国際機関志望から営業へ、就活での方向転換
前編では、幼少期のアメリカ生活や三ノ輪での育ち、慶応大学でのサークルやゼミの話まで語られてきました。後編は、社会人になるところから現在ベルギーに住むまでの経緯がテーマです。
宮本さんは高校の頃から国際機関やUN関連の仕事を志し、大学ではNGOで1年間のインターンも経験しました。しかし最終的には、ビジネスの道に進んだ方がいいと当時は考えたそうです。
新卒の就活では、国際機関でかつ日本語で働けるJICAとJICSを目指しました。ところが、面接にすらたどり着けず、かなり初期の段階で落ちてしまいます。
ロビフォームをしたり、いろんなリサーチもして、私としては万全のつもりだったんですけど、WEBテストで落ちちゃって、その流れでいきなり落ちるという。
最適なバックグラウンドに見えただけに、坂本さんも思わず笑ってしまう展開でした。宮本さん自身も、これはネタだと振り返ります。
夢が早々に破れたことで、方向転換を急ぎます。ここで選んだのが営業でした。
営業のスキルがあれば、いろんなビジネススキルが身について、最終的にどんな場所に行っても社会人としてのスキルを積み上げられるんじゃないかと思って、営業になろうと思いました。
ただし、日本の会社でピンポイントに営業へ配属される保証は少ないと考えました。そこで、職種別採用をしている外資に絞って就活を進めます。
P&Gなどを受けるも、ここでも「安定のWEBテスト」で落ちたと笑って振り返ります。そんな中で出会ったのが、ドイツ系国際物流のDHLジャパンでした。
DHLでのカスタマーサービスと、1年での決断
DHLで実際に受かったのは営業ではなく、電話を受けるカスタマーサービスの仕事でした。当時、営業は狭き門だと言われていたためです。
大学時代にコールセンターで長くアルバイトしていた経験を活かし、まずはカスタマーサービスに入り、結果を出せば自ら営業に異動できると言われて入社しました。2年ほどで営業へ移るつもりだったといいます。
仕事では、企業からの発送・受け取りのリクエストを最初に受ける窓口を担当しました。ビジネスマナーや会話の型は徹底的に叩き込まれたそうです。
一分一秒を争う荷物を扱う場面も多く、大事な契約書やサンプルの部品を「今日の何時に欲しい」と求める顧客がかなりの確率で現れたといいます。
すごく大事なパーツを送ってて、今日絶対何時に欲しいですみたいな人がかなりの確率で現れるんです、DHLには。
一方で、天候不良や飛行機の欠航で遅延は起こります。希望通りに届けられないトラブルへの対応も、この仕事の一部でした。
ところが、狙い通りに営業へ移ることはありませんでした。入社から1年ほどで、宮本さんは強い焦りを感じるようになります。
カスタマーサービスはマニュアルが多く、いかに効率よく多くの電話に対応し、付加価値商品の営業も含めて売上を上げるかを重視する仕事でした。このままでは営業スキルを得られないまま終わるのではないかと危惧します。
信頼していた上司に相談すると、返ってきたのは意外な言葉でした。
カホちゃんは多分辞めた方がいいよって、上司に言われたんですよね。
カホちゃんが描く営業としてのキャリアを描いてあげられる自信は僕にはないから、外に出て今すぐ営業になれる仕事に転職した方がいいって言われたんです。
エネルギーの総量が大きすぎて、この会社の営業でも物足りなくなるだろうという判断でした。宮本さんは同期とも話し、第二新卒での転職を決意します。
外資ITセールスの世界と、成果主義のリアル
転職先は、セキュリティソフトをエンタープライズ向けに販売する外資IT企業シマンテックでした。ここで営業職に就きます。
きっかけは、DHLで人事をしていた人がたまたまシマンテックに移っており、就職セミナーの登録を見て声をかけてくれたことでした。当時はまだ珍しかったスカウトのようなDMだったといいます。
裏話として、第二新卒のタイミングでJICSに再挑戦したものの、またしても面接に進めず落ちたそうです。しかも知り合いの先輩に社内の話を教えてもらった上での不合格でした。
