいます。鞘師さんは合宿での同期のことをはっきり覚えていると語ります。
生田に関してはすごいかわいい子がいるなみたいな。見たことないレベルの子がいるなって。
一方で、スクールで歌とダンスの土台を積んできた鞘師さんは、そうした経験なしに上がってきた子を見て、生意気ながら「ぬるいな」と思うこともあったと明かします。
その子たち見るとなんかその生意気なんですけど、ぬるいなって思うような気持ち。
それでも同期はすごく仲が良かったと言います。同年代で大人の不条理な状況に一緒に置かれ、負けないぞという結束力があったと振り返ります。
大人にも負けないぞっていう結束力みたいなものあったと思います。
他では受からず、憧れのグループにだけ受かった
鞘師さんはそれまで別のオーディションも受けていましたが、受からずにいました。アップフロントのオーディションに初めて受かったのが、このモーニング娘。のオーディションだったと語ります。
幼稚園のときに初めて歌って踊った楽曲のグループ、そして憧れたグループに、小学校が終わろうとするタイミングで入ることができました。川邊さんはこれをドラマチックだと受け止めます。
合格を聞いたときの気持ちを問われると、鞘師さんは12歳らしい率直な反応だったと明かします。この後に訪れる大変さは、あまり想像していなかったと言います。
初戦、12歳なので。やったー、東京だみたいな。
この回はここまで。次回も引き続き鞘師里保さんをゲストに、会食の様子が配信される予定です。
まとめ
5歳でモーニング娘。の「ゴーガール」に出会い、自らアクターズスクールへの入学を親に打診した鞘師里保さん。7年間のレッスンで培った土台とリズム感を武器に、約4年ぶりのオーディションで憧れのグループにたどり着くまでの回想が語られました。
- 鞘師さんは幼稚園のお遊戯会で踊ったモーニング娘。「ゴーガール」でダンスに目覚めた
- 「ここに行く」とアクターズスクールへの入学を自ら親に打診し、7年間レッスンを続けた
- 「下ハモの女」と呼ばれ、リズム感を褒められたことが今も自信になっている
- モーニング娘。加入後、つんく♂さんのマンツーマン指導で16ビートを身につけた
- 他のオーディションでは受からず、憧れのモーニング娘。九期に12歳で合格した






