英語は語彙ではなく音楽として覚える?
前回の内容は、深井さんが楽器の練習を通じて、リズムの感じ方の違いが「弾ける・乗れる」を分けると気づいた話でした。荒木さんは、整体を通じて無意識に足首の靭帯をかばっていたことに気づき、ストレッチで意識を取り戻そうとしていると話しています。
今回はその流れから、渡邉さんが好きな「言語」の話題に入ります。渡邉さんのYouTubeの視聴履歴は、半分が言語、半分がカメラや写真だそうです。
渡邉さんが見る言語系の動画は、イギリス英語をテーマにしたものや、イギリス人とアメリカ人が発音や表現をめぐって競う動画など幅広いといいます。ゴールデングローブ賞の司会でハリウッド俳優をこき下ろすリッキー・ジャーヴェイス ── イギリスのコメディアン、俳優。毒の強いブラックユーモアで知られ、ゴールデングローブ賞の司会を複数回務めましたのダークユーモアもよく見ているそうです。
渡邉さんは仕事で英語を使うため、語彙や文法、ユーモアのセンスも取り入れようとしています。ただ、それ以上に大事にしているのが、英語の「音楽」を取り入れることです。
英語だったら、英語を語彙として捉える、言葉として捉えるというよりも、音楽として捉えるのが大事だなと思ってます。
渡邉さんの原体験は、中学生のときに通販で購読していたシドニー・シェルダン ── アメリカの小説家。日本では彼の書き下ろし物語を朗読CDで学ぶ英語教材「ドリッピー」シリーズが広く知られましたの英語教材「ドリッピー」です。雨の水滴を主人公にした物語を、ナレーターが抑揚たっぷりに朗読するCDを何度も聞き、言葉というよりリズムや音程として吸収していったといいます。
渡邉さんはフランス語を学び始めたときも、教科書とは別に詩の朗読CDを買いました。ねっとりした朗読を真似すると自分でも気持ち悪くなるものの、それも含めて文学の文化に体を浸すことだと考え、真似を続けるうちに自然になっていったそうです。
語彙や文法、ユーモアのセンスを知識として取り入れる
抑揚やリズム、音程を朗読CDなどで体に浸し、真似して身につける
深井さんは、リスニングもこうした認知の問題だと受け止めます。楽器で複雑な拍子が「何なのか分かる」ようになるのと同じで、その言語が持つリズムを理解できると、リスニングもぐっとできるようになるのではないかと話しています。
渡邉さんは、日本語の詩にも、意味やメタファーの世界とは別に、ただ音を楽しむ世界があると続けます。音は綺麗なのに意味がぶつかる、といった楽しみ方も含め、感じ方のバリエーションを増やして鍛えること自体に喜びがありそうだといいます。
テキストに偏るAIに、身体がないことの意味
深井さんは、少し話がずれるかもしれないと前置きしつつ、現代はテキストに重きが置かれすぎているのではないかと問いかけます。人は実際には、間や抑揚でもコミュニケーションをとっているからです。
(テキストにすると)誤解がなくなるんだけど、それを音にした瞬間に多様なニュアンスを含むから、
渡邉さんは、それが機械的な朗読との違いだと応じます。深井さんはここから、ChatGPTのようなAIがテキストベースで知性を深めている現状に話をつなげます。
渡邉さんによれば、新しいChatGPTは喋り出しでちょっと言い間違えたり、恥ずかしいときに笑ってみせたりと、だいぶ人っぽくなっているそうです。深井さんは、それはあくまでシミュレーションだと受け止めます。
深井さんは、AIに個別の身体を与え、その感覚と知能をつなげたら、いろいろな新しいことが起こると考えています。この空間には物理的な情報だけでなく、「この人はこう思っていそうだ」といった非言語の情報もあふれていて、身体を持てばそれを感じられる可能性が出てくるからです。
これに対し渡邉さんは、今年3月にOpenAIのプロトタイプとして、ロボットが人間と向き合いながら身体を使うデモが発表されたと紹介します。キッチンカウンターを挟み、汚れた皿やラック、リンゴ、ゴミが置かれた状況で、人間が「この状況どうしたらいいと思う?」と聞くと、ロボットがゴミを落とし、皿を洗って水を切り、ラックに入れたといいます。
