最年少市長・高島りょうすけとは何者か
番組が始まり、高木さんがゲストの芦屋市長・高島りょうすけさんを紹介します。
高島さんは2023年5月に26歳2カ月で市長になり、当時の最年少記録を更新しました。収録時点で4年目、29歳になっています。
大阪出身で芦屋の生まれ育ちではありません。中高は神戸市東灘区の灘に通い、隣町の芦屋には生徒会活動で縁があったといいます。
直接的な縁ができたのは大学時代です。米ハーバード大学に在学中、休学を重ねる中で市役所インターンを志し、日本の各地の市役所に連絡したと話します。
アメリカの大学生で市役所に興味があって、インターンさせてもらえませんかと。だけど芦屋市だけが「喜んで」と言って受け入れてくれて、そこで初めてちゃんとした縁ができたんです。
芦屋市では総合計画という年間のビジョンを作る仕事を手伝い、地方行政の面白さに触れました。この経験がなければ市長になっていなかったと振り返ります。
26歳・非世襲でなぜ選挙に勝てたのか
高木さんは、二世でもない26歳の当選に強い衝撃を受けたと語り、勝因を尋ねます。
高島さんは、良かったことが2つあると答えます。1つは小さな対話集会を数多く開いたことです。
立候補を表明した12月から選挙のある4月末まで、毎週末に地域の集会所で車座になり、自分の考えを説明しては市民から質問をもらいました。
わからないニッチな話はむしろ教えてくださいと。大きな話ではこう考えるけど、具体的なところは教えてください、と繰り返すうちに、これなら応援しようかと思ってくれる方がちょっとずつ増えていったんです。
もう1つが、対話の内容をまとめた36ページの冊子を全戸に配ったことです。1枚もののビラは読まれないと考えたためでした。
冊子には自己紹介、市の現状分析、そして対話で出た質問へのQ&A形式の回答を載せました。就任後も冊子を持って市議会の傍聴に来る市民もいたといいます。
高木さんは、芦屋がもともと文化を重んじる街だった点に触れます。
芦屋は日本で唯一、国際文化住宅都市に指定されているんです。法律の中に芦屋国際文化住宅都市建設法があって、内閣総理大臣は年1回、芦屋の街づくりの現状を国会に報告する責務があるんですよ。
約75年前の戦災復興の過程で、文化を大事にする住宅都市でいくことを当時の市民が住民投票で決めた歴史もあります。高島さんは、新しいことに挑戦する土壌がもともと豊かな街だと話します。
究極の理想は「市長の姿が見えない街」
話は本題へ移ります。高島さんが今日話したいテーマは「文化を作る」ことです。
ここで言う文化とは、芸術やアートだけを指しません。市民で街を良くするという文化を、市に根付かせることを意味します。
すごい市長のもとで多くの成果が出たとしても、市長は一生続けられません。だからこそ市民側の哲学の醸成が大事だと考えています。
ただし、そこには難しさがあります。市民主体の文化はトップダウンでは作れないからです。
ボトムアップ的なことをやりたい。けど、それを私が「やろうぜ」と言うと、ちょっと違う。このジレンマをどうしていくかを考えていて。
高島さんがこの考えに至った背景には、休学中に世界のエネルギー現場を回った経験があります。
自分の勉強は面白い。一方で、それがどう社会につながったのかようわからんなと思って、その接続を考えたかったんです。
欧米やアジアの発電所や自治体を訪ね歩く中で気づいたのは、面白い街ほど市民が目立っているということでした。
市民側にめっちゃ面白いことを考えている人がいて、その人が周りの市民を巻き込んでいろいろやっている。オランダにせよデンマークにせよ、それが結構あったんですね。
市民に一番直接関われるのは国でも県でもなく市だと考え、市政を志したといいます。役所が決めて市民を説得するのではなく、市民が考えたビジョンを役所が後押しする街づくりを目指しました。
芦屋で芽生えた市民主導の成功例
4年目を迎えた現在、芦屋は市民力が強く、やれている部分があると高島さんは手応えを語ります。
ある地域では、街づくりのビジョンづくりを市民と地元店舗のチームに委ねました。最近は市民チームが自ら助成金を取ってくる動きも出てきています。
象徴的だったのが、桜の季節の歩行者天国です。行政主導だと反発が出やすい取り組みでした。
市役所が「この日、何時から何時まで歩行者天国にします」と言うと、「なんで車で家の前を通られへんの、困るわ」と文句が出るんですよね。
