ゴールデンウィーク、家で過ごした青木さんが唯一出かけた場所とは
ゴールデンウィーク明けの収録で、今井さんが遠出をしたか尋ねると、青木さんは連休中に1日しか家から出なかったと答えます。前半の2〜3日は半分ほど寝ていて、本を読もうとしても、サブスクでドラマを見ようとしても、うとうとしてしまったそうです。
その後、青木さんは近所へコーヒーを飲みに行ける程度に回復し、掃除や庭の手入れ、靴磨きなど「やらんといかんこと」はこなしていました。今井さんが、そういう過ごし方を無駄にしたと思わないのかと聞くと、青木さんは「全然思わない」と即答しています。
青木さんが唯一出かけた先は、亀有の高架下にあるSKACでした。アートブックと中古レコードを扱う場所で、青木さんは前から行きたかったのに行けずにいたため、思い立って足を運んだといいます。
今井さんによると、SKACを手がけているのは東京アートブックフェア ── 国内外の出版社やアーティストが集まり、アートブックやZINEを展示販売するイベント。毎年東京で開かれ、多くの来場者を集めていますを運営している人たちと同じだそうです。
SKACは商売ではなく「作品」だった
SKACで青木さんが驚いたのは、在庫の量でした。青木さんが好きな写真家トッド・ハイドトッド・ハイドの、50〜60センチほどある大判の写真集が、20冊ほど並べて在庫されていたそうです。1冊1万5000円から2万円ほどの本だと話されています。
青木さんは、平均の単価を仮に1万円、在庫を仮に1万冊として計算すると、1億円分の在庫になると試算します。中古レコードも仮に3000万円分あるとすれば、建物を成り立たせる費用と同じか、その半分ほどを在庫に投資していることになる、という見立てです。
あんまりもう仕入れるとかなんとかっていうよりも、場所を作るってことを念頭に置いて、設備としてアートブックに投資をぶっ込んだみたいな。
今井さんも半年ほど前に初めてSKACを訪れたとき、その商売の構造に感動したといいます。青木さんはそれを受けて、SKACは商売というより作品だと言い直します。
まああれを見て、アートブックとか中古レコードで商売できるんだって思ったら、ほんと大変な間違いだよ。
青木さんは、SKACを成立させる政治力、スキーム、クリエイティビティなど、さまざまなものがぎゅっと詰まっていたと振り返っています。
リクルートの売上と、10年前の下手な記事
ここで今井さんが、この回のテーマ「自分が成長しているかってどうやったらわかるんだろう」を切り出します。会社を経営していると、若いメンバーが頼もしくなったと周りが気づく瞬間はあるものの、本人がそれをどう確かめればいいのかが今井さんの問いです。
今井さんにとってわかりやすい成長実感の一つは、リクルートに入社したときの営業研修でした。クリエイティブ職での入社でしたが、最初の半年は営業を経験する決まりで、第1クオーターの売上はゼロ、第2クオーターはしっかり売れたといいます。運もあるとしつつ、売上という数字で成長を感じやすかったと話しています。
もう一つは、今井さんが前の出版社で編集長を務めていたウェブサイトが4月末に閉じたことです。閉鎖の連絡を受けて、今井さんは10年ほど前の自分の記事を見返しました。
ほんと下手なんですよ。(インタビューの)出てくれた人たちに、なんかほんと申し訳ないなってぐらい。
今井さんが下手だと感じたのは、インタビューの質問や見出し、タイトルでした。「お前そこもう一個聞けよ」と思う箇所や、もっとぎゅっと削れる脂肪の多い文章が目につくそうです。編集の仕事は昔の仕事がアーカイブとして残るため、今井さんは自分が昔編集した本を読むのもあまり好きではないといいます。
青木さんは、今井さんの話を聞いて「めっちゃ成長実感できてるね」と返します。今井さん自身も、それは自分にとっていいことだと受け止めています。
会社は成長しても、自分は昔のほうが優秀だった?