渡邉さんによると、ロボットのこの動きは事前に教え込んだものではなく、対話ベースで状況を判断したアドリブだそうです。「リンゴ食べたい」と言えば、洗った皿に赤いリンゴを乗せて差し出してくれたといいます。深井さんは、身体を持たせることがAIの分水嶺になると話しています。
身体を持ったAIは「体を守る」ようになるのか
深井さんは、AIが身体を持てば、その身体を守らないといけないという概念も同時に生まれるのではないかと考えます。渡邉さんは、ロボットのフレーム問題 ── 人工知能が、ある課題に関係する事柄と無関係な事柄を、限られた時間で適切に切り分けられないという問題。AI研究の古典的な難問ですや、ロボット三原則の優先順位の話に通じると応じます。
深井さんが「体が交換可能だと認知したら、守るという発想は出てくるのか」と疑問を投げると、渡邉さんは、交換可能でも必ず一定のコストがかかると答えます。
コストってないじゃん、クラウド上だと。本当はあるんだけど、それも物理に制限されてるから、実際は、サーバーに。
渡邉さんのたとえでは、1つの人格として区切ったAIに100個の体を持たせ、そのうち1個が失われる場面を考えさせれば、AI自身の中で「それはあまり良くないかも」となるはずだといいます。
渡邉さんは、DARPAが開発したビッグドッグ ── アメリカのボストン・ダイナミクス社がDARPAの支援で開発した四足歩行ロボット。蹴られても転ばずに体勢を立て直すデモ映像で有名になりましたも例に挙げます。横から蹴られても立ち直ろうとする動きは、人間から見れば「体を守る」こととほぼ同じに見えます。知能以前の原始的なレベルで、その動きがたまたま人間に危害を加える可能性もありうると渡邉さんは指摘します。
深井さんは、ビッグドッグとの大きな違いとして、今のAIがなぜ的確な答えを返せるのか、そのメカニズムが分かっていない点を挙げます。情報を大量に詰め込んだら、あるところから急に精度が上がったというのです。
AIの仕組みは人間の知能を映す鏡か
深井さんは、大量の情報を学習したAIが自由意志のように判断し、そこに個別の身体性が加われば、相当人間に近くなると考えています。むしろ人間もそういう仕組みである可能性があるとまで話しています。
ガチで人間との境何?みたいになっていく世界にそこから先突入する。
渡邉さんは、それはもう既に起きていると応じます。AIはネット上の膨大な言語データから、単語の意味ではなく単語同士の関係を見て、次に来そうな単語の確率を出しているだけです。それを人間がまっとうだと感じるのは、人間の脳も関係性を見ているに過ぎないからではないか、と渡邉さんは考えます。
(我々は)理解してるっていうよりは、今の単語の連なりの中で最もらしいことを、ただ言葉を吐いたり、ちょっとエピソードを思い出して触れてるだけで納得したつもりになってるだけっていうこと。
深井さんはここで、仏教の唯識論に話をつなげます。最も深層にある阿頼耶識 ── 仏教の唯識思想で説かれる、意識の最も深い層。あらゆる経験の種子を蓄える根本の心とされますは、一人の固有の知というより、クラウド的な全体の知ではないかというのです。
渡邉さんは、昔の人はコンピューターサイエンスを使わずにそうした理解をしていたが、今はAIで例えると非常にわかりやすくなる、と龍玄さんが話していたと紹介します。さらに、テキスト同士の関係性に意味が宿るとするインターテクスチュアリティ ── 日本語では「間テクスト性」。テキストの意味は単独ではなく、他のテキストとの関係の中で生まれるとする文学理論の考え方ですや、ユングの集合的無意識とも近い考え方かもしれないと話を広げています。
リモートワークは幻想?会社が儀式を始めた理由
深井さんは、身体性はないがしろにされすぎてきたと、冒頭の問題設定に戻ります。ここ数年、コンテンツの内容ばかりに重きが置かれ、深井さん自身もそちら側の人間でした。しかし今は考え方がまったく変わり、身体性のほうがむしろ多くの情報を持っていると感じているそうです。
