極楽浄土とVRはなぜ似ているのか
石田康平さんは、建築とVR(バーチャルリアリティ)が重なる領域と、その先を研究しています。2025年の元日に配信されたこの回は、シリーズ第2回として、前回の議論を渡邉康太郎さんが振り返るところから始まります。
渡邉さんによれば、前回の出発点は「VRと極楽浄土は似ている」という視点でした。人間は古今東西、生きている側と死んでいる側、現世と極楽浄土のように、「こちら側」と「あちら側」を意識してきたといいます。
渡邉さんは、災害の記述から始まる『方丈記』を例に挙げ、人は常に「今ここではない別の世界」を思い描いてきたと整理します。そのうえで、現代も気候変動による災害やイスラエル、ウクライナでの紛争などがあり、平安や戦国とは違う形の乱世を経験しているのかもしれないと話します。
さらに渡邉さんは、ZoomやメタバースやApple Vision Proのように、現代人はテクノロジーを通じて「あちら」と「こちら」をいつの間にか自由に行き来していると指摘します。その技術の中に、歴史に見られた人間の本質が見え隠れしているのではないか、という問題意識が石田さんの研究にはあるとまとめました。
こんな感じで(前回の話を)受け止めたんですけど、どうなんでしょうか。
石田さんは、この振り返りを「おっしゃる通り」と受け止めています。
近代こそ「特殊な時代」だった?
石田さんは最近、「アーバンバーチャリズム」という言葉を提唱したいと考えているそうです。近代の建築や都市論は、ものの形や構造から都市の公共性や生活を考えてきました。その目から見ると、イヤホンやグラス、ARが次々と登場する現在は特殊な状況に映ります。
ところが振り返ると、昔の都市には夢や幻、風水、もののけ、呪術、異界があり、バーチャルな世界に溢れていたと石田さんは言います。そこから、ものの形だけで都市を考えられた近代のほうが特殊で、バーチャリティを前提に都市を考えるほうが歴史的には常道なのではないか、という見方が示されます。
石田さんが語った近代とそれ以外の都市の考え方の違いは、次のように整理できます。
ものの形や構造から、都市の公共性や生活を考える
夢、幻、風水、もののけ、呪術、異界などバーチャルな世界を前提に成り立つ
議論の中では、昔は見えないものを前提に世界を設計していたという整理も出ます。日本の八百万の神のようなアニミズム ── 自然物や現象に霊魂や精霊が宿ると考える信仰のあり方。日本の八百万の神の考え方もその一例とされますでは、見えない力を信じてその存在を奉るための建物と設計がありました。
近現代になると、見えないものの力は弱まりました。それでも儀式は残り、見えないものへの畏怖や敬意は今も続いています。一方で、意識の上ではそうしたものをくだらないと思ってしまう現代性もある、という見方が示されました。
お金は現代最大のバーチャリティか
渡邉さんは、現代のバーチャリティはテクノロジーだけではなく、経済にもあるのではないかと問いかけます。お金や資本を増やすことが大事だという新自由主義的な考え方こそ、現代人が囚われている目に見えないバーチャリティの大きな部分ではないか、という提起です。
渡邉さんによれば、お金は現金という形を持つこともできますが、実際には銀行の数字やオンライン決済であることが多く、仮想通貨の「仮想」という言葉が象徴するように見えなくなっています。働いてお金を稼いでいても、キャッシュを手で受け取ることはあまりありません。
(お金を)増やせるっていうのが世の中にとってもなんか意味を持つってことだよねっていうことを、みんなが同じく合意しているっていうふりをしながら振る舞うみたいな。
ロールプレイングを社会で行っているっていう側面があるじゃないですか。
この提起には「同感」という反応が返ってきます。そこから、バーチャリティに対置されるリアリティとはいったい何なのか、という問いへ議論が広がりました。
バーチャルの反対語は何か
石田さんは、あるイベントで来場者に「バーチャルの反対語は何だと思いますか」と問いかけたことがあるそうです。難しすぎて会場はポカンとしたといいますが、石田さんはバーチャルとリアルの対比は必ずしも自明ではないと話します。
石田さんによると、哲学的にはバーチャルとアクチュアルの対比が多く、バーチャルは潜在、アクチュアルはより実体化したものを指します。一方、バーチャルリアリティ学ではバーチャルの反対に「名目上の」という意味のノミナルが置かれることもあるそうです。
イベントの参加者からは「身体」という答えも出ました。石田さんは、その人にとっては脳の中にある思念的なものと体にあるものが対比になっていたのだろうと推測します。何を反対に置くかで、その人のバーチャルの捉え方が浮かび上がるという指摘です。
| 文脈 | 反対語 | バーチャルの捉え方 |
|---|---|---|
| 哲学 | アクチュアル | 潜在と、より実体化したものの対比 |
| バーチャルリアリティ学 | ノミナル | 「名目上の」との対比 |
| イベント参加者の答え | 身体 | 脳の中の思念と、体にあるものの対比 |
