会う前に相手をどこまで調べるべき?
本題の前に、今井さんは青木さんが潮流通という番組に出演したことを取り上げ、初対面の相手に会う前にどれくらい相手のことを調べていくのかを尋ねます。
青木さんの答えは「軽くは調べる」というものでした。動画や音声、本などのアウトプットに目を通し、相手が何をしている人なのか、アウトラインをつかんでいくことが多いといいます。
一方の今井さんは、編集者としてのインタビューの仕事では、相手が世に出している情報をできるだけ網羅していくのが基本だと説明します。目的が、まだ言っていないことを引き出す「サムシングニュー」にあるからです。
(インタビューでは)もう極力その人が世に出してる情報は網羅していればしてるほどいいっていう感じなんですよね。
今井さんは、その癖が仕事以外の場面にも染みついていると打ち明けます。調べずに行くと、世に出ている情報を聞いてしまったときに、相手から「こんなことも調べてこなかったんだ」と思われそうで、つい謝ってしまうそうです。
ただ今井さん自身、そんなふうに思われることはないとわかっています。仲良くなることが目的なら、むしろ何を聞いても新鮮にリアクションできるほうが、相手にとってありがたいはずだと二人は話しています。
さらに今井さんは、ポッドキャストの場合は下調べをしないほうがよいものになる気がすると続けます。青木さんも、ポッドキャストならそうかもしれないと応じました。
相手の既出情報を網羅したうえで、「今答えるとしたら」と新しい話を引き出す
相手についてのインプットがゼロに近いほうが、会話としていいものになる気がする
青木さんが調べるときに知りたいのは、細かい情報よりも、その人の軸は何か、自分と回路がつながりそうな接点はどこか、という点だといいます。情報を網羅することは、あまり考えたことがないそうです。
今井さんには、高齢ながら元気に活動している、いつか話を聞いてアーカイブしたい人がいるそうです。ただ、その人は情報が多く世に出ているため、どこまで調べるかに迷っていると話します。青木さんは、ゲストを招く枠を定期的に作れば会える人が増える、と番組でのゲスト企画にも前向きな反応を見せました。
AでもBでもなく、Cを選びたくなる理由
今回のテーマは、作家から提案された「やらないを選べる人が、ちょっと魅力的に見えるのはなぜ?」です。SNSやインスタグラムのように「やっておいたほうがいい」ことが無限にある時代に、「自分はいいかな」と言う人が、ときにかっこよく見えることがあると今井さんは切り出します。
今井さん自身の「やらない」は、高校生のころに決めて今も続けている、髪を茶色に染めないことです。理由は天邪鬼だったからで、同じ流れで有名なバンドを聴かなかった時期もあり、それは損をしたと振り返っています。
青木さんにも細かい「やらない」はたくさんあるそうですが、あまり言いたくないといいます。「そう思ってるんだ」と受け取られたり、それをやっている人を傷つけたりするつもりはないからです。
まあAかBかっていう選択肢と思われてた時に、いやCかなみたいなのを選びたがる分野があるね。
青木さんにとっては、「やらない」というより「それを選ばず、こっちを選ぶ」という感覚に近いようです。
X(旧Twitter)について聞かれた青木さんは、2010年代半ばくらいまでは楽しく使っていたと答えます。ただ、知らない人とガツガツやり取りするのは怖く、メンションにはせいぜい「いいね」で応じる程度で、思ったことをポンポン投げる使い方だったそうです。その感覚は「単純に古いんだと思う」と自己分析しています。
都心に出ず、国立で会社を続けているのはなぜ?