じゃあもう、元々持ってた営業のプランに切り替えて活動しようということで、シマンテックで外資IT営業がそこで爆誕したという流れになります。
坂本さんは、自身も外資ITの営業だったものの、ソフトウェアのエンタープライズ営業とは毛色が違ったと語ります。億単位の契約を決めればコミッションで一気に報酬が入る世界のイメージを尋ねると、宮本さんは「合ってます」と答えました。
当時はカルチャーを知らないまま入社し、成果主義の激しさに驚いたといいます。先輩たちの華やかな世界が語られます。
先輩は2億、3億の案件を1人でやって、日本の名だたる大企業を相手に契約してきて、今年はフェラーリ買っただの、タワマンの最上階買っただのという世界でした。
成功すれば高い報酬、失敗すれば厳しく詰められる。10年から15年ほど前の、今とは時代の違う世界観だったと振り返ります。
それでも宮本さんは、与えられた数字を達成できなかったことはなかったといいます。パワハラをする上司との1年間や、数字のプレッシャーと戦う日々を2〜3年続けました。
1年で辞めたDHL時代と比べて長く続けられた理由を問われると、転職を繰り返すのは良くないという価値観があったと語ります。
ここで結果を出すしかないと思っていて、なぜかすごいハードの精神を持ってやってました。
一方で、報酬面では必ずしも報われたわけではありませんでした。第二新卒扱いで入ったため給料は一般の営業の半分ほどで、最初の1〜2年はコミッションもなし。その後もコミッション比率は低く、途中でエンタープライズ営業からパートナーセールスに移ったこともあり、一発逆転の恩恵はほとんど得られなかったといいます。
フェラーリやロレックスを買う同僚を横目に見つつ、宮本さん自身はコミッションへの強い執着がなく、それを理由に転職しようと思ったことはなかったそうです。
チリでの駐在帯同と、アイデンティティクライシス
外資ITでキャリアを重ねていくつもりでいた宮本さんですが、2018年に転機が訪れます。夫が南米チリへ駐在することになったのです。
会社を辞めてチリへ渡り、1年半ほど専業主婦として過ごしました。ただ、その内実は決して穏やかなものではありませんでした。
チリで何をやってるんだろうとか、私、チリまで来て何してんだって思った1年半でした。
スペイン語のために大学へ通い、ジムにも行き、現地のNGOで英語教育普及のサポートや翻訳の副業もしました。それでも、稼いでいないことへの罪悪感や社会とのつながりの薄さに強く悩んだといいます。
働くビザ自体がなく、そもそも働けなかったという制約もありました。家族と一緒に行かない選択も望んだものではなく、簡単に仕事ができる環境でもなかったのです。
一方で、チリの生活そのものは意外な発見に満ちていました。日本人が住むエリアはかなり治安が良かったといいます。
宮本さんは当初、南米を褐色の肌の人が多い街としてイメージしていましたが、チリは8割ほどが白人で、見た目はヨーロッパ人のような人がほとんどだったと語ります。
ペルーは7割ほど土着の方が多いんですけど、チリは逆に白人が7〜8割いて、見た目はほんとヨーロッパ人みたいな人がほとんどですね。
日本人が住むエリアには高層ビルや綺麗なマンション、病院、インターナショナルスクールがそろい、隣接するアルゼンチンやブラジル、ペルーと比べても治安が良いと言われるほどでした。前編で語られたインドネシアのスラムでの経験と比べれば、生活面のストレスはほとんどなかったといいます。
日本帰国、そしてGoogleでのブランドマーケティングへ
日本へ戻るタイミングで妊娠しており、帰国後に双子を出産します。子どもが生まれた後すぐに就活をして、Google Cloudに入社しました。
チリでの1年半と出産・育児で、2年半ほどのブランクがありました。そこから再び外資ITの世界へ復帰したことになります。
