打ち合わせから録り始めた「マイナス1回目」
ダムダムラジオのこの回は、番組の方向性を決める打ち合わせを、ひとまず録音しながら進めるところから始まります。ダムさんはこの回を「マイナス1回目ぐらい」と呼び、徳田さんは「第0回のもっと手前」と表現しています。
なんとなくざっくりこんなことしていきたいよねみたいな話をしながら、それを話していく過程を今日は。まあ言うて僕らまだそんな深い話してないじゃないですか。
深い話も何も、あんまりまともにちゃんと喋ったことない可能性すらある。だから今日も楽しみなんですけどね。
ラジオを始めるきっかけは、以前のイベントでダムさんが「ラジオをやりたい」と話し、徳田さんも乗ったことでした。その後、特に打ち合わせもしないまま収録日を迎え、番組タイトルもまだ正式には決まっていません。
徳田さんは、この収録自体を直前まで忘れていたと打ち明けます。カレンダーには「長めのミーティング」とだけ書かれた予定があり、心当たりのある人に連絡してほしいとInstagramのストーリーに投稿していました。
ところが二人はFacebookでしかつながっておらず、Instagramでは誰からも反応がありません。徳田さんは帳簿の整理でもしようかと考えつつ、秘書役のスタッフには「誰かから連絡が来るのを待ちたいので空けておいてほしい」と伝えていたそうです。ダムさんが到着時刻を連絡したことで、ようやく予定の正体がわかりました。
ナイス。英断でしたそれは。
情報を「外付け」にした脳は進化か、退化か
前回のやり取りは5月29日で、収録日の6月9日まで10日ほどしか空いていません。それでも予定を忘れていたことから、ダムさんは最近の情報の流れの速さについて話し始めます。
昨日話してた内容とかもパッと聞かれると思い出せないこととかってよくあるじゃないですか。
ダムさんは、ニュースや新しいテクノロジー、AIの進歩を自分の事業にどう生かせるかをよく考えるものの、考えたことさえ翌日や翌々日には忘れてしまうといいます。これは進化なのか退化なのか、とふと思うそうです。
徳田さんも、予定はアプリへ、本で学んだことはノートへと外に流しておくうちに、手元に情報を置かなくなりすぎて、本当に大切なことすら思い出せなくなると共感します。
一方で徳田さんは、情報を外に置くことで、その瞬間に考えるための余力は増えている気もすると話します。
(情報を)外付けハードディスクみたいなところに置いているおかげで、本体のメモリーはちょっと余裕があって。
そのことについてめっちゃ喋れるっていう風に思う時もありますね。まあでもそのグッと喋った内容を次の日覚えてないんですけど。
覚えるべき情報を手元(頭の中)に置いておく
本体の余力が増えて目の前の話に集中できる一方、話した内容や大切なことを翌日には思い出せない
ダムさんは、公園でのサッカー観戦後に開かれた夕方のイベントの話を持ち出します。徳田さんはその時のことを酔っていて覚えていないものの、「ラジオを録ろう」という話だけはしっかり覚えていて、自分から会う日の調整を連絡したといいます。
会う日さえ決めておけば話は進むんですよ。
メッセージ履歴でたどる、二人の距離感
収録中、ダムさんは徳田さんとのメッセージ履歴を振り返ります。最初のメッセージは2024年8月で、ダムさんが「着々と建築が進んでいるようで完成楽しみです」と送り、滋賀県の街づくりをテーマにしたワークショップへの参加を誘っていました。
ただ、そのワークショップがどんな内容だったのか、ダムさん自身はまったく覚えていません。徳田さんは前の話題を受けて「外付けにしてしまった弊害」と笑います。
履歴によると、ダムさんが徳田さんの場所を初めて訪れたのは2025年5月末です。徳田さんは「あの方と二人で来てくれた」と記憶をたどりますが、ダムさんは一回目は一人で来た気がするといい、徳田さんは全く覚えていないと答えます。
やり取りはその程度で、二人はほぼ自己紹介から始める関係です。ダムさんは、ここから互いを知っていく感じになると前置きします。