でも市民スタートだと、「近所のあの人がやろうとしてんのか、じゃあやろうか」となる。それで祭りがうまくいったんです。
自治会と店舗は、静かな暮らしを望む住民と売上を望む店で反目することもあります。一緒に考えることで、その対立を乗り越えようとしているのです。
その時の市長の役割を問われ、高島さんは当日行って楽しむ、と答えます。役所も一メンバーとして、有志の職員がプロジェクトチームで祭りを手伝います。
一方で課題もあります。有志で回っている段階であり、市民と一緒にやり、市民主導を役所が支える文化をどう根付かせるかが難しいと話します。
なぜ「市民が主体的に動く街」にこだわるのか
高木さんは、市民が自発的に街を良くする姿は美しいと共感しつつ、そこにこだわる理由を尋ねます。
高島さんは2つの理由を挙げます。1つは持続可能性です。
役所が旗を振ると、役所が「これやめる」と言ったら終わっちゃう。でも市民はずっとそこに住んでいる人たちだから、みんなでやった方が続くんじゃないかと。
もう1つは、そちらの方が面白いからです。街に関わることは大きくハードルの高い話に聞こえますが、実際はちっちゃな関わりで面白いものだと考えています。
先生に言われたことをやるのはつまらんけど、自分たちで考えて文化祭をやると楽しい。あの感覚に近いんです。
高木さんは、ハーバードでエネルギーを学んだ人が市民主導の街づくりに向かうギャップを指摘します。高島さん自身は、大きな差は感じていないと答えます。
自分の意思決定をする時は、その時に本当に自分が面白いなと思うことをやろうというのが自分の中にあって。今はこの街づくりが面白いなと思ってやっているんです。
実際、芦屋ではゴミ処理場を市内から廃止し、神戸市と共同で処理する形に変えました。1カ所で大きく燃やすことで発電効率が上がり、これもエネルギーという関心分野につながっていると話します。
主体性はどこから生まれるのか
高木さんは、海外の街で市民が目立っていた具体的な場面を尋ねます。
高島さんが挙げたのは、公園に人が集まる光景でした。市民が黒板に「今日ヨガ教室やります」と書き、人々がふらっと集まってくるといいます。
日本でボトムアップの変化が起きにくい理由を、高島さんは「お上思想」と表現します。
お上が言ったらもうしゃあない、みたいな。でも変えられるものにはアクションを起こそう、変えられないことでも意見を言ってみよう、というのはもっとあっていいと思うんです。
その違いはどこから来るのか。高島さんは「成功体験」だと答えます。
校則が変わった、といった小さな成功体験を持つ子どもが増えれば、社会は徐々に良くなると考えています。
芦屋の子どもは学力が高い一方で、自己肯定感や「学校が楽しい」という感覚は低かったといいます。高島さんは、その鍵を主体性に見ています。
勉強にやらされ感があるため、学び方の主体性と、学校やクラスのルールを主体的に変える経験の両方が大事だと話します。
高島りょうすけ自身の原点
高木さんは、主体性の塊のような高島さん自身がなぜそうなれたのかを問います。
高島さんは幼稚園の頃、友達と遊べず、教室の隅で家族の写真を見ているような子だったと明かします。
転機として覚えているのが、マジックショーでの出来事です。人体切断のマジックで手を挙げたものの、舞台に上がれずに終わりました。
帰り道に母から「チャンスの神様には前髪しかないよ」と言われて。チャンスがあったらすぐ掴まなくちゃいけない、後から後悔しても遅いよ、と。
その後、小学校で「六甲おろしを音楽の授業で歌いたい」と先生に頼んで実現するなど、小さな成功体験を積み重ねたといいます。
高木さんは、小さな成功体験は誰にでもあるのに、なぜ社会を動かすエネルギーに至る人と至らない人が分かれるのかを問います。
高島さんは、東日本大震災が大きかったと語ります。当時は中学生で何もできませんでした。
翌年、高校の生徒会で東北を訪れ、現地の同級生に出会います。学力とは別の軸で、ふるさとのために動く同世代に強い刺激を受けました。
帰郷後は生徒会長として地域の活動やお祭り、小学校での授業に関わるようになったといいます。
子どもと先生の主体性をどう引き出すか
今の子どもたちに主体性の機会を作るには、と問われ、高島さんは2つのアプローチを挙げます。
