「かわいい」の守備範囲、広すぎない?
株式会社クラシコム代表・青木耕平と、株式会社ツドイ代表・今井雄紀が、世間一般の「当たり前」を一旦立ち止まって考え直すポッドキャスト番組「考えすぎフラグメンツ」。今回のテーマは「『かわいい』の守備範囲、広すぎない?」です。服、雑貨、人、そして成人男性にまで使われる「かわいい」という言葉。なぜこれほど万能になったのか、そして「かっこいい」や「すごい」との違いは何なのか。二人の対話から見えてきたのは、「かわいい」が持つ独特の機能と、それが人間関係に与える影響でした。その内容をまとめます。
春の楽しみと写真への目覚め
収録は春、気温20度前後の穏やかな日。青木は花粉症に悩まされながらも、庭に植えられた木々が折々に花を咲かせる様子を楽しんでいるといいます。冬に引っ越したため、最初は枯れ木ばかりだった庭が、春の訪れとともに日々変化していく様子が新鮮なのだそうです。
最近、青木は写真にも興味を持ち始めました。仕事では写真が重要な役割を果たしてきたものの、自分で撮ることにはあまり関心がなかったといいます。しかし、写真集を買い漁るようになり、見ることへの興味が高まってきました。そして春の光に誘われ、通勤途中にスマートフォンで気になったものを撮り、Instagram画像・動画共有SNS。略称は「インスタ」。ビジュアル重視のコミュニケーションが特徴で、写真愛好家やクリエイターに人気。に投稿する習慣ができたそうです。
とにかくね、何か作るっていうこと、自分が写真撮るってことも、作る行為だと思うんだけど、苦手意識あるんだよすごい。
青木は「何かを作ること」に対して強い苦手意識があると告白します。見たり聞いたりは好きだけれど、作る方は得意ではない。今井は「本当にセンスがあるやつはものを作らない」と皮肉めいた観察を述べます。インプットしすぎて頭でっかちになり、結果として作る前に躊躇してしまう——青木もそれに共感しました。
今井がかつて旅行で撮った写真を見せた際、青木はその空気感に心を動かされたといいます。カメラを持たなくても、コンパクトなカメラでスナップを撮るだけで、その時間の雰囲気が残る——その体験が、今の写真への関心につながっているようです。
「かっこいい」より「かわいい」と言われたい
ここから本題に入ります。今井が投げかけたテーマは「『かわいい』の守備範囲、広すぎない?」というもの。人、服、家具、そして男性にまで使われる「かわいい」という言葉。本来なら「かっこいい」「綺麗」「素敵」「美しい」など言い分けられるはずなのに、なぜ「かわいい」でまとめてしまうのでしょうか。
今井は、日本語を学ぶ外国人が「どうも」を覚えてしまうと、挨拶・謝罪・許可など何にでも使えてしまい、かえって上達を妨げるという話を引き合いに出します。「すみません」や体育会系の「押忍」も同様です。
「かわいい」もまた、そうした万能語なのかもしれません。便利だけれど、思考を奪う可能性がある。では実際、人はどう感じているのか——青木が自身の感覚を語り始めます。
俺、『かわいい』のがもう断トツいいなと思って。嬉しさがもう全然違う。
53歳の青木にとって、「青木さん、かっこいいですね」と言われるより「青木さん、かわいいですね」と言われる方が、嬉しさが5倍も違うといいます。スタイルでも人格でも、どちらでも同じです。「かっこいい」は褒め言葉として正統的だけれど、「かわいい」の方が「芯を食っている」感覚があるというのです。
なぜそう感じるのか。青木は次のように分析します。「かわいい」には打算のなさがある。直感的に、本音に近い言葉として受け取れる。一方、「かっこいいですね」は一瞬考えて出てきた言葉のように感じられ、そのぶん距離があるように思える、と。
「かわいい」は全体を褒めている
青木はもう一つ重要な点に気づきます。「かわいい」は全体を扱ってくれる感覚があるというのです。
たとえば、「そのTシャツ、かわいいですね」と「そのTシャツ、かっこいいですね」。前者は、Tシャツを着ている自分、その場の雰囲気、全体のバランスまで含めて褒められている気がする。後者は、Tシャツ単体への評価にとどまる気がする——そんな違いです。
対象そのものを評価
Tシャツ単体、判断単体など、焦点が絞られた褒め言葉。相対評価のニュアンスが入る。
全体・シーンごと褒める
着ている人、場の雰囲気、内面も含めた「全体」を直感的に「快い」と感じたことを表現する言葉。