国際機関の書類やWEBテストで落ちていた人が、いきなりGoogleに入るのは大きなジャンプアップにも見えます。しかしここでも、鍵はこれまで築いた人脈でした。
シマンテック時代の同期や同僚が先にGoogle Cloudに転職しており、リファラルを出してくれたのです。ちょうど宮本さんが経験していたパートナーセールスのポジションが手薄になっていたタイミングとも重なりました。
わらしべ長者で、ありがたいことに新しい職場に巡り合えて。ブランクも全然関係なく、そういうスキルがあるならぜひということで入れていただきました。
Googleでは、セールスにとどまらない活動にも関わっていきます。きっかけは20%ルールでした。
宮本さんは、女性のキャリア支援プロジェクト「Women's Will」に20%として1年ほど関わり、Googleのマーケティングチームに接点を持ちます。その後、担当者の育休に合わせて「バンジー」という制度を使い、ブランド・アンド・レピュテーション・マーケティングの部署へ移りました。
この部署は、いわゆるIT企業のマーケが行うリード獲得や数字の追求とは大きく異なりました。Googleというブランドが日本社会にどう貢献しているかをユーザーに理解してもらうための仕事です。
外資への風当たりの中で、Googleが日本の大切なパートナーだと政府や市民、ユーザーに思ってもらうためのイベントや広告を手がけました。
一見すると、営業を極めるルートからは外れているように見えます。しかし宮本さんにとっては、筋の通ったキャリアの流れでした。
元々、民間企業の中でCSRのような社会貢献に関わりたい思いがありました。加えて、シマンテック時代にパワハラやセクハラを受けた経験から、女性のキャリアや権利への関心が高まっていたのです。
DE&Iのアンバサダーを社内でやったり、プロジェクトを自分でリードしたりしていたので、自分の中ではすごく筋が通っているというか。
企業の心理的安全性やイノベーションをテーマにしたプロジェクトにも関わり、女性が生きやすくなる方向へ少しずつ近づいている感覚があったと語ります。
ベルギーでの働き方と、コミュニティマネージャーという新しい軸
Googleの後はスタートアップへ転職しますが、ここでまた夫の駐在が決まります。今度の赴任先はベルギーでした。
夫は商社勤めで、海外を転々とするキャリアです。スペイン語圏への赴任を予想していたものの、まさかのベルギー行きとなりました。
当初はスタートアップの正社員のままベルギーへ移りましたが、時差や人と直接会えないこと、引っ越しや子どもの学校適応など、さまざまなストレスが重なりメンタルを崩してしまいます。そこで一度スタートアップを辞めることにしました。
坂本さんは、オランダから日本のスタートアップの仕事を続け、毎朝3時起きで体が持たなくなった友人の例を挙げます。遠隔で日本の仕事だけをこなす難しさに共感を示しました。
採用候補の仕事では社員のインタビューや働く様子を間近で見ることが実地の仕事だったため、リモートでは見えなくなってしまう難しさもありました。現在はフリーランスのライター業と、仲間と分担するコミュニティマネージャーの仕事が、宮本さんに合っているといいます。
このちょっとゆるっとした働き方が、今ちょうど合ってるという感じですね。
コミュニティマネージャーの経歴は、Google時代にさかのぼります。同僚が立ち上げたGoogle Cloudのエンタープライズユーザー会「Jagu'e'r」に、立ち上げ期から関わってきたのです。
そのご縁で、Google在籍中にコミュニティに関する本の執筆に誘われます。『成功するコミュニティの作り方』はGoogle時代に書かれたものでした。
Googleでも、社名を出す条件付きで本の出版が可能だったといいます。ただし、一つルールがありました。
一個条件があって、印税を放棄するというのが条件としてあります。Googleの社名を出すなら印税放棄してください、というルールでした。
