何かにつけて「イーヴィル」と烙印を押す流れ
昨日、ある特定のSNSを見ていて、本当に嫌な気持ちになった。
何かにつけて暴言がバンバン飛んでくる。あれはもう、過去の自分を見ているようで、いい加減にしろと思ってしまう。
気になるのは、そこにある流れそのものだ。
これは俺たちの世界に合わないものだ、社会にとって「イーヴィル」なものだ。そうやってレッテルを貼って、社会から永遠に消してしまう。
この繰り返しがずっと続いている。ジャパンポッドキャストアワードの表彰式以降も、そういう空気は散々だった。
でも、である。自分が見たいページを電子版に載せられなかったところが「イーヴィル」なのかというと、そう言い切る正当な根拠なんてどこにもない。
俺は魔女裁判をやりたくて、そこにいるわけじゃないんだ。
それでも「そこにいた理由」を否定したくない
じゃあなぜ、そんな場所に自分はいるのか。
たとえばグルドンにいたことが良かったか悪かったか。どんなにネガティブな要因があったとしても、そこをきっかけに生まれた出会いだけは、絶対に否定できないんだよな。
シンゴさんもそうだし、ケータさんとの冒険もそうだし、コウタさんのビデオエッセイに出会えたこともそうだ。
バックスペースやplayroomがあったからこそ、あり得た出会いがある。
大げさに聞こえるかもしれないが、今日食べたチーズ納豆トーストだって、元をたどればバックスペースがきっかけだ。
そこにいるという選択の価値を、私は絶対に否定したくない。
ただ、である。だからといって、そこに安住したいかというと、それは絶対に嫌だ。
だって、明らかにやばいことがそこにあるのは間違いないんだから。
好きなものが、たいてい地雷になる
もうひとつ厄介なのは、自分が好んで使ってきたものが、たいてい地雷であることが多いという話。
Xperiaもアンチが多かったし、プレステも同様。アトラスやファルコムのタイトルを話しても、周りに誰もいない。
つまり、自分の話題を共有できる相手がなかなかいないんだよな。
話題を共有できないだけなら、まだいい。
ただ、あまりにもネガを押し付けられ続けるのは、さすがにきつい。ここでの投稿をbotだけにして、本音は別のインスタンスに、なんてことを考えたくもなる。
もちろん、そういうプロフィールがはたから見て健康かというと、健康とは言えないだろうけどね。
共通の楽しい話題で、盛り上がれる場所を
こうやって書いていると、愚痴ばっかりでどうしようもないな、とも思う。
だからこそ本当は、共通の楽しい話題で盛り上がれる機会がほしい。
今のところ、電ファミのサーバーはその楽しく盛り上がれる場所のひとつになっている。それは非常にありがたいことだ。
ただ、楽しくできる場所がここだけ、というのも寂しい。
できればいろんなチャンスで、楽しいと思える瞬間があってほしい。そう願っている。
まとめ
嫌なことがあった場所を、まるごと「イーヴィル」と切り捨てるのは簡単だ。でも私は、その場所で生まれた出会いまで否定はできない。否定はしたくないけれど、安住もしたくない。いまの自分の立ち位置は、たぶんそのあたりにある。
- 何かを「悪」と断じて消す流れに、私は乗りたくない
- ネガティブな場所でも、そこで生まれた出会いだけは否定できない
- 否定はしないが、安住もしない。それが今の立ち位置
- 共通の楽しい話題で盛り上がれる場所が、もっとほしい