今井さんに成長を感じることがあるかと聞かれた青木さんは、クラシコムという会社は目に見えて成長しているとしたうえで、自分個人については逆の感覚を語ります。
昔の方が自分優秀だったなっていう思いが、もう直近10年ぐらい拭えない。
青木さんの説明では、昔は自分が考えたことや手を動かしたことと、結果との因果関係がとてもわかりやすい時代でした。組織が小さく、やっていることもコンパクトだったためです。
今の青木さんは、自分の仕事が足元の何に影響しているのかわからないまま取り組み、相関関係が見えてきた仕事はどんどん人に渡しています。その結果、自分は何の役に立っているのかわからないことばかりやっている、という感覚が強くなっているそうです。
何でも自分でやっていた。考えたこと・やったことと結果の因果関係が見えやすく、やりごたえがあった
相関が見えた仕事は人に渡す。何の役に立っているかわからない仕事が中心になり、劣化しているのではと感じる
今井さんが「渡せることも成長じゃないですか」と返すと、青木さんは、頭で考えればそうだと認めつつ、別の見方を示します。
もう今って、渡せるようになりましたってよりは、渡さざるを得ないっていう感じなんだよ、そこ。
青木さんは、たまに自分でやってみるかと言われたら「ちょっと待って」となってしまう以上、仕事を渡すことはただの劣化である可能性もあると話します。今井さんも、それには身に覚えがあるかもしれないと応じています。
ただ、青木さんは何でも自分でやっていた40歳ごろまでも、成長していると感じていたわけではないといいます。あったのはやりがいややりごたえで、成長したとは思っていなかったかもしれない、と振り返っています。
経営者が「うまくなった」と思えないのはなぜか
青木さんは、編集者の仕事ならやればやっただけ上手くなるのに対し、経営者という仕事だけを切り出すと「最近うまくなった」とは思えないはずだと指摘します。今井さんも「全くないですね」と同意します。
青木さんが挙げる理由の一つは、経営がうまくいくほど、経営の対象そのものが変わってしまうことです。ウェブ記事の編集なら範囲が変わらないので技術が深まり磨かれますが、会社が成長して規模や関わる人数が増えると、アプローチも考え方も全部変えなければなりません。
経営がうまくいく
会社が成長し、規模や関わる人の数が増える
対象が変わる
経営の仕方、ものの捉え方、関わり方を全部変える必要が出る
習熟できない
同じことを同じようにできないので、ずっと下手なままに感じる
うまくいってたら行ってたで、ずっと下手なままなの。
逆に会社が大きくならない場合も、青木さんは実感は得にくいと話します。営利企業の経営は、もともと成長や増殖がセットアップに組み込まれた競技なので、同じ規模を上手に回せるようになっていても、大きくならない時点でうまくできていないように感じてしまうからです。
青木さんの結論は、どちらに転んでも、うまくなっている実感がないのが経営という仕事だ、というものです。
認知が広がると「しっくりこなさ」が増える
今井さんが、職人ならうまくなったと思えるのかと尋ねると、青木さんは思うだろうとしつつ、「やればやるほどわからなくなる」という言葉もよく聞くと話を広げます。
青木さんは、今井さんが昔の記事を下手だと感じた現象を、認知の拡張として捉え直します。気づけるものが増えると、仕事の範囲が変わらなくても整理すべき情報の量が増えるため、今でも新しい仕事は「しっくりこないまま期限が来ちゃった」と感じているはずだ、という見方です。
わかることが増えたのと同じぐらい何がわかってないかがわかるようになって。
青木さんは、経営者だけが特別だと思っていたが、結局は職人や編集者も同じなのかもしれない、と自分の話を修正しています。
今井さんは、認知が増えることは成長として数えられるかもしれないと応じ、本づくりの例を出します。本は基本的に16ページを1単位とする「折 ── 印刷した大きな紙を折りたたんで複数ページ分を作る単位のこと。書籍のページ数は、この折の倍数で決まることが多いです」で作られるため、256ページや160ページといった総ページ数になります。
今井さんによれば、内容が155ページで終わっても残りの5ページは埋めなければならず、上手な編集者は奥付 ── 本の最後にある、書名・著者・発行者・発行日などを記したページまで含めて159〜160ページに収めるそうです。下手なときは白いページが入ったり、広告が8ページも入ったりして、不格好になるといいます。
