「選択と集中」はオワコン? AI時代のプロダクト開発で変わるセオリー
ぼくらの戦略論にて、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの高宮慎一グロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)代表パートナー。Forbes「日本で最も影響力のあるベンチャー投資家ランキング」2018年1位。メルカリ等への投資実績で知られる。さんと、編集者・ライターの長谷川リョー編集者、ライター、ポーカープレイヤー。東大情報学環→リクルート→独立→ケニアでのポーカー生活を経て、経営者や企業の発信支援に取り組む。さんが、AI時代のプロダクト開発における「選択と集中」のパラダイムシフトを議論しました。開発コストが限りなくゼロに近づく世界で、従来の定石はどう変わるのか。データとエージェントの垂直統合、大企業とスタートアップの競争条件のフラット化、そして最後に残る「意思決定」の領域まで深掘りしています。その内容をまとめます。
「一つのプロダクトに二つの価値を混ぜるな」という金言
議論の出発点は、長谷川さんの実体験であるポーカーアプリの話でした。ポーカーアプリには大きく二つの方向性があるといいます。一つは「ポーカーを通じて他のユーザーとコミュニケーションを楽しむ」タイプ。もう一つは「お金を賭けるヒリヒリ感を味わう」タイプです。
高宮さんによれば、この二つはバリュープロポジション顧客に対してどのような価値を提供するかという約束のこと。「誰の」「どんな課題を」解決するサービスなのかを定義する、事業の出発点となる概念。(提供価値)がまったく異なるため、一つのプロダクトに混ぜてはいけないというのが従来の鉄則でした。
コミュニケーションを楽しみたい人と、とにかくお金をかけたい人――二つのものを一つのプロダクトでやっちゃうと、なんか「どっちやねん」ってなるんですよ
ヒリヒリ感を追求するアプリなら、演出はカイジ福本伸行による漫画作品。ギャンブルの極限状態を「ざわ…ざわ…」という独特の擬音とともに描くことで知られる。的な「ザワザワ」「ガーン」になる。コミュニケーション重視なら、ゲーム間に感想を語り合う余白を設けるなど、プロダクト全体を最適化すべき方向が変わります。これは飲食店でも同じで、高級天ぷら店と大衆天ぷら店を同じ店舗で運営すべきではないという話と本質は同じです。
ここまでは、AI以前の世界でもAI以後の世界でも変わらない普遍的なセオリーだと高宮さんは強調します。問題は、その先にありました。
マージナルコストゼロが覆す「選択と集中」
従来のスタートアップにおいて、「二兎を追う者は一兎をも得ず」は鉄板のセオリーでした。リソースが限られるスタートアップは、一つのバリュープロポジションに集中して開発すべきだという考え方です。天ぷら店のたとえでいえば、「体力がないから高級と大衆、どちらか一つに絞ろう」という判断が合理的だったわけです。
ところがAI時代では、この前提が根底から揺らぐ可能性があると高宮さんは指摘します。
コーディングは人力。エンジニアは希少な戦略リソース。追加プロダクトの開発コスト(マージナルコスト)は高い → 選択と集中が不可欠
AIによるコーディングコストが激減。マージナルコストが限りなくゼロに → 仮説を全部形にしてユーザーにぶつけることが可能に
すでに現状、コーディング作業の50%にはAIが入っているとされます。単純化すれば開発コストが半分になっている状態です。さらに将来的には、自然言語で「こういうアプリを作って」と指示すれば完成する世界も遠くないと高宮さんは見ています。
ただし、すべてが「選択不要」になるわけではありません。マーケティングフェーズに入ると、まだAIによる完全自動化は進んでおらず、ユーザー獲得にはコストがかかります。つまり、「プロダクトを作るレベル」では選択と集中は不要になりつつあるが、「市場に届けるレベル」ではまだ選択と集中が必要――という、段階的な変化が起きているのです。
プロダクト開発
AIコーディングでマージナルコスト→ゼロ。仮説を全部作って検証できる
マーケティング・人的オペレーション
広告費やCS対応など、まだ人とお金がかかる領域が残る
高宮さんは、「今後マージナルコストが下がりそうな領域を先読みすること」が戦略を考える上で重要になると述べています。
SaaS is dead? データとエージェントの垂直統合
開発コストがフラット化した世界で、次に問われるのは「何で差別化するか」です。高宮さんはポーカーアプリの例に戻り、ユーザーの行動データの蓄積こそが競争優位になると説きます。
たとえば、ロイヤルストレートフラッシュポーカーにおける最高の役。同じスートの10・J・Q・K・Aの5枚で構成される。出現確率は約65万分の1と極めて低い。が出た時に脳汁が出てハマるというデータがあれば、カードの出現確率を調整してエンゲージメントを最適化できます。そして、そのデータを使ってAIエージェントが自動的にプロダクトを改善し続ける仕組みができれば、圧倒的な優位性になります。
この議論は、前回のエピソードで話題になった「SaaS is deadAIエージェントの台頭により、従来型SaaSの価値が失われるという論調。2024年頃からシリコンバレーを中心にバズワード化した。」論にもつながります。高宮さんによれば、この言説はセンセーショナルに広まりすぎた面があるとのこと。
狭義のSaaS is deadであって、SaaSをベースにしながらAIエージェントと足し算した「データ+エージェント企業」に生まれ変われるんだったら、それはむしろ強い
たとえばSalesforce世界最大のCRM(顧客関係管理)SaaS企業。1999年創業。企業の営業・マーケティング・カスタマーサービスのデータを一元管理するプラットフォームを提供。は、セールス領域における膨大なデータを保有しています。開発力がフラット化した今、競合のAIエージェント企業がセールスツールを作れたとしても、Salesforceが自社データに外部エージェントのアクセスを遮断し、自前のエージェントだけを走らせれば、データの優位性で勝てる可能性があります。
つまり、SaaS側からでもAIエージェント側からでも、最終的には「データ接点」と「ユーザー接点」の両方を押さえた垂直統合が求められるということです。片側だけではどちらもdeadになりかねません。
大企業 vs スタートアップ ── 開発のフラット化がもたらすもの
開発コストがフラット化すると、スタートアップと大企業の競争条件はどう変わるのでしょうか。長谷川さんの「結局、大企業が強いってことになりませんか?」という問いに対し、高宮さんは単純にそうとは言えないと答えます。
差別化の源泉による違い
プロダクトでの差別化が効く領域では、大企業の資金力だけでは勝てません。たとえば福祉業界には、監査対応の暗黙のルールのような、明文化されていないデータが存在します。そういった業界固有のデータを持っている企業がプロダクトに反映できれば、それ自体が参入障壁になります。
一方、税務や経理のように共通ルールで動く領域は、データでも開発でもフラット化しやすく、最終的にはマーケティング=資金力の勝負になりやすいといいます。
大企業の「真の弱点」はリソースではない
高宮さんは、大企業の不利さはリソースの量ではなく、意思決定の構造にあると指摘します。
イノベーションのジレンマに陥りやすい。既存事業を否定できず、AI化に踏み切れない
リソース+機動力で圧倒的優位。自社事業を壊すようなAI投資も果断に実行できる
例として挙がったのはSHIFTソフトウェアテスト・品質保証を主力とするIT企業。創業者の丹下大が社長を務め、テスト事業から上流工程へと領域を拡大。時価総額は数千億円規模。。コーディングテストから始まり、人手の超効率オペレーションで成長した企業ですが、創業者の丹下さんが今もトップに立ち、自社事業を脅かしかねないAI事業に大胆に投資しています。「リソースを持ったスタートアップ的な動きをしている大企業」という稀有な存在です。
長谷川さんは自身の古巣であるリクルート人材、住宅、飲食、美容など多領域のマッチングプラットフォームを運営する日本の大手企業。Indeed買収など、グローバル展開にも積極的。もこの類型に当てはまると指摘。各事業のデータを横断的に統合する動きは以前から進んでおり、起業家精神を持つ経営トップのもとでAI時代の変革にも取り組んでいるとのことです。