東京での起業と、ICUから始まったクワクワ企画
ダムさんは、2004年に大学を卒業し、1年間だけ光通信 ── 携帯電話販売などを手がける日本の企業。ダムさんは自身が在籍した当時の働き方を厳しい営業会社だったと振り返っていますに入社したあと、2005年から2011年まで東京で起業していたと語ります。2011年に滋賀へ戻り、現在はスポーツを起点とした街づくりの会社を営んでいます。
徳田さんはこうした経歴を全く知らず、「ラジオの収録をしながら半生を知れるのは嬉しい」と喜びます。ダムさんはスポーツをずっとやってきた一方で、徳田さんはスポーツを全くやってこなかったという対照も、ラジオを始めるときに話題になっていました。
僕はえっと、まあ普段は医者をしてて。
ダムさんから見た徳田さんは「音楽やイベントが大好きな医者」です。ただ徳田さんによると、そうした活動を始めたのは最近のことでした。
徳田さんは2021年10月ごろから、診療所を継ぐにあたってどんな診療所にしたいかを考え始め、イベントやパーティーができる診療所という形が固まっていきます。そして2022年6月にクワクワ企画を法人登記し、活動を始動しました。
それまではもうしっかり集中治療室、ICUとかの中に引きこもって、ずっとそこから出てこずにずっと医者だけやってるみたいな人でした。
ダムさんは、2022年ごろにクワクワ企画の名前をInstagramなどで知っていたといいます。ダムさん自身も、本名のマキタカシにかけた「タカシマ企画」という企画業の個人事業を2013〜2014年ごろから続けていて、「企画」と付く名前に反応していた時期だったそうです。
二人が初めて会った場面を、徳田さんははっきり覚えています。近くのコーヒー店「君とコーヒー」に、ダムさんが家族連れで来ていたときでした。
割とげっそりした顔でコーヒー飲んではって。マジで久しぶりに外出れたみたいなことをなんか言ってはった時期。
ダムさんによると、当時はコロナ禍で店の運営が大変だった時期で、大分から来ていた両親をボイダーパート ── ボイダーパート。書き起こしでは表記が揺れており、ダムさんが一緒に作ったと話す滋賀の場所の名前ですの話から案内した流れだったようです。徳田さんは「背のめっちゃ高い人」として覚えていたといいます。
その後、クワクワ企画の理事3人(彦根、静安造形大の職員、大阪府高槻市)が対面で集まる場所として大津周辺が候補になり、ダムさんが関わるSGパークで毎月の定例ミーティングをすることになりました。
スポーツは「やりたいことに挑戦できる世の中」への手段
ダムさんは、SGパークで目指していることを説明します。普段運動できていない大人が、低価格で気軽に通えるスポーツクラブをつくり、集まった人同士が仲良くなって続けられる場にしたいという構想です。
そこから話は、ダムさんが事業をしている根本の目的へ移ります。
せっかく人として生まれてるんだから、その人がやりたいと思ったことにはチャレンジできるのが当たり前の世の中にしたいっていうのがあるんですね。
ダムさんの出発点は「子どもたちが夢を語りまくっている社会」でした。子どもが夢を語るには大人も夢を語っていなければならず、結局は全員の話になる、と考えたそうです。
一人ひとりが挑戦できる
やりたいことにチャレンジするのが当たり前になる
自分のことに精一杯になる
夢に邁進している人は隣を見て文句を言ったり喧嘩したりしない
世界が少し平和になる
個人の挑戦の積み重ねが平和につながる
ダムさんは、それを実現するために自分の強みであるスポーツを切り口にしていると話します。徳田さんが「スポーツはあくまでツールということですよね」と確かめると、ダムさんは完全にそうだと答えます。
もちろん大好きだし、もうスポーツに埋もれて生きていきたいぐらい好きなんですけど、まあ言ってもそれを実現するための手段でしかなくて。
世界に届けるならウェブサービスやITの力のほうが向いているという思いもありますが、一人では実現できません。そこでダムさんは、20年ほどの起業経験で培った「ゼロイチを作る力」と、起業前にやってきたスポーツを掛け合わせることを選んだといいます。