16ページ単位を意識せず、余ったページに白ページや広告を何ページも入れて埋める
奥付まで計算に入れて、ページ数ぴったりに内容を収める
雑誌でも、1行に24文字ほど入る中で5文字しか使っていない行があると恥ずかしい、という感覚があるそうです。今井さんは、こうしたことを知ると次から認知できるようになると話します。
青木さんは、16ページ単位を知らない人は「10ページで足りるよ」といった的外れなことを言ってしまうと応じ、わからなかったことがわかるに変わり、できないことができるに変わるのが成長だと整理します。今井さんはさらに、気づけるようになることが成長なのかもしれない、と付け加えています。
「成長」という言葉は雑に使われていないか
青木さんはここで、そもそも「成長」という言葉自体に疑問を向けます。成長は本来、人間や植物などの生き物の個体の体積が大きくなることにだけ使われていた言葉ではないか、という仮説です。青木さんは語源を調べたもののわからなかったと断ったうえで話しています。
(成長がわからないのは)だって成長なんかないんだもん。大きさ、体積が大きくなってないんだから、そんなもの存在してないんだもん。
青木さんの見方では、会社の規模は計測できるため、生き物に使っていた言葉を企業に援用するのはまだわかります。しかし、その言葉を何にでも当てはめるうちに、人の中で起きている何かが捉えにくくなってしまったのではないか、と話しています。
青木さんによると、給料が上がった、5しかできなかったことが10できるようになった、といった量的にカウントできる変化は、人間の営みのいちばん低いレイヤーにすぎません。最初は大きさで捉えられるので成長実感を持ちやすいものの、ある程度のところからは別の言葉が必要になる、という整理です。
今井さんは、成長という言葉も「コミット」「ルーティン」「言語化」のように、ビジネス書的なバズワードとして広まったものかもしれないと応じます。青木さんも「違ったらごめんだけど」と前置きしつつ、会社の成長を語っていた人が部下の成長と言い始めたときには、もう意味がわからなくなっていると思う、と話しています。
青木さんは、大きさではないという意味では「成熟」のほうがまだよいとしつつ、発達、進化、進歩といった言葉にも、前に進むことがいいことだという含意を感じてしまうと語ります。
青木さんは仕事に限定して考えても、できることや気づけることが極まっていくことが、自分と世界にとって良いとは限らないと指摘します。気づきすぎて苦しいことは多く、今井さんもマナーを例に挙げ、青木さんは「マナーのインフレ」もあると応じています。
成長より、変化しながらバランスを取れているか
青木さんは、ちょうどいい真ん中、中庸のようなポイントがあると話したうえで、成長の代わりになる言葉として「変化」を挙げます。変化は刻々と起きているものであり、変化しながら動的なバランスが取れているならまあいいのではないか、という考えです。
今井さんが「天秤が傾いていない状態」と言い換えると、青木さんは天秤の比喩で説明を続けます。自分の意思と関係なく変わる心身の内側と、外側の世界の変化という重さは常に変わり、自分の意思で動かせるのは支点だけだ、という整理です。
個としての生産性とか有能さがなくなった方がバランス取れるっていう局面もあるはずなんだよね、当然に。
青木さんは、個として有能であることがバランスにつながる局面もあれば、その逆の局面もあるとし、そのときにどれだけ柔軟に支点を変えられるかが、自分の求めている在り方かもしれないと話しています。それが成長なのかはわからない、とも付け加えています。
「成長したい」は上京したい気持ちに似ている
今井さんは、2008年に就職した自分たちの世代は就活で「成長したい」とよく言っていたと振り返ります。経営者の立場になった今は、面接でそう語るのはあまり得策ではないと思う一方、当時は本音だったとも感じているそうです。その前の世代は「稼ぎたい」が大きかったのかもしれない、とも話しています。
今井さんの会社に来ているインターン生の中には、「洗礼を受けたいです」と話す学生がいるといいます。若者が腫れ物のように扱われ、パワハラが問題になる中で、ちゃんと言ってほしいという危機感があるようです。今井さんは、こうした若者の成長意欲をどう捉えればいいかを青木さんに尋ねます。
