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インクルーシブという考え方は、どこから生まれて、どう世界に広がったのか。今回は歴史をたどる回です。始まりはデンマークの官僚バンク・ミケルセン。第二次世界大戦中にナチスへのレジスタンス活動で捕らわれ、強制収容所を経験した人でした。戦後、知的障害のある方の入所施設を視察したとき「ここは自分がいた収容所と同じじゃないか」と感じた——その違和感から「ノーマライゼーション」という言葉が生まれます。スウェーデンのベンクト・ニィリエがそれを整理して世界へ。1日・1週間・1年のリズム、本人の希望が尊重されること……読むとごく当たり前のことばかりなのに、提唱されたのはたった50年ほど前だという事実に驚かされます。そこから当事者自身が声をあげ、「障害は個人ではなく社会の側にある」という障害の社会モデルへ。車椅子で行きたい場所に行けないのは、足が動かないからではなく階段しかないから——という考え方の転換です。1994年のサラマンカ声明、障害者権利条約第24条、そして2022年に日本が国連から受けた分離教育への勧告まで。そして最後は、自分たちに刃が向きます。「ヘレンをつくったこと自体が分離ではないか」という批判を、実際に受けたことがあったそうです。場をつくると、その場が固定化してしまう——単純に一緒がいいとも、分けるのがいいとも言えない。問いが生まれ続けるテーマだと実感する回です。<目次>インクルーシブが生まれた歴史をたどる回/デンマークの官僚バンク・ミケルセン/ナチスの強制収容所を経験した人だった/視察した入所施設が収容所と同じだった/ノーマライゼーションという言葉の誕生/スウェーデンのベンクト・ニィリエが世界へ/1日・1週間・1年のリズムという原理/本人の希望が尊重されるという当たり前/提唱は50年ほど前という事実に驚く/欧米で進んだ統合が不十分だった理由/当事者の声から生まれた障害の社会モデル/インペアメントとディスアビリティの違い/階段しかない環境が不利益を作っている/サラマンカ声明と障害者権利条約24条/2022年国連勧告とヘレンは分離かという問い
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