スポーツ業界の固定化された部分や、どうすれば突破できるかを肌感覚で知っていることも、スポーツを選んだ理由です。ダムさんは、音楽など経験のない分野では同じことはできないとし、今ようやく「ちょっといい感じになってきた」と話しています。
300人を幸せにする医者と、遠くの人を救うミュージシャン
ダムさんの話を受けて、徳田さんは「世界を平和にしたい」という熱い気持ちは実はあまりないと正直に語ります。徳田さんが大切にしているのは、目の前に現れる人たちです。
僕は多分それが300人規模のコミュニティぐらいかなと思ってるんですけど、その目の前に来てくれる人たちと一緒に幸せになれればそれでいいって僕が思ってて。
徳田さんの考えでは、300人の外側にまた別の誰かが現れて300人を幸せにしていけば、自然と世界は幸せになっていきます。自分と出会う前より、出会った後のほうが少しだけハッピーになる、そんな積み重ねを目指しているそうです。
この考えの背景には、徳田さんがもともとミュージシャンになりたかったという経験があります。才能がなくてなれず、さまざまな機会に恵まれて医者になったといいます。
音楽を通して、目の前にいない遠くの人も救うことができる
目の前に現れた人しか助けられないが、その人を出会う前より少し幸せにすることに長けている
医者は目の前に現れてくれないとその人を助けられないけど、音楽とかって、目の前にいない人も助けることができる。
徳田さんは「だからミュージシャンのほうがすごい」と言いかけたものの、逆に医者の職能を最大限に伸ばしたほうがいいと思い直したといいます。目の前の人を少しでも幸せにすることが、小さいけれど大きなビジョンだと語ります。
さらに徳田さんは、ダムさんにとってのスポーツと同じく、自分にとっても医療は手段だと話します。生活や人生を続けるための最低限として生命があり、それを守る手段が医療です。
でもその医療という手段を人生とか生活に結びつけていこうと思うと、医療だけやってたら人生とか生活に結びついていかないっていうジレンマもあったんですよ。
分野にのめり込まないために、スポーツから離れた14年
徳田さんは、スポーツだけをやっていると、スポーツで伝えたいことがその外へ広がらないことはないかとダムさんに問いかけます。ダムさんは、ある分野を突き詰めると興味のある人が集まって熱狂が生まれる一方、遠巻きに見ている人はより入りづらくなると答えます。
だからこそダムさんは、起業した2005年から2018年までの14年間ほど、スポーツに一切触れない仕事ばかりしてきたといいます。最初に東京で手がけたのは、競馬を題材にしたウェブサービスでした。
ダムさんは競走馬の写真を撮るうちに競馬にハマりました。しかし競馬はギャンブルとして嫌われがちで、好きなものが嫌われるのは嫌だと感じたそうです。
じゃあ少なくともこの人たちが勝ってお土産でも買って帰れたらとか、気分よく帰ってきたらまだちょっとはマシになるんじゃないか、1ミリぐらいみたいな思いから。
ダムさんは、学生時代のバスケに全く関わらないビジネスの世界に身を置いたことで、スポーツを客観的に見られるようになったと振り返ります。スポーツがすべて正義だとは考えず、時代の流れも踏まえて、地域の人が元気になれる手段をスポーツで出すことを日々考えているそうです。
一方で、やろうとしていることが大きいぶん、深く話さないと伝わらないこともあります。それでもダムさんは、全員に知ってもらいたいわけではなく、じわっと広がっていけばいいと考えています。
ブームにしたくないっていうのはすごくあって。じわーっと気づいたらそこにある。
徳田さんも、文化を作るにはブームになってはいけないと応じます。熱狂は生まれても過ぎ去っていくので、どう土着させていくかが大事だという点で二人の考えは重なりました。
ここで徳田さんは具体的なイベントの話をしかけますが、ポッドキャストとして公開することを思い出し、「危なかった」と言って引っ込めます。