1つは、子どもがやりたいと言った時に役所や学校が一人の人間として応援することです。
校則を変えたい生徒会と作戦会議をし、困りごとや味方を一緒に整理したところ、3カ月後に校則が変わったと連絡が来た例を紹介します。
体育館へのエアコン設置も同様です。10数人の児童生徒からの要望を受けて全校に設置しました。ここで高島さんが大事にしたのは、その後の伝え方でした。
エアコンがつく頃、要望した中3の子はもう卒業していない。でも今の中1はその時いるから、「2年前にこういうことでこうなったんだよ」と覚えておいてね、と朝礼で話しに行くんです。
もう1つが、子どもの主体性の前提となる先生の主体性です。
従来の研究指定校制度は「振ってきた仕事」になりがちでした。そこで制度を廃止し、先生が自分でやりたい研究を選び、伴走支援や外部視察に予算を出す形に変えました。
最初は十数人だった参加者が増え、収録時点では小中の教員約300人弱のうち4分の1がチームに入っているといいます。
その一例が、国語・数学・理科をまとめて1つのブロックで学ぶ授業です。順番や学び方を子ども自身が選べます。
ある中学生が「これでようやく先生に気つかわんでいいわ」と言ったらしくて。一斉授業でずっとやっていたらそうなりますよね。
場と幹事が主体性を生むという仮説
ここから高木さん自身の経験を軸に、主体性はどう生まれるかの議論へ移ります。
高木さんは、震災後に会社を辞め、シェアハウスを拠点にイベントを配信していた頃の話をします。
ある日、登壇予定者が来られなくなり、仕方なくモデレーターとして人前に立ちました。それが転機になったといいます。
前に立つと、演者を見るんじゃなくてお客さんを見る側になる。たった1メートルの差だけど、自分の人生がコンテンツになる感覚を得て、むっちゃ面白いやんと思ったんです。
さらに高木さんは、当時の公職選挙法でネット選挙運動が禁止されていた点に着目し、改正を求めるキャンペーンを立ち上げました。
独自の「ネット署名」の概念を作り、約2年後に法改正が実現します。この一連の経験が、社会は本当に変えられるという成功体験になったと語ります。
そのうえで高木さんは、この体験に再現性はあるのかと問いを投げます。
高島さんは、いろんな「場」があることが大事ではないかと答えます。中学校を回って「なにかないの」と聞くと、困りごとがぽつぽつ出てくるといいます。
議論は「幹事」という視点に発展します。高木さんは、若手が飲みに行かないのは幹事がいないからだ、という若い経営者の話を紹介します。
幹事って本当に口伝で、身体的な共有だからわからない。コロナで小さな場を作る人が減ったのは、主体的になるチャンスを相当削っているんじゃないかと思うんです。
ここで2人は、単に役割をこなす自主性と、誰と何をやるかを自分で決める主体性は質的に違うと整理します。
社会ではなく「傍」から始める
高木さんは、大きな社会ではなく身近な「傍」に目を向ける方が、主体性を発揮しやすいのではないかと提案します。
自分にベクトルを向ける自己分析より、周りのコミュニティのために何ができるかの方が考えやすいという見立てです。
働くって「傍を楽にする」ってことじゃないですか。誰かの隣の困った人のためにと考える方が、考えやすいんじゃないかと思うんです。
高島さんは、通学路の狭い歩道にビニールテープで白線を引いた中学生の例を挙げます。それで車道への飛び出しが減ったといいます。
高島さんは、自分が「社会」と言う時の広さは実はそれほど大きくないと認めます。
「傍」ぐらいでいい、というのがすごく大事なんじゃないかということですね。
高木さん自身も、ハーバードで世界を学んだのに市長を、という見方をしてしまったことを振り返り、ささやかなものの方が再現性があると語り合いました。
日本には広場がない、を問い直す
話題は「日本には広場がない」という問いに移ります。高島さんは、そうした場をたくさん作りたいと応じます。
高木さんは、パリなどは広場を中心に街が設計されているのに対し、日本は「通り」が広場の役割を担ってきたのではないかと語ります。
軒先の集合体としての通りは、日常と地続きです。芦屋にも、家の前の桜や落ち葉を市民が朝早く掃き掃除する文化があるといいます。
道路なので本当は市が掃除するけど、「自分たちの道路やから自分たちで綺麗にしよう」と朝早く起きてくださる。それが芦屋のすごい強い力だと思うんです。