同じことは仕事でも言えます。「その経営判断、すごいですね」より「その経営判断、やばいっすね」の方が嬉しい。「やばい」もまた、作為なく出てくる言葉であり、評価というより琴線が動いたことを伝える言葉だからです。
青木は整理します。作品や仕事には「やばい」、自分自身やファッションには「かわいい」。どちらも、相手の琴線が動いたことを素直に伝える言葉であり、だからこそ受け取る側も嬉しく感じるのだ、と。
関係性の傾斜をゆるめる言葉
では、なぜ「かわいい」はこれほど広まったのでしょうか。青木はファッションの歴史を引き合いに出します。
かつてフォーマルなスタイルといえば、ジャケット、ネクタイ、スラックスがセットでした。しかしどこかで誰かが、ジャケットにデニムを合わせ始めた。最初は「ルール違反」だったはずが、やがて市民権を得て、今では当たり前のスタイルになりました。
なぜそんなことをしたのか。青木は言います。「窮屈なんだよな」と。既存の定義や関係性に閉じ込められた感覚を超えようとして、新しい組み合わせを試みる。それがうまくいけば、新しい文化になる。
「かわいい」も同じです。たとえば年上の男性に対して、「立派ですね」「素晴らしい業績ですね」といった褒め言葉では結べない関係性がある。そこで誰かがリスクを取って「かわいい」を使ってみたら、うまくハマった。そして青木のようにホクホクするおじさんが生まれ、それが再現性あるノウハウとなり、やがて当たり前の文化になった——そんな流れが考えられます。
青木は「かわいい」のムーブメントが1970年代に始まったと指摘します。ハローキティサンリオの人気キャラクター。1974年誕生。日本発の「かわいい文化」を世界に広めたアイコン的存在。シンプルで親しみやすいデザインが特徴。の誕生は1974年。その頃から「かわいい」が市民権を得ていきます。
1980年代前半には丸文字1980年代に女子中高生を中心に流行した、文字を丸っこく書くスタイル。「ブリッ子文字」とも呼ばれ、当時は教師から注意されることもあったが、やがて一つの文化として認知されました。が流行しました。綺麗な字、上手な字という相対評価から逃れ、「私たちはこれを『かわいい』と思う」という絶対的な主観で価値を見出す文化です。「かわいい」という概念は、既存のヒエラルキーから脱出する手段だったのです。
そして、傾斜のついた関係性——年齢、立場、性別など——に「かわいい」を持ち込むと、その傾斜がゆるみ、関係性が良くなる可能性があります。もちろん、相手が傾斜を維持したい場合はリスクもあるけれど、うまくいけば距離が縮まる。だからこそ、女性の方がこの言葉を使いこなしているのかもしれない、と今井は指摘します。
意図が見えすぎると美しさが下がる
ここで青木は、最近オフィスを訪れたアーティストとの対話を紹介します。そのアーティストは、すべてのアーティストには企みがあるけれど、「企みがないかのようにするために、命がけで労力をかけている」と語ったそうです。意図を消しきれていれば成功、消しきれていなければ悔いが残る——そういう話でした。
それを、うまくその消せてれば、ある種そのうまくいった作品だし、それがなんか自分の中で消しきれてないと思うと、やっぱ悔いの残る作品みたいな。
青木はこれを聞いて、18世紀の哲学者カントイマヌエル・カント(1724-1804)。ドイツの哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書で知られ、近代哲学の基礎を築きました。美学についても重要な考察を残しています。を思い出したといいます。カントは「芸術は美しい自然を模倣する」と述べました。自然には意図がない。だから美しい。芸術作品も、意図が見えないほど美しく感じられるのです。
カントによれば、美を感じるとき、人は「構想力」と「悟性」が自由に戯れている状態にあるといいます。構想力は、バラバラの音を和音として、色の散らばりを絵として捉える働き。悟性は、論理的に「これはこういうものだ」と判断する働きです。
普段、人は悟性が優位です。「これは誰々が描いたこういう意図の作品だ」と判断する。しかし美を感じるとき、両者は対等に戯れている。意図が見えてしまうと、通常の認識モードに戻ってしまい、美の感覚が壊れるのです。
構想力(イメージを捉える力)
バラバラの音を和音に、色を絵に。感覚的インプットを一つの表象としてまとめる。
悟性(論理的に判断する力)
「これは〇〇だ」と認識する。意図や目的を読み取る。
自由な戯れ = 美の快
どちらも優位でない状態。意図が見えないから、美しいと感じられる。