青木さんの答えは、「成長したい」は地方にいる人の「上京したい」という気持ちと同じではないか、というものでした。根底にあるのは「このままでいいのかな」という閉塞感で、それを打破する機会として、厳しい上司に怒られる経験でも、留学でも、とんでもない恋でもいいのだろう、と青木さんは見ています。
青木さんによれば、上京を目指している間は「このままでいいのかな」と思わずにいられますが、上京して大学や就職が始まると、すぐにまたその気持ちが戻ってきます。
閉塞感
「このままでいいのかな」という気持ちがある
目標を置く
上京や仕事、恋愛などを目指している間は気持ちが抑えられる
到達する
着いてしまうと、次の約束がない状態がまた不安になる
次の変化の、要はさ、次の週末の約束がないっていう状態が嫌なんだよ。
青木さんは、素晴らしい学歴の人が聞いてもいないのに「ただの東大生上がりで終わりたくない」と言うことがあると話します。青木さんから見れば、すでに達成しているのにその人にとっては着いてしまった場所なので、次の約束がないと落ち着かないのだろう、と推測しています。イーロン・マスクも、50年後に火星に行くという約束に向かって進んでいないといられないのではないか、と話しています。
何もない休日を、ちゃんと幸せだと思えるか
今井さんが、それは不安なのかと聞くと、青木さんは退屈や不安かもしれないとしつつ、先のことばかり考えている状態なのだろうと答えます。未来に割いている思考の量が多すぎる、という見方です。
青木さんは、自分にもそういう面はあったし今もあると認めたうえで、それを確実に減らせていると話します。今井さんが減らしたほうが穏やかなのかと尋ねると、青木さんは今のバランスの中では減らしたほうがいいと思っていると答えています。
青木さんは、冒頭で話した予定のないゴールデンウィークを無駄だと思わないのは、そうなってきたからであり、そうあれるように自分の認識を磨いたのかもしれない、と振り返ります。
予定がないっていうことに一喜一憂してるのは、ちょっとハードモードすぎるよね。
今井さんは、昔から予定のない休日が好きで、何もない日がいちばん幸せだと話します。青木さんも同じだとしたうえで、本当は何もないことが幸せなのに、これでいいのかと思うあまり、疲れているのに予定を入れたり、楽しくないのに出かけたりすることが世の中にあふれていると指摘します。
青木さんは、パワハラ上司のような人に不快に怒られる経験を、わざわざしなくていいのではとも話します。ただ、変化したい気持ちはわかるので、他の手段があるといいし、どうしてもなければその経験も生かしようはある、という立場です。何もないこともまた生き物には向いていないので、微細な変化をもっと感じられるようになるとよいかもしれない、と青木さんは続けます。
青木さんは、予定がなくても平気な人は、日々を過ごすうえでの解像度が高いのかもしれない、と推測しています。
写真を撮ると、身の回りの変化に気づきやすくなる
青木さんは、写真を撮る今井さんの影響もあり、最近カメラに興味が出てきたと話します。メルカリで、プレミア価格がついている名機のコンパクトカメラリコー GR IIIxを買ったそうです。
青木さんがカメラに惹かれる理由は、いい作品を撮りたいからではありません。身の回りの面白い形やきれいな光に気づきやすくなり、時間の密度が濃くなることが、自分にとって大事だと感じているからです。
なんか通勤する、例えば朝の道とかの時間が普通に長くなっちゃうのよ。いろいろ見たり、なんなら写真撮ったりしちゃうから。
青木さんは、そうなれば仕事でとんでもなく怒られる経験がなくても、いろいろなことに気づき、変化を感じられるようになると考えています。
青木さんはここで正岡子規 ── 明治時代の俳人・歌人。結核を患い、晩年は病床で過ごしながら、身近な景色を題材に多くの作品を残しましたを例に挙げます。病気で狭い部屋に寝たまま、小さな庭だけを見て延々と歌を詠み、「小さいスペースに宇宙が見えている」と言われるような人だ、と紹介しています。
青木さんは、怒られるために頑張るくらいなら、そういうことに頑張ったほうがいいと話します。ただし写真を上手くなろうと思うと、気づくこと自体が阻害されてしまうので、自分の目に留まったものや気持ちいい形をじっと見ることが大事だ、という考えです。
