恒例の3人旅は今年どこへ?
番組の冒頭は、渡邉康太郎さんと荒木博行さんが、コテンの深井龍之介さんから届いた旅の計画の連絡を話題にするところから始まります。3人は毎年1回、海外などで現地集合し、体験と議論をする旅を恒例にしています。
これまでの旅先は札幌、出雲、香港、イスタンブールと続き、渡邉さんは「だんだん西に行ってる」と振り返ります。次の候補は、イスタンブールで話題に出たアウシュビッツが「気が重い」とされ、北欧になりつつあるそうです。
渡邉さんはストックホルムに2か月住み、コペンハーゲンにも何度も通った経験があります。12月の北欧は日が短いのではと気にする荒木さんに、渡邉さんは滞在制作の頃の思い出を語ります。
(ストックホルムで)「なんで来たの?」って言われた。みんなに。「なんで来たの?一年でベストな時期だよ」かっこ、苦笑いみたいな感じでしたね。
PodcastEXPOで何を話したのか
ゲストの室越龍之介さんは、自身を「何者かが説明しづらい」と前置きしたうえで、元々文化人類学を研究し、その知見を企業向けに生かす仕事をしていると自己紹介しました。渡邉さんとはPodcastEXPOでの対談が縁になったといいます。
渡邉さんによると、PodcastEXPOは旧池尻中学校で土日の2日間開かれ、校庭には番組ごとのテントが並び、体育館には公開収録用のステージが2つ設けられていました。松岡正剛さんの編集工学研究所による「ほんのれん」のテントもあったそうです。
なんか面白かったですよね。両方の対談の声が聞こえるっていう形式で。
2人の対談テーマは、情報が速く切り替わる時代に複雑なことをどう伝えるか、というものでした。ところが室越さんは1週間ほどたってから、ポッドキャストのイベントなのにポッドキャストの話をほとんどしていなかったことに気づいたといいます。
普通に複雑なことを話す話をしてしまいました。
Clubhouseの雑談部屋はまだ続いている?
荒木さんと室越さんの接点は、Clubhouseでした。コテンラジオのリスナーが集まる部屋に荒木さんが現れ、おすすめの本の話をしたことがあるそうです。荒木さん本人はほとんど覚えていないものの、室越さんを遠い存在には感じないと話します。
室越さんはその空間をコミュニタス ── 人類学者ヴィクター・ターナーが用いた概念。日常の身分や役割がいったん外れ、人々が対等に交わる一時的な共同体のような状態を指しますのようだったと表現しました。また、糸島で本屋アルゼンチンを営む人物とつながりがあるなど、共通の知人を通じた縁も明かされます。
渡邉さんも、荒木さんや深井さんとはClubhouseで話し始めた間柄だと振り返ります。荒木さんが雑談部屋の文化は消えてしまったと惜しむ一方、室越さんはいまもClubhouseを続けているといいます。漫画家の滝波ユカリさんとも、そこで偶然知り合ったそうです。
(Clubhouseは)いつまでも誰も人がいない、あのフェス会場にいつまでも残ってる人みたいな感じになってます。
もう何十年も経ちましたけど、いまだにウッドストックにいる人みたいな感じになってます。
なぜ室越さんは先生たちに謝って回ったのか
番組恒例のゲストからの問いとして、室越さんは「自分の肩書きをどう使っているか」「肩書きを名乗るとき、何らかの社会集団に帰属している感覚があるか」を挙げました。
室越さんがこの問いを立てた背景には、博士課程まで文化人類学を学びながら博士論文を書いていないという事情があります。免許皆伝の感覚がないため自分からは文化人類学者と名乗らないようにしているものの、イベントでは主催者がその肩書きを付けることが多いそうです。
今年、あの年始に、自分の先生何人かいるんですけど、先生たちを訪ねて行って謝って回るっていうことをやったんですけど。
文化人類学者と名乗らせていただいておりますがみたいな、すいませんみたいなのをやって回ったんですけど。
これに対して渡邉さんは、所属なら帰属とつながるのはわかるが、肩書きも帰属になり得るのかと問い返しました。
室越さんは、名前が具体的な「私」を表すのに対し、肩書きは「黄色いクレヨン」の「黄色い」のような抽象的なタグだと説明します。弁護士や、ファーストリテイリングの社員を例に、肩書きはある集団の一員だと相手に了解させる働きがあるのではないか、というのが室越さんの直感です。
肩書きは誰に承認されているのか
渡邉さんは、肩書きにはいくつかのパターンがあり、パターンごとに「誰が承認しているか」が違うと整理しました。かつて深井さんと話した「セルフブランディングの功罪」の回で言っていたことに近い、とも添えています。
| パターン | 例 | 承認する主体 |
|---|---|---|
| 資格 | 弁護士、会計士、看護師 | 国家や専門職団体 |
| スキル | ソフトウェアエンジニア、工業デザイナー | 市場や雇用主 |
| 分野 | 人類学者など | 学会、知のギルド、学閥 |
| アウトプット | 彫刻家、建築家 | 作品を受け取る側 |
分野型の肩書きについて渡邉さんは、室越さんが師匠に謝りに行ったのは、学会や学閥に対して筋を通していないかもしれないという不安や申し訳なさからではないか、と読み解きました。
アウトプット型については、受け取る側がそれを建築だと思えば建築になり、作り手は建築家と呼ばれるかもしれない、と渡邉さんは話します。
室越さんはここで問いを広げ、関心は肩書きそのものより「人が何者であるかがどう決まるか」にあると語りました。キューバでのフィールドワークで覚えたスペイン語はキューバ訛りで、現地の人からは「お前はもうキューバ人だな」と言われたそうです。
キューバに住めよみたいなこと言われるみたいな時に、だがしかし私はキューバ人でないのであるみたいな問題があったりとか。
企業に長く入ってプロジェクトをしていると「なぜうちの社員にならないのか」と聞かれることもあり、室越さんは帰属とアイデンティティの関係をどう考えるかを2人に尋ねました。
名刺があれば悩まないのはなぜ?