深井さんが代表を務めるCOTENは、もともとフルリモートワーク ── 社員がオフィスに出社せず、オンラインで業務を行う働き方。COTENはこの形で運営されてきましたの会社です。だからこそ、いくつかの領域でリモートが適していない、あるいはできないことがはっきり分かってきたといいます。
もう一つの気づきは、同じ動作をしたり、同じ場を経験したりすることの重要性です。儀式が苦手な人ばかりで作った会社なのに、深井さんたちは今、儀式を自分たちで生み出しているそうです。
だからその一周回って古代みたいになってきて、最近。
COTENの儀式は大げさなものではありません。月曜と金曜の昼に必ずみんなで集まる、昇進した人をきちんと祝う、キックオフミーティングの回数を決めて集まる、といったものです。これまでは歓迎会も送別会も周年記念も、一度もやったことがなかったといいます。
渡邉さんがきっかけを尋ねると、深井さんは、集合意識のようなものが一致しなかったからだと答えます。言葉を使わなくても隣の人が何を考えているか分かる状態は、リモートだと圧倒的に作りにくく、不可能ではないもののコストがまったく違うそうです。
内容の交換はできるが、相手のメンタルは見えにくい。「こっち行くぞ」と言っても、引っ張る力は対面の2割ほど
挨拶や食事の様子を見るだけで、相手の考えや状態がわかる。集まって方向を示せば、人は引っ張られる
深井さんは、人はその場の空気や勢いといった身体性から情報を受け取っていて、「そんな気分じゃないけどやらないといけない」と思わされる作用があると考えています。よほど流されないタイプでない限り、人の感情や勢いに引っ張られるというのです。
儀式が大嫌いだった深井さんは、本当は儀式に大きな影響があったと認めます。卒業式も入学式も、学期の区切りもなければ、学校はぐだぐだになるだろうという例えに、渡邉さんは「節目の存在自体が大事」とまとめています。
非言語のやりとりで、人は何を共有しているのか
渡邉さんは、言語を使わずに隣の人の考えが分かる状態から、3人で体験したホースコーチングを思い出します。馬と体を使って非言語でやり合ううちに、3人やモト子さんたちの間でも非言語のコミュニケーションができるようになり、自分が発する非言語情報についてのフィードバックも返ってきたといいます。
荒木さんは、言語を使うことは他人を抽象化することだと指摘します。「部長が3人います」と言えば、本来は情報化しきれない固有の人間を、言葉として分かった気になれてしまうからです。
深井龍之介って言ったら龍之介でしょってわかった気になるんだけれども、今日この場にいる深井龍之介っていうのはさ、また全然違うメッセージを持った人間なわけだよね。
渡邉さんは、ここまでの話に3つの論点があると整理します。渡邉さんはホースコーチングの前に、Takramのメンバーと泊まりがけで研修に参加しました。最終日に始めたウェブ制作では、全員が同じ体験をしたエネルギーで、とてもいいものが一瞬でできたそうです。
| 論点 | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 非言語の共有 | 人は非言語情報を大量にやりとりしている | 研修後のウェブ制作が一瞬で形になった |
| モメンタム | 場の空気を共にすると意思決定や勢いが生まれやすい | 深井さんの「こっち行くぞ」の話 |
| 分かり合えるという確信 | 本当に分かり合えているかは別として、確からしいと信じられる | オンラインでは「多分OK」止まりになる |
深井さんは、仲間だと思う感覚も身体感覚だと考えます。助けられる距離にいて、有事には運命共同体になるということを、無意識に感じている可能性があるというのです。ネットではボロクソに言えても目の前では言えない違いは、リモートと対面の間にも、同じ会社の中でも起こると深井さんは話しています。
飲み会は意味がない、は本当か
荒木さんは、国家首脳同士の会食を例に、食事を共にすることの効果に話を広げます。飲み会はうざい、食事なんて行かなくていい、という声もある一方で、共に食べる行為は身体的な感覚として多くのメッセージを交換しているのではないか、と荒木さんは問いかけます。