坂本さんも、自身の著書『アプリマーケティングの教科書』の共著者であるGoogle社員がペンネームで書いていたことに触れ、勝手に本を書くのはNGだと思っていたと驚きます。実際には、印税を放棄すれば執筆できるとのことでした。
宮本さんはその後、同じ著者陣で2冊目『優れたエンジニアがコミュニティの中でしていること』も出版しました。コミュニティに深く関わる存在になっていきます。
当初は「セールスを極める」と言っていた人が、なぜエンジニアのコミュニティに関わるようになったのか。坂本さんの疑問に、宮本さんは自然な流れだったと答えます。
Jagu'e'rは表向きエンジニアのコミュニティではないものの、Google Cloudのユーザー会であるため参加者の8割ほどがエンジニアでした。IT業界で長く働いた経験も相まって、エンジニアとの親和性が高かったのです。
坂本さんがエンジェル投資するbgrass(女性エンジニア採用の会社)でも、エンジニアコミュニティの拡大を手伝いました。現在はファインディの記事執筆など、エンジニアやコミュニティの文脈でライター業も続けています。
駐在帯同で悩む人へ、そして「体力が大事」という結論
この番組は海外でのキャリアに関心のある人が多いと考えられます。ただ宮本さんの場合、海外に出るきっかけ自体は夫の駐在への帯同でした。
自分の意思ではない形で海外に出た人に何を伝えるか。坂本さんの問いに、宮本さんは実体験を踏まえて答えます。
まずはビザの問題や、配偶者の会社のルールで働けないといった制約を確認することが前提です。その上で、働ける状況ならオンラインでできる仕事も多いため、諦めずに動いてみてほしいと語ります。
宮本さん自身も、現在は日本の大学院進学を目指して準備中です。通信制なら海外からでも学べる選択肢があるといいます。
駐在帯同してるから何もできないやと諦めずに、ぜひいろいろチャンスを探してみてほしい。意外とどこかに転がってたりするので、人に話を聞いたりしてみてほしいなと思います。
仕事や執筆をしながら、6歳の双子を育てるママの側面もあります。子どもたちは英語ゼロの状態で渡り、最初は学校に馴染めず苦労したものの、2年経ってなんとかなってきたといいます。
終始柔らかな雰囲気の中に、外資ITでやってきた片鱗も垣間見えます。話の締めくくりは、意外にもシンプルな結論に落ち着きました。
活躍している人はたいてい体力がある人だと宮本さんは語ります。体力が切れると気力も切れてくる、という坂本さんの実感とも重なりました。
現地の言葉ができなかったり、私もオランダ語がわからなくて毎日ヒーヒー言ってはいるんですけど、なんとかなる。よく寝て毎日過ごすのが一番大事かなと思います。
海外でビジネスをしようとする人へのアドバイスは、気力・体力・お金・ビザが切れなければなんとかなる、という一見素朴な結論に。それでも、経験に裏打ちされた学びとして受け止められました。
まとめ
国際機関志望から営業へ、外資ITから駐在帯同、Googleを経てフリーランスへと、宮本佳歩さんのキャリアは寄り道の連続でした。その一つひとつが人脈や経験として次につながり、女性の権利やコミュニティという軸に結実していきます。
- 国際機関への就職に失敗した宮本さんは、汎用的なビジネススキルを求めて営業を志し、職種別採用の外資に絞って就活した。
- DHLのカスタマーサービスから外資ITのシマンテックへ移り、成果主義の厳しい環境で数字を達成し続けたが、コミッションの恩恵はほとんど得られなかった。
- 夫の駐在でチリに帯同し、働けない罪悪感からアイデンティティクライシスを経験。帰国・出産後にリファラルでGoogle Cloudへ復帰した。
- Googleでは20%ルールやバンジー制度を使ってブランドマーケやDE&Iに関わり、社会貢献と女性の権利という関心を仕事に結びつけた。
- ベルギー帯同を機にフリーランスのライター・コミュニティマネージャーとなり、駐在帯同でも諦めず、そして「体力が大事」という結論にたどり着いた。