学校を地域の広場に変える構想
高島さんは、学校が地域の拠点になる未来を描きます。特に小学校は地域割りの最適なサイズだといいます。
集会所や公民館の場所は知らなくても、小学校は知っている市民が多い。だからこそ人が集まりやすいと考えています。
焚き火を学校のグラウンドでできたらいいですよね。毎週金曜の夜は小学校に行っている、みたいな。同窓会みたいに「お前来たのか」と再会できたら面白い。
高島さんが密かに提唱しているのが、小学校の建物と土地の位置づけを変えることです。
朝8時から夕方まで校長にお貸しして、子どものために使ってもらう。でも夕方以降は市のものなので、公園と同じ。動線を分ければできると思うんです。
夕方以降は野球やサッカークラブ、焚き火や図書室の開放などに使う。朝は家庭科室で地域の人が朝ごはんを作る、といった使い方も考えられると話します。
高木さんは、空き家問題を例に、所有と利用を分けて場を街の資産として捉え直す発想に通じると応じます。
高島さんは、子どもの数が減っても小学校は地域の拠点として残すべきだと考えています。だからこそ全校の体育館にエアコンを設置したといいます。
用途を反転させ「余白」を生む役所の役割
高木さんは、役所が関わると市民の主体性を削ぐというジレンマに対し、ひとつの発見を語ります。
それは、決まりきった役割分担を役所が意図的に反転させること自体が、役所の役割になり得るという見方です。
公共だと思われた場所を市民がやる、小学校だと思われた場所を大人が使う。役割分担が決まりまくった場所を反転させると、ここも自分たちが作る領域だと感じられるんじゃないかと。
境界が明確な街は効率的ですが、みんなで作る感覚は薄れます。あえて複雑さや多様性を担保することが役所の役割かもしれない、と2人は整理します。
高島さんは、実際に進む駅前開発を例に挙げます。約1000平米のワンフロアの使い道を、市民30人のワークショップで考えているといいます。
集える空間で未来志向の余白を残すこと、図書館的機能と市民活動支援的機能を入れることだけをお題にし、あとは市民に委ねています。
ここで議論は、余白は直接作ろうとすると難しい、という気づきに至ります。
全く違う種類の人が違う用途で使うことを意図的に複数以上組み込む。結果的に余白は広がるんです。静かに本を読む場所と、仕事をアウトプットする場所を共存させる、みたいな。
決めやすく効率的だが、余白が生まれず、みんなで作る感覚は薄れる。
難易度は高いが、共存によって余白と多様性が生まれ、街に関わる余地が広がる。
ふわっと「みんなのため」にすると誰も使わない。むしろ明確に異なる目的を2つ刺し、共存させる方がよいという結論に近づきます。
一種が同じ方向を向くと街は面白くなる
高木さんは、文化というソフトな話が、最後は場所というハードの話に落ちたことを面白がります。
どういう設計で人を集めるかだけでなく、違うものをどう共存させるかという場所づくりの視点が言語化できたと振り返ります。
高島さんは、高木さん自身も高齢化が進む芦屋にやってきた26歳の少年だった、と指摘します。
最後に高島さんは、行政の役割は「最初にやること」かもしれないと語り、富山県庁での経験を紹介します。
高島さんが助言したのは、歩くことを促す啓発をする職員自身がまず歩くことでした。1on1を歩きながら行う「散歩ミーティング」を提案したといいます。
向き合って話すと大体喧嘩する。同じ方向を向くともうちょっと話せる。だから評価の面談とかは歩いてやるようにしているんです。
まとめ
最年少市長・高島りょうすけさんと高木新平さんの対話は、市民が主体的に街を良くする文化をどう育てるかを、成功体験、傍への視点、場と用途の設計という切り口で掘り下げるものでした。
- 高島さんの理想は「市長の姿が見えない街」で、市民主体の文化を根付かせることを目標に据えている。
- 小さな成功体験が主体性を生むと考え、子どもと先生の双方に自分で選び変える機会を作っている。
- 大きな社会よりも身近な「傍」から始める方が、主体性は発揮しやすいという見立てを共有した。
- 小学校を昼は教育、夕方以降は地域の拠点として使う構想など、場の役割を反転させる発想が語られた。
- 違う人が違う用途で使う場を意図的に共存させることで、街に「余白」が生まれるという結論に至った。
