記事ができると、章ごとの要約と、聴きどころへ飛べる目次がここに並びます。いまは音声で聴けます。
「混ぜるのも分けるのも、それぞれ良さがある。じゃあ結局、何が一番なんだっけ?」——答えを求めたくなる問いに、真正面から向き合う回です。
黒木さんも以前は「これからはごちゃまぜだよね」と言っていたそうですが、ヘレンの保護者から「今のヘレンがいいんだ」と言われて考え直したとのこと。
小学校でインクルーシブに育っても、中学に支援級がなければそこから分断される——施設ひとつでは越えられない壁もあります。では根っこには何があるのか。橋本さんの答えは、経済的な生産性で人を測って線を引くこと。
狩猟採集の社会なら別の線が引かれていたはずで、線の位置は社会のあり方で変わるのだ、と。そこで出てくるのが「メガネ」の話。メガネがあるから収録に参加できる——つまりメガネこそがインクルーシブにしている道具なんですよね。視線入力でパソコンを操作する、大きなスイッチでNintendo Switchを遊ぶ、顎でUFOキャッチャーを動かす。フローレンスはこれをインクルーシブテックと呼んでいます。
一緒にマリオカートをやっている時、支援者と被支援者ではなく「ただ遊んでいる人」同士になる——この関係の変化が何よりの成果です。実は名づけの時、「エイブルテック」という案もあったそうです。できないことができるようになる技術、という意味で。でもそうではなくて、その人を包摂するための環境側の技術なんだ——だからインクルーシブテックでよかった。学校教育法21条が義務教育の目標の1番目に掲げているのは学力ではなく「協同」だという話から、「何かができないとダメなのか」という重い問いへ。
ゆかっちが「グサグサ刺さった」と漏らす、シーズン屈指の回です。
<目次>混ぜるも分けるも、結局どちらがいいのか/インクルーシブ原理主義だった頃の話/ヘレンの保護者が「今がいい」と言う理由/空間で分けず活動ごとに設計する発想/小学校でつながっても中学で分断される/根っこにあるのは生産性で引かれる線/狩猟採集の社会なら線の位置は変わる/メガネがわたしを収録に参加させている/視線入力と大きいスイッチという技術/顎で動かすUFOキャッチャーの話/一緒にマリオカートをやる時の関係性/学校教育法21条・義務教育の目標の1番目/何かができないとダメなのかという問い/エイブルテックではなくインクルーシブテック/そこに存在すること自体に意味がある
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