十代に満ちていた「根拠のない自信」はどこへ行ったのか
今回は長谷川さんの持ち込みテーマ「根拠のない自信はどう持てるか」から始まります。きっかけは「山頂に登ったことのない人は、どうやって山頂をイメージして頑張れるのか」という問いだったと話されています。
長谷川さんは、大学卒業後のインド一人旅から東大大学院に入るあたりが、根拠のない自信に満ちあふれていた時期だったと振り返ります。
大学院に入ってみたいな流れのあたりの時は、根拠のない自信でゾーンに入ってたというか、根拠のない自信に満ちあふれてたんですよ。何でもできるみたいな感じで。
ところが年を取るにつれて、その自信はどんどんなくなっていったと言います。
ある意味謙虚になったというか、社会の広さを知るというか、優秀な人にたくさん会わせていただいて、自分の小ささを知るみたいなことでもあるんですけど。
高宮さんも、人生で一番スター状態だったのは中学生の頃かもしれないと共感します。海外にいながらペーパーテストでは現地の生徒より点が取れ、古文の暗記も一度読めば覚えられたと言います。
もしかしてすごくね、みたいな思っちゃったんですけど。思春期的な成長期だからこそある、本当に脳が活性化されてる状況だったんじゃないかなと思って。今なんて暗記スーパー苦手で何も覚えないですからね。
根拠のない自信と、歯を食いしばる努力
高宮さんは、根拠のない自信には2つの方向があると整理します。ひとつは、経験がなくてもリーダーとして前に出られるパターンです。
もうひとつは、その逆で、根拠がないと自信が持てず、努力で裏付けを作っていくパターンだと言います。高宮さん自身は後者だと自己分析します。
左脳的に納得ができないと、根拠がないと自信が持てないタイプで、本質的に言うと結構自信がないんですよ、多分。
めっちゃ努力して、努力に裏付けられて、努力したから安心、努力したから自信みたいなのがないと本当にヒヨヒヨになっちゃうんで。
その原体験として、1980年代に海外でいじめや人種差別を経験し、自己肯定感が低いのではないかと感じてきたことを挙げます。
そして、根拠のない自信が強い人は自己肯定感が非常に高く、その土台は親や育った環境で作られると考えられると話します。だからこそ、大人になってから人工的に無敵のスター状態を作り出すのは難しいのではないか、と言います。
孫正義とジョブズ、2つの自信の類型
長谷川さんは、話が「気合いと根性系」と「視座の高さ系」でごちゃごちゃになってきたと整理を求めます。飛び込み営業のように気合いで話しかけ続ける人と、出自から高い視座を持ち続ける人は、どう分けられるのか、という問いです。
高宮さんは、いずれも本人を直接知るわけではないと断ったうえで、孫正義さんについては「負けん気」や「健全なコンプレックス」の側ではないかと推測します。
健全なコンプレックスは適度に自分を駆り立てるみたいな話もあると思った時に、歯を食いしばってダブルダウンでめちゃめちゃ賭け金大きくして突っ込み続けた結果、それが根拠になったんじゃないかな。
一方でジョブズについては、朝令暮改も辞さず自分を棚に上げられるタイプであり、こちらこそ根拠のない自信に近いのではないか、と話します。
そのうえで高宮さんは、この2つを別々の駆動力として定義します。
底抜けにポジティブで、根っこの部分で自分を信じている。過度に行き過ぎると非現実的で害悪にもなり得る。
根っこで自分を信じていないからこそ歯を食いしばって頑張る。見返してやるという力で自分を駆動する。
適材適所としての自信と、努力のリスク
長谷川さんは、現実歪曲フィールド的な人はスタートアップでは強みでも、成熟した組織では周りを疲弊させる害悪にもなり得ると指摘します。
高宮さんもこれに同意し、適材適所であり「適材適タイミング」の話だと応じます。ルーチンを回す成熟事業では、現実を変えようとする力はむしろ邪魔になる一方、イノベーションを生むには規定の外に飛び出す力が必要だと言います。
そのうえで高宮さんは、自信を持つこと自体がパフォーマンスの効率につながると話します。同じ「150キロを打ち返せる実力」でも、信じて打席に入る人と、失敗を恐れて素振りを重ねる人では、消耗の仕方が違うという比喩です。
ギリギリ自分が150キロの球を打ち返せる実力の時に、いけるっしょと思ったら150キロ打ち返しちゃって、打ち返し続けるうちに160キロもいける人になっちゃうみたいな。
ただし努力で根拠を作りにいく側にはリスクもあると言います。無理に180キロを打とうと練習しすぎれば、手のマメが裂け、いずれ壊れてしまうかもしれないという指摘です。
年齢とともに自信はどう変わるのか
長谷川さんは、十代は自分の可能性がわからないからこそ無限大に感じられたが、社会の中で自分のキャップが見えてくると、根拠のない自信を持ちにくくなると分析します。
40年とか50年からいきなり根拠のない自信を持つことって、不可能なのではないかなって思ってしまったんですよ。
高宮さんは、自身が帰国子女として日本の偏差値競争に巻き込まれず、褒められる環境で「天狗」になれたことが、受験でのびのび振り切れた理由だったと振り返ります。
長谷川さんは、あえて弱いチームの中で一番でいる戦略もあると応じます。高宮さんも、イギリスにいたからこそ潰れずに天狗でいられたと同意します。
多分日本の受験でガリガリ、普通に塾とか行ってたら全然ついていけなくて、多分潰れてたんじゃないかな。
一方で高宮さん自身は、大学受験で「あれれ」と思い、その後は気合いと根性で根拠ある自信を作ってきたと話します。ゾーンから覚めてしまう感覚を体感したとも語ります。
ゾーンに入ってる時、妙にスッと覚めて自分を客観視した瞬間、ゾーンに入れなくなっちゃう。悪い意味での覚醒を、僕は結構体感しましたかね。
根拠のない自信は技術で持てるのか
長谷川さんは、フランスの哲学者アランの言葉を引きながら、根拠のない自信を技術論として捉えられないかと問いを投げます。
悲観は気分、楽観は意志みたいな名言があるじゃないですか、フランスの哲学者アランの。
高宮さんは、それは自己催眠のようなものだと応じます。そして自己催眠の根拠を突き詰めると、結局は親や育った環境による自己肯定感に行き着いてしまうと話します。
自己催眠の根拠って何かっていうと、究極僕は、親の役割が大きくて、自己肯定感をどう育むかだと。育った環境による自己肯定感に全部行き着いちゃうのよ。
高宮さんは、根拠のない自信が持てる天才は出現確率が低く、しかもスター状態は永遠には続かないと指摘します。だからこそ、努力で根拠ある自信を身につけるのは健全だと話します。
そのうえで、努力を駆動するコンプレックスも、過度でなければネガティブなものではなく「自己駆動力」だと捉え直します。
七十歳から根拠のない自信は持てるのか
話題は年齢と自信の関係に移ります。高宮さんは、今年50歳になるにあたり、どこで自分に対する諦めの線を引くかが人生の終盤戦では大きいと話します。諦めきれないままだと、ミッドライフクライシスになりかねないとも言います。
さらに高宮さんは、肉体的な衰えから来る自信の喪失も大きいと指摘します。常にどこかが痛いという状態自体が、万能感を持たせなくすると言います。
体の不調を感じること自体が、自信を削ぐというか、少なくとも万能感は持たせないっていう。
中学生の頃は疲れを知らず、時間も無限にあるように感じられたが、今は油断すると一日があっという間に終わってしまう、と2人で振り返ります。
長谷川さんは「人は七十から根拠のない自信を持てるのか」と問いを立て、カーネル・サンダースの例にも触れます。高宮さんは、70歳でも成し遂げられると信じて頑張るか、隠居と割り切るかは人それぞれだと応じます。
まとめ
根拠のない自信は、親や育った環境で作られる自己肯定感に根ざしており、後天的に人工的に作るのは難しいと2人は整理します。だからこそ、努力で根拠ある自信を身につけることや、コンプレックスを自己駆動力として使いこなすことに意味があると話されました。そして「自信をどう身につけるか」と考えている時点で、すでに根拠を求める側のタイプなのかもしれない、という結論に至ります。
- 十代に満ちていた根拠のない自信は、社会で自分のキャップを知るにつれて失われやすい
- 自信には「底抜けにポジティブな根拠のない自信」と「歯を食いしばるコンプレックス駆動」の2類型がある
- 自信はパフォーマンスの効率につながる一方、努力で根拠を作りすぎると自分を壊すリスクもある
- コンプレックスは過度でなければネガティブなものではなく、自己駆動力になり得る
- 自信の持ち方を考えること自体が、自分がどちらのタイプかを知る手がかりになる