赤髪と立ち飲み屋めぐりで「医者らしさ」を手放した4年間
徳田さんは、スポーツ以外の仕事をしてきたからこそスポーツ事業を俯瞰できるというダムさんの話に、自分の経験を重ねます。徳田さんも2021年10月まではゴリゴリの医者で、医療しか知らなかったといいます。
医療を生活の中に返したいという思いはあったものの、まず取り組んだのは、どれだけ医者っぽくなくできるかを意識することでした。
- 髪の毛を赤く染める
- 丸い変わったサングラスをかける
- 大阪の立ち飲み屋を8〜9軒はしごして街を歩く
- ライターやミュージシャンと話し、どう暮らしているかを観察する
徳田さんはこれを脱医療化、アンラーニング ── すでに身につけた知識や習慣、考え方をいったん手放し、学び直すこと。「学習棄却」とも訳されますさせていく時間と呼びます。新しい診療所ができたのは2025年12月で、4年ほど建物を建てずにこの時間を過ごしたと話しています。
医療の内側にいる
ICUにこもり、医者だけをしていた
アンラーニング
医者らしさを手放し、医療の外の人の暮らしを観察する
反対側から見る
これまで一方向からしか見ていなかった医療を、外側から見直す
アップデートを考える
何が足りず、どう振る舞えば医療が更新されるかを考えられるようになる
何か自分の専門分野を生かして何か起業したいってなった時に、必ずそこから一度アンラーニングする時間みたいなのってめっちゃ大事やなって思いました。
ダムさんが「医療をアップデートする答えは見えたのか」と尋ねると、徳田さんは「それを言ったらみんなに真似されちゃう」とかわします。続きは後で聞かせてほしい、とダムさんは笑います。
「全員起業しろ」から「今は就職」へ。81年世代という視点
徳田さんのアンラーニングの話を聞いて、ダムさんは自分の考えの変化を打ち明けます。ダムさんは2ヶ月ほど前まで「人間全員起業しろ」と思っていたそうです。
結局やっぱり自分事にならないと人生。他者のせいにして生きてたら、やっぱそもそも楽しくないし、良くないと思うんですよ。
徳田さんは、起業かどうかは置いておいて、自分の人生を自分の手元に置く感覚は持ってほしいと応じます。ただ、その手段が起業しかないかと言われれば、ほかにも選択肢はあるのではないかと話します。
ダムさんは、命の次に大事なお金を使ってやりたいことをやってみること自体が大事で、相談が来ればすぐやれと言っていたといいます。それが2ヶ月ほど前にふと変わりました。
全員起業したらいいと本気で思い、相談が来ればすぐやれと勧めていた
今は就職したほうがいいと考え、起業を止めるようになった
ダムさんはその理由を、自分の世代の話につなげていきます。1981年生まれのダムさんは、日本の成長と衰退をちょうどよく経験してきた世代だと考えています。
ダムさんによると、5歳上にはホリエモンやサイバーエージェントの藤田さんといったITの第一世代がいて、5歳下の86年世代には世の中にあるものを編み直す人が多いといいます。徳田さんはまさに86年世代で、「編み直して」と言葉を添えます。
さらに91年生まれはデジタルネイティブと呼ばれ、新しい技術でどんどん作れるぶん、本質を見失いがちなサービスも生まれたとダムさんは見ています。そのなかで81年世代は、昭和の価値観も若い世代の価値観もわかったうえで行動する世代だと話します。
ダムさんは、少年犯罪が報道されるようになったのも、9.11のような大事件を経験したのも、自分が成長していく途中だったと振り返ります。そして、良き日本の精神性を世界に伝えていく役割をこの世代が担うのではないか、と語ったところで、何の話をしていたかを忘れてしまいます。
何でしたっけ?二人ともやばいですね。つい10分15分前の会話の内容も忘れながら走り続けるっていう。
そのうえで徳田さんは、世代論を逆から捉え直します。81年世代だから特別なのではなく、どの時代でも40代になると前後の時代が見渡せるようになるのではないか、という見方です。