「結構何でも一旦やる」という青木さんにも、続けている「やらない」があります。都心に住んだことがなく、クラシコムも国立から出ていないことです。
ただし、それは意図して選んだわけでも、逆を張っているつもりでもないといいます。気がついたら国立でやっていて、困っていない、というのが実感に近いようです。
こう、ありものの構造にはまりに行くっていうのが得意じゃないっていうのはあるかも。
青木さんは、評価軸や文化がすでに固まっていて、そこにどれだけ上手にはまれるかでレベルが決まる勝負には、興味が持ちにくいと話します。勝てる気がしないだけかもしれない、と付け加えつつも、国立でやっているくらいが面白いと感じているようです。
とはいえ、青木さんは都心が嫌いなわけではありません。店やサービスが近くにあっていいなと思うのに、なぜかそちらにスッと行けない。今井さんが都内に泊まりに行くことを勧めると、それも面倒になってしまうと笑います。
クラシコムは国立の中で6回ほど引っ越しているそうです。そのたびに都心に出る選択肢はあったはずですが、強い意志や愛着でとどまっているわけでもなく、結果的にそうなっている、と青木さんは語ります。
人生が「企画っぽくなる」ことへの抵抗
今井さんも、東京を出ない人です。編集者はスキルを持ち運びやすく、地方に移住した友人知人も多いため、「東京を出ないんですか」とよく聞かれるそうです。
今井さんが東京にいる理由は2つあります。1つは、滋賀県から出てきた自分はもう移住している、という気持ちです。もう1つは、移住する人が多いなら自分は逆に、という少し打算的な感覚です。
流行ってることをやりたくないみたいな気持ちはやっぱり未だに少しある。
青木さんも同じ気持ちがあると認め、それは自分で直したいところだと話します。やってみたら好きかもしれないのに、ゴルフも、地方移住も、都市に住むことも、やっていないからです。
コンセプチュアルにアプローチしたくないみたいな感覚があるんだよね。企画っぽくなっちゃう人生が。
青木さんは、「次は移住かな」と人生を企画のように進めることに抵抗があるといいます。ある土地を好きになりすぎて、そこで暮らす未来しか考えられなくなったら迷わず行くはずですが、今はそういう衝動がない。衝動が来るのを待っているうちに、都市と地方の両方に住む機会を失いそうだと苦笑します。
一方で、青木さんには形から入る面もあります。最近はオンタイムをほぼネクタイで過ごしているそうです。もうすぐ54歳を迎え、60歳くらいを見越してどんなスタイルの人でいるかを考え、20代半ばまでベースだったトラッドに回帰しようとしているといいます。
カジュアルやストリートの装い。ただ40代・50代でストリートや古着の人が増え、混み合ってきた感覚がある
60歳くらいを見越し、ネクタイを締めたトラッドに回帰
ところが話しているうちに、青木さんはこれも「流行っていないほう」だからできるのかもしれないと気づきます。そして「逆張り野郎なだけかも」「嫌な結論だな」と、自分に突きつけられた結論にたじろぎました。
なぜ「やらない」で特徴をつくるのはコスパがいいのか
今井さんは、20代のころは逆張りがかっこいいと思っていたものの、順張りで得られる喜びもあると話します。商売では流れが来ているなら乗るべきで、タピオカの店をやれる人はすごい、と言います。
青木さんも、流行っているかどうかでモノの価値は変わらないと応じ、ドーナツを例に挙げます。
例えばドーナツが流行ってるとした時に、流行ってたでドーナツがまずくなるんですか?つったらドーナツ美味しいんだもん。
流行っているからドーナツを買わない、という態度はばかげていると青木さんは考えています。それでも逆張りの癖が54歳になろうという今もまだ残っている、と認めます。
そこから青木さんは、何かをしないことで自分の見どころをつくるのは「ものすごく簡単」だと指摘します。
うまくなるための時間、努力、投資が必ず必要になる
努力も時間もいらず、やめると決めた瞬間に特徴ができる
しかも、それをかっこいいと思ってくれる人がいる。「やらない」で特徴をつくるのはコスパがいいため、若いころに味をしめてしまったのかもしれない、と青木さんは振り返ります。味をしめたことは、行儀が悪くてもやめるのが難しいからです。
だから青木さんは、何かをしないことで特徴をつくろうとする人を非難はしないものの、かっこいいかと聞かれれば「自分を含めてそういうとこだぞ」と思うケースのほうが多いといいます。本当は、できるようになったことで自分を特徴づけるほうが素敵だと考えています。
「やらない自分」をアクセサリーにしていないか?