青木はここから「かわいい」と「かっこいい」の違いに戻ります。「かっこいい」には、意図が透けて見える感じがある。「バチバチ決めてきたな」「ちょっとやってんな」という印象。しかし「かわいい」は、意図が見えない。だから、芯を食った褒め言葉として受け取れるのではないか——そんな仮説です。
頑張ってない感じを、頑張って作る
青木は19世紀のイギリスに実在した人物、ボー・ブランメルジョージ・ブライアン・ブランメル(1778-1840)。イギリスの社交界で活躍した伝説的なダンディ。貴族ではなかったが、洗練されたファッションセンスでジョージ4世(当時は皇太子)の友人となり、男性ファッションに革命をもたらしました。のエピソードを紹介します。彼はおしゃれなだけで成り上がった人物で、仕事もせず、貴族でもないのに、そのファッションセンスだけで社交界から絶大なリスペクトを受けていました。
ブランメルは「ノンシャラス(nonchalanceフランス語由来の英語。「無頓着」「さりげなさ」を意味します。ファッション用語としては、作為を感じさせない自然な着こなしを指し、ダンディズムの重要な要素とされます。)」——意図がないように見せること——を追求しました。そのために、ネクタイを結ぶのに4時間かけたという逸話があります。何度も何度も結び直し、ようやく「全然頑張ってない感じ」を完成させて、社交界に現れる。そのさりげなさが、当時の人々を魅了したのです。
青木は言います。「だから、『かわいい』と言われるようなファッションや人柄も、実は意図を消すための努力が隠れているんじゃないか」と。
たとえば、髪型。今井も髪をセットするとき、「無造作ヘア」を目指して頑張っている自覚があるといいます。文章も同じです。すらすら読めるように見える文章ほど、推敲に推敲を重ねている。音楽も、自然に聞こえる演奏ほど、裏で膨大な練習がある。
ボー・ブランメルの逸話。「頑張ってない感じ」を完成させるために、何度も結び直す。
すらすら読める文章ほど、裏で膨大な削り・並べ替え・言葉選びが行われている。
即興に聞こえる演奏も、実は長年の訓練と準備の上に成り立っている。
アーティストが語ったように、意図を消しきることが作品の成功を左右する。
青木は整理します。「『かわいい』と『かっこいい』の違いは、意図が見えるかどうか。『かっこいい』はまだ意図が透けて見える。『かわいい』は、意図が消されている。だから自然に感じられ、だから琴線に触れる」——そういうことなのではないか、と。
もちろん、「かわいい」が万能すぎて思考を奪う面もあるかもしれません。しかし同時に、この言葉は、相対評価から逃れ、関係性の傾斜をゆるめ、相手の琴線が動いたことを素直に伝える——そんな機能を持っているのです。
まとめ
青木と今井の対話から見えてきたのは、「かわいい」という言葉の多層的な機能でした。
まず、「かわいい」は評価ではなく、琴線が動いたことを伝える言葉です。「かっこいい」「すごい」が相対評価を含むのに対し、「かわいい」や「やばい」は、自分の中で何かが動いたという絶対的な主観を表します。だから受け取る側も、打算のなさや本音を感じ取り、嬉しく感じるのでしょう。
次に、「かわいい」は全体を褒める言葉です。対象そのものだけでなく、それを身につけている人、その場の雰囲気、内面も含めた全体を「快い」と感じたことを表現します。だから、単体への評価である「かっこいい」よりも、包括的で温かみのある褒め言葉として機能します。
さらに、「かわいい」は関係性の傾斜をゆるめる働きを持ちます。年齢、性別、立場といったヒエラルキーの中で、「かわいい」を持ち込むことで、傾斜がゆるみ、親密さが増す。1970年代の「かわいい文化」が、既存の構造から脱出する手段として機能してきた歴史も、この特性を裏付けています。
そして最も興味深いのは、「かわいい」が意図の見えなさと結びついているという点です。カントの美学やボー・ブランメルのエピソードが示すように、美しさやかわいらしさは、作為を消すための膨大な努力の上に成り立っています。「頑張ってない感じ」を頑張って作る——そのパラドックスこそが、「かわいい」という言葉が指し示す本質なのかもしれません。
- 「かわいい」は評価ではなく、琴線が動いたことを伝える言葉
- 対象単体ではなく、全体(人・場・雰囲気)を褒める機能がある
- 関係性の傾斜をゆるめ、親密さを生む効果がある
- 意図が見えないこと=自然さが、「かわいい」の本質
- 「頑張ってない感じ」を作るために、みんな命がけで頑張っている