荒木さんは、社会一般では肩書きで悩む人はあまりおらず、この3人のほうがマイノリティだろうと答えます。
だってさ、名刺があるじゃん。肩書きもらえるじゃん。以上だよ。
住友商事人事部の荒木ですとかね。まあ役職上がったら人事部課長荒木です以上みたいな。
住友商事でキャリアを始めた荒木さんは、名刺が名乗りを規定してくれるため、自分は何屋なのかと悩む余地がなかったと振り返ります。
渡邉さんは、それは住友商事が社会的信頼のある大きな組織だから機能するのであって、誰も知らないスタートアップでは同じようにいかないと指摘しました。荒木さんも、手伝っているFLYERのように知らない人が多い会社では、どう抽象化して伝えるかの悩みが出てくるかもしれないと応じます。
住友商事時代は名刺が名乗りを決めてくれ、悩む余地がなかった
一人で柔軟に活動する今は、アイデンティティそのものが問われる
さらに荒木さん個人については、そもそも自分を定義したくないという気持ちが大きいといいます。文脈に応じて自分の役割を見いだしたいため、肩書きを言うと振る舞いを自分で規定してしまう感覚があるそうです。
僕も結構似てて、(セミナーの冒頭の自己紹介は)マジ嫌なんだよそれ。
その中で言ったタグに自分の認知が縛られてしまうみたいなところも、ちょっとなんか嫌だなって思うところ。
肩書きのない人はなぜ「妖怪」になるのか
室越さんは、肩書きの問題を名乗る側だけでなく受け取る側からも考えます。不可解な存在である自分たちは「で、何をやってくれるんですか」と説明を迫られやすいものの、人は誰でも、わけのわからない他者に会ったときにその人をどう理解するかという問題を抱えているといいます。
その人に確かにタグが何もついていないみたいなのって、あの不安になるだろうなみたいなのやっぱあるわけですよ。
その時になんかその妖怪的なものとして相手に現れないみたいなのが、多分肩書きかなと思うんですけど。
荒木さんはこれを「最初の安心材料ってことだよね」と受け止めました。肩書きは、相手に理解の手がかりを渡すものだという見方です。
渡邉さんも、コンテクストデザイナーという自分の肩書きを「明らかに怪しい」と認めます。美大やデザイン工学のバックグラウンドがなく専門教育による権威付けもないうえ、茶道や人文系、文学など興味のタグが多く、結局自分は何なのかわからないといいます。
僕、コンテクストデザイナーっていう肩書きだけど、明らかに怪しい。
名乗れなさの正体は中二病なのか
渡邉さんは、肩書きを持つことは「どう名乗るか」と「誰に承認されるか」をセットで引き受ける作業かもしれないと語ります。室越さんが「人類学者のなりそこね」「アンソロポロジスト」「ライターリサーチャー」など複数の名乗り方を持つのも、1つに収まりきらないからではないかといいます。
渡邉さんはさらにマルセル・モス ── フランスの社会学者・人類学者。『贈与論』で知られ、「人格(ペルソナ)」の概念が社会の中で歴史的に形づくられてきたことも論じましたの人格論に触れ、私は最初からあるのではなく、仮面や役割のような社会装置によって生まれるもので、肩書きもその一つだと位置づけました。
室越さんが「肩書きを使いこなせないのは社会的に生まれ損なっているということか」と問うと、渡邉さんは自分の解釈として、それは自意識が邪魔をする中二病ではないかと答えます。
人ごとだからすごい乱暴に言うけど、いや別に(博士)論文出してないからって人類学者って言えばわかりやすいじゃんみたいな。
渡邉さんによれば、マーケットのわかりやすさではなく自分のどこかが名乗りを止めてしまう悩みは中二的なもので、それは自分自身にも起きているといいます。室越さんも「確かになー」と受け止め、荒木さんが「中二病的な名乗り」を次回に膨らませようと締めくくって初回が終わりました。
まとめ
初回は、博士論文を書いていない室越さんが肩書きと帰属意識を問い、3人がそれぞれの名乗り方の居心地の悪さを持ち寄る回でした。肩書きは承認の仕組みであり、他者に渡す安心材料でもあると整理されたうえで、名乗れなさは自意識の問題ではないかという論点が次回へ持ち越されています。
- 室越さんは文化人類学者と名乗ることに居づらさを感じ、年始に先生たちへ謝って回った
- 渡邉さんは肩書きを資格・スキル・分野・アウトプットに分け、それぞれ承認する主体が違うと整理した
- 荒木さんは名刺が名乗りを決める会社員時代と違い、今は自分を定義したくないと語った
- 室越さんは肩書きを、相手に「妖怪」と思われないための理解の手がかりと捉えた
- 渡邉さんは名乗れなさの正体を、自意識が邪魔をする「中二病」ではないかと解釈した