ただ青木さんは、手を出しすぎてどれもできるようにならないのも、結果として何もしていないのと同じになると補足します。何かをやるために別の何かを諦めるのは、まったく問題ないといいます。
リソース配分としてはいいけど、なんかこういうのをしない自分とか。
をアクセサリ化しだすと。
(アクセサリ化)しだすと、ほんと僕みたいになっちゃうから気を付けてねっていう。
今井さんの場合、物語を楽しむ時間を映画に寄せていて、アニメと小説は今ほとんど見ていないそうです。ただ、それをプロフィールに「小説は読みません」と書くことはしません。
青木さんは、それが書けばキャッチーになることも認めます。本は読んだほうがいいという緩やかなコンセンサスがある中で、「本とか読まない」を軸にした人が共感を得て成功すると、次は何をやめるか、という目で世の中を見るようになってしまうと話します。
いろいろやりたいことがあって今はこれに絞る、という判断は普通のことです。ただ、そうしている人は、やめていることのほうをわざわざ言わないはずだと二人はうなずき合います。映画館でしか映画を見ない、レコードでしか音楽を聴かない、という選択自体はよくても、それが「かっこいい」になるときつい、と青木さんは言います。
成功体験は、すぐ捨てられるならいい
今井さんが話を抽象化し、「人間は成功体験で作られていくんですかね」と問いかけます。青木さんは、成功体験は大事である一方で、人はそれに本当に囚われると答えます。
だからいいよと。ただし、その成功体験をすぐ捨てられるならなっていう但し書き付きで。
青木さんは、成功体験に囚われる例をいくつも挙げます。子どものころ神童として評価された人が、大人になって通用しなくなってもそのやり方で頑張ろうとする。勉強ができた人は何でも勉強で解決しようとし、立ち回りで成功した人は勉強すべき場面でも立ち回りで乗り越えようとする。逆張りでうまくいった人は、何でもすぐ逆張りしようとする。
そして、特に追い込まれたときに手癖が出る、と青木さんは指摘します。
成功する
あるやり方でうまくいき、評価される
味をしめる
行儀が悪くても、そのやり方をやめにくくなる
状況が変わる
そのやり方だけでは通用しなくなる
手癖が出る
追い込まれるほど、昔のやり方に頼ってしまう
どうすれば成功体験を捨てられるのか。青木さんの答えは「痛い目に遭うしかない」です。理想は、うまくいっているけれど伸びの傾きが寝てきた段階で気づき、変え始めることですが、それは難しい。せめて小さめの痛い目のうちに早めに変えられれば、と話しています。
大人になると「あえてやる」ほうがかっこいい
二人とも身につまされる展開に、青木さんは、そもそもこのテーマ自体がかっこよく見えない、と言い出します。テーマを出した20代か30代前半の作家のノジさんや、その同世代には、やらない人をかっこいいと思う感覚があるのかもしれない、と推測します。
五十四になると、やらないことでかっこいいなんてあるかなみたいな。
54歳の青木さんがむしろかっこよさを感じるのは、セルフイメージが崩れそうなのに、あえてやる人です。例に挙げたのはバンドのくるり ── 京都出身のロックバンド。作品ごとに音楽性を大きく変えることで知られ、ロックからエレクトロニカ、クラシック的な作風まで幅広く手がけていますで、ロックンロールで出てきたのにテクノに寄ったり、逆にテクノ寄りの人が急にスリーピースの生音で勝負したりする態度は、好き嫌いを超えてかっこいいと感じるそうです。
20代のころは、逆張りや「やらない」ことがかっこいいと思っていた
54歳の今は、セルフイメージが崩れそうなのに「あえてやる」人にかっこよさを感じる
今井さんは、映画『プラダを着た悪魔2』を例に出します。20年ぶりの続編に、基本的に全キャストがそろったことを、カッコつけずにスッとやった点でかっこいいと感じたそうです。現代美術家の村上隆さんがYouTubeをやっていることもすごいと話します。
青木さんは、アーティストを名乗っていればやらなくていいはずなのに、短期的にプラスにならないことでも、本物の衝動があるならやってしまう姿のほうがかっこいいと応じます。反対に、見え方を気にしてあれもこれもやるのは、かっこ悪く見えるといいます。
やるにせよ、やめるにせよ、見え方を考えてそうしているとダサい。生き残るためにYouTubeをやらないとまずいと思ってやっているなら、青木さんはかっこいいとは思わないそうです。問題は「何をやるか、やめるか」ではないのかもしれない、と青木さんは話を締めくくります。
作為や思惑のない人は、なぜ美しく見えるのか
今井さんが、なぜそう思うようになったのかを尋ねると、青木さんは「作為とか思惑がない人をかっこいいと思う」と答えます。それは実力のある人ということか、という今井さんの問いには、自然界を例に挙げて答えます。