渡邉さんは、反対語を定義するよりも感覚的な「こっちとあっち」の分け方に関心を寄せます。昔の人が死後の世界とともに歩んできたように、現代人は実体がつかみにくい経済観念とともに歩み、ほぼそれに支配されているのではないかと話しました。
見えないものを信じるには「見えなければならない」
石田さんが興味深いと語るのは、昔のVR文化が「見えないものの存在を感じる」文化ではなかった点です。石田さんによれば、極楽浄土の文化では見ることがすべてで、極楽浄土に行くには目の前に極楽浄土が見えなければならないとされていました。
石田さんは、平等院鳳凰堂もそのための装置だったと位置づけます。人間は視覚や聴覚、触覚をしばらく遮断したり、同じものを見続けたりすると幻覚が見え、それが次第にクリアになることが研究で知られているそうです。
石田さんが例に挙げたのは、構想行という仏教の修行です。ご本尊の前で五体投地 ── 両膝・両肘・額を地面につけて行う、仏教で最も丁寧とされる礼拝の作法を数千回繰り返すもので、石田さんは5000回ぐらいと話しています。
繰り返す
ご本尊の前で五体投地を数千回行う
幻覚が止まらなくなる
修行したお坊さんの証言では、幻覚や幻聴が止まらず、瞳孔が開いたまま閉まらなくなる
やり直す
ドクターストップで一度中断しても、もう一度やらなければならない
合格
ご本尊が本当にいるように見え、それについて語れたら合格
石田さんは、昔はデジタルディスプレイがないため、人間の認知をハックして別世界を見せたり聞かせたりしたのだろうと話します。そこには、見えないものを信じるためには見えなきゃいけないという矛盾があるといいます。
石田さんはこの考えをお金の話にもつなげます。数字だけでは信じきれず、札束があることでバーチャリティがその瞬間だけ現れ、資本主義の見えないものも信じられるのかもしれない、という見方です。渡邉さんは、家を買って家に触れるような「換金された瞬間」もそれにあたるかもしれないと応じました。
だから宗教画の必要性とかもそういうところにあったわけじゃない。やっぱり天国や地獄を描くことによって見える状態にしておくみたいな。
今におけるそのバーチャルなものが見える状態にするっていうのは何なんだろうね。
石田さんは、遠近法がVR的な文化だったのかを議論することもあると話します。今の人にはただの表現でも、昔の人は信じ込んだかもしれず、何があれば信じられるのかは時代とともに変わるといいます。
ChatGPTとプラトンの洞窟、本物はどこにある?
荒木さんは、人間が視覚にとらわれやすいなら、VRやARで見えるものが変質していくとき、何を現実と捉えるのかが議論になると話します。
石田さんは、同じことは知能にも言えると応じます。ChatGPTは原理的には細かな関数処理を組み合わせた統計のシステムのはずなのに、言葉を喋り、知能のように見えます。それが映像になれば人間と区別がつかず、Zoomで話している相手が本物かもわからなくなると石田さんは指摘します。
荒木さんはここで、プラトン ── 古代ギリシャの哲学者。著書『国家』で、人間を洞窟の壁に映る影だけを見ている囚人にたとえる「洞窟の比喩」を描きましたの『国家』に出てくる洞窟の比喩を持ち出します。
(本物とは何かという)問いは、昔から哲学論争としてあるわけなんだけれども、多重な意味で難しくなるね、これはね。
荒木さんは、影の影までできてしまう現代では、本物とは何かという古い問いがさらに難しくなると話しました。
テックに限らず、バーチャリティを広げていく
渡邉さんは、前回よりも荒木さんのほうが議論の「チャネル」が揃ってきたと笑いつつ、ここからの進め方を石田さんに尋ねます。石田さんは、これまで日本の話が中心だったため、次回はVR文化で知られるフランスの話をしたいと提案しました。
ここで言うテックって何なの?っていう、もうバーチャル全般って言っちゃっていいの?みたいなのがよくわかんないんだよ。
石田さんの答えは、テクノロジーに絞るつもりはまったくないというものでした。バーチャリティが潜むエリアを広げたほうが話として面白いため、広げる方向で進めたいと話しています。
この回で紹介された本はプラトンの『国家』です。次回はフランスの話から議論が続きます。
まとめ
この回では、極楽浄土の修行やお金、遠近法、ChatGPTを手がかりに、人は見えないものを信じるために見える形を求めてきたのではないか、という視点が浮かび上がりました。
- 石田さんは、ものの形だけで都市を考えた近代こそ特殊で、バーチャリティを前提とするほうが歴史的には常道ではないかと考えている
- 渡邉さんは、お金を増やすことに価値があるという合意を、現代の大きなバーチャリティとして捉えた
- バーチャルの反対に何を置くかで、その人のバーチャルの捉え方が見えてくる
- 極楽浄土の修行には、見えないものを信じるために見えなければならないという矛盾がある
- ChatGPTやプラトンの洞窟の比喩を通じて、本物とは何かという問いがより複雑になっていることが語られた