AIエージェント化の三段階 ── メインパイロットの交代劇
「AIですべてがフラット化していくなら、最後に何が残るのか?」――長谷川さんの核心的な問いに対し、高宮さんは「意思決定しか残らない」と即答します。ただし問題は、そこに至る時間軸と順番が不透明なことだと付け加えます。
AIの侵食速度を決める二つの軸
どの領域から先にAIエージェント化が進むかを見極めるフレームワークとして、高宮さんは二つの軸を提示します。
インパクト大
インパクト大
(=最速で置き換わる)
インパクト小
インパクト小
マーケティング領域、特に運用型広告リアルタイムで入札・配信が行われるオンライン広告。Google広告やMeta広告が代表的。ルールベースの最適化が中心のため、AI化の親和性が高い。の運用はルール化しやすく、動く金額も大きい。エンジニアリングの次に早くAI化される可能性があると高宮さんは見ています。
テックレディ ≠ 普及レディ
しかし、技術的に可能であることと、実際に社会に普及することは別問題です。高宮さんはWaymoGoogleの親会社Alphabet傘下の自動運転企業。サンフランシスコやフェニックスなどで無人タクシーサービスを商用運行している。の自動運転やがんの画像診断AIを例に、「テックレディ」と「人レディ」の乖離を指摘します。
BtoBの文脈でも同じことが起きています。たとえばコールセンターのAIエージェント化は技術的には可能でも、「AIが顧客に不適切な発言をしたら誰が責任を取るのか」という問題があります。だからこそ現在は、AI BPO企業BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の裏側でAIを活用する企業形態。外注先として人が責任を持つ体裁を取りつつ、実際の業務はAIエージェントが処理するモデル。が「まるっと受託します」と受け、人が責任者として座りながら裏でAIエージェントが回すという、第二段階の形態が増えているといいます。
スーパーのセルフレジでも、基本は自動化されてるけど、見守ってくれるおばちゃんはまだいますよね。でもいずれいなくなるという…
高宮さんはこの例に乗りつつ、「見守りのおばちゃん」がいなくなるタイミングはまだ読めないと述べます。大局としてはAIオンリーに向かうことは確定だが、そこに至るスピードは「人の受け入れ度」次第。だからこそ重要なのは、ブレない大局観と、柔軟な戦略性だというのが高宮さんの結論です。
最新のスタートアップトレンドとしても、AI BPO企業がまずは全方位でAIエージェントを投入し、スケールするものはプロダクト化、中途半端なものは早期にM&Aで整理するという動きが出てきているそうです。開発コストがゼロに近づいたからこそ、「とりあえず全部作って、全部試す」という戦略が合理的になっているわけです。
まとめ
今回のエピソードでは、AI時代のプロダクト開発における戦略の根本的な変化が語られました。「一つのプロダクトに一つの価値」という金言は不変だが、開発のマージナルコストがゼロに近づくことで「どちらかに絞る」必要はなくなりつつあります。データとエージェントの垂直統合が勝ちパターンとなり、大企業とスタートアップの境界線も曖昧になる中で、最終的に残る差別化要因は「意思決定の質とスピード」。未来の方向は見えているが、そこに至る時間軸だけが不確実――だからこそ、ブレない大局観と柔軟な戦略性の両方を持つことが、AI時代を生き抜く鍵になりそうです。
- 「一つのプロダクトに一つのバリュープロポジション」はAI時代でも変わらない金言
- AIにより開発のマージナルコストがゼロに近づき、プロダクトレベルでの「選択と集中」は不要になりつつある
- 「SaaS is dead」は言い過ぎ。勝ちパターンは「データ接点 + ユーザー接点」の垂直統合
- 大企業 vs スタートアップの構図はフラット化。差がつくのは意思決定のスピードと起業家精神
- AIエージェント化は「人がメインパイロット → AIがメインパイロット → AIオンリー」の三段階で進む
- AIによる業務の侵食は確定。不確実なのは順番とスピードだけ。「ブレない大局観と柔軟な戦略性」が重要