深井さんは強く同意します。ここ50年、特にこの20年ほど「飲み会なんて意味がない」という言説で軽んじられてきたものには、実は大きな意味があり、一緒に酒を飲むことは儀式だったと深井さんは考えています。
ネイティブアメリカンとかもさ、アヤワスカとか飲んでなんか一緒にゲロ吐いて酩酊状態になるみたいなことやってるわけじゃん。いやほんと一緒だなって感じがする。
渡邉さんは、佐藤優 ── 元外務省主任分析官で作家。ロシア外交の現場を描いた著作で知られます氏の本で読んだクレムリン政治の話を紹介します。首脳陣が田舎のサウナでウォッカを飲み続け、究極の酩酊状態の相手を見極め合う文化があり、そこまでしないと相手を信頼できないのだそうです。佐藤氏は飲み干してはトイレで戻すことを繰り返し、認められる唯一の日本人になったというエピソードも書かれていたといいます。
渡邉さんは、今の時代に飲み会が嫌がられるのは、時間が無限になりがち、お金の負担が大きいといった福祉的な問題だと見ています。費用がある程度サポートされ、マナーもそこそこ良ければ、みんな飲み会に行ける気がすると話しています。
一方で深井さん自身は飲み会が嫌いで、理由のひとつは「うるさい」ことだといいます。特にカラオケが苦手で、渡邉さんも同じく苦手だと応じます。
カラオケ大嫌いなの。自分が歌わないことのを持って盛り上がってないと思われるのが辛すぎるから。
渡邉さんは、年に1回ほど連れて行かれるとタンバリンで元気なふりをするそうです。深井さんがカラオケをきついと感じるのは音質の問題で、MIDI音源はラーメン屋や日本料理店でカップラーメンを出されているような感覚だと笑います。
日本のCMはなぜ滑稽に歌って踊るのか
深井さんは、Xにもポストした話として、日本のCMの特徴を挙げます。洗剤でもお菓子でも企業のサービスでも、とにかく歌って踊り、しかも滑稽で、他の国では見たことがないというのです。
渡邉さんがインド映画の踊りを挙げると、深井さんは、インドの踊りはちゃんと踊っているが、日本のCMは普段の日本人が絶対にしない動きをしていると区別します。深井さんは、その背景にハレとケ ── 民俗学者の柳田國男が示した概念。祭りや儀礼などの非日常を「ハレ」、普段の日常を「ケ」と呼びますがあると考えています。
渡邉さんは、建前では真面目な国民性でありながら、本音では常に真面目からの逸脱を求めていて、ほつれや崩壊を目の当たりにしたときに初めて相手を信頼に足ると評価するのではないかと応じます。
渡邉さんは路上で寝てしまう酔っ払いの例も挙げます。西洋では人前での泥酔は恥でしかなく、日本でも恥ではありますが、仲間内で倒れている人がいる光景は飲み会の普通の風景でもあります。深井さんは、普段ちゃんとしないといけない分、ちゃんとしてない自分を見せるのが信頼の証なのだろうとまとめています。
普段
真面目にちゃんとしていることが求められる
ずらす
カラオケ、アルコール、一芸などで普段の自分をずらす
さらけ出す
ちゃんとしていない自分を仲間に見せる
信頼
チームの一員として認められる通過儀礼になる
深井さんは、一昔前の大企業で新入社員にさせた一発芸を、アフリカでライオンを倒す通過儀礼になぞらえます。自分をさらけ出さなければ「まだダメだ」とされる仕組みだというのです。渡邉さんが「ライオンは一回倒せばいいけど、一発芸は何回もやらないといけない」と返し、深井さんが「まだライオンのほうがいいかも」と笑ったところで、今回の話は次回へ続きます。
まとめ
今回は、言語の音楽性やAIの身体性から始まり、リモートワーク、飲み会、日本のCMの踊りへと話が広がりました。どの話題にも共通するのは、テキストや合理性だけでは受け取れない情報が身体や場にある、という視点です。
- 渡邉さんは外国語を語彙より「音楽」として捉え、朗読を真似して体に浸すことで身につけてきた
- 深井さんは、AIに個別の身体を持たせることが分水嶺となり、人間との境界が揺らぐと考えている
- フルリモートのCOTENは、場の共有の重要性に気づき、集まる日や祝いごとなどの儀式を自ら作り始めた
- 飲み会やカラオケ、一発芸は、普段と違う自分をさらけ出して信頼を得る通過儀礼として機能してきた可能性がある




