元Googler同士の対談として始まった前編
番組の聞き手は、コミスマの海外事業責任者であり元Googleの坂本達夫さん。ゲストは、ベルギーのブリュッセル近郊に住む宮本佳歩さんです。
宮本さんは新卒で外資系の物流企業に入り、その後IT企業へ転職して営業を長く経験しました。さらにスタートアップへ移り、採用やコミュニティの仕事を経て、現在はフリーランスとして活動しています。
2人はともにGoogle出身ですが、在籍時期は重なっていません。宮本さんは2020年から約3年間、Google Cloudに在籍していました。
元々はパートナーセールスとして入社したんですが、その後バンジーというGoogleのユニークな人事制度を活用して、Google側に1年くらいいて、PMMのプロダクトマーケティングマネージャーに少し関わっていました。
2015年ごろにGoogleを離れた坂本さんは、この制度を知らなかったと話し、世代の違いを感じたと振り返ります。
サンノゼで過ごした純ジャパ家庭の幼少期
宮本さんは日本で生まれ、2歳のときにアメリカへ引っ越しました。以来、小学5年生で帰国するまでの約8年間を、カリフォルニアのサンノゼで過ごしています。
住んでいたのはAppleの本社近く。物心ついてから小学校を卒業する少し前まで、記憶のほとんどはアメリカのものだといいます。
両親はいわゆる純ジャパで、父は電子部品メーカーに勤務。父自身も帰国子女ではなく、母は英語がまったく話せない状態からの渡米で、家族にとっては大きなチャレンジだったと話します。
学校は現地校に通いつつ、補習校にも週3日通っていました。平日2日と土日の1日という頻度です。
そのため、インターにしか通わなかった帰国子女とは違い、アメリカの文化と日本の文化の両方の影響を受けて育ったと振り返ります。
両親には、いずれ娘たちは日本で生きていくというビジョンがあり、日本語や日本の教育をしっかり受けさせようという意思があったといいます。
サンノゼはすごくのびのびしている、ザ・カリフォルニアという皆さんがイメージするような地域なので、そののびのび感はかなり影響を受けてしまったのかなと思います。
帰国初日、教室でドン引きされたカリフォルニア
小学5年生で帰国した宮本さんは、いきなり逆カルチャーギャップに直面します。今でも鮮明に覚えている出来事があるといいます。
転校初日、担任の先生に「アメリカのどこから来たの?」と聞かれ、宮本さんは何気なく「カリフォルニア」と英語の発音で答えました。
ところが先生も生徒も聞き取れず、教室はポカーンとした空気に。声が小さかったせいだと思った宮本さんは、さらに大きな声で同じように言い直しました。
すぐドン引きされたんですよね。みんな「あ、はい」みたいな。
日本ではカタカナで「カリフォルニア」と言うという感覚がわからず、英語の発音のまま伝えてしまった結果でした。当時はなぜ引かれたのか理解できず、中学や高校で振り返って初めて気づいたといいます。
さらに、カリフォルニアの気候で育った宮本さんは、帰国後1年ほどは冬でも半袖短パンで過ごしていました。周りがコートを着るなか、寒さを感じない体だったと不思議そうに語ります。
学年ビリから慶應へ、受験を「ハック」した戦い方
帰国後は帰国生の中学受験を経て、女子校の洗足学園に進学します。共学の公立小学校からの環境の変化に加え、進学校ならではの勉強量にも戸惑ったといいます。
アメリカでは勉強を頑張る習慣がなかったため、高1から高2前半までは学年ビリから3位あたりを行き来する成績でした。
ただし英語は例外です。洗足学園は帰国生を多く受け入れており、1学年に30人ほどの帰国子女がいました。英語が第一言語の生徒たちとネイティブの先生の授業を受ける環境だったため、英語力を保つことができたといいます。
その環境に巡り合えたことは本当に感謝していますね。
転機は高2ごろ。先に大学受験を頑張る姉の姿を見て、宮本さんも一念発起します。ものすごく勉強し、一般受験で慶應義塾大学法学部政治学科に合格しました。
坂本さんが「学年最下位レベルから慶應レベルなら、書籍化されてもおかしくない」と驚くと、宮本さんは「リアルビリギャルだと思って」と応じます。
合格の鍵は、頭の良さそのものより戦い方だったと宮本さんは語ります。姉の受験で家庭に受験のコツが蓄積されており、得意な武器で戦える大学を選べたことが大きかったといいます。
理系科目が苦手だった宮本さんは、それを捨て、得意な英語と大好きだった世界史、そして小論文で戦える大学に焦点を絞りました。慶應は英語の配点が高く、まさに自分に合う受験先だったといいます。
自己分析
理系が苦手で英語・世界史・小論文が得意という強みを把握
大学選定
英語の配点が高く、得意科目で戦える私立に焦点を絞る
情報戦
姉の受験で蓄積した受験のコツを家庭で共有
合格
慶應義塾大学法学部政治学科に一般受験で合格
小論文の対策では、学校に業務委託で小論文指導ができる先生がたまたまいたことも幸運だったといいます。坂本さんも東大の後期論文試験を、青い表紙の小論文本1冊で対策したエピソードを重ね、共通の「バイブル」に盛り上がりました。
国際機関への憧れと、政治学科という選択
一見すると物流やテック企業とは無関係に見える法学部政治学科という選択には、高校時代の宮本さんなりの目的がありました。
周囲には模擬国連に出るなど、国際問題に関心の高い友人が多く、宮本さん自身も自然と、将来は国際機関で働いたり海外に関わる仕事をしたいと考えるようになっていました。
それが一番学べるのが法律学科より政治学科だと考え、他大学でも政治系の学部を受けていたといいます。
自然と私も、将来は国連とは言わないまでも、そういう国際機関で働いたり、海外に関わるような仕事がしたいと思っていました。
インドネシアの農村で価値観が揺さぶられた原体験
大学では、憧れをそのまま行動に移します。宮本さんは、法学部でありながら、インドネシアの地域研究をする経済学部のゼミに入れてもらいました。
そのゼミは、教授がインドネシアの都市の貧困地域に邸宅を持っており、そこに約1ヶ月住み込んで人々の暮らしを社会学的に研究するというものでした。宮本さんは宗教活動の実態を卒論のテーマに選んだといいます。
サークルでも、国際問題を自分たちで見て自分たちの言葉で伝えるという活動をする団体に入り、インドへ行くなどの活動をしていました。
バリの農村ではホームステイも経験。トイレは水を手で流すタイプ、シャワーは井戸水、冷暖房も電化製品もない生活を体験したといいます。
この体験は、宮本さんの価値観を大きく揺さぶりました。国際機関を目指していた当初は、貧困地域の人々を「救うべき存在」と見る、やや傲慢な考えを持っていたと振り返ります。
しかし現地で見たのは、自給自足的に暮らし、仕事や学校もあり、その中で幸せに生きる人々の姿でした。宮本さんは、自分が西洋的な一方向の価値観からしか物事を見ていなかったことに衝撃を受けたといいます。
現地やリアルを見なければ何も変えられない、机上の空論は一方的なものの見方にすぎない。宮本さんはこの時期にそう学んだと語ります。
貧困地域の人々を「救うべき存在」と捉える、西洋的で一方向な見方
現地の幸せや暮らしの実態を知り、自分の当たり前を疑う視点を獲得
アメリカでは意識しなかったマイノリティの感覚
幼少期にアメリカを経験していた宮本さんでも、先進国と発展途上国のあいだにある認識のギャップは、行ってみて初めて分かったといいます。
理由のひとつは、住んでいたカリフォルニアの環境にあります。地域の約7割が韓国系や台湾系、中国系、日系などアジアにルーツを持つ人々で、自分がマイノリティだと感じた経験がほとんどなかったのです。
むしろ黒人のファミリーが少ない地域だったため、自分はマジョリティ側だという意識が自然に形成されていたと振り返ります。
だからこそ、生活様式のまったく異なるインドネシアで受けた衝撃は大きく、自分たちの生活が当たり前ではないと痛感したといいます。
温かい家があって、食事もできて、好きなことに没頭できてという、本当に恵まれた環境の中にいたので、そこをすごく揺さぶられる経験だったのがインドネシアでした。
坂本さんは、インドネシアのスラムに邸宅を持つ教授の話などをもっと深掘りしたいとしつつ、前編をここで区切りました。後編ではキャリア編と、現在の海外在住の話に続きます。
まとめ
前編では、サンノゼでのびのび育った宮本さんが、帰国後のギャップや受験の逆転、そして途上国のフィールドワークを通じて、いまの価値観をどう形づくってきたのかが語られました。
- 2歳から約8年をサンノゼで過ごし、現地校と週3の補習校でアメリカと日本の両方の文化を吸収した
- 帰国初日に英語発音の「カリフォルニア」でドン引きされるなど、逆カルチャーギャップを経験した
- 学年ビリ級から一念発起し、得意科目に絞る「受験ハック」で慶應義塾大学法学部政治学科に合格した
- インドネシアの農村での体験を通じて、西洋的で一方向な価値観を反省し、リアルを見る重要性を学んだ
- アメリカでマジョリティ側の意識を持っていたからこそ、途上国での衝撃が価値観を大きく揺さぶった