思惑がないと、ほとんど全ての現象は美しく見えるよね。
肉食動物が草食動物を襲う場面も、ドキュメンタリーなら残酷さとともにある種の美しさを感じさせます。けれど同じことを人間の暴力として見れば、凄惨にしか見えない。そこに思惑や意図があるからだ、と青木さんは説明します。
青木さんによれば、人には意図や思惑が透けて見えるものを美しいと思えない感覚が、生まれつきプリセットされているのかもしれません。人を見るときも、自然界のように見られると心地よいのではないか、といいます。
ここで青木さんは、「やらない人」がかっこよく見える理由を、見る側の解像度で説明します。
意図がないように見えて、かっこよく見える
「逆張り厨だな」という意図が見えて、かっこよく見えなくなる
今井さんが、土手で一人サックスを練習している人はかっこいいと思うと話すと、青木さんは「やってんな」という人もいると前置きしつつ、本当に没頭していれば、うまくても下手でもかっこいいと答えます。例に出したのは、漫画『ブルージャイアント ── 石塚真一さんによるジャズ漫画。主人公の宮本大がサックスに打ち込み、世界一のジャズプレーヤーを目指す物語で、アニメ映画化もされています』の主人公・大です。
モネが睡蓮を、ゴッホがひまわりをひたすら描いたのも、意図がなくなるまで描くためだったのではないか、と青木さんは考えます。気がついたら描けてしまっていた、という境地まで描かないと、自分で自分の意図が透けて見えてしまうからです。
文章や写真も同じだと青木さんは続けます。素人は「かっこよく撮ろう」で撮れるけれど、アーティストになるほどその意図が嫌になり、素人には「なんでこんなものを撮るの」と思えるものに向かう。SNSでも、気にしていないように見える人がかっこよく見える一方、「気にしないようにしている時点で意図が見え見えだ」と思った瞬間に、同じものがかっこよく見えなくなるといいます。
追悼投稿を迷いに迷った話
今井さんは、迷いに迷った末に「やる」ほうを選んだ経験を語ります。デザイナーの祖父江慎さんが亡くなったときのことです。今井さんは何度か会ったことがあり、祖父江さんの弟子たちにも大変お世話になったそうです。
今井さんが迷ったのは、追悼投稿をするかどうかでした。アテンションを集めることが目的のメディアでは、追悼投稿もある種の「乗っかり」に見えかねず、青木さんも「関係あるんですよ、みたいなことも含めてね」と応じます。
今井さんは、青木さんほど近い間柄なら迷わず投稿していいと思えるものの、そこまでではない相手だからこそ悩んだと話します。そのとき頭にあったのが、稲盛和夫 ── 京セラの創業者。第二電電(のちのKDDI)を設立し、日本航空の再建も手がけた経営者で、「動機善なりや、私心なかりしか」は代表的な言葉として知られていますさんの言葉でした。
動機善なりや私心なかりしか。
今井さんの説明によると、稲盛さんは通信事業への参入にあたり、価格競争を起こすためであって儲けのためではないかと自問したといいます。今井さんも同じような気持ちで考え抜き、祖父江さんが自分にも優しく、真剣に向き合ってくれたことを残しておきたいと思い、できるだけシンプルに距離を取って投稿したそうです。
投稿が多く読まれたわけではありませんが、祖父江さん本人のアカウント、おそらく家族が運用しているアカウントから「いいね」がついたことが嬉しかったといいます。青木さんは、遺族にとっては嬉しいことでしかないと応じます。
すればいいんだよ。
あれを本当僕もスッとやれる人になりたい。で、やってんなって思われることを恐れない。
青木さんは、70歳や80歳になっても「ギリギリ距離を取って、このぐらいの距離感で」と考えていたらダサい、でも今の自分もそうだと笑います。「無邪気になりたいね」という言葉で、この回の議論は着地しました。
まとめ
「やらない」を選ぶ人が魅力的に見えるのは、そこに意図がないように見えるからかもしれません。ただ、やらないことで特徴をつくるのは手軽で、味をしめると逆張りが手癖になります。青木さんと今井さんは、やるにせよ、やめるにせよ、思惑が透けるとダサく見えると話し、「やってんな」と思われることを恐れずにスッとやれる人を目指したいと語りました。
- 「やらない」で特徴をつくるのは努力も時間もいらず、コスパがいいぶん癖になりやすい
- 何かに絞るリソース配分はよいが、「やらない自分」をアクセサリー化すると危うい
- 成功体験は大事だが、すぐ捨てられるならという但し書き付き。追い込まれると手癖が出る
- 大人になると、セルフイメージを崩してでも「あえてやる」人にかっこよさを感じる
- かっこよさを分けるのは、やるかやらないかではなく、作為や思惑が透けて見えるかどうか