見えている人には、「立ち回り」が必要ない
今井さんは、会社員時代の後輩の話をします。学生時代に何をしていたか聞くと、その後輩は「ずっと家のものを数えてました」と答え、部屋の中のものの数を教えてくれたそうです。変なやつだと思っていたその後輩は、のちに会社を上場させたといいます。青木さんは、何か見えているものがあるのだろうと応じています。
青木さんは、バンドでギターを弾き続けていた息子さんが、急に絵を描き始めた話をします。息子さんはiPadの画面の半分に漫画やアニメのキャラクターを表示させ、残り半分で延々と模写しているそうです。
(息子が)「なるほど、ここの服にシワを入れることで、この胴体の立体感を表現してる」ってことがなんかわかったとかって言ってるわけ。
青木さんは、それはマニュアルを見ればすぐわかることだろうとしつつ、大して調べもせずに模写を続けるうちに、息子さんがだんだん細かくいろいろなことがわかるようになり、上手くなっていく様子を見ています。世間的に「上手だね」と言われるような上手さではない、とも話しています。
青木さんは、息子さんが怒られて1ミリでも変わったところは見たことがないといいます。一方で、気づけることが増えるうちに、息子さんが人のこともよく見ていることがわかったそうです。友達から「立ち回りがうまい」と言われるのに、本人は立ち回っているつもりがない、と話していたといいます。
見えていないことをこねくり回し、うまくやろうとする。それが「立ち回り」になる
見えている通りに動くだけ。自転車が来たら避けるような普通のことが、周りからは立ち回りに見える
青木さんは、評価に結びつけずにただ取り組める息子さんを羨ましいと感じています。自分は絵を描き始めたらすぐ「これを使って何かできないか」と考えてしまうタイプで、立ち回ろうとする作為は見えていないことの表れでもある、と自己分析しています。
青木さんが目指したいのは、聞ける音や見える色を増やしていくことです。そこにフォーカスするうちに、他者の表情や人と人との間の緊張にも、読むというより普通に気づけるようになり、それに逆らわず自然に動ける、と青木さんは話しています。
見えてないのにこうやればいいっていうテクニックが増えすぎてて、あるいは見えてなくてもいいのに、うまくできなきゃと思いすぎさせられることが多すぎる。
ノウハウより先に、どうやったら見えるようになるか
青木さんは、息子さんが誰にも見せずに趣味で絵を描いているからこそ、気づけるようになることだけを追求できているのだと考えています。そういう人は息子さんに限らずたくさんいるだろうとしつつ、仕事やライフワーク、人間関係にもそう向き合えたらいいのに、と話します。
青木さん自身は、すぐノウハウを調べたくなるタイプだといいます。寿司はマニュアルを見れば3ヶ月で握れるという「修行10年いるのか問題」についても、早く稼ぐ勝負ならそのほうが効率的かもしれないと認めます。それでも、本当にいろいろなことに気づけるようになるには時間がかかり、そうなれるとすごくいい、と青木さんは語ります。
青木さんの見方では、気づける感覚を増やしていくことは時間軸があまりに長いため、成長という言葉で捉えると実感できないと思ってしまうかもしれません。そこで青木さんは、この回の結論ともいえる考えを口にします。
青木さんは「満たされるような気がするけどね」と言い添えています。成長を測ろうとするより、見える・聞ける・気づけることを増やすほうへ目を向ける、という着地です。
まとめ
この回では、成長実感の得にくさを入り口に、「成長」という言葉そのものの雑さが問い直されました。青木さんと今井さんは、認知の拡張、変化とバランス、気づける感覚を増やすことという別の捉え方にたどり着いています。
- 今井さんは10年前の記事を下手だと感じる経験に、昔の自分との差を見ている
- 経営は、うまくいくほど対象が変わるため「うまくなった」と実感しにくい仕事だと青木さんは話す
- 「成長」は本来、体積が大きくなることに使う言葉で、無形の変化には合わないのではという問いが出た
- 「成長したい」は上京したい気持ちに似ており、次の約束を求める閉塞感の表れかもしれない
- 写真や模写のように見える・聞ける・気づける感覚を増やすことが、成長実感より満たされる道として語られた