徳田さんは、自分たちが60歳になって「スーファミというのがあってな」と話しても、若い世代には大正時代の話を聞かされているように感じられるだろうと例えます。ダムさんも、そういうことはありそうだと同意します。
音楽と小説、表現者になりたかった二人の原点
ダムさんは、徳田さんがミュージシャンを目指したきっかけを尋ねます。徳田さんは小中学校にはあまり行けていなかったといい、明確な理由があったわけではないと話します。
高校に入ると、帰り道にあった古着屋に友達と毎日入り浸るようになり、そこで音楽を教えてもらったそうです。
徳田さんは、音楽との出会い方でも自分はちょうどいい世代だったと話します。CDからMDへ移って自分のベスト盤を作って交換し、ライブ情報を人づてに探す時代から、Twitterなどでデジタルに情報を集められる時代へと変わっていきました。
ディグっていく感覚というかもあるけど、デジタルな感じでサッと情報を集めれる感覚もある中で、音楽っていうのに触れてこれた世代だなって思ってて。
それまでは学校もうまく行けず、夢も希望もなかったという徳田さんにとって、音楽は初めて「何かしている時が楽しい」と思えたものでした。スポーツもできず体も動かせなかったと徳田さんは話します。
ダムさんは、自分は小説を読んでいる時が一番楽しかったと返します。それを聞いた徳田さんは、中学生のころ小説家になりたかったことを思い出し、ダムさんも同じだと驚きます。
まあでも何かしら表現者にはなりたかったんでしょうね。
ダムさんは運動がよくできたものの、できて当たり前だったので周りから騒がれても嬉しくなく、やさぐれていたといいます。背が高く目立ちたくなかったため、休み時間はずっと一人で本を読んでいたそうです。この話は長くなるとして、次回以降に持ち越されました。
自己紹介で終わった企画会議と、次回への期待
徳田さんが残り4分ほどのカンペを出し、収録は締めくくりへ向かいます。ダムさんは、本当はラジオをどうしていくかを話したかったものの、互いの自己紹介で終わったと振り返ります。
これからの話をしようと思うと、これまでの二人が何だったのかみたいなことを知らないと、これからじゃあこの二人でどんな話するのかとかっていうのはイメージ湧きづらいんで。
そこで二人は、互いを知るこの回を「マイナス回」とし、これから何をするかを話す回を0回目、その次を1回目とする方針を決めます。ダムさんが、この回はほとんど聞かれないかもしれないと言うと、徳田さんはむしろそれが面白いと返します。
アップロードされてるの2年前やのに再生回数2みたいな回があるぞみたいな。聞いてみるかみたいになったらおもろいんじゃないですかね。
徳田さんは二人の関係を、手段や切り口はまったく違うものの、目指す方向性のベクトルは似ていると表現します。ダムさんは、音楽にはほとんど興味がなかった一方で、最近ミュージシャンはすごいと思うようになったと明かします。
ダムさんが楽しみにしているのは、音楽好きの徳田さんとスポーツ好きの自分が、それぞれの専門性を持ち寄ることです。互いに知らなかったことを聞いて生まれてくる何かを表現していけたら、という思いで、この準備回は終わります。
まとめ
ダムダムラジオのマイナス1回目は、番組の企画を決めるはずが、二人の経歴と価値観を知る時間になりました。スポーツと医療という違う手段を持ちながら、どちらもそれを人の暮らしを良くするための道具と捉えている点で、二人の方向性は重なっています。
- ダムさんはスポーツを、誰もがやりたいことに挑戦できる世の中をつくるための手段と位置づけている
- 徳田さんは目の前の300人規模の人を少し幸せにすることをビジョンとし、医療も手段だと考えている
- 二人とも専門分野から一度離れた経験が、自分の分野を俯瞰する力になったと語っている
- ブームではなく文化として土着させること、40代が前後の時代を見渡せる世代であることなどで意見が重なった
- 互いを知るこの回をマイナス回とし、次回から番組の方向性を話していく方針になった